スリナム
スリナムの最新ニュースをまとめて検索!
- スリナム共和国
- Republiek Suriname
-
(国旗) (国章) - 国の標語 : Justitia - Pietas - Fides
(ラテン語: 正義 - 忠誠 - 敬虔な言行) - 国歌 : スリナム国歌

-
公用語 オランダ語 首都 パラマリボ 最大の都市 パラマリボ 独立 オランダより
1975年11月25日通貨 スリナム・ドル ($)(SRD) 時間帯 UTC -3(DST: なし) ccTLD SR 国際電話番号 597
スリナム共和国(スリナムきょうわこく、オランダ語:Republiek Suriname)は南アメリカの北東部に位置する共和制国家である。東にフランス領ギアナ、西にガイアナ、南にブラジルと国境を接し、北はカリブ海、大西洋に面する。首都はパラマリボ。
かつてはオランダ領ギアナとして知られており、南アメリカで唯一のオランダ語を公用語とする国である。国土の大部分がギアナ高地にあり、面積、人口共に南アメリカで最小の独立国である。
目次 |
[編集] 国名
正式名称はオランダ語で、Republiek Suriname。通称、Suriname。
公式の英語表記は、Republic of Suriname(リパブリック・オブ・スリナム)。通称、Suriname。
日本語の表記は、スリナム共和国。通称、スリナム。
国名は先住民のスリネン人に由来している。
[編集] 歴史
詳細は「スリナムの歴史」を参照
[編集] 先コロンブス期
ヨーロッパ人が訪れる前、この地には先住民のスリネン人が居住しており、彼らの名前から今日のスリナム共和国の国名が取られた。しかし、16世紀にスリネン人はカリブ族の攻撃によって追い立てられた。
[編集] 植民地時代
スリナムの地がヨーロッパ(スペイン)人に「発見」されたのは1499年である。
16世紀にオランダ、イギリス、フランス、スペインの探検家によって探検され、17世紀に入ってイギリス人とオランダ人が入植し、黒人奴隷を使用してタバコ栽培を行った。両国は領有権を巡り争ったが1667年のブレダ条約でオランダはニューアムステルダム(現ニューヨーク)と交換しオランダの領有権が確定した。
オランダ人は黒人奴隷を使ってコーヒー、カカオ、サトウキビ、綿を栽培したが、オランダ人奴隷主の待遇は劣悪であり、多くの奴隷がプランテーションから脱走し、熱帯雨林に住むインディオの助けを得てボスネガー(英語ではマルーン)となった。現在もサラマカ、パラマカ、ンドュカ(アルカン)、クウィンティ、アルク(ボニ)、マタワイなどのボスネガー部族が存在している。
ボスネガーはしばしば新しい仲間を募るため、また、女性や、武器、食料、物資を得るためにプランテーションを襲撃した。これらの襲撃はしばしばプランターやその家族を死に至らしめ、ボスネガーへの討伐作戦は度々失敗し、ヨーロッパ人は19世紀に彼らと平和協定を結んで、ボスネガーは独立した地位と交易の権利を認められた。
その後、1863年に奴隷制度が廃止されたが、1873年まで完全解放はされなかった。奴隷達の多くは自由になるとすぐに数世代に渡って彼らを苦しめたプランテーションから逃れ、パラマリボに流入した。
このことによりスリナムにおける農場経営は一時停滞したが、スリナムのプランテーション植民地は手作業の労働者に大きく依存していたため、労働力の不足を補うためにオランダ領東インド(現在のインドネシア、特にジャワ島)やインドから契約移民を受け入れ新たな労働力とした。さらに19世紀後半から20世紀初頭にかけて、大多数が中国と中東からの小数の移民が導入された。スリナムの人口は少ないが、このような歴史により、スリナムは世界でも多様な民族性と文化を持つ国となっている。
1954年にはオランダから自治権を獲得。1973年にNPK(多くが黒人やムラートのクレオールからなる政党)がオランダ政府と完全独立のための交渉を始め、1975年11月25日に完全独立した。分離手当ては非常に実質的であり、独立後最初の10年間のスリナム経済の大部分がオランダ政府の対外援助からなった。
[編集] 独立以降
- 1980年に陸軍曹長のデシ・ボーターセによる軍部のクーデターが起き、スリナムの社会主義化が国家軍事評議会のもとで進められキューバと親密な関係を築いた。
- 1982年に反対派指導者15名が処刑されて、オランダは援助を停止した。
