スティーヴン・スピルバーグ
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| Steven Spielberg スティーヴン・スピルバーグ |
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![]() 1999年 米国国防総省にて |
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| 本名 | Steven Allan Spielberg | ||||||||||||||||||||||||||||||
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| 生年月日 | 1946年12月18日(62歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 出生地 | |||||||||||||||||||||||||||||||
| 国籍 | |||||||||||||||||||||||||||||||
| 民族 | ロシア系ユダヤ人 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 職業 | 映画監督 映画プロデューサー |
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| ジャンル | 映画 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 活動期間 | 1969年 - 現在 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 活動内容 | 1969年:TV脚本家初執筆 1971年:TV映画初監督 1974年:劇場映画初監督 1975年:「ジョーズ」でブレイク 1993年:アカデミー賞受賞 1998年:アカデミー賞受賞 |
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| 配偶者 | エイミー・アーヴィング(1985-89) ケイト・キャプショー (1991 - ) |
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| 家族 | ジェシカ(1976-) 現妻の連子 マックス(1985-) 前妻との実子 セオ(1988-) 現妻の連子 サーシャ(1990-) 実子 サイヤー(1992-) 実子 ミカエラ(1996-) 養子 デストリー(1996-) 実子 |
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| 主な作品 | |||||||||||||||||||||||||||||||
| 『ジュラシック・パーク』シリーズ 『ジョーズ』シリーズ 『E.T.』 『シンドラーのリスト』 『インディー・ジョーンズ』シリーズ 『プライベート・ライアン』 |
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| 備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||
| アンブリン・エンターテインメント及びドリームワークスの共同創業者 | |||||||||||||||||||||||||||||||
スティーヴン・アラン・スピルバーグ(Steven Allan Spielberg, 1946年12月18日 - ) は、アメリカ合衆国の映画監督、 映画プロデューサー。アメリカ映画アカデミー会員。大英帝国勲章 (KBE) 受章。
目次 |
[編集] 人物
- 監督としての功績
- 監督としては、世界最高のヒットメーカーの一人として挙げられる。撮影においてリハーサルをほとんど行わないなど、凄まじいほどの早撮りで、3時間近くある自身渾身の大作『プライベート・ライアン』はわずか2ヶ月で撮影を終えたという。また、このために多作である。製作費を安く抑えることでも知られ、製作費が1億ドルを越えたのは『マイノリティ・リポート』と『宇宙戦争』と『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』だけである。このことに関しては、ルーカスの助言が影響している[1]。撮影機材に精通した監督としても知られている。また、近年映画界では多くの監督がデジタルで撮影を行っているが、彼は未だにフィルムを使用している。デジタルで撮影することも一時期検討したらしいが、やはりフィルムが好きだと語っている。ちなみに彼に関する業界内のジョークとして、「3テイク目と7テイク目をよく使う」といわれる。彼曰く、俳優が一番いい演技をするのはそのあたりだそうである。この独自の考え方が、結果的には驚異的な早撮りにも繋がっている。
