スネークマンショー
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| スネークマンショー | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | コント、ラップ |
| 活動期間 | 1975年 - 1983年 |
| レーベル | アルファレコード |
| 共同作業者 | 山本玲子 井上瑤 タック プラスチックス イエロー・マジック・オーケストラ |
| 影響 | ウルフマン・ジャック モンティ・パイソン |
| 公式サイト | SNAKEMAN SHOW WEB MAGAZINE |
| メンバー | |
| 桑原茂一 伊武雅刀 |
|
| 旧メンバー | |
| 小林克也 | |
スネークマンショー (Snakeman show)は、日本のCMクリエイターユニット、ラジオDJユニット、コントユニット。1975年末に桑原茂一と小林克也によりプロジェクト開始。1976年春から1980年初夏にかけてラジオ大阪、ラジオ関東(現・RFラジオ日本)、東海ラジオ放送、TBSラジオでスネークマンの名を冠した音楽番組(『スネークマンショー』『それいけスネークマン』)を担当。1976年末に伊武雅之(現・伊武雅刀)が加入したのちに、先鋭的な選曲と曲間でのラジカルなコントが一部で話題になった。不慮の事件でラジオは打ち切られるものの、1981年に派手なパフォーマンスとともにレコードを2枚出し復活、一躍全国区でスネークマンショーブームが起きる。しかし、1983年に桑原・伊武と仲違いした小林が脱退。その後、ユニットとしてのスネークマンショーの動きはないが、数多くの編集盤が出ている他、時折ソロ活動を行なっている。
プラスチックスの「コピー」の元ネタ、イエロー・マジック・オーケストラのアルバム『増殖』でのコラボレーション、日本初のラップ「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」[1]を発表したことなどでも知られる。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 創世記 - ラジオ時代
1970年代後半に桑原がエドウィンから店内用BGMの作成を持ちかけられる。そのとき、以前から交流があった小林と共にアメリカのDJウルフマン・ジャックをまねたキャラクター「スネークマン・ジョーンズ」(小林克也によるウルフマンの物まね、以下このページでは「スネークマン」と表記。まもなく「ジョーンズ」という名はライバルメーカーの商号である「ビッグジョン」を想起させることから削られた)を登場させたテープを作成、エドウィン店舗で放送された。しかし、店内用BGMとして使う場合に著作権使用の申請をせねばならないため、申請が要らないラジオでの放送を考える。これが1976年の春からラジオ大阪で放送された「スネークマン・ショー」となるが、番組では俳優として活動していた伊武雅刀が加わり、スネークマンのDJのみであったスネークマン・ショーは、曲紹介の合間に伊武雅刀とのショートコントを織り交ぜるという形になった。
やがてラジオ関東でも放送が開始され、1978年にTBSラジオの「夜はともだち」のコーナーとして、タイトルも「それゆけスネークマン」となる。
しかし、当時はほぼタブーとされていた同性愛者に関するコーナーを作ったり、反権力、社会的批判を込めたコント・過激な下ネタなどが社内で問題となり放送は禁止された。そして、一大イベント「写楽祭(小学館の雑誌「写楽」創刊イベント)」をプロデュースするも大失敗[2]し、TBS上層部の怒りを買った同番組は1980年にいきなり終了してしまう(終了までの間、坂本龍一の怒鳴り声は番組のジングルとして使用された)。 その直後にNHK-FM「サウンドストリート」で桑原をゲストに放送された特集では、コントはレコード化されなかった、TBSで放送された音源を使用したものがほとんどだった。
[編集] レコード発売 - 消滅
その後、YMOのアルバム「増殖」に参加。それまでスネークマンショーを知らなかった世代を直撃し、大ヒットとなる。そして、1981年にファーストアルバム「スネークマンショー(通称「急いで口で吸え」)」を発売し、こちらも大ヒット。同年にセカンドアルバム「死ぬのは嫌だ、怖い。戦争反対!」を発売し、スネークマンショー人気は絶頂期を迎えたが、小林と桑原・伊武の意見が食い違うことが多くなり小林が脱退する。スネークマンショーはそれからしばらくアルバムリリースをしたが、自然消滅の道へと進んでしまう。
[編集] 消滅 - 再会
