ジョーン・クロフォード

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ジョーン・クロフォード
Joan Crawford
ジョーン・クロフォード(ユーサフ・カーシュ撮影、1948年)
ジョーン・クロフォード(ユーサフ・カーシュ撮影、1948年)
本名 Lucille Fay LeSueur
生年月日 1905年3月23日
没年月日 1977年5月10日(満72歳没)
出生地 テキサス州サンアントニオ
国籍 アメリカ合衆国
活動期間 1923-1974
配偶者 James Welton (1923-1924)
ダグラス・フェアバンクスJr. (1929-1933)
フランチョット・トーン (1935-1939)
フィリップ・テリー (1942-1946)
アルフレッド・スティール (1956-1959)
家族 クリスティーナ(養女)
クリストファー(養子)
シンシア(養女)
キャサリン(養女)
主な作品
『グランド・ホテル』
『ミルドレッド・ピアース』
『大砂塵』
『何がジェーンに起ったか?』

ジョーン・クロフォード(Joan Crawford,1905年3月23日-1977年5月10日)はアメリカ合衆国テキサス州サンアントニオ出身の女優である。本名はルシール・フェイ・ルスール(Lucille Fay LeSueur)。

目次

[編集] 生いたちと経歴

生まれる前に両親が離婚したため貧しい少女時代を過ごす。1915年に母と共にカンザスシティに移り住み、成長してからは生活のためにウェイトレスなど様々な職を転々としつつ、プロのダンサーとなる夢を抱いていた。

1923年に参加したチャールストンコンテストで優勝したことがきっかけで芸能界入りを果たし、コーラスラインの一員としてシカゴデトロイト、そしてニューヨークで過ごし、徐々に頭角を現していった。1925年そんな舞台での活躍をメトロ・ゴールドウィン・メイヤーの担当者に見出されてハリウッド入りし、本名ルシール・フェイ・ルスールの名で映画『美人帝国』の端役でデビュー。同時期に出演した『古着屋クーガン』での演技が評価されたことでMGMが売り込みに本気を入れはじめる。ジョーン・クロフォードという芸名になったのもこの時期で、この改名は当時の映画雑誌『フォトプレイ』で一般公募の結果決まったものである。

そして、1928年の『踊る娘達』のヒットによって彼女はスターの仲間入りをし、当時一世を風靡したチャールストンが得意なフラッパー娘のイメージで売り出された。翌1929年彼女のトーキー第一弾となった『ハリウッド・レヴィユー』で見事なダンスと歌を披露して人気が沸騰した。1932年にはグレタ・ガルボらMGMお抱えのスター達の出演が話題になった『グランド・ホテル』やサマセット・モーム原作の『』などの傑作に出演してその人気を不動のものとした。その頃の彼女が演じる役柄は貧しい出自からひた向きに努力して出世し、最後には玉の輿に乗るという彼女自身の生い立ちとオーバーラップしたものであった。

1930年代後半には年間90万通のファンレターを受け取るほどの絶頂期を迎えるが、この頃からスランプに陥り、主演映画の興行成績の不振から1937年に独立配給者協会から興行的に価値が無い俳優であるとして"ボックス・オフィス・ポイズン"として名指しされるようになる。この不調は1940年代に入っても続き、第二次世界大戦の勃発とともに始まったスターの世代交代の余波を受けて彼女の出演作は減っていった。

1943年にはMGMとの契約が打ち切られ、ワーナーブラザーズへ移籍する事になった。移籍当初は良い役がつかず伸び悩んでいたが、1945年に出演した『ミルドレッド・ピアース』で、バツイチのキャリアウーマンが娘との確執で苦悩するという役で体当たりの熱演をみせ、映画は大ヒットしただけでなく彼女にアカデミー主演女優賞をももたらし人気が復活した。以後、演技派女優として新境地を開き、『失われた心』、『突然の恐怖』の2作でもアカデミー賞にノミネートされることとなった。1950年代以後再び人気は下り坂になるが、1962年に最大のライヴァルベティ・デイヴィスと共演したスリラー映画『何がジェーンに起ったか?』で、妹に虐待される元女優を熱演して再び脚光を浴び、以後はホラー映画への主演が多くなった。1974年に引退を発表。

晩年はクリスチャン・サイエンスにのめり込み、酒びたりだった。1977年5月10日、膵臓ガンで死去。

[編集] 結婚・恋愛・家族について

1920年代を代表するスターであったダグラス・フェアバンクスの息子ダグラス・フェアバンクスJr.と1929年に結婚するも1933年に離婚。1935年には『戦艦バウンティ号の叛乱』に出演したフランチョット・トーンと再婚するも1939年に離婚。1942年には同じくフィリップ・テリーと結婚し、一児をもうけるが1946年に離婚した。1956年にはペプシコーラの社長アルフレッド・スティールと4度目の結婚をし、夫と死別する1959年まで連れ添った。このため彼女は1972年までペプシコーラの取締役を努め、一時は副社長の肩書きも持っていた。

結婚以外にも1931年に『暗黒街に踊る』で共演したのを皮切りに1940年まで計8作で共演したクラーク・ゲーブルとの恋愛関係も有名で、1930年代後半に恋愛関係にピリオドを打ってからも良き友人としての関係を保っていた。1960年にゲーブルが死去した時彼女は「彼と共に私の一部も逝ってしまった。彼は他の誰よりも私のことを知っていた」と述べたという。

彼女の子供は実子の他に三人の養子がいたが、その中の一人のクリスティーナは、クロフォードの死の翌年『Mommie Dearest』(邦題:親愛なるマミー―ジョーン・クロフォードの虚像と実像)を出版し、クロフォードが彼女を含む養子達に児童虐待をしていたことを暴露した。この本は1981年にフェイ・ダナウェイ主演で映画化(日本では『愛と憎しみの伝説』というタイトルでTV放映)され、高級なドレスを針金のハンガーにかけた養女を折檻するダナウェイ演じる世にも恐ろしい母親の姿が話題となった。

[編集] 出演作品

[編集] 外部リンク

[編集] 参考文献

ウィキメディア・コモンズ
  • 筈見有弘 『ハリウッド・カップルズ』 キネマ旬報社、1998年 - クロフォードとクラーク・ゲーブルの恋愛に一章がさかれている。

最終更新 2009年10月26日 (月) 16:03 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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