- ただし、粘り強く時間をかけて演技を引き出すタイプでないからなのか、監督作の出演者はアカデミー賞演技部門の受賞には恵まれていない。その一方で『太陽の帝国』のベン・スティラーや『フック』のグウィネス・パルトロウなど、駆け出しの頃にスピルバーグ作品に出演して注目された例もある。
- 作風
- 昨今のリメイク映画を連発するハリウッドの傾向には批判的で、新作をものにしようという意識は製作総指揮作『トランスフォーマー』にも反映されている。
- 劇場映画初監督の『続・激突! カージャック』はTVムービー『激突!』とは本来無関係の作品であるし、脚本の検討に時間がかかるとして『ジョーズ』続篇の映画化にはタッチせず、高い収益を上げた『E.T.』は(利益が見込める)続篇を求められても拒否した。監督作『ジュラシック・パーク』は2作目ですでにあまり乗り気ではなく、3作目は監督せずプロデュースにまわった。プロデュース作品はシリーズ化されたものも多くあり、TVでも『ER緊急救命室』が10年以上続くなど成功しているが、目下監督を手がけるシリーズは『インディ・ジョーンズ』だけである。
- 家族・友人
- 女優のエイミー・アービングと1985年結婚、長男マックスをもうける。89年離婚。現在の妻は、女優のケイト・キャプショー。
- 同業のジョージ・ルーカスは友人かつ一番のライバルであり、『インディ・ジョーンズ』シリーズを一緒に製作しているほか、『スター・ウォーズ』でも一部を手伝ったことがある。
- 『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』で長男マックスが2015年の世界で『ジョーズ19』を監督しているジョークがあったが、実際にはゲームソフト『メダル・オブ・オナー』製作に一部関わったり『ターミナル』に端役で出演している。『ターミナル』にはサーシャも出演。この後『ミュンヘン』と『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』にも出演した。トム・ハンクス主演の『ビッグ』で脚本を書いたアンは実の妹。もう一人の妹ナンシーと学生時代のスピルバーグ作品に参加した。また父が『プライベート・ライアン』メイキングに出演している。
- 常連スタッフ
- 初期からスピルバーグを支える作曲家のジョン・ウィリアムズと、もう一人編集のマイケル・カーンとの作品が多い。ビデオで編集したくない、というスピルバーグの意向から、ノンリニア編集を使わず極力フィルムによる編集を心がけているという。撮影監督は90年代からのヤヌス・カミンスキーとの作品が続いている。初期作品を支えた撮影監督はアレン・ダヴィオーであり、また2作で組んだヴィルモス・スィグモンドから受けた影響の大きさも語っている。
[編集] アカデミー賞とヒットメーカー
1981年に「私はアカデミー賞を獲れないだろう」と発言したスピルバーグだが、1998年の『プライベート・ライアン』でアカデミー監督賞(2度目の)受賞スピーチでは「どうしても欲しかった」と本音を漏らす事になった。
『未知との遭遇』と『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』で監督賞、『E.T.』で監督賞と作品賞にノミネートされたが受賞は出来ず、『カラー・パープル』では作品、脚色、主演女優賞を含む10部門にノミネートされながら全て逃し、自身は監督賞にノミネートもされないという苦い思いを味わった。1980年代はスピルバーグにとって娯楽性の高い作風からシリアス路線へと移行した時期だが、アーヴィング・G・タルバーグ賞を1987年に40歳という異例の若さで受賞した際には「オスカーが獲れないのはヒット連発に対する嫉み」という噂が立つ事になった[1]。噂を裏付けるように『ジュラシック・パーク』を大ヒットさせた同じ年に『シンドラーのリスト』でアカデミー監督・作品賞をダブル受賞。『プライベート・ライアン』では「オスカー狙い」とする評価が少なからず見られた。
『マイノリティ・リポート』と『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002年)、『宇宙戦争』と『ミュンヘン』(2005年)とシリアスな作品とより娯楽性の高い作品が同じ年に作られたが、3度目の受賞には至っていない。
- ^ 噂ではなくあからさまに「彼(スピルバーグ)は充分成功しているから受賞の必要なし」と発言するジョン・ヒューストンの例もある。
[編集] 来歴
- 幼少~学生時代
- ロシア系ユダヤ移民の3代目。Spielbergというドイツ語の姓は直訳すると「芝居山」という意味で、祖先が17世紀に居住していたオーストリアの町の名前に由来する。英語訳では「Playmount」となり、彼が若い頃の映画製作の社名にしていた。
