ジョーン・サザーランド

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ジョーン・サザーランドJoan Sutherland, 1926年11月7日 - )は、オーストラリアシドニー郊外出身のソプラノ歌手。なお、姓の発音は最初のサにイントネーションをおいた「ザランド」が適切であるが、ここでは日本で慣用となった表記に従う。

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[編集] ベルカント・ソプラノになる前

シドニー音楽院に学び、1947年にコンサート形式による「ディドーとエネアス」で歌手デビュー。1950年に奨学金を得てロンドン・王立音楽大学でクリーブ・カレイに師事し、1952年に『魔笛』の第一の侍女役でロイヤル・オペラ・ハウスでのデビューを飾る。

しばらくは『魔笛』や『魔弾の射手』のアガーテ役など、ドイツ系のドラマティックな役柄をこなしていたが、同じ王立音楽大学出身の指揮者リチャード・ボニングが彼女の歌手としての運命を変えることとなる。

[編集] ベルカント・ソプラノへの転向

リチャード・ボニングは当時の指揮者の主流とは独自に、ベルカントオペラの研究やその再現に意欲を燃やしていた指揮者であった。ボニングはサザーランドの歌を聴いたときに、彼女が単なるドラマティック・ソプラノではなく、ベルカント・ソプラノとしての素質を持っていることを見抜き、ベルカント歌手へ転向するように彼女を説得し、彼女もそれに応じた。2人は1954年に結婚。その後、サザーランドは夫ボニングの助けを受けてベルカント歌手としての道を歩み始める。

最初に彼女が世間の注目を受けたのは1959年である。彼女はコヴェント・ガーデンドニゼッティのオペラ『ランメルモールのルチア』のタイトル・ロールを歌い(指揮はトゥリオ・セラフィン)、驚異的な大成功を収めたのである。その理由は、マリア・カラスとは異なり、高音域から低音域まで力強く、かつむらのない美しい声で困難な装飾歌唱を軽々と歌いきったことにある(それゆえに彼女は同郷の先人になぞらえて「ネリー・メルバの再来」と謳われる事となる)。そしてこの大成功を機に、1961年にはメトロポリタン歌劇場ミラノスカラ座でもルチアを歌い、これを皮切りにベルカント・オペラ復活に自信を持つことになる。

[編集] ラ・ステュペンダ(La Stupenda)

「ルチア」での成功を機に、夫ボニングとともにオペラハウスのレパートリーから外されていたベルカント・オペラの復活上演に力を注ぐこととなる。

まず1962年にはロッシーニの『セミラーミデ』のタイトル・ロールを歌い、この曲を蘇演することに成功し(アルサーチェ役はジュリエッタ・シミオナート、指揮はガブリエレ・サンティーニ)、1969年にはマリリン・ホーンとの共演により、同作品をレパートリーに定着させることにも成功する。

絶頂期における彼女は3点ホ(E)音に至る音域を有し、かつ高音域から低音域までむらなくフォルムを崩すことのない強靭な声を駆使し、マリリン・ホーンや夫リチャード・ボニングとトリオを組んで、ベッリーニの『清教徒』や『夢遊病の女』などのレパートリーの復活上演を立て続けに成功させていったこと。このことから、イタリアではラ・ステュペンダ(La Stupenda「とてつもない声を持つ女」)と賞賛されることとなる。そして、彼女によって「キング・オブ・ハイC」ことルチャーノ・パヴァロッティが見出されることになる。

[編集] 引退

しかし、彼女の装飾歌唱のテクニックや声量も、1970年代後半から次第にかげりを見せるようになり、その代わりに演技力を磨くことでその衰えを補っていた(それでも1980年代までは3点変ニ(D♭)までは難無く維持していた)が、1992年に正式にオペラからの引退を発表する。その引退記念コンサートはルチアーノ・パヴァロッティマリリン・ホーンも参加したにぎやかなものとなった。

[編集] 日本での評価

ベルカント・オペラ復活に関する彼女の多大なる功績にもかかわらず、彼女の評価は日本においてはお世辞にも高いものとは言えなかった。

1975年にメトロポリタン歌劇場来日公演で『椿姫』のヴィオレッタ役を歌ったのがサザーランドの日本における初公演だったが、それ以前の日本人のオペラ評論家はレコードや海外公演などで1960年代の彼女の演奏を聞いて「白痴美的」と言うレッテルを貼っていた。しかし初来日公演を聴いた日本人オペラ評論家は、声の衰えをあげつらうという、およそ健全とは言い難い批評をしていた。

実際、サザーランドの絶頂期だった1960年代から1970年代前半までは、発声の美しさや歌唱のフォルムを重視するあまり、歌唱のアーティキュレーションを犠牲にした面があったのは事実である。それが「イタリア語(フランス語)の歌詞として聴こえない」という批判となっていた。この欠点が修正されたのが歌手としての衰退期にあたっていたために、そのような背景を無視した批判は的外れな揚げ足取りとしか思えない。

もしもサザーランドに対する評価が高かったならば、日本におけるベルカント・オペラの展開もそれだけ早まったであろうとも考えられ、惜しまれる。

[編集] 最近の活動

第10回アルカモ国際オペラコンクール(2007年9月24日~30日)の審査員長に決まった。

[編集] 参考文献

  • 本間公『思いっきりオペラ』(宝島社、1993年)
  • 相澤啓三『オペラ・オペラ・オペラ! 天井桟敷のファンからの』(洋泉社、1999年)

[編集] 関連項目

最終更新 2009年12月5日 (土) 14:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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