スマトラ島沖地震 (2004年)
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| スマトラ島沖地震 | |
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震源の位置(USGSによる)
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| 本震 | |
| 発生日 | 2004年12月26日 |
| 発生時刻 | 7:58(現地時間) 9:58(JST) |
| 震央 | インドネシア スマトラ島北西沖160km 北緯3度17分53秒 東経95度46分44秒(地図) |
| 震源の深さ | 30km |
| 規模 | モーメントマグニチュード(Mw)9.1~1 9.3 |
| 最大震度 | 改正メルカリ震度IX:バンダ・アチェ(震度5強~6弱相当) |
| 津波 | 平均10m、スマトラ島北部で最大34mの津波 |
| 地震の種類 | 海溝型地震(逆断層型(衝上断層)) |
| 余震 | |
| 回数 | 45回(Mw6.0以上)、4,700回以上(M1.0以上) |
| 最大余震 | 2005年 3月29日 1:37(JST)、M8.7(別説あり) |
| 被害 | |
| 死傷者数 | 死者22万人以上 負傷者13万人 |
| 被害総額 | 9億7,700万ドル(必要とされる緊急支援額、国連による) |
| 被害地域 | スマトラ島周辺を中心とするインドネシアほか、マレーシア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、ソマリアなど |
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注1:ノースウェスタン大学の調査による
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スマトラ島沖地震(スマトラとうおきじしん、スマトラ沖地震、インド洋大地震、スマトラ-アンダマン地震などとも)は2004年12月26日、インドネシア西部時間午前7時58分50秒(日本時間午前9時58分、UTC午前0時58分)にインドネシア西部、スマトラ島北西沖のインド洋で発生したマグニチュード 9.3 の地震である。
目次 |
[編集] 解説
この2004年スマトラ地震に於けるマグニチュードは、1900年以降でチリ地震に次いで2番目に大きい規模である。なお、この9.3という数値はモーメントマグニチュード (Mw) であり、例えば兵庫県南部地震 (Mw6.9) の約4,000倍、2003年十勝沖地震 (Mw8.0-8.1) の約40倍に相当するエネルギーである。
また、アメリカ地質調査所 (USGS) の暫定発表で当初マグニチュード8.1と発表されていたが、次にマグニチュード8.5、さらにマグニチュード8.9と発表された後、9.0に修正された。さらにその後、アメリカ・ノースウェスタン大学などの研究グループにより、9.3に再修正された。
2009年現在、USGSではマグニチュード9.1としている。最終的には米ノースウエスタン大学と同程度の値になる可能性もある。これは、震源地でプレートが3回に渡って南から順にずれ、そのずれの継続時間が6~7分にもわたったためと見られている。
震源域は研究機関によって異なり、およそ1,000km~1,600kmと長さをもつ。地震後のGPSや実地調査では、スマトラ島北西沖にあるニアス島からインド領のアンダマン諸島北端までの広範囲で隆起・沈降・水平移動といった地面のずれ(変位)が観測されている。国土地理院の分析によれば、震源域はミャンマー領ココ諸島とアンダマン諸島北端の間付近から、ニアス島の北西に位置するシムルエ島北部までの約1320kmとされている[1]。
平均を取って約1,300kmだとしても、日本列島沿岸の海溝に当てはめれば銚子沖から得撫島南方沖あたり、あるいは銚子沖から奄美大島東方沖あたりにまで及ぶ規模である。M9.3の本震だけを見ても、ずれた断層(プレートの境界面)は南北に約400km、東西に約150kmにわたる範囲に及び、ずれた距離(変位)は最大約20mという巨大な規模のものであった。
