スティーヴン・ジェラード
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| スティーヴン・ジェラード | ||
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| 名前 | ||
| 本名 | スティーヴン・ジョージ・ジェラード | |
| 愛称 | スティーヴィーG | |
| ラテン文字 | Steven George GERRARD | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1980年5月30日(29歳) | |
| 出身地 | ウィストン | |
| 身長 | 185cm | |
| 体重 | 79kg | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | MF | |
| 背番号 | 8 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1997– | 306 (56) | |
| 代表歴2 | ||
| 1999 2000- |
4 (1) 76 (16) |
|
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年9月28日現在。 2. 2009年9月9日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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スティーヴン・ジョージ・ジェラード MBE(Steven George Gerrard MBE、1980年5月30日 - )は、イングランド、マージーサイド州・ウィストン出身のサッカー選手。プレミアリーグ・リヴァプールFC所属。ポジションはMF。攻撃的なポジションならどこでもこなせるマルチロールな選手。正確なミドルシュートに定評がある。
目次 |
[編集] 経歴
幼少の頃からリヴァプールFCのアカデミー(下部組織)で才能を磨き、1998年にトップチームデビューを飾る。デビュー当初は右サイドバックとしてプレー。その後、ポジションをセンターハーフにコンバートされる。代表デビューは2000年5月のウクライナ戦。19歳でUEFA欧州選手権2000の代表メンバーに選ばれている。翌2000-2001シーズンではリヴァプールのレギュラーとして活躍。カップ・トレブルに大きく貢献した。
2002年日韓ワールドカップ大会は怪我のため落選している。2002-2003シーズンのプレミアリーグ最終戦のチェルシーFC戦では、勝った方が4位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得という状況の試合であったにもかかわらず、試合中に不用意なレッドカードを貰ってしまい、出場権を逃してしまう。しかし、翌2003-2004シーズン途中にサミ・ヒーピアからキャプテンを受け継ぐと、秘めたるポテンシャルが一気に開花した。同シーズン、チームはUEFAチャンピオンズリーグ出場権を争う位置にいたが、シーズン終盤のジェラードの大活躍によって最終節を待たずして4位を決め、前年の汚名を返上。シーズン後にチームのエース・オーウェンが移籍した時、一時はジェラードにもチェルシー移籍の話が持ち上がった。しかし記者会見で残留を明言。名実ともにチームの顔となる。
2005年は、リーグ戦で低迷するチームを鼓舞しながら、UEFAチャンピオンズリーグにおいては、GL突破のためには2点差以上の勝利が義務付けられた最終戦のオリンピアコスFC戦で、試合終了間際にミドルシュートを決め3-1とし、チームを決勝トーナメントへ導く。決勝トーナメントでは得点こそなかったものの、存在感を示しチームは決勝戦へと進出。決勝のACミラン戦では3-0のビハインドを覆す逆転優勝[1]を決めるきっかけとなるヘディングシュートを決めてみせた。ゴール直後のチームメイトとサポーターへむけた『盛り上がれ!』というパフォーマンスは有名である。また、このシーズン終了時に再びチェルシーへの移籍が報道された。代理人が「交渉は修羅場になった」と発言するほど契約延長交渉は乱れたようだが、これはジェラード本人とクラブ側との些細な思い違いから始まったものであった。正式な会談を持った結果、ジェラードはあっさりとチームへの残留を決めた。
2005年12月には、FIFAクラブワールドカップでヨーロッパ代表として来日。リヴァプールは準優勝に終わったが、テレビの宣伝などで日本での知名度は上がった。
イングランド代表でも不可欠な選手とされており、2006年のドイツW杯で2得点をあげる活躍をしたことから、本人も望むイングランド代表の次期キャプテンはジェラードで決まりだと噂されていたが、デビッド・ベッカムからキャプテンマークを引き継いだのはライバルクラブのチェルシーのキャプテン、ジョン・テリーだった。
2000年代のリヴァプールの象徴であり魂でもある選手で、100年を超すリヴァプールの歴史を通しても、サポーターからはケニー・ダルグリッシュと並ぶ最高殊勲選手と目されている。その証として、2000-2001シーズンUEFAカップ、2002-2003シーズンFLカップ、2004-2005シーズンUEFAチャンピオンズリーグ、2005-2006シーズンFAカップと、タイトルを獲得したあらゆるカップファイナルで優勝に導くゴールを挙げている。
2008-2009シーズンUEFAチャンピオンズリーグのPSVアイントホーフェン戦において、自身100ゴール目となるフリーキックを決めた[2]。
2009年3月22日、アストン・ヴィラFC戦で、自身リーグ戦初のハットトリックを達成したように、2008-09年シーズンはポディションを少し上げたことにより、得点力が増し、自身最高のリーグ16得点をマークし、リーグ得点ランキングは、ニコラ・アネルカ、クリスティアーノ・ロナウドに次ぐ3位となり、またチーム内の得点王となった。
[編集] プレースタイル
クラブ史上最高の選手との呼び声が高い万能MF。強いフィジカルと守備力を兼ね備え、攻守に絶大な影響を及ぼす。キック精度は非常に高く、鋭く正確なパスは敵陣を切り裂く。代名詞ともいえるミドルシュートの精度と威力は世界屈指であり、確実にボールの芯を打ち抜く技術を持つ。このミドルシュートは、イングランド国内の試合中継で”スティーブン・ジェラード・スペシャル”と実況されている。 ミッドフィルダーとしての資質をほぼ全て持ち合わせる世界最高クラスのセンターハーフであり、高いキャプテンシーでチームを引っ張るリバプールの心臓である。
[編集] エピソード
- レッド・ドラゴン(Red Dragon・赤い龍)の異名を持つ。竜のように力強く空中戦でも強さを見せるため。