- オハイオ州に生まれ、アリゾナ州に育つ。古い資料では1947年生まれとなっているが、これはスピルバーグが長年1947年生まれと偽ってきたためで、1946年生まれが正しい。父親のアーノルド・スピルバーグ(1918 - )は電気技師、母親のリア・アドラーはコンサートピアニスト(後に、レストラン経営者となり、LAでThe Milk Wayというユダヤの乳製品料理のレストランを始める)であった。
- 父親の仕事の都合上、引っ越しが多かったという。ユダヤ系であったため、いじめも受けたこともあった。両親は離婚しており、これが後の作品に大きな影響を及ぼすことになる。
- 幼い頃から8ミリカメラで自主的に映画を製作する。スタンリー・キューブリック、デヴィッド・リーン、黒澤明、アルフレッド・ヒッチコック、『ゴジラ』など様々な映画の影響をうけるが、特にディズニー映画は初期の彼の作品にさまざまな影響を与えている。彼自身、雑誌のインタビューで「ウォルト・ディズニーこそ僕の生みの親で、テレビは育ての親だ」と語っている。
- 17歳の時にユニバーサル・スタジオツアーに参加。監督ジョン・フォードと出会うことに。映画学科が充実していることで知られる南カリフォルニア大学への入学を希望したが、映画の製作ばかりしていたスピルバーグは成績があまりよくなく、3度にわたり入学を断られたため、ハリウッドが近いと言う理由で、1965年からカリフォルニア州立大学ロングビーチ校にて映画を専攻。
- この頃になると、スピルバーグは大学に通う一方で休みになるとユニバーサルへ潜り込むようになり、ついには空き部屋だった掃除小屋を自分のオフィスとして使用してユニバーサルに居候を始め、ハリウッドを出入りするようになる。その後、21歳のときに、オープニングタイトルとオプチカル効果の会社を経営しているデニス・ホフマンと知り合い、映画製作資金を提供してもらうこととなり、最初の作品「アンブリン」を完成させる。この映画がユニバーサルテレビ部門の責任者シドニー・シャインバーグの目に止まり、ユニバーサルと7年契約することなる。
- しかし、上記の契約のため大学の卒業は困難になり、1969年にカリフォルニア州立大学は中退した。後に再度入学し卒業、2002年にB.A.(学士号)を取得。皮肉にもその後に、南カリフォルニア大学の名誉教授に就任することになる。(現在ではカリフォルニア大学、ニューヨーク大学、イェール大学から名誉博士号を贈られている)
- 1970~1980年代
- 1972年に、テレビ映画として撮った『激突!』が評判を呼び、海外では劇場公開され、スピルバーグの名前が世界に知られるようになる。1974年に『続・激突! カージャック』で、劇場用映画監督に進出。
- 初期の頃は、娯楽映画をつくることで評価を得ていたが、やがて上記のように様々なジャンルの映画を手がけるようになる。ヒット作に『ジョーズ』、『未知との遭遇』、『インディ・ジョーンズ』シリーズ、『E.T.』など多数。
- 1990~2000年代
- 1993年には『ジュラシック・パーク』を大ヒットさせ、同年のアカデミー賞では『シンドラーのリスト』で作品賞、監督賞を受賞する。スピルバーグは、この作品の製作に意欲的で報酬を断っている。
- 1994年にドリームワークスを設立。1998年に『プライベート・ライアン』で、2度目のアカデミー監督賞を受賞する。1999年4月にカリフォルニア大学のロバート・ゼメキス・センターに50万ドルを寄付した。2001年に英国王室(エリザベス2世)より、ナイト爵を授与された。
[編集] 逸話
- オリンピックとの関係
- ソルトレイクシティオリンピックの開会式では、オリンピック旗を掲揚する際の旗手を務めたほか、北京オリンピックの組織委員会芸術顧問を務めるなど、オリンピックとは繋がりが深い。2008年2月12日、中華人民共和国政府のスーダン・ダルフール紛争に対する姿勢を理由に、芸術顧問を辞退することを表明した。
- テレビゲーム好き
- ゲーマーで、特に『シェンムー』を高く評価した事で知られる。シェンムーのディレクターである鈴木裕にサインを求めた事がある。また、2006年5月10日~5月12日にかけて開催されたE3では、ゲームデザイナーの宮本茂と『Wii Sports』のテニス対決をし、大きな話題となった。この模様は、AP通信が伝え、全世界に配信された。
- ちなみに、横井軍平は、スピルバーグのゲーム審美眼に対して懐疑的で、『バーチャルボーイ』を観て「すごいマシンだけど、カラーだったらもっといい」といったスピルバーグを「ああ、この人もふつうの人だな」と思ったと述懐している。
- アニメーション・漫画ファン
- 日本漫画のファンであり、自身の作品にもその影響が見られる。また、日本産アニメーションの実写化を企画することもある。
- 親日家
- 親日家としても有名であり、『宇宙戦争』の日本限定のCMを公開したり、近年では、自らの作品及び製作に携わった作品の予告編の前振りに出演することが多い。『宇宙戦争』の作中で登場する「大阪では(トライポッドを)何体か倒したらしい」というセリフは、『ゴジラ』など数々の特撮映画を撮った日本に、スピルバーグが敬意を込めたと見られるセリフである(つまり『昔から怪獣や宇宙人たちと戦い続けてきた日本なら倒せてもおかしくないだろう』ということ)。また、家族と共に三鷹の森ジブリ美術館を訪れたりしたこともある。