大津波が発生し、インドネシアのみならず、インド洋沿岸のインド、スリランカ、タイ王国、マレーシア、東アフリカ等でも被害が発生した。この津波のニュースは、全世界に報道され世界中の人が知ることとなった。その後チリで津波デマによるパニックが起こり1人が死亡したほか、世界各地で地震発生後に津波を警戒して住民が早期に避難した事などから、この地震が世界中に知れ渡り、人々の心に強く残ったことを示している。
地震の名称であるが、日本の地震の場合と違って正式な名称は命名されておらず、世界各国の各メディアやウェブサイトによって名称はさまざまである。
2005年3月28日に起きたMw8.6の地震については、スマトラ島沖地震 (2005年)に記述している。
[編集] 各機関の解析によるマグニチュード
地球シミュレータよる計算結果よりMw=9.1[2]、埋込式体積ひずみ観測結果よりMw=9.1~9.2[3]、深部ボアホールひずみ観測結果よりMw=9.2、地球の自由振動の観測結果よりMw=9.1~9.3の値が算出されている。
[編集] 地震の発生間隔
数百年に一度の周期で大規模な地震とそれに伴う津波の発生が記録されている。
[編集] 地層の発掘調査による
- 2008年、日本の(独)産業技術総合研究所と米国地質調査所、豪州地質調査所、米国ワシントン大学、タイ・チュラロンコン大学などにより組織された共同調査隊は、タイ王国南部のインド洋沿岸で地質調査を行い、過去約2500年間の地層中から4層の津波による地層を発見した[4]。この調査結果から、2004年と同様の大津波は数百年に一回発生していて、年代はそれぞれ、550-700年前頃、2200-2400年前頃と推定されている。
[編集] 歴史文学による
- 900年に、インド南部のベンガル湾に面したタミル・ナードゥ州にインド洋からの大津波が襲来し、修道院、寺院にいる数百人の人々を飲み込んでしまったという記録が同州図書館に残っている。また、インドのジャーナリストでもあるKalki Krishnamurthyの小説「Ponniyin Selvan(犠牲の頂点)」にも同様の記述がある[5]。
[編集] 考古学的な調査による
- インドの研究者はインドの東海岸に位置する、7~12世紀の考古学遺跡から発見された津波堆積物は900年頃に大津波があったことを示していて、2004年と同規模の超巨大地震は、稀ではあるが、周期性があると推測している[6]。インド東岸に被害をもたらしたインド洋からの大津波は、過去2000年間で900年頃と2004年のものが判明している。
[編集] 地震の概要
スマトラ島の西方約160km、深さ10kmで発生した地震はマグニチュード9.3という巨大なもので、1960年に発生したチリ地震のマグニチュード9.5に次ぐ超巨大地震であった。震源はスンダ海溝に位置し、インド・オーストラリアプレートがユーラシアプレートの下に沈み込むことによる海溝型地震の多発地帯の中にあった。これにより、ビルマ・マイクロプレートの歪みが一気に開放された。
当初、この地震は震源域の南端にあたる北緯3.298度、東経95.779度付近から始まり、次いで北端のニコバル諸島付近を中心にもう一つの地震が起こり、この二つの大きな地震が連続して起こり未曾有の巨大地震になったと見られていた。後の解析により、岩盤の破壊は大きく分けて3段階で進行したことが分かった。まず、震源の南半分の断層およそ420km(平均5~20mのずれ量)、次いで中央部の断層およそ320km(同5m)、さらに北半分の断層およそ570km(同2m以下)がずれた。全体として長さ1,200~1,300kmの震源域であり余震域にほぼ一致する。これらは最新の地震波解析でわかってきた。
断層のずれは逆断層型で、断層面が平行に近い衝上断層と見られている。地震発生時、沈み込むインド・オーストラリアプレートに対して、上にあるユーラシアプレートの海溝に近い西側の帯域が隆起、海溝から少し離れた東側の帯域が沈降したことによって、震源域より西側のスリランカやアフリカなどでは初めに押し波、東側のタイなどでは初めに引き波が押し寄せたと考えられている[7]。しかし、東側での隆起のメカニズムについて疑問を呈する意見もある[8]。
この隆起や沈降は、現地調査やGPS観測によるもので、地震の際に大きく変動を起こした上、震源域より北の地域でも数ヶ月間に渡り地殻の変動が続き、京都大学大学院理学系研究科(理学博士)・橋本学によるとモーメントマグニチュードの換算でMw8.8~Mw9.0と見積もられるという[1](余効変動)。アンダマン諸島北西のノースリーフで約1.3mの隆起、南東のポートブレアで約0.95mの沈降を観測するなどし、海岸線が移動して、隆起した地域ではサンゴが死滅するなどした[9]。
