スロバキア

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スロバキア共和国
Slovenská Republika
スロバキアの国旗 スロバキアの国章
国旗 国章
国の標語 : なし
国歌 : 稲妻がタトラの上を走り去り
スロバキアの位置
公用語 スロバキア語
首都 ブラチスラヴァ
最大の都市 ブラチスラヴァ
政府
大統領 イヴァン・ガシュパロヴィッチ
首相 ロベルト・フィツォ
面積
総計 48,845km²126位
水面積率 0.1%
人口
総計(2008年 5,406,000人(106位
人口密度 111人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 673億[1]ユーロ (€)
GDPMER
合計(2008年 954億[1]ドル(59位
GDPPPP
合計(2008年 1,192億[1]ドル(58位
1人当り 22,040[1]ドル
独立
 - 日付
チェコスロバキア解体
1993年1月1日
通貨 ユーロ (€)(EUR
時間帯 UTC +1(DST: +2)
ISO 3166-1 SK / SVK
ccTLD .sk
国際電話番号 421 1
註1 : 1997年までは、チェコと共に42

スロバキア共和国、通称スロバキアは、中央ヨーロッパ。首都はブラチスラヴァ。北西にチェコ、北にポーランド、東にウクライナ、南にハンガリー、南西にオーストリアと隣接する。

古代にはサモ王国・モラヴィア王国として独立を保った期間もあったが、この地のスラブ人は1000年間少数民族としてハンガリー王国の支配下にあって、ハンガリーにとっても歴史的に重要な地域であり、多くのハンガリー人の出身地、ハンガリー貴族の発祥地でもある(元来スラブ系で、ハンガリー文化に同化した者も多い)。

第一次世界大戦オーストリア・ハンガリー帝国からチェコと合併するかたちで独立し、その後幾らかの変遷を経て、1993年1月1日にチェコスロバキアから分離独立し現在に至る。

目次

[編集] 国名

正式名称はスロバキア語で Slovenská Republika。通称 Slovensko(スロヴェンスコ)。

日本語の表記はスロバキア共和国。通称スロバキア

スロバキアの語源はスラヴ (Slav) であり、これはスロベニアと同じである。そのため似たような国名になっている。

[編集] 歴史

[編集] 古代

ケルト人が先住民であるが、1世紀ごろゲルマン人が、この地を支配した。5~6世紀ごろにスラブ人が移住して来、9世紀には、大モラヴィア帝国を創り上げた。

[編集] 大モラヴィア王国

9世紀に現在のスロバキア、モラヴィアボヘミアシレジア地方に大モラヴィア王国が成立。スロバキアでは大モラヴィア王国がスロバキア人による王国であると主張する者もいるが、歴史学的には証明できる事実ではない。又この地域のスラブ人が現在のように簡単にチェコ人スロバキア人などと言うように分類できない面があった。

[編集] ハンガリー王国

10世紀になるとマジャル人の侵入を受け、ハンガリー王国が成立すると、この地域は北部ハンガリーと呼ばれ、ハンガリーの一地域として扱われるようになる。ただしハンガリーに比べてスラヴ人の多い地域であった。更にオスマン帝国がハンガリーに侵入するとプラチスラヴァ(ポジョニー)にハンガリー王国の首都が移され、ハンガリーにとっても北部ハンガリーは重要な地域と見なされるようになった。この首都移転は北部ハンガリーの人口バランスを狂わせるもので、増加したマジャル人に対して北部ハンガリーのスラヴ人の反感は高まった。19世紀の中ごろに周辺のスラヴ人が民族主義の流れからクロアチア人(クロアチアのスラヴ人から)、ボヘミア人(ボヘミアのスラヴ人から)と呼び名を変えて行く中で北部ハンガリーでは自らの地域・北部ハンガリー地域のスラブ語に転化したスロバキアと名づけ、自らをスロバキア人、自分達が話す言語をスロバキア語であると主張するようになった。またこの頃、勢力の大きいマジャル人に対して、チェコ人(チェック人)とスロバキア人の連合が主張され始めるようになった。

[編集] チェコスロバキア独立

詳細は「チェコスロバキア」を参照

オーストリア・ハンガリー二重帝国体制下においてはチェコ、スロバキアは共に連邦国家構想を支持していたが第一次世界大戦の終了と共にオーストリア・ハンガリー帝国は崩壊。1918年、独立運動の指導者トマーシュ・マサリクは、チェコスロバキアは民族自決の対象となる単一のチェコスロバキア人国家として独立を宣言した。更にハンガリーに侵入して北部ハンガリーのほとんどの地域をハンガリーから収奪した。これが現在のスロバキア国家の基本的な領土となっている。しかしこの行動はハンガリー等で領土回復運動が高まるきっかけとなった。

[編集] 独立スロバキア(1939年-1945年)

詳細は「独立スロバキア」を参照

[編集] 共産党体制下のチェコスロバキア(1945年-1989年)

詳細は「チェコスロバキア」を参照

[編集] 民主化から連邦解体へ(1989年-1992年)

[編集] スロバキア共和国(1993年-)

スロバキアは2004年、EU加盟国となった。

[編集] 政治

1992年に採択され、翌年1月の独立とともに発効した新憲法は、スロバキアを議会制民主主義国家と規定している。国家元首は任期5年の大統領で、現在イヴァン・ガシュパロヴィッチが務める。当初は議会により選出されていたが、1999年に直接選挙による選出となった。首相は大統領によって任命され、現在ロベルト・フィツォが務めている。立法府であるスロバキア共和国国民議会は任期4年、定数150の一院制