- 1983年、アメリカ合衆国がグレナダに侵攻。スリナムとキューバの関係は悪化した。
- 1986年、ボスネガー(アフリカ系の逃亡奴隷の子孫)の反乱による内戦が勃発した。
- 1988年には新憲法のもとでジャンカル大統領が選出され民政復帰を果たした。オランダが再び援助を再開したが、1990年に軍事クーデターが再び起きた。クーデターによりオランダは再び援助を停止。ジャンカルは退陣した。
- 1991年総選挙でフェネティアン大統領選出。アメリカとオランダとの関係を回復。
- 1992年、オランダによる人道的援助再開。ボーターセ軍司令官辞任。
エコツーリズムが発達し、2000年に中部スリナム自然保護区がユネスコの世界遺産となった。
[編集] 政治
詳細は「スリナムの政治」を参照
1980年2月25日、クーデターが発生した。軍が実権を握り、軍が任命した大統領が就任した。1981年11月の総選挙で軍政は崩壊し、野党の連合政権が登場したが、1990年12月にまた軍のクーデターが起こり、再び倒された。 スリナムの政治は、1987年制定の憲法によっている。立法府は一院制の議会で構成されており、定数は51名。5年ごとに改選される。
議会の3分の2以上の賛成によって選出された大統領が、行政府を取り仕切る。大統領の任期は5年。投票がそれに満たない場合は、議会と地方代表から構成される340名の国民議会の投票によって選出される。
[編集] 軍事
詳細は「スリナムの軍事」を参照
2009年時点で総員2,200人の規模を有する。
1975年の独立でオランダ軍部隊から独立し、1980年にはクーデターを引き起こす。民政移管後は政軍関係の再構築をアメリカ合衆国の援助下で行っている。
[編集] 地方行政区分
詳細は「スリナムの行政区画」を参照
スリナムは10の地方(District)に分かれ、地方はさらに62のresortに分かれる。
- ブロコポンド (Brokopondo)
- コメウィネ (Commewijne)
- コロニー (Coronie)
- マロウィネ (Marowijne)
- ニッケリエ (Nickerie)
- パラ (Para)
- パラマリボ (Paramaribo)
- サラマッカ (Saramacca)
- シパリウィニ (Sipaliwini)
- ワニカ (Wanica)
[編集] 地理
詳細は「スリナムの地理」を参照
スリナムは南アメリカ最小の独立国である。国土の大部分はギアナ高地に位置し、二つの主要部に区分される。北部の沿岸低地地方(おおよそアルビナ-パラナム-ワゲニンゲンのライン)は文化的であり、人口の大部分はこの地域に居住している。南部は熱帯雨林からなり、ブラジル国境周辺のサバナにはまばらに人が居住している。南部は国土の約80%を占める。
スリナムには二つの主要な山脈、即ちバクウイス山脈とヴァン・アスチ・ヴァン・エイック山脈が走る。国内の山では海抜1,286mのジュリアナトップ山が最も高い。その他の山としてはタフェルベルグ山(1,026m)、カシカシマ山(718m)、ゴリアスベルグ山(358m)、ヴォルツベルグ山(240m)など。
国土が赤道直下に近いスリナムは熱帯気候であり、気温は年間を通して変化しない。4月から8月までと、11月から2月まで、一年に二回の雨季がある。また、乾季も8月から11月までと、2月から4月までの二回ある。
国の北東部にはBrokopond湖があり、これは世界で最も大きなダム湖の内の一つ。1964年にアフォバッカダムとしてボーキサイト産業(使用量の75%を占める)と国内消費に水力発電を供給するために建設された。
コペナメ川の上流の中部スリナム自然保護区は、手付かずの熱帯雨林と多様な生態系のためにユネスコの世界遺産となっている。スリナムには多くの国立公園がある。沿岸部にはGalibi National Reserve、Coppename Manding国立公園、Wia Wia NR が、中央部には Brownsberg NR, Raleighvallen/Voltzeberg NR, Tafelberg NR 、Eilerts de Haan NPが、ブラジル国境地帯にはSipaliwani NR がある。 国立公園と湖を合計すると国土の12%を占める。
[編集] 経済
詳細は「スリナムの経済」を参照
カリブ共同体、南米共同体に加盟している。