- 名古屋大学環境学研究科附属地震火山・防災研究センター長の安藤雅孝によると、ビルマプレートに対するインドプレートの沈み込み速度が年間2センチ程度で今回のすべり量が30mであることから、同様のM9クラスの超巨大地震の歪蓄積にはおよそ1000年前後必要だと報告している(日本応用地質学会 平成17年度研究発表会)。
地震動(地震の揺れ)は震源の南端では3分(180秒)ほど、インドネシアのバンダ・アチェなど少し離れたところでは6~7分(400秒)も続いた。バンダ・アチェの揺れは、気象庁震度階級に直すと震度5強から6弱程度の強い揺れで、しかもその揺れが6~7分も続いたことで、住民に強い恐怖感を与えた。
遠いところではバングラデシュ、インド、スリランカ、マレーシア、ミャンマー、シンガポール、タイ、モルディブまで伝わったほか、地震波は日本でも超長周期地震動として観測され、秒速約4km=14400km/h(空気中のマッハ11前後に相当)で地球を少なくとも5周したとみられる(報道によれば、さらに8周目とみられる波形まで観測されているという)。
- 長さ1,200~1,300kmに及ぶ震源域で余震が発生しており、本震発生後24時間以内にマグニチュード5以上の余震が26回、(ベンガル湾東端のアンダマン諸島付近で13回(最大6.3)、ニコバル諸島付近で5回(最大7.3)、スマトラ島北部西方沖で6回(最大6.2)、スマトラ島北部で2回(最大6.0))発生した他、2005年1月17日までにMs6.0以上の余震が16回に達するなど、規模が大きい余震の回数が非常に多かった。
- 12月28日、アメリカ合衆国地質調査所は、この地震によってプレートが最大で約30mもずれ、ニコバル諸島等が地図の書き換えが必要なほど移動した、という観測結果を発表した。もっとも1月4日には訂正し、地表面が1~2m以内で移動したに留まるという試算結果を発表した。
以下の表は、アメリカ合衆国地質調査所 (USGS) が観測した本震と以後の余震の一部である(資料元:USGS)。
| マグニチュード | 日時(年/月/日) | 世界標準時(時:分:秒) | 北緯(度) | 東経(度) | 震源の深さ(km) | 震源 |
| 9.1(後に9.3に修正) | 2004/12/26 | 00:58:53 | 3.316 | 95.854 | 30.0 | スマトラ島北部西岸海上 |
| 5.9 | 2004/12/26 | 01:48:47 | 5.393 | 94.423 | 10.0 | インドネシア、スマトラ島北部 |
| 5.8 | 2004/12/26 | 02:15:58 | 12.375 | 92.509 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
| 6.0 | 2004/12/26 | 02:22:02 | 8.838 | 92.532 | 10.0 | インド、ニコバル諸島 |
| 5.8 | 2004/12/26 | 02:34:50 | 4.104 | 94.184 | 10.0 | スマトラ島北部西岸海上 |
| 5.8 | 2004/12/26 | 02:36:06 | 12.139 | 93.011 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
| 6.0 | 2004/12/26 | 02:51:59 | 12.511 | 92.592 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
| 5.9 | 2004/12/26 | 02:59:12 | 3.177 | 94.259 | 10.0 | スマトラ島北部西岸海上 |
| 6.1 | 2004/12/26 | 03:08:42 | 13.808 | 92.974 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
| 7.1 | 2004/12/26 | 04:21:29 | 6.885 | 92.938 | 39.7 | インド、ニコバル諸島 |
| 5.7 | 2004/12/26 | 06:21:58 | 10.623 | 92.323 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