- 自ら監督・製作した映画への出演
- 通行人などで、数秒カメオ出演することがある。
- 収入
- フォーブス誌の発表によると2006年の年収は、3億3200万ドル(約332億円)で総合1位だった。南フランスのニースに別荘を所持している。
- ルーカスとの関係
- インディ・ジョーンズ シリーズなどに見られるように、ジョージ・ルーカスとは長年の親友(インディのフルネームは「ヘンリー・ウォルトン・ジョーンズ Jr.」(Henry Walton Jones Jr.)だが、このミドルネームの Walton はルーカスのミドルネームを頂戴したものである)。ただし、若い頃はライバルで、ルーカスの学生時代の作品『電子的迷宮/THX 1138 4EB』を観た当時は「彼が大嫌いだった、私よりずっとうまく映画を撮るから」と、純粋な対抗心を持っていたことを打ち明けている。
- 影響を受けた作品
- 自身の監督作品が非常に幅広いことからわかるように、彼が影響を受けた映画は数多く、本人曰く103本くらいあるという。また映画だけでなく、テレビやラジオ、家族から聞いたお伽話からも影響を受けている、と語っている[2]。
- 映画の撮影前や製作に行き詰まったときに、もの作りの原点に立ち戻るために必ず観る映画として、『捜索者』『七人の侍』『素晴らしき哉、人生!』『アラビアのロレンス』を挙げている[1]。
- 特に『アラビアのロレンス』は、彼を最も映画監督になりたいと思わせた映画であると語っている。また、この映画は1962年に、ロイヤル・プレミアで公開された際には222分の上映時間であったが、その1ヶ月後には約20分カットされ、以後も上映効率のためなどで次々と短くなっていった。しかし、スピルバーグやマーティン・スコセッシの働きかけにより、欠落部分を探し出し、監督のデヴィッド・リーン自身が最終的に216分にまでに編集し、1989年に〈完全版〉として再上映させることに成功した(復元には2年を費やし、費用が掛かりすぎたため、一時は完成も危ぶまれた)。その後、2001年にリリースされたDVDには、特典としてスピルバーグ自身が『アラビアのロレンス』を語るという映像を収録し、「A miracle of a film」という賛辞をDVDパッケージにコメントしている。また、『インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』では、若きインディアナ・ジョーンズは、1908年エジプトにて、T.E.ロレンス(『アラビアのロレンス』の主人公)と実際に出会っている。ロレンスはインディにとっても、考古学者としての先輩であり、旧友であったという。
[編集] フィルモグラフィー
[編集] 主な監督作品
- 『刑事コロンボ/構想の死角』(Columbo: Murder by the Book, 1971年)(テレビ映画)
- 『激突!』(Duel, 1971年)(テレビ映画)
- 『続・激突! カージャック』(The Sugarland Express, 1974年)
- 『ジョーズ』(Jaws, 1975年)
- 『未知との遭遇』(Close Encounters of the Third Kind, 1977年)
- 『1941』(1941, 1979年)
- 『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(Raiders of the Lost Ark, 1981年)
- 『E.T.』(E.T. the Extra-Terrestrial, 1982年)
- 『トワイライトゾーン/超次元の体験』(Twilight Zone: The Movie, 1983年)(監督4名によるオムニバス作品の第2話)
- 『プロローグ 本当に怖いもの』ジョン・ランディス監督作品
- 『第1話 偏見の恐怖』ジョン・ランディス監督作品
- 『第2話 真夜中の遊戯』スティーブン・スピルバーグ監督作品
- 『第3話 こどもの世界』ジョー・ダンテ監督作品
- 『第4話 2万フィートの戦慄』ジョージ・ミラー監督作品
- 『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(Indiana Jones and the Temple of Doom, 1984年)
- 『世にも不思議なアメージング・ストーリー』(Amazing Stories, 1985年)
- 『最後のミッション』 出演:ケヴィン・コスナー/キーファー・サザーランド
- 『ゴースト・トレイン』 出演:ドリュー・バリモア/ルーカス・ハース
- 『カラー・パープル』(The Color Purple, 1985年)
- 『太陽の帝国』(Empire of the Sun, 1987年)