豊かなボーキサイトや木材資源に恵まれている。スリナムの経済はボーキサイトに大きく依存しており、GDPの15%、輸出額の70%を占めている。農業は砂糖、米、バナナ、柑橘類などで、漁業ではエビが欧州や日本に輸出されている。近年は石油資源[2] や金[3]も期待されている。
国民の1/4が農業セクターに従事している。スリナムの経済は他国に強く依存しており、主な貿易相手国はオランダ、アメリカ合衆国、カリブ海諸国である。
[編集] 鉱業
スリナム経済は強く鉱業に依存している。総輸出額に占める鉱物資源の割合は2000年時点で8割に達した。輸出の上位4品目はボーキサイトを精製したアルミナ (62.1%)、金 (11.4%)、魚介類、原油 (4.3%)である。
2007年時点の採掘量は、ボーキサイト(500万トン)、アルミナ(220万トン)、金 (11トン)、原油(日量15千バレル)。
[編集] 交通
道路網は沿岸部とその隣接地に向かって東西に伸びている。南北を結ぶおもな手段は川である。内陸部へは水路または空路により結ばれている。空路はヨハン・ペンヘル国際空港(ザンデリー国際空港)から利用され、ガイアナ・仏領ギアナ両国との間はフェリーによって結ばれている。
自動車の通行区分は、日本と同じ左側通行である。
[編集] 国民
詳細は「スリナムの国民」を参照
民族は、インド系(印僑)が27%、スリナム・クレオール(白人と黒人の混血)17%、マルーン系15%、インドネシア系(ジャワ人が多い)15%、混血12%、先住民(インディオ)、華人、白人、その他と続く。 マルーン系は内陸に逃れたアフリカ系奴隷の子孫で、奴隷制廃止まで北部都市に生活した同じアフリカ系のクレオール政権に対して、1986年から1992年まで反乱を起こし戦った。
国民の約90%がパラマリボか沿岸部に居住している。スリナムの人口はオランダにとっても重要である。2005年には328,300人がオランダに居住しており、これはオランダの人口の約2%を占める(スリナムの人口は438,144人である)。
言語は、公用語がオランダ語だが、クレオールが使うタキタキ語とも呼ばれるスリナム語(Sranang Tongo)が共通語として使われる。また、英語や ジャワ語やヒンディ語など、それぞれの民族はしばしば自分達が元々使っていた言語を使っており、ポルトガル語やスペイン語を話すコミュニティもある。
宗教は、ローマ・カトリックとプロテスタントのキリスト教が40%、ヒンドゥー教20%、イスラム教が14%、不明16%、その他10%となっている。
[編集] 文化
詳細は「スリナムの文化」を参照
オランダ東インド会社の政策により多種多様な民族がスリナムに流入し、現在のスリナムの文化はそのような多様で複雑な文化的影響を下敷きにして育まれている。
[編集] 世界遺産
スリナム国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が1件、自然遺産が1件ある。詳細は、スリナムの世界遺産を参照。
|
中部スリナム自然保護区 - (2000年、自然遺産) |
パラマリボ市街歴史地区 - (2002年、文化遺産) |
[編集] 脚注
- ^ い ろ は に IMF Data and Statistics 2009年7月19日閲覧([1])
- ^ (英語) Rigzone Staatsolie Launches Tender for 3 Offshore Blocks
- ^ (英語) Cambior Development of the Gross Rosebel Mine in Suriname
[編集] 参考文献
- 増田義郎(編)『新版世界各国史26 ラテンアメリカ史II』山川出版社 2000 (ISBN 4-634-41560-7)
[編集] 関連項目
- スリナム関係記事の一覧
- スリナム海軍艦艇一覧
[編集] 外部リンク
- 政府
- スリナム共和国大統領府 (オランダ語)
- 日本政府
- 日本外務省 - スリナム (日本語)
- 在トリニダード・トバゴ日本国大使館 - 在スリナム大使館を兼轄 (日本語)
- 観光
|
|||||||
|
|||||
|
||||||||||||||||||||
ace:Surinamepnb:سورینام
最終更新 2009年11月1日 (日) 03:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【スリナム】変更履歴








