スペリー

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スペリー (Sperry Corporation) は、アメリカの機械および電気製品の企業であり、20世紀のうち1910年から1986年の約70年間にわたって存在した。

目次

[編集] 初期の歴史

スペリー社は1910年スペリー・ジャイロスコープ社としてエルマー・アンブローズ・スペリーが設立した。彼が自ら発明した舶用ジャイロスタビライザーとジャイロコンパスを中心として航法装置を製造する会社である。第一次世界大戦の間に、航空機用の爆撃照準器や火器制御システムなども手がけるようになる。

1918年、息子のローレンス・スペリーは独立して Laurence Sperry Aircraft Company を設立し、オートパイロット装置などを製造した。しかし、1923年にローレンスが死去し、2社は合併することとなった(1924年)。

1933年、社名をスペリー・コーポレーションに変更する。新しい会社は持ち株会社となり、傘下にいくつかの会社を抱えるようになった。なお、スペリー・ジャイロスコープは第二次大戦後まで存続し、1950年代にスペリー・フライトシステム社に改称した。同社はスペリーの軍事産業部門として、アビオニクス機器を開発製造し、スペースシャトルにもアビオニクスシステムを提供した。

スペリー社は第二次世界大戦においても軍需によって大きく成長した。特に高い技術を要求される装置、例えばアナログコンピュータ制御の爆撃照準器、空挺レーダーシステム、自動離着陸システムなどを開発製造した。スペリー社はB-17B-24の悪名高い旋回砲塔も開発製造している。この旋回砲塔は、映画『メンフィス・ベル』や、詩 The Death of the Ball Turret Gunner に描かれている。戦後、スペリー社は電子機器とコンピュータに興味を持ち、1953年に同社初のデジタルコンピュータ SPEEDAC を開発した。

[編集] スペリーランド

1955年、スペリー社はレミントンランド社を買収し、スペリーランドと改名した。レミントンランド社と同時に子会社のエッカート=モークリ・コンピュータ社と Engineering Research Associates 社を獲得し、UNIVACコンピュータシリーズによって成功を収めることになった。そしてIBMともクロスライセンス契約を結んだ。

スペリー社は軍需産業の一角も占めていた。

1967年から1973年にかけて、スペリー社はハネウェル社とともに反トラスト法問題に巻き込まれた。この訴訟はそもそもスペリーランド社がENIAC特許のライセンス料の支払い(2億5千万ドル、後に2千万ドルに減額)をハネウェル社に対して求めたものである。ハネウェル社は支払いを拒絶し、スペリーランド社を反トラスト法違反で逆に訴えた。さらにスペリーランドがハネウェルを特許侵害で訴えるという訴訟合戦に突入する。このときの裁判でENIAC特許が無効であると裁定され、ハネウェルが勝訴している。

1970年代のスペリー社は巨大複合企業となっていた。1978年、スペリーランド社はコンピュータに集中することを決定し、それに直接関係しない子会社をすべて売却する。また、社名から「ランド」を取って元のスペリー・コーポレーションに戻した。スペリー社はRCAのコンピュータ部門を買い取って、IBM システム/360の互換機も製造するようになった。

[編集] 合併

1986年バロースによる敵対的買収が成功し、当時の大統領ロナルド・レーガンも是認する形で合併が成立し、ユニシスが誕生した。敵対的買収を阻止するためスペリーはポイズンピルを実施したが、買収は続行され、結果としてバロースは予定より多くの借金を負うこととなった。

スペリー社の残っていた子会社も合併後に売却された。スペリー・ジャイロスコープからの伝統を引き継いだ部門(スペリー・ディフェンスシステムとスペリー・フライトシステム)はハネウェルに売却された。現在、スペリーの名が残っているのはスペリー・マリン社である。この会社は、1997年に3つの船舶関連会社が合併して設立された会社であり、ノースロップ・グラマン社の傘下にある。航法装置、海洋通信装置、商船向けの自動化システムなどを世界的に製造販売しており、海軍の仕事も請け負っている。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

最終更新 2009年3月12日 (木) 18:46 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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