| 5.7 | 2004/12/26 | 07:07:10 | 10.336 | 93.756 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
| 5.8 | 2004/12/26 | 07:38:25 | 13.119 | 93.051 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
| 6.6 | 2004/12/26 | 09:19:59 | 8.874 | 92.368 | 6.4 | インド、ニコバル諸島 |
| 5.5 | 2004/12/26 | 10:18:13 | 8.950 | 93.730 | 10.0 | インド、ニコバル諸島 |
| 6.2 | 2004/12/26 | 10:19:30 | 13.455 | 92.791 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
| 6.3 | 2004/12/26 | 11:05:01 | 13.542 | 92.877 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
[編集] 津波
平均で高さ10mに達する津波が数回、インド洋沿岸に押し寄せた(地形によっては34mに達した場所もあった)。アンダマン・ニコバル諸島近海からスマトラ島北西部近海にかけてのおよそ1,500kmの帯状の地域(上のアニメーション参照)の、およそ海底4,000mの場所で津波が発生、津波発生時には2~3mほど海底が持ち上がり、ジェット機並みのスピード(約700km/h)で津波が押し寄せたと見られる。前述の速さで波が押し寄せたスリランカ、インド、モルディブ、アフリカ諸国などに対して、震源の東側となったタイ、マレーシア、インドネシア、ミャンマーなどでは、比較的遅いスピードで津波が押し寄せた。特に、タイのプーケットに津波が到達したのは、地震発生から2時間30分後だった。これは、津波が通過したアンダマン海が、広い大陸棚が広がる浅い海で、津波が進むスピードが遅かったためである。
津波はアフリカ大陸東岸のソマリア、ケニア、タンザニアにも到達し、ソマリアで100人以上の死者が発生。ケニアのモンバサでは避難命令が出された。また南極大陸の昭和基地でも半日後に73cmの津波を観測した。また、アメリカ合衆国の西海岸、南アメリカ大陸でも数十cmの津波を記録した。
インド洋の各国では太平洋側の各国にて整備されている津波警報国際ネットワーク(津波早期警報システム)が無く、2時間後に到達する地域においても避難勧告を出すことができなかった。この為、多くの死者を出す一因となった。しかも太平洋津波警報センター(ハワイ)は津波発生の恐れに気づいたものの、警報を出したのはディエゴガルシア島駐留米軍宛のみで、関係各国には“告知”しか送らず、津波被災経験ゼロのインドネシアではその重大性に気づけなかったとされている[10]。
また、津波による被害としては、約22,000人が死亡したとされる1896年の日本での明治三陸地震、36,417人が死亡した1883年のインドネシア・クラカトア島の噴火をはるかに超える観測史上最悪の惨事となった。
2005年1月20日現在、死者の総数は226,566人。
また、津波の被害を受けたインド洋沿岸各国は、ほとんどが熱帯雨林が広がるところで、周囲の環境を調節し多くの生物の住処となるマングローブが減っていることが問題になっていたが、タイで、数少ないマングローブの森が津波のエネルギーを吸収し、後ろ側の陸地は大きな波に襲われずに済んだという出来事があった。この出来事を受けたタイ政府は、マングローブの保護と植樹を推進する方針を打ち出した。
[編集] 地球への影響
- 地球の1日の長さが100万分の3秒程度短くなり、地軸の位置が約2cmずれた可能性があり、理論上は地球の自転に何らかの影響を与えた可能性があると考えられる(アメリカ地質調査所のケン・ハドナット博士)。
- 地球全体の縦揺れは地震直後、約20-30cmもあった(オーストラリア国立大学)。
- 震源から離れた日本においても地震の直後、地下水の水位の変動が40箇所以上で確認された(産業技術総合研究所)。
- M 9.3 の地震の後、2005年2月5日にフィリピン付近のセレベス海で M 7.1、同年3月28日にニアス島北部で M 8.6(スマトラ島沖地震(2005年))、2007年1月21日にスラウェシ島南東部で M 7.3 の地震が発生するなど周辺の地域で大きな地震が多発。