2009年3月21日、任期満了に伴う大統領選挙が行われた。翌日までの開票結果では、現職で与党候補のガシュパロヴィッチが最高得票率 (46.70%) を得たものの過半数に届かず、得票率 38.05% で2位となった野党候補の元労働・社会問題・家庭相イヴェタ・ラディツォヴァーとのあいだで4月4日に決選投票が行われた。開票の結果、ガシュパロヴィッチが得票率 55.53% で、同 44.47% だったラディツォヴァーを破って再選された。

18歳以上の男性に兵役義務があったが、2006年から募集制へと移行した。

[編集] 地方行政区分

詳細は「スロバキアの地方行政区画」を参照

図中の番号は本文の括弧内のものと対応する。

スロヴァキアには8つの州 (Kraj) が設けられている。

東部 
コシツェ (8) 、プレショフ (7)
中部 
バンスカー・ビストリツァ (6) 、ジリナ (5)
西部 
ブラチスラヴァ (1) 、トルナヴァ (2) 、ニトラ (4) 、トレンチーン (3)

[編集] 主要都市

都市 人口(2005)
1 ブラチスラヴァ ブラチスラヴァ州 426,091
2 コシツェ コシツェ州 234,596
3 プレショフ プレショフ州 91,650
4 ジリナ ジリナ州 85,477
5 ニトラ ニトラ州 84,800
6 バンスカー・ビストリツァ バンスカー・ビストリツァ州 81,281
7 トルナヴァ トルナヴァ州 68,292
8 マルチン ジリナ州 59,257
9 トレンチーン トレンチーン州 56,750
10 ポプラト プレショフ州 55,158

[編集] 地理

スロバキアの地形図

[編集] 気候

スロバキアの国土は東西400km、南北200kmという比較的小規模なものである。しかしながら、国土面積に比べて気候は変化に富んでいる。基調となっているのは大陸性気候である。首都ブラチスラヴァの位置する西部はケッペンの気候区分でいう西岸海洋性気候 (Cfb) 、中央部は温暖湿潤気候 (Cfa) 、東部は湿潤大陸性気候 (Dfb) である。ブラチスラヴァの平均気温は-0.7度(1月)、19.1度(7月)。年平均降水量は649mmである。高度が上がるほど雨量が増し、中央北部のタトラ山地では2000mmに達する。

このような気候を受け、国土の1/3が森林であるほか、ステップ性の草原も残っている。

[編集] 経済

工業国のチェコに比べ、スロバキアは昔から農業国だったが、最近ではフランスPSA・プジョーシトロエン韓国起亜自動車が工場を設立している。2009年1月1日に通貨をスロバキア・コルナからユーロに切り替えた。

[編集] 鉱業

スロバキアはマグネシウムを中心とした無機鉱物資源に恵まれている。マグネシウムの産出量は2002年時点で世界第7位、シェア4.5%の50万トン。鉄鉱、金鉱も採掘されている。有機鉱物資源は342万トンの亜炭・褐炭が中心である。ただし、原油の産出量は4.6万トンに留まる。

[編集] 国民

言語はスロバキア語が公用語である。また、一部でハンガリー語も使われている。

[編集] 住民

2001年の国勢調査による民族構成は、スロバキア人が85.8%、マジャル人が9.7%、ロマが1.7%、チェック人が0.8%である。この他に、チェック人ではなくモラヴィア人、シレジア人としてのメンタリティを持っているもの、ルテニア人ウクライナ人ドイツ人ポーランド人クロアチア人がいるがその総数は凡そ2%である。

現代のスロバキアは比較的スロバキア人均一性が高い国民国家としての性格を有している。ただし現在のような民族構成がほぼ固まったのは第二次世界大戦以降である。スロバキアは歴史的経緯から、マジャール人、ドイツ人(ドイツ植民)、ルテニア人(ハンガリー王国に流れ込んだウクライナ人)、ロマ(ジプシー)も多く、入り組んで住んでいた。さらにはユダヤ人コミュニティーも多かった。スロバキアのすべての町村にスロバキア語以外にハンガリー語の名があり、また多くの町がドイツ語の名前を持っているのはこのためである。

マジャル人が多いのは、かつてスロバキアが北部ハンガリーとしてハンガリー王国の領域に完全に組み込まれていたためである。スロバキア人は元来山岳民族であり、特にハンガリー平原に連続する南部平地部の住民はほとんど全てハンガリー系住民であった。又ドイツ人については、その移住の時期・理由(植民、鉱山労働、宗教的迫害など)は様々である。1919年サン=ジェルマン条約オーストリア・ハンガリー帝国が、1920年のトリアノン条約ハンガリー王国の解体が行われ(この解体に反対するものも多かった : →ドナウ連邦構想)、汎スラヴ主義に荷担したスロバキア人はかつての「ハンガリー王国による圧政」への報復として、ハンガリー人・ドイツ人の居住地を大きく抉り取り、チェコと合併した形で独立を果たした。この過程でマジャル人とドイツ人の一部がスロバキアから追い出されている。以降マジャル人に関してはその後も一定数の数を占め、現在でもスロバキアにおいて最も多いマイノリティとなっている。ドイツ人については最終的に第二次大戦後にそのほとんどが強制的に追放された。ユダヤ人については他の中東欧諸国と同じように、第二次大戦を境にしてコミュニティのほぼ全てが消滅した。

[編集] 宗教

2004年の調査によるとカトリックが最も多く60.3%を占める。次いで宗教的メンタリティを持たないものが9.7%、プロテスタントが8.4%、ギリシャ・カトリックが4.1%、東方正教会が4.1%等である。

[編集] 文化

[編集] 世界遺産

[編集] 祝祭日

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日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日
スロバキア共和国成立記念日
Novy rok;Den vzniku Slovenskej republiky 1993年1月1日のチェコスロバキアの分離後のスロバキア共和国