消滅した後は、小林が「スネークマンズ・ロック・ショウ」、桑原・伊武が「ラジオヘブン」として活動して行った他、1986年にテレビ朝日で音楽情報番組の「クラブキング」を手がけた。また、桑原は1990年代半ばに「ブルーフィルム」というユニットも組んでいる。 1999年9月24日に放送された「同窓会」(テレビ東京)の中で3人が十数年ぶりに再会する。
2000年桑原、伊武、松尾貴史やYOUなどによる、ゲームの企画アルバム「シーマンと20世紀のポテチン」を発売。
その後は、桑原が「コメディクラブキング」などを結成するくらいの活動しかしていなかったが、2001年・2002年のナイターシーズンに、「e-NITE」(TBSラジオ)で、ラジオ番組としてのスネークマンショーを復活させた(2002年のナイターシーズンでは「S21 スネークマンショー21」と銘打って放送している)。
[編集] 世間への影響
前述のとおりYMOブーム、またそれ以前から桑原と交流のあったミュージシャン、さらにニューウェーブバンドとの関係から、後のラジオ番組・お笑い・ミュージシャンにも多くの影響を残した。
ニッポン放送のベテランアナウンサーである上柳昌彦は、大学時代に聞いていたオリジナル・スネークマンショーから多く影響を受け、のちに担当した「HITACHI FAN! FUN! TODAY」ではスネークマンをもじって「ウナギマン・ショー」と銘打ったコントを演じていた。現在でもラジオでプチコントをやる場合は小林のようなしゃべり方で話すことがある。
深夜ラジオ界の帝王である伊集院光もスネークマンショーに影響を受けた人物であり、彼の担当するラジオ番組では精巧に作りこまれたコントや言葉遊びをよく耳にする。
フジテレビの番組「オレたちひょうきん族」は「〜海賊版」のスネークマンイントロデュースをそっくりそのままパロディし、テーマソングにウィリアムテル行進曲を使うなどした(ちなみに初期オープニングナレーションは伊武が担当していた)。第1回目のナレーションの冒頭は「たけのこ族よりもナウく、クリスタル族なんて目にしないオレたちひょうきん族」と、ちょっとだけ内容も類似している(ちなみに、桑原はひょうきん族に対して「イジメから生まれる笑いは賛成できないため、いいものだとは思わない」と発言している)。
Flashアニメーション製作のFROGMANの芸名の由来もこのスネークマンショーから来ている。幼少時から彼らのアルバムを愛聴し尊敬していたため、謙遜の意味を込めて「天敵の蛇には敵わない蛙」という捩りからFROGMAN(蛙男)という芸名をつけたという経緯がある。
お笑いコンビバナナマンの「マン」はスネークマンショーが由来。 バナナマンのふたりはコメディークラブキングのコントCDにも参加している。
[編集] 写楽祭事件
前述の通り、スネークマンショー人気絶頂の頃、YMOとのコラボレーションにて雑誌「写楽」が主催するイベントに参加。ところが、YMOのステージが中々始まらない事から観客の怒りを買い、この催しは失敗に終わった。この影響によりスネークマンショーは、ラジオとして寿命を縮める結果となった。
[編集] 補足
- 桑原はプロデュースに専念して表舞台に出てくることはなかったが、わずかながら出演もしている(例・『急いで口で吸え』の兵隊の一人)。
- 元祖ウルフマンに倣い、小林はある時期まで自らがスネークマンであることを一切明らかにしなかった。そのため、大阪時代には川村龍一が正体であると噂されたことがある。
- コントのひとつに伊武が演じるところの『JET STREAM』のパロディコントがあったが、後年その伊武自身が実際に『JET STREAM』のパーソナリティに就任した。
[編集] ディスコグラフィ
- SNAKEMAN SHOW/スネークマン・ショー(LP・1981年、CD・2003年)
- 死ぬのは嫌だ、怖い。戦争反対!(LP・1981年、CD・2003年)
- 咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(シングル・1981年、シングルCD・1995年)
- シングルCDにはリミックスが2曲収録されているが、オリジナルヴァージョンは収録されていない。なおこのリミックスに桑原茂一はかかわっていない。
- 愛の戦場(シングル・1981年)
- スネークマンショー海賊版(カセット・1982年、CD・2003年)
- カセット版のパッケージはコンドームの箱を模している。後年アナログLPにもなったが、当局のお達しでギャグのいくつかがカセット版から削られて、別のコントに差し替えになった。
- ピテカントロプスの逆襲(LP・1983年、CD・2003年)
- MELONとのコラボレーションで制作。小林克也は参加していない。LPとカセットが同時発売されたが、実は全く同内容というわけではなく、カセット版の方が収録時間が長くギャグが多めに入っていた。
- スネークマンショープレゼンツ・竹中直人 かわったかたちのいし(LP・1984年 CD・1994)