- M 9.3 の地震の発生から約3ヵ月半後の2005年3月12日にスマトラ島西部のタラン山が噴火、また翌3月13日にはジャワ島西部のタンクバンプラフ山が噴火するなど近隣に存在する火山の活動が活発となった。
- 周辺各地で地殻変動を確認(位置が数センチずれた都市が多数ある事がGPS測定で判明)。
[編集] 各国の被害状況
インドネシアのアチェ特別州を除けば、被害はほとんどが津波によるものである。被災地の多くが地震や津波に遭ったことのない地域であったため、津波に関する警報や注意があまりなされず、人的被害を拡大させた。各国政府などの発表によれば、死者は翌2005年1月19日までに合計で226,566人。またインドネシアの一部やモルディブ、ニコバル諸島などでは交通・通信網が破壊されてしまったために正確な情報が入手できていない。このため犠牲者の数は今後さらに増える可能性は高い。そして、地震が発生した時期は、年末やクリスマス休暇のシーズンだったため、犠牲者には日本や欧米諸国などからの観光客も多数含まれている。 最も被害が大きかったインドネシアのアチェ州では独立を求める武装勢力と国軍の対立が続いていたため、被害状況の調査や救援活動にも支障が出た。軍事政権下にあるミャンマーや長年内戦が続いてきたソマリアでも、はっきりした被害状況はわかっていない。死者83万人と記録されている華県地震(1556年)や非公式ながら死者60万人以上と云われる(公式には24万人強)唐山地震(1976年)に次ぐ、人類史上有数の震災となるであろう。
また被災者は500万人に達し、うち180万人に食糧援助が必要とされているほか、衛生環境の悪化から感染症や伝染病の発生などの2次災害も懸念されている。さらに一部の被災地では治安が悪化し、性的暴行事件や、誘拐と思われる子供の失踪などが多発しているという。
スリランカ、アンダマン諸島では外界との通信が途絶状態のため、短波のアマチュア無線による非常通信が行なわれており、アマチュア無線を禁止しているインドネシア・アチェ特別州政府に対しても、支援の為に例外的に認めるよう働きかけが行なわれている。インドネシア政府はヘリコプターを使った食料投下を行いつづけているが、その食料の奪い合いで争いが生じる地域が存在している。
(以下、ロイター調べ) インドネシアは1月19日現在、
[2]、
その他の国は1月3日現在インド・スリランカ・タイは1月17日現在 など
[編集] インドネシア
被災した各国の中で最も多くの犠牲者を出した。とりわけスマトラ島北端のアチェ特別州西海岸は甚大な被害を受け、州都バンダ・アチェや西アチェ県のムラボなどはほぼ壊滅した。現在のところ死亡者は131,029人、負傷者は最大で10万人、行方不明者は37,603人とされており、政府は「国家災害」を宣言した。1月19日、アチェでマラリアの発生が確認された。なおアチェではインドネシア政府との独立戦争が続いていたが、アチェ人武装勢力は地震直後に停戦を宣言し、2005年8月に政府側もこれに応じた。また、震源に近かったシムルー島やアチェ特別州では、津波だけではなく地震の揺れによる被害も大きかった。
[編集] インド
12,407人が死亡した。また、行方不明者は1万人以上、負傷者数は不明である。アンダマン諸島・ニコバル諸島では人口約3万人のカール・ニコバル島をはじめ、一時全島が水没した島が数十あったとの情報もある。
[編集] スリランカ
35,322人が死亡した。コロンボ発ゴール行の列車が津波に流されて転覆した。この列車は第1波の被害を免れたため、車内は安全と誤解した地元住民が多く、列車内や屋根の上に避難した後で続く第2波の津波に飲まれたため、乗客の他地元住民なども含め1,000人が死亡した。負傷者数は16,637人、行方不明者は5,637人、家を失った者は83万人それ以上だとされている。政府は国家非常事態宣言を行なった。
[編集] タイ王国
リゾート地として知られるプーケット島など、タイ南部6県のアンダマン海に面する地域(プーケット県、パンガー県、クラビー県、トラン県、サトゥーン県、ラノーン県)に大きな被害が出た。映画『ザ・ビーチ』で有名なピーピー島(ピピ島)もほぼ壊滅した。現地での死者は5,305人、怪我人は8,457人と報じられている。衛生上の理由から十分な身元確認を行わないまま埋葬された遺体も数百体あったと言われている。この震災で孤児となった子供は王室に引き取られ、養育されることになった。
