ジョン・フォード
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ジョン・フォード(John Ford、1894年2月1日 - 1973年8月31日)は、1930年代 - 1960年代を代表するアメリカ合衆国の映画監督。本名ジョン・マーティン・フィーニーだが後年しばしば本名のゲール語形であるショーン・アロイシャス・オフィーニーあるいはオファーナを名乗った。1923年からジョン・フォードと名乗る。アメリカのメイン州出身。
西部劇や自身のアイデンティティであるアイリッシュを好んで描き、詩情豊かな映像の詩人と評された。
[編集] 人物・生涯
アイルランド系の3人兄弟の末っ子。1914年に兄フランシスの働くユニヴァーサル映画に入社。小道具係など様々な職を経験する。俳優としてもジャック・フォード名義でD・W・グリフィスの『國民の創生』などに出演。
1917年、二日酔いで仕事が出来なくなった兄に代わって助監督を務めるが、彼の演出シーンをユニヴァーサルの重役カール・レムリが気に入り、フォードは監督に昇進し、同年に『颱風』で監督デビュー。
初期の頃はハリー・ケリー主演の映画を数多く手がける。低予算の西部劇を製作した後、フォックス社(後の20世紀フォックス)に移籍。また1923年からジョン・フォードと改名し、1924年に発表した大作『アイアン・ホース』で大きな評価を得る。1927年、ドイツのベルリンを訪れ、F・W・ムルナウに直接映画技法を学ぶ。後の映画に大きく影響する照明や撮影は、この頃から出てくる。
1930年代にはシリアスなドラマにも取り組み、1935年にアイルランド独立運動に命を賭けた男たちを描いた『男の敵』を皮切りに、1939年にはヘンリー・フォンダを起用した『モホークの太鼓』と『若き日のリンカーン』を次々に発表。
そして同年、西部劇の金字塔『駅馬車』は、低予算映画ながらスピーディーなアクション・シーンと馬車に乗り合わせた登場人物たちの群像劇が見事に観客の心を掴んで大ヒットを記録。オーソン・ウェルズは『市民ケーン』を撮る際に、映写室で『駅馬車』を繰り返し観て映画を勉強したという。『駅馬車』の日本での公開当時、当時日本で配給を担当したユナイテッド・アーチスツ社に勤務していた淀川長治が宣伝を担当し、当氏は38回も観賞したという。
『駅馬車』までしばらく西部劇のジャンルから距離をとっていたフォードだったが、本作で屋外ロケを行ったユタ州のモニュメント・ヴァレーは、フォードのお気に入りの撮影場所となり、以降、フォード西部劇のおなじみの風景となった。
その後も西部劇のみならず、1940年、ジョン・スタインベックのピュリツァー賞作品『怒りの葡萄』と、1941年、19世紀イギリス・ウェールズ地方の炭鉱地帯を舞台にした家庭劇『わが谷は緑なりき』では、貧しくとも前向きに生きようとする家族の姿を力強く叙情豊かに描いて絶賛を浴びる。
元々、海軍贔屓だったフォードは第二次世界大戦が勃発すると軍隊入りを志願、『怒りの葡萄』の撮影監督グレッグ・トーランドらと共に野戦撮影班OSSを結成。ミッドウェイ海戦ではゼロ戦の空爆を受けて負傷したものの、海軍少佐として太平洋戦線やヨーロッパ戦線へ赴いて戦争ドキュメンタリー映画の製作や構成に尽力し、OSSを率いて撮影したドキュメンタリー映画(42年『ミッドウェイ海戦』と43年『真珠湾攻撃』)はアカデミー短編ドキュメンタリー賞を受賞した。
またその息子ハリー・ケリー・ジュニアもフォード作品の常連俳優となる。B級映画俳優だったジョン・ウェインを『駅馬車』に抜擢、ウェインもまたフォード作品に数多く主演することになる。ウェインはスターになってからもフォードから木偶の坊扱いされていたが、最後までフォードを尊敬していたといわれる。
戦後は『コレヒドール戦記』をはじめ、1946年にはOK牧場の決闘を描いた『荒野の決闘』を監督する。フォードは晩年のワイアット・アープと面識があり、本作は彼から聞いた話に着想を得たといわれる。これはその後たびたびリメイクされて、西部劇映画の定番テーマとなった。
『男の敵』(1935)、『怒りの葡萄』(1940)、『わが谷は緑なりき』(1941)、『静かなる男』(1952)で4度もアカデミー監督賞を受賞。これは監督賞受賞最多記録で未だに破られていない。
移動撮影をあまり好まず、三脚の上にカメラが乗っていると機嫌が良かったという逸話があり、また後輩の監督などにもそういった指示を度々していた。
1950年代後半から、それまで懐疑的だった「ヒッチコック=ホークス主義」の「カイエ」派が晩年期のフォード作品に高い評価を与え、映画作家としてのフォード評が高まるようになる。
1966年『荒野の女たち』を最後に映画から引退。
1973年8月31日、胃ガンで死去。
その作品は、黒澤明、ジャン=リュック・ゴダール、リンゼイ・アンダーソン、ヴィクトル・エリセなど世界の映画関係者に数多くの影響を与えている。
アイルランド系であることに強いこだわりを持っていた。ジョン・ウェインをはじめ彼が好んで起用した役者の多くはアイルランド系である。
[編集] 主な作品
- 西部の紳士 -A Gun Fightin' Gentleman (1919)
- アイアン・ホース -The Iron Horse (1924)
- オーロラの彼方 -Hearts of Oak (1924)
- 香も高きケンタッキー -Kentucky Pride (1925)
- 三悪人 -3 Bad Men (1926)
- プリースト判事 -Judge Priest (1934)
- 男の敵 -The Informer (1935)
- 周遊する蒸気船 -Steamboat Round the Bend (1935)
- テムプルの軍使 -Wee Willie Winkie (1937)
- 駅馬車 -Stagecoach (1939)
- 若き日のリンカーン -Young Mr. Lincoln (1939)
- 怒りの葡萄 -The Grapes of Wrath (1940)
- わが谷は緑なりき -How Green Was My Valley (1941)
- ミッドウェイ海戦 -The Battle of Midway (1942)
- 真珠湾攻撃 -December 7th (1943)
- コレヒドール戦記 -They Were Expendable (1945)
- 荒野の決闘 -My Darling Clementine (1946)
- アパッチ砦 -Fort Apache (1948)
- 三人の名付け親 -Three Godfathers (1948)
- 黄色いリボン -She Wore a Yellow Ribbon (1949)
- リオ・グランデの砦 -Rio Grande (1950)
- 静かなる男 -The Quiet Man (1953)
- モガンボ -Mogambo (1953)
- 長い灰色の線 -The Long Grey Line (1954)
- ミスタア・ロバーツ -Mister Roberts (1955)
- 捜索者 -The Searchers (1956)
- バファロー大隊 -Sergeant Rutledge (1960)
- 馬上の二人 -Two Rode Together (1961)
- 西部開拓史 -How the West Was Won (1962)
- リバティ・バランスを射った男 -The Man Who Shot Liberty Valance (1962)
- シャイアン -Cheyenne Autumn (1964)
- 荒野の女たち -7 Women (1966)
[編集] 関連項目
最終更新 2009年8月9日 (日) 09:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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