- スネークマンショー 核シェルターブック(カセットブック・1983年)
- スネークマンショー In The 90's (CD・1991年)
- On-Uサウンドのエイドリアン・シャーウッドによるリミックス。
- YANKOMARITAI (CD2枚組・1992年)
- このベスト盤は発売当時は平仮名のタイトルであったが、再発分からジャケットイラストは同じまま、タイトルのみ横文字表記の「YANKOMARITAI」に変更されている。過去に発売されたアルバムからの再編集で、1枚目は音楽オンリー、2枚目はコントオンリーの構成。既発売のアルバムを持っているユーザーの購入意欲を煽るためか、2枚目には新規に収録されたギャグも2編あった。
- 人格なし(CD・1993年)
- 人格なし2(CD・1993年)
- ツインズスーパーベスト・オブ・スネークマンショー(CD2枚組・1997年)
- ラジオ・スネークマン・ショー Vol.1〜3(CD・2001年)
- 2001年9月27日、ラジオ番組のスネークマンショーの音源を復刻する形でワーナーから同時発売。計画では、同年10月24日にVol.4〜Vol.6、11月21日にVol.7〜Vol.9をリリースし、全巻購入者には特製CDをプレゼントするはずだったのだが、実際はVol.3までで発売は中断し、廃盤となった。この3枚は店頭に並んだのが非常に短い期間だったせいもあり、マニアの間ではレア盤扱いされている。
- スネークマンショー・アンソロジー(CD2枚組・2004年)
- 「ラジオ・スネークマン・ショー」の発売元をユニバーサルミュージックに変えて内容を縮小し、2004年5月26日に発売された。こちらも再三の発売延期に見舞われた。
アルファレコードは1988年に「スネークマン・ショー」と「戦争反対!」を2枚組で初CD化。その2年後の1990年に「ピテカントロプスの逆襲」と「海賊版」をそれぞれ単独で初CD化。「ピテカントロプス」と「海賊版」はどちらもカセット版と同内容のものだった。だがこれによって「海賊版」LP版のみに収録されていた差し替え分のコントは、長らく聴けない状態となってしまった。
アルファのスネークマンショーは幾度か再発売されたが後に廃盤となり、長い間CDショップからは姿を消していたが、2003年にソニーミュージックから初期オリジナルアルバム4枚がリマスター版として一挙に発売。「海賊版」はカセット版の内容に加え、LPのみに入っていた差し替え分のギャグもボーナストラックとして収録され、これでやっと「海賊版」用の全ての音源がCDで聴けるようになった。
2006年現在はソニーミュージックのリマスター盤4タイトルとユニバーサルの「アンソロジー」のみがCDショップで流通しており、それ以外は全て廃盤である。
[編集] 映像作品
- 楽しいテレビ(1984年)
- 出演者として竹中直人・いとうせいこう・シティボーイズ・中村ゆうじ、脚本陣の一人として宮沢章夫、という後にラジカル・ガジベリビンバ・システムを結成する面子が参加しており、実質的に80年代前半・後半をそれぞれ象徴する2大ギャグユニットのコラボレーション作品である。1984年のVHS及びLD版発売以来、長らく復刻がされず幻の作品となっていたが、2009年2月25日にBMG JAPANより特典映像ディスク、対談(伊武・いとう・宮沢)・台本・スチール写真などを収めたブックレットを付属させたDVDが発売された。
[編集] 書籍
- 監修/桑原茂一2 『これ、なんですか? スネークマンショー』 (新潮社、2003年)
- 桑原茂一2は桑原茂一でもクワバラモイチでもない謎の人物である。
[編集] 注釈
- ^ シングルとしての発表は1981年だが、ラジオコントとしての発表はその数年前。
- ^ YMOのライブを期待していた観客が多かったが、ギャグばかりのイベントであった上、YMOがギャグのみを行った後、ライブを行わずに「以上でYMOの出番は終了します」と冗談でアナウンスしたため(最初からライブは後で行う予定であり、行っている)、怒った観客達が大ブーイングを起こしたためであった。この模様は後日「それゆけスネークマン」で放送され、この時の坂本龍一が観客に怒鳴り、高橋幸宏が観客をなだめる模様が後にYMOのライブベストアルバムONE MORE YMOに収録された
[編集] 外部リンク
- スネークマンショー・ウェブマガジン - ソニーミュージック内のサイト
- BMG JAPAN内の特設ページ
最終更新 2009年10月22日 (木) 15:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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