アンダマンに面する地域はリゾート地として知られており、津波の起こった地域では高級リゾート地などで多くの著名人の死亡が確認されている。ラーマ9世(プーミポン・アドゥンラヤデート)の孫であるプム・ジェンセンも津波に巻き込まれ、遺体で発見されている。
政府は津波に対する認識が甘かったために今回の被害が生じたとして、国家気象局長を更迭し、1993年にインド洋での津波被害について警告していた元気象局長を総理府付高官として復権させた。
一方でタイ政府は、総額280億バーツの復興支援予算や政府系、民間系銀行共の低金利融資実施などを行っていることから経済的ロスに付いてはほぼ影響がないと見込んでおり、2005年の目標経済成長率である6.1%を下方修正しないことを明らかにした。政府のこの見方について、リーマン・ブラザーズも、阪神・淡路大震災での例を挙げ支持した。
なお、タイではこの津波が起きるまで津波を「大型の波(คลื่นยักษ์=tidal wave)」と表現することが多かったが、この津波以降は専門用語である「スナーミ(日本語の「津波」の音訳)」が一般的に使われるようになった。
[編集] ミャンマー(ビルマ)
政府発表では80人が死亡、43人が負傷、3人が行方不明とされているが、AFP通信の報道によれば死者は少なくとも90人。また、ココ諸島で数千人が死亡した可能性もある。
[編集] マレーシア
ペナン島で21人が死亡など合計で68人が死亡、299人が負傷。
[編集] モルディブ
津波によって74名が死亡し、首都機能をもつマレ島の3分の2が冠水。空港では航空機が押し流される。政府は災害非常事態を宣言。電話や交通網が寸断されているため、正確な被害状況は把握しきれていない。マレでは日本のODAなどによって建設された防波堤が、同島の被害を最小限に食い止めたと言われている。
[編集] その他の国
東アフリカ(ケニアで2人、タンザニアで10人、セーシェル、ソマリア、マダガスカルでも多数)で合計137人が死亡、ソマリア沿岸で漁船100隻以上が行方不明となっている。ソマリアでの死者は200人以上との報道もある。
バングラデシュで2人死亡との報道がある。
[編集] 観光客などの外国人
クリスマス後、正月前の休暇の時期ということで、海辺の保養地に多くの外国人観光客が訪れていたため、ヨーロッパからの旅行者を中心に外国人の被災者も多い。
- アメリカ合衆国人
- 1月4日の時点で15人が死亡、約5,000人の安否が確認されていない。
- スウェーデン人
- 60人が死亡、1,800人以上が行方不明。政府は犯罪を誘発する恐れがあるとして行方不明者の個人情報を公開していない。ミュージシャンのミエツコ・タラーツィク(ナザム)がタイのピピ島で津波に巻き込まれ、翌2月17日に遺体で発見された。
- ドイツ人
- 60人が死亡、970人が行方不明。
- 英国人
- 40人が死亡し、他に約160人が行方不明。元日本駐在のジャーナリストで、リヒャルト・ゾルゲに関する著書があるロバート・ワイマントも死亡が確認された。
- ノルウェー人
- 16人が死亡、78人が行方不明。
- フランス人
- 22人が死亡、99人が行方不明。
- イタリア人
- 18人が死亡、436人が行方不明。
- スイス人
- 16人が死亡、95人が行方不明。
- オーストラリア人
- 12人が死亡、79人が行方不明。
- 韓国人
- 12人が死亡、8人が行方不明。
- 日本人
- 日本外務省は12月26日、領事局に緊急連絡室を設置し、インドネシア、スリランカ、タイなど6カ国に対して大使館などを通じて日本人の被害状況を確認した。2005年12月6日現在、日本人は40人の死亡が確認され、依然として2人の安否が確認されていない。
- 香港人
- 38人が死亡、2人が行方不明。いずれもタイに失踪または死亡(2005/12/18現在 香港政府より)。
- 北朝鮮人
- 3人が死亡、行方不明者なし
[編集] 救援・復興支援の状況
これまで国連やユネスコ、赤十字、WFP(世界食糧計画)などが食糧支援や医療活動を継続しているが、被災が酷かったスマトラ島北部やアンダマンニコバル諸島では、津波被災から2年が経過した2006年12月現在まで具体的な復興のめどすらついていない。プーケットなどの観光産業地域は以前の半分の規模ではあるが徐々に観光客が戻りつつあり、津波の避難訓練などを行っている。 そんな中、観光客が廃棄した空き瓶やペットボトル、使い古したタイヤなどを利用し、建設費用を極力抑えた廃材リサイクル住宅が被災地における復興の要として期待されている。