- 『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(Indiana Jones and the Last Crusade, 1989年)
- 『オールウェイズ』(Always, 1989年)
- 『フック』(Hook, 1991年)
- 『ジュラシック・パーク』(Jurassic Park, 1993年)
- 『シンドラーのリスト』(Schindler's List, 1993年)
- 『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(The Lost World: Jurassic Park, 1997年)
- 『アミスタッド』(Amistad, 1997年)
- 『プライベート・ライアン』(Saving Private Ryan, 1998年)
- 『A.I.』(Artificial Intelligence: AI, 2001年)
- 『マイノリティ・リポート』(Minority Report, 2002年)
- 『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(Catch Me If You Can, 2002年)
- 『ターミナル』(The Terminal, 2004年)
- 『宇宙戦争』(War of the Worlds, 2005年)(H・G・ウェルズ原作『宇宙戦争』の再映画化)
- 『ミュンヘン』(Munich, 2005年)
- 『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull, 2008年)
[編集] 公開予定の監督作品
- 『タンタンの冒険旅行』(Tintin, 2010年)
- Lincoln (2010年)
- The Pacific - 太平洋戦争についての戦争連載テレビドラマ
- Interstellar (2011年)
[編集] 主な製作作品
- 『E.T.』(E.T.: The Extra-Terrestrial, 1982年)
- 『ポルターガイスト』(Poltergeist, 1982年)
- 『トワイライトゾーン/超次元の体験』(Twilight Zone: The Movie, 1983年)
- 『カラー・パープル』(The Color Purple, 1985年)
- 『太陽の帝国』(Empire of the Sun, 1987年)
- 『オールウェイズ』(Always, 1989年)
- 『アメリカ物語2 ファイベル西へ行く』(An American Tail: Fievel Goes West, 1991年)
- 『シンドラーのリスト』(Schindler's List, 1993年)
- 『アミスタッド』(Amistad, 1997年)
- 『プライベート・ライアン』(Saving Private Ryan, 1998年)
- 『A.I.』(Artificial Intelligence: AI, 2001年)
- 『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(Catch Me If You Can, 2002年)
- 『ターミナル』(The Terminal, 2004年)
- 『ミュンヘン』(Munich, 2005年)
- 『SAYURI』(Memoirs of a Geisha, 2005年)
- 『父親たちの星条旗』(Flags of Our Fathers, 2006年)
- 『硫黄島からの手紙』(Letters from Iwo Jima, 2007年)
- 『イーグル・アイ』(Eagle Eye, 2008年)
- 『シカゴ7裁判』(The Trial of the Chicago 7, 2009年)
- 『タンタンの冒険旅行』(Tintin, 2010年)
- 『地球最後の日』(When Worlds Collide, 2010年)
- Lincoln (2010年)
- Interstellar (2011年)
[編集] 主な製作総指揮作品
スピルバーグは多くの監督作品を手掛けているが、実際には本人の知名度の高さ故に名義貸しの製作総指揮作品の方が圧倒的に多い。『メン・イン・ブラック』や『トランスフォーマー』などにおいても、監督よりも製作総指揮である彼の名前の方が前面に押し出されて宣伝されている。
通常、『製作総指揮』の肩書きを持つ者は実際の映画製作にほとんど介入できないことが多いが、明確な仕事の内容は決まってはいない。そのため、スピルバーグやジョージ・ルーカスは製作総指揮作品でも製作に参加することがある。例として、『トランスフォーマー』では主演のシャイア・ラブーフを始めとして、ほとんどのキャスティングを行い、監督をマイケル・ベイに頼んだのも彼自身である。特に、自ら経営するアンブリンやドリームワークスの制作作品は多数プロデュースしている。また、クレジットに名前は載っていないが、『ディスタービア』の監督にD・J・カルーソーを選んだのもスピルバーグである(『ディスタービア』DVDの特典映像より)。