- 2002年W杯で、中盤の選手が足りなかった当時の代表監督スヴェン・ゴラン・エリクソンは「ジェラードが2人いたなら…」と言った。実際は怪我のため本人も出られず、エリクソンは更に苦悩したと言う。
- リヴァプールのチームメイトであるジェイミー・キャラガー、現在マンチェスター・ユナイテッドFCに在籍中のマイケル・オーウェンとは、リヴァプールのアカデミー時代からの親友であり、そのコンビプレーは阿吽の呼吸をみせる。幼少の頃から、リヴァプールの熱心なサポーターであることもあり、リヴァプールファンからの人気は絶大なものがある。
- 極度の潔癖症で一日に最低15回は手を洗う[3]。
- 2006年10月、髄膜炎をわずらった二女に対し、マンチェスター・ユナイテッドとのノースウエストダービー前夜にもかかわらず寝ずの看病をしていた。
- 2007年10月1日、ジェラードの運転する車に、歩道から飛び出してきた10歳の少年が接触した。小学校の前だったため減速していたが、この事故で少年に左足骨折の大怪我を負わせてしまった。しかし、その後すぐに運転席から飛び出し駆け寄ったジェラードは、少年の手を握り締め救急車が到着するまで付き添うと、警察の事情聴取に応じた後少年の家族と連絡を取り、2日後に病院にお見舞いにいくと約束した。さらに、その少年がマンチェスター・ユナイテッドの大ファンであることを知ると、同クラブのエース、ウェイン・ルーニーに頼みサイン入りのスパイクを用意し、自分のサインを書き込んだイングランド代表のユニフォームと一緒にプレゼントした。
- リヴァプールの精神的支柱であり、大黒柱でもあるため、同じくリヴァプールに本拠地を置くエヴァートンFCとのマージーサイド・ダービーは人一倍思い入れが強く、途中交代させられたときは失望の色を隠さなかった。
- フランク・ランパードとはプライベートでも友人同士なのだが、共に招集を受けた代表ではプレースタイルが似通っている為なのか、いざ中盤に並べてみると妙に息が合わなかった。しかし、カペッロ監督の下ではうまく共存しており2010W杯予選突破に貢献した。
- 2008年12月29日午前2時半ごろ、英国北西部のサウスポートで暴行の容疑で逮捕された。本人は否定をし、また、ノースセフトンの治安判事裁判所はジェラードの身体的暴行はなかったとの裁定を下し、結果として暴行容疑は取り下げとなった。[4]
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
| 1998-99 | リヴァプール | 28 | プレミア | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 |
| 1999-00 | リヴァプール | 28 | プレミア | 29 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 31 | 1 |
| 2000-01 | リヴァプール | 17 | プレミア | 33 | 7 | 4 | 0 | 4 | 1 | 41 | 8 |
| 2001-02 | リヴァプール | 17 | プレミア | 28 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 30 | 3 |
| 2002-03 | リヴァプール | 17 | プレミア | 34 | 5 | 6 | 2 | 2 | 0 | 42 | 7 |
| 2003-04 | リヴァプール | 17 | プレミア | 34 | 4 | 2 | 0 | 3 | 0 | 39 | 4 |
| 2004-05 | リヴァプール | 8 | プレミア | 30 | 7 | 3 | 2 | 0 | 0 | 33 | 9 |
| 2005-06 | リヴァプール | 8 | プレミア | 32 | 10 | 1 | 1 | 6 | 4 | 39 | 15 |
| 2006-07 | リヴァプール | 8 | プレミア | 35 | 7 | 1 | 1 | 1 | 0 | 37 | 8 |
| 2007-08 | リヴァプール | 8 | プレミア | 34 | 11 | 2 | 1 | 3 | 3 | 39 | 15 |
| 2008-09 | リヴァプール | 8 | プレミア | 31 | 16 | ||||||
| 通算 | イングランド | プレミア | 332 | 71 | 19 | 7 | 23 | 8 | 343 | 70 | |
| 総通算 | 332 | 71 | 19 | 7 | 23 | 8 | 343 | 70 | |||
[編集] 個人タイトル
- 2001年 PFA年間最優秀若手選手賞
- 2004-05年 UEFAチャンピオンズリーグMVP
- 2006年 PFA年間最優秀選手賞
- 2007年 大英帝国勲章・MBE
- 2009年 FWA年間最優秀選手賞
[編集] 脚注
- ^ UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05 決勝を参照
- ^ Steven Gerrard 100th Goal Freekick - YouTube (Adobe Flash video)
- ^ DVD "スティーヴン・ジェラード 伝説への飛翔"より
- ^ [1]
[編集] 外部リンク
- Steven Gerrard GoalVideoz.com
| リヴァプールFC - 現所属メンバー |
|---|
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1 カバリエリ | 2 ジョンソン | 4 アクィラーニ | 5 アッゲル | 8 ジェラード | 9 トーレス | 10 ヴォロニン | 11 リエラ | 12 ファビオ・アウレリオ | 15 ベナユン | 16 キルギアコス | 18 カイト | 19 バベル | 20 マスチェラーノ | 21 ルーカス | 22 インスア | 23 キャラガー | 24 ヌゴグ | 25 レイナ | 26 スピーリング | 27 デゲン | 28 プレッシ | 31 エル・ザール | 32 ダービー | 34 ケリー | 36 アーウィン | 37 シュクルテル | 38 ドッセーナ | 39 エクセルストン | 41 ハンセン 監督: ベニテス |
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最終更新 2009年11月17日 (火) 09:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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