日本政府は12月26日、スリランカに国際緊急援助隊の医療チームの派遣を決めた。28日にはテロ対策特別措置法に基づいてインド洋に派遣されていた海上自衛隊部隊のうち任務を終えて日本に向けて帰還中だった護衛艦「きりしま」など3隻をタイ近海に派遣し、捜索・救助および遺体の収容に当たらせている。その後タイにも国際緊急援助隊が派遣され、同救助チームがピピ島で日本人行方不明者の遺体を発見するなどの活動を行った。
1月1日、小泉純一郎首相は「5億ドル(約510億円)の無償供与、津波早期警戒メカニズムを構築するための協力、自衛隊の追加派遣を検討」など最大限の支援を行うとの談話を発表した。1月4日、インドネシアのアチェ州へ海上自衛隊輸送艦「くにさき」・護衛艦「くらま」・補給艦「ときわ」の3隻、航空自衛隊の輸送機2機、陸上自衛隊第7師団など三自衛隊合わせて800~900人を派遣する事が決まり、先遣隊が現地に向かった。
アメリカ政府は12月27日に3,500万ドル(約36億円)の緊急支援を表明したが、内外から少なすぎるとの批判を受け、のちに金額を10倍に引き上げた。ほかに民間からも多額の義援金が寄せられている。また1月から3月にかけて、原子力空母「エイブラハム・リンカーン」をはじめ艦艇約20隻、航空機約60機など、総勢12,600人の米軍が各地で救援活動を行った。
国際連合は全世界に強力な支援を要請しており、1月2日までに日本を含む約40ヶ国や世界銀行などから計20億ドル(約2050億円)の支援が発表された。
その一方で、日本政府の義援金(5億ドル)表明後に対抗するような形で、当初の義援金の金額から増額する国(韓国)が現れたことから「金額の競争じゃない」 と批判の声も聴かれた。
またこの津波により2005年8月15日にヘルシンキにおいて自由アチェ運動とインドネシア政府の間に和平協定が結ばれ、反政府軍の兵士が一般市民へと戻りアチェ復興を目指している。
また、各国で世界中から集まったボランティアが活動しており、被災者へのカウンセリングなども行われている。
この津波によって発生した大量の腐乱遺体によりペストなどの伝染病流行が懸念されたが、現地での早急な身元確認を行わないままの土葬処分や火葬など関係者の努力により、伝染病流行での大量死は2007年1月現在、発生は報告されていない。日本でも大震災や大津波、有事などによる大量死が真夏に発生した場合の腐乱対策は整っておらず、今後の課題として残されている。
この時、アメリカ合衆国国務長官であったコリン・パウエルは、被災地の視察後「私は様々な戦場や災害現場を見てきたが、今回の災害は私の経験の中で一番酷い」と発言し、被害の凄惨さを物語る一つとされている。
[編集] 各国政府・民間団体等による主な支援一覧
2005年1月7日現在。1,000万US$以上のもののみ(単位千US$)。
| 45の国・地域及び国際機関 | 4,200,000 | ||
| オーストラリア | 7億6,500万ドル | (=10億豪$、5年間で)この他救助目的の海軍艦艇1隻派遣 | 44,458,918ドル 2007年11月06日現況 |
| ドイツ | 6億6,400万ドル | (=5億ユーロ) | 126,143,320ドル 2007年11月06日現況 |
| 日本 | 約5億ドル(502,479,970ドル) | 2億5,000万ドルを即金で支払う。その他、救助目的の護衛艦2隻、補給艦1隻他自衛隊、国際緊急援助隊等派遣 | 502,223,784ドル 2007年11月06日現況 |
| 国際連合 | 5億ドル | ||
| アメリカ | 3億5,000万ドル | 当初1,500万ドルと発表するも、国際世論の反発を受け増額。しかし、同年1/10には、パウエル国務長官(当時)はその額を撤回し、「6,000万ドル程度」と発表している。その他、救助目的の空母1隻含む艦艇20隻及び海兵隊派遣 | 132,423,926ドル 2007年11月06日現況 |
| 世界銀行 | 2億5,000万ドル | ||
| ノルウェー | 1億8,100万ドル | 87,501,848ドル 2007年11月06日現況 | |
| カナダ | 1億3,600万ドル | 117,120,576ドル 2007年11月06日現況 | |
| イギリス | 9,600万ドル | (=5000万英ポンド)支援物資輸送目的の海軍艦艇1隻派遣 | 149,234,930ドル 2007年11月06日現況 |