- 『抱きしめたい』(I Wanna Hold Your Hand, 1978年)
- 『ユーズド・カー』(Used Cars, 1980年)
- 『Oh! ベルーシ絶体絶命』(Continental Divide, 1981年)
- 『グレムリン』(Gremlins, 1984年)
- 『ヤング・シャーロック ピラミッドの謎』(Young Sherlock Holmes Pyramid of Fear, 1985年)
- 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(Back to the Future, 1985年)
- 『グーニーズ』(The Goonies, 1985年)
- 『世にも不思議なアメージング・ストーリー』(Amazing Stories, 1986年)
- 『マネー・ピット』(The Money Pit, 1986年)
- 『アメリカ物語』(An American Tail, 1986年)
- 『ニューヨーク東8番街の奇跡*Batteries not Included』(-, 1987年)
- 『インナー・スペース』(Inner Space,1987年)
- 『ロジャー・ラビット』(Who Framed Roger Rabbit,1988年)
- 『リトルフットの大冒険/謎の恐竜大陸』(The Land Before Time, 1988年)
- 『晩秋』(Dad, 1989年)
- 『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』(Back to the Future Part II, 1989年)
- 『夢』(Dreams, 1990年)(日本 / アメリカ)
- 『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(Back to the Future Part III, 1990年)
- 『ジョー、満月の島へ行く』(Joe Versus The Volcano, 1990年)
- 『グレムリン2 新・種・誕・生』(Gremlins 2: The New Batch, 1990年)
- 『アラクノフォビア』(Arachnophobia, 1990年)
- 『タイニー・トゥーンズ』(Tiny Toon Adventures, 1990年-1992年, 1994年, 1995年)(テレビアニメ)
- 『アニマニアックス』(Animaniacs, 1993年-1999年)(テレビアニメ)
- 『恐竜大行進』(WE're BACK! A DINOSAUR's STORY, 1994年)
- 『バルト』(Balto, 1995年)
- 『キャスパー』(Casper, 1995年)
- 『ピンキー&ブレイン』(Pinky and the Brain, 1995年-1999年)(テレビアニメ)
- 『ツイスター』(Twister,1996年)
- 『メン・イン・ブラック』(Men in Black, 1997年)
- 『ディープ・インパクト』(Deep Impact, 1998年)
- 『マスク・オブ・ゾロ』(The Mask of Zorro, 1998年)
- 『チキンラン』(Chicken Run, 2000年)
- 『ミート・ザ・ペアレンツ』(Meet The Parents, 2000年)
- 『キャスト・アウェイ』(Cast Away, 2000年)
- 『バガー・ヴァンスの伝説』(The Legend of Bagger Vance, 2000年)
- 『フリントストーン2/ビバ・ロック・ベガス』(The Flintstones In Viva Rock Vegas, 2000年)
- 『バンド・オブ・ブラザース』(Band of Brothers, 2001年)(テレビドラマ)
- 『シュレック』(Shrek, 2001年)
- 『ジュラシック・パークIII』(Jurassic Park III, 2001年)
- 『メン・イン・ブラック2』(Men in Black II, 2002年)
- 『TAKEN テイクン』(Taken, 2002年)(テレビドラマ)
- 『レジェンド・オブ・ゾロ』(The Legend of Zorro, 2005年)
- 『モンスター・ハウス』(Monster House, 2006年)
- 『トランスフォーマー』(Transformers, 2007年)
- 『イーグル・アイ』(Eagle Eye, 2008年)
- 『トランスフォーマー: リベンジ』(Transformers: Revenge of the Fallen, 2009年)
- 『ラブリーボーン』(The Lovely Bones, 2009年)
[編集] 脚本作品
