ジョヴァンニ・マリーア・ヴィスコンティ
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ジョヴァンニ・マリーア・ヴィスコンティ(Giovanni Maria Visconti, 1388年 - 1412年5月16日)は、第2代のミラノ公(在位:1402年 - 1412年)。
ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティとカテリーナ・ヴィスコンティ(ベルナボ・ヴィスコンティの娘)との息子で、彼の後を継いだフィリッポ・マリーアの兄でもある。
父であるジャン・ガレアッツォが急死したとき、ジョヴァンニ・マリーアはまだ14歳だったため、母親であるカテリーナが摂政となって公国を治めた。やがて長じたジョヴァンニは、佞臣の讒言に耳を貸し、母親を幽閉して自らミラノの支配者となる。
ミラノ公となったジョヴァンニは独善的に振る舞い、時には配下の傭兵隊長とも対立した。そのため、領地では反乱が多発し、暗殺を恐れたジョヴァンニは城に引きこもる。しかし、教会に参拝に出かけた際に刺客に襲われ、命を落とした。
1408年、リーミニの領主カルロ・マラテスタの娘アントーニアと結婚したが、世継ぎは残していない。
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最終更新 2009年7月4日 (土) 03:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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