ジラール・ペルゴ

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ジラール・ペルゴGirard-Perregaux , GP)は、スイスラ・ショー=ド=フォンに本社を置く時計メーカー。高級機械式時計を自社一貫生産する高級時計メーカー(マニュファクチュール)の一つとして知られている。  

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[編集] 沿革

同社はもともとジュネーヴで創立された。また、史上初めて腕時計の量産を行ったメーカーである。もっとも当時腕時計の登場は時期尚早であり、大きく広まるにはいたらなかった。

1969年にはセイコーと時を同じくして時計用クォーツの開発に成功、翌年にはスイス初の量産にまでいたったものの世界初はセイコーに譲ることになった。しかし、ジラール・ペルゴの開発陣が定めたクォーツ周波数(32768ヘルツ)は現在世界規格となっている。

その後日本製クォーツの爆発的な販売拡大に押され経営危機になるものの、イタリアにおいてブライトリングブームを作り出した時計販売会社のトラデマ社がジラール・ペルゴのエージェントとなりその社長で元フィアットのレーサー、ルイジ・マカルーソがデザインした時計が大ヒットを呼び、かのジョルジオ・アルマーニが愛用したことで有名になった。

2年後マカルーソはジラール・ペルゴ社長となり、イタリアの名門自動車メーカーのフェラーリとのブランドライセンス契約を締結。ロゴ入りスプリット・セコンド・クロノグラフを販売し、2週間で完売するなど人気を博した。その後もマカルーソによる経営建て直しは続き、アメリカズカップBMWオラクル・レーシングチームの後援を行うなどの活躍もするようになり現在に至る。

なお、創業者コンスタン・ジラールの弟、フランソワ・ペルゴは幕末の動乱のさなかである1861年に来日、横浜に商館を置き懐中時計の販売をしたものの大きな成功は収められなかった。その後スイス使節団の入国に協力するなどさまざまな方面で活動し1877年に死去、横浜外国人墓地に埋葬され現在も日本の地で眠っている。

[編集] 歴史

  • 1791年 - ジャン・フランソワ・ボット(Jean-François Bautte )が時計を製作。
  • 1837年 - ジャック・ボット(Jacques Bautte )とジャン・サミュエル・ロッセル(Jean Samuel Rossel )が後継者になる。
  • 1852年 - コンスタン・ジラール(Constant Girard )がジラール社を設立。
  • 1854年 - ジラールがマリー・ペルゴ(Marie Perregaux )と結婚。
  • 1856年 - ラ・ショー=ド=フォンに、夫婦の二人の名前を組み合わせたジラール・ペルゴ社を設立。
  • 1867年 - スリー・ゴールド ブリッジ付トゥールビヨンパリ万博(第2回)で金賞を獲得。
  • 1880年以降 - ヴィルヘルム1世から注文を受けドイツ海軍将校用に腕時計を開発。
  • 1906年 - ボット社を買収・合併。
  • 1928年 - ドイツ人時計師オットー・グラエフ(Otto Graef )がジラール・ペルゴ社の株を買い取る。
  • 1930年 - 腕時計の売り上げが懐中時計の売り上げを上回る。
  • 1993年 - フェラーリとブランド・ライセンス契約を結ぶ。カヴァッリーノ・ランパンテを刻印したスプリット・セコンド・クロノグラフを限定生産。
  • 1999年 - ジュネーブの国際高級時計展(SIHH)に初出展。
  • 2004年 - アメリカズカップでBMWオラクル・レーシングチームを後援。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年7月29日 (水) 11:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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