| イタリア | 9,500万ドル | 62,939,355ドル 2007年11月06日現況 | |
| スウェーデン | 7,600万ドル | (=5億スウェーデンクローナ) | 46,568,314ドル 2007年11月06日現況 |
| デンマーク | 7,600万ドル | 40,741,828ドル 2007年11月06日現況 | |
| スペイン | 6,800万ドル | 25,397,001ドル 2007年11月06日現況 | |
| 中国 | 6,300万ドル | (=5億中国人民元) | 63,598,729ドル 2007年11月06日現況 |
| フランス | 5,600万ドル | (=4400万ユーロ) | 87,368,177ドル 2007年11月06日現況 |
| 台湾 | 5,025万ドル | ||
| EU(欧州連合) | 4,080万ドル | この他各加盟国独自の支援有 | |
| オランダ | 3,600万ドル | ||
| スイス | 2,380万ドル | ||
| インド | 2,300万ドル | 被災国でもあるが自助可能なため被援助国から外れている。 | |
| カタール | 2,100万ドル | ||
| ベルギー | 1,640万ドル | ||
| アイルランド | 1,600万ドル | ||
| フィンランド | 1,400万ドル | ||
| ポルトガル | 1,100万ドル | ||
| サウジアラビア | 1,100万ドル | サウジアラビア国営テレビの特番の視聴者から8,600万USドル | |
| 民間企業・個人など | 5億ドル | ||
| ファイザー | 1,000万ドル | この他2,500万US$相当の医薬品等提供 | |
| コカ・コーラ | 1,000万ドル | ||
| ミハエル・シューマッハ | 1,000万ドル | ※F1レーサー | |
[編集] 緊急に必要とされる支援
2005年1月6日、国連発表による
| 総額 | 977,000 | |
| 国別 | ||
| インドネシア | 372,000 | |
| スリランカ | 167,000 | |
| モルディブ | 66,000 | |
| ソマリア | 10,000 | |
| セーシェル | 9,000 | |
| 国別に分類できない支援 | 353,000 | |
| 使途別 | ||
| 食糧・農業 | 229,000 | |
| 仮設住宅など | 222,000 | |
| 医療 | 122,000 | |
| 経済・インフラ復興 | 110,000 | |
| 飲料水・衛生 | 61,000 | |
| その他 | 233,000 | |
[編集] 脚注
- ^ 衛星SAR画像分析による 2004・2005 年スマトラ沖地震に伴う隆起沈降域の把握 飛田幹男, 今給黎哲郎 ,水藤尚, 加藤敏, 林文, 村上亮, 藤原智, 『国土地理院時報』 2006 No. 109, pp.21-32,
- ^ 全地球弾性応答シミュレーション独立行政法人海洋研究開発機構
- ^ 埋込式体積歪計の記録から推定されるスマトラ沖地震のMw気象庁
- ^ タイ南部沿岸の堆積物に記録された過去の巨大津波産業技術総合研究所 プレスリリース(2008.10.30)
- ^ Was Nagapattinam hit by a tsunami in 900 AD?THE TIMES OF INDIA
- ^ The Spatio-temporal Context of the December 26, 2004 Aceh-Andaman Earthquakeハーバード大学
- ^ インド洋の地震・津波産業技術総合研究所
- ^ スマトラ沖地震での津波発生メカニズム石田地震科学研究所・安心ネットワークシステム地震観測網
- ^ 2004年スマトラ島沖地震によるインド領アンダマン諸島の地殻変動産業技術総合研究所
- ^ IAC声明補足 米国は津波情報など出していない論説 米国にだけ目を向ける津波報道共にT-UPブレテン
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月15日 (日) 18:11 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【スマトラ島沖地震 (2004年)】変更履歴













