ジョー・ジャクソン (野球)
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1888年7月16日 |
| 没年月日 | 1951年12月5日(満63歳没) |
| 身長 体重 |
6' 1" =約185.4cm 200 lb =約90.7kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| 初出場 | 1908年8月25日 |
| 最終出場 | 1920年9月27日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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ジョセフ・ジェファーソン・ジャクソン(Joseph Jefferson "Shoeless Joe" Jackson, 1888年7月16日-1951年12月5日)は、1910年代のアメリカメジャーリーグの元野球選手。ポジションは外野手。右投げ左打ち。サウスカロライナ州出身。マイナーリーグ時代に、スパイクが合わず足によくまめが出来たため、素足でプレーしたという逸話から、シューレスの異名を持つ。1919年の八百長事件「ブラックソックス事件」で球界を追放された「悲運の8人」の一人。
目次 |
[編集] 経歴
子供の頃から織物工場で働き、十分な教育を受けることができなかった。13歳の時に野球を始めた。
1908年にフィラデルフィア・アスレチックスと契約し、同年8月25日に18歳でメジャーデビュー。しかしフィラデルフィアでの2年間はチームになじめず、ほとんどをマイナーリーグで過ごした。1910年にクリーブランド・ナップスにトレードされ、翌1911年からレギュラーで活躍。1912年、1913年と2年連続で最多安打を記録し、1913年にはMVPの投票でウォルター・ジョンソンに次ぐ2位となった。
1915年シーズン途中にシカゴ・ホワイトソックスに移籍。1917年のワールドシリーズでは全6試合に出場し打率.304を記録。ホワイトソックスの11年ぶり2回目の優勝に貢献した。しかし、1919年のワールドシリーズで八百長事件に関わったとして、翌1920年シーズン後にメジャーリーグから永久追放された。
[編集] ブラックソックス事件と引退
詳細は「ブラックソックス事件」を参照
ジャクソンが本当に八百長に関わっていたかどうかについての議論は尽きない。問題のシリーズで、ジャクソンは打率.375、無失策、チーム唯一の本塁打を打っている一方、第1戦でバックホームを大暴投している。また「本気の彼なら5割を打っていた」という主張もある。大陪審で証言を済ませ、裁判所から出て来たジャクソンに、一人の少年ファンが、"Say it ain't so Joe!!"(「嘘だと言ってよ、ジョー!」)と叫んだという逸話が残っている。これに対してジャクソンは「ごめんよ、どうも本当らしい」と応えたという。[1]
通算打率.356は史上3位の高打率であるが、同時期にタイ・カッブがいたため、結局一度も首位打者を獲ったことがなかった。引退後はジョージア州やサウスカロライナ州のセミプロリーグでプレーした。後にバーベキューレストランや飲み屋 (liquor store) を経営。1951年、翌日テレビで自身の無実を主張するはずだった12月5日に心臓発作で死去。
現在もジャクソンの認知度は高く、ジャクソンやタイ・カッブ等を含めた1914年度のベースボールカードセットが、オークションで80万ドル(約8200万円)で、また直筆サイン入りバットが13万7500ドル(約1450万円)で落札されたことがある。復権の嘆願も多いが、2009年現在もジャクソンはピート・ローズとともにアメリカ野球殿堂の審査対象となっていない。
[編集] 埋もれていた記録
1947年に制定されたルーキー資格に照らした場合に、ジョー・ジャクソンが1911年に放った233安打が、それまでの「ルーキー最多安打」であったことが発見されたのは、2001年のことである。この年メジャーリーグ1年目のイチローが200本を超える安打を記録した頃から、ルーキー最多安打記録が話題になり始めたため、メジャーリーグ機構がルーキー表彰制度の始まった1947年以前の記録を改めて調べなおした結果、それまで認知されていたロイド・ウェイナーのメジャー1年目安打数(223安打)を、ジャクソンの記録が超えていたことが判明した(2008年現在のルーキー最多安打記録は、イチローの242安打である)。
[編集] 年度別打撃成績
| 年度 | チーム | 試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1908年 | PHA | 5 | 23 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | - | .130 | .130 | .130 |
| 1909年 | 5 | 17 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | - | 0 | 1 | 0 | - | .176 | .222 | .176 | |
| 1910年 | CLE | 20 | 75 | 15 | 29 | 2 | 5 | 1 | 44 | 11 | 4 | - | 3 | 8 | 0 | - | .387 | .446 | .587 |
| 1911年 | 147 | 571 | 126 | 233 | 45 | 19 | 7 | 337 | 83 | 41 | - | 6 | 56 | 8 | - | .408 | .468 | .590 | |
| 1912年 | 154 | 572 | 121 | 226 | 44 | 26 | 3 | 331 | 90 | 35 | - | 15 | 54 | 12 | - | .395 | .458 | .579 | |
| 1913年 | 148 | 528 | 109 | 197 | 39 | 17 | 7 | 291 | 71 | 26 | - | 10 | 80 | 5 | 26 | .373 | .460 | .551 | |
| 1914年 | 122 | 453 | 61 | 153 | 22 | 13 | 3 | 210 | 53 | 22 | 15 | 13 | 41 | 5 | 34 | .338 | .399 | .464 | |
| 1915年 | 83 | 303 | 42 | 99 | 16 | 9 | 3 | 142 | 45 | 10 | 10 | 3 | 28 | 3 | 11 | .327 | .389 | .469 | |
| CWS | 45 | 158 | 21 | 43 | 4 | 5 | 2 | 63 | 36 | 6 | 10 | 8 | 24 | 3 | 12 | .272 | .378 | .399 | |
| 1916年 | 155 | 592 | 91 | 202 | 40 | 21 | 3 | 293 | 78 | 24 | 14 | 16 | 46 | 5 | 25 | .341 | .393 | .495 | |
| 1917年 | 146 | 538 | 91 | 162 | 20 | 17 | 5 | 231 | 75 | 13 | - | 19 | 57 | 7 | 25 | .301 | .375 | .429 | |
| 1918年 | 17 | 65 | 9 | 23 | 2 | 2 | 1 | 32 | 20 | 3 | - | 5 | 8 | 0 | 1 | .354 | .425 | .492 | |
| 1919年 | 139 | 516 | 79 | 181 | 31 | 14 | 7 | 261 | 96 | 9 | - | 17 | 60 | 4 | 10 | .351 | .422 | .506 | |
| 1920年 | 146 | 570 | 105 | 218 | 42 | 20 | 12 | 336 | 121 | 9 | - | 16 | 56 | 7 | 14 | .382 | .444 | .589 | |
| 通算成績 | 1332 | 4981 | 873 | 1772 | 307 | 168 | 54 | 2577 | 785 | 202 | 49 | 131 | 519 | 59 | 158 | .356 | .423 | .517 | |
[編集] 獲得タイトル・表彰・記録
- 最多安打:2回(1912年、1913年)
- 通算打率:.356(歴代3位)
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年9月19日 (土) 06:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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