スピルバーグは多くの作品を監督・プロデュースしているが、その一方で、脚本を行った作品は非常に少ない。また、『A.I.』はスタンリー・キューブリックの遺した原案のトリートメントを基に書いたもので、キューブリック・ファンからの批判も少なくない。そのため、あまり“脚本家”とは肩書きされない。
- 『未知との遭遇』(Close Encounters of the Third Kind, 1977年)
- 『ポルターガイスト』(Poltergeist, 1982年)
- 『A.I.』(Artificial Intelligence: AI, 2001年)
[編集] カメオ出演
- 『ブルースブラザーズ』(The Blues Brothers, 1980)
- 『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(Indiana Jones and the Temple of Doom, 1984年)
- 『グレムリン』(Gremlins, 1984年)
- 『バニラ・スカイ』
- 『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』
[編集] 関連文献
- 猪狩哲郎著『スピルバーグ ハリウッド魔宮の伝説』竹書房、1986年5月、ISBN 4884750179
- フランク・サネッロ著、中俣真知子訳 『はじめて書かれたスピルバーグの秘密』 学習研究社、1996年11月、ISBN 4-05-400714-7
- 原著: Frank Sanello, Spielberg: the Man, the Movies, the Mythology, Taylor Publishing Co., Mar 1996, ISBN 0878339116, Sep 2002, ISBN 0878331484
- ジョン・バクスター著、野中邦子訳 『地球に落ちてきた男 スティーブン・スピルバーグ伝』 角川書店、1998年1月、ISBN 4-04-791289-1
- 原著: John Baxter, Steven Spielberg: The Unauthorized Biography, HarperCollins, May 1997, ISBN 0002555875, Trafalgar Square, Feb 1998
- 橋本勝著『スピルバーグ』(『For beginnersシリーズ』88)、現代書館、2000年2月、ISBN 4768400884
- 年譜あり
- 筈見有弘著『スピルバーグ』(講談社現代新書)、講談社、1987年11月、ISBN 4-06-148875-9
- スピルバーグ関係ブックガイド・フィルモグラフィ: p202~208
- ダグラス・ブロード著、栗山微笑子訳『スティーブン・スピルバーグ シネマの天才』(『シネマ・スター・ライブラリー』)、シンコー・ミュージック、1995年11月、ISBN 4401615271
- 原著: Douglas Brode, The films of Steven Spielberg, Citadel Trade, Jan 1995, ISBN 0806515406, Oct 2000, ISBN 0806519517
- アンドリュー・ユール著、高橋千尋訳『スティーブン・スピルバーグ 人生の果実』プロデュース・センター出版局、1999年10月、ISBN 4938456540
- 原著: Andrew Yule, Steven Spielberg: Father to the Man,Little Brown and Company, 05 Dec 1996,
Andrew Yule, Steven Spielberg: Father of the Man: His Incredible Life, Tumultuous Times and Record-Breaking Movies, Warner Little Brown & Co Ltd, Nov 2002, ISBN 0751512907
- 原著: Andrew Yule, Steven Spielberg: Father to the Man,Little Brown and Company, 05 Dec 1996,
- アンドリュー・アルバネーゼ/ブランドン・トリスラー編 佐々田雅子訳『グラデュエーションデイ~未来を変える24のメッセージ』、2007年4月、ISBN 9784903825007
- スピルバーグのスピーチ収録
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ FilmMakers.com、“Steven Spielberg”、2007年12月16日
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月9日 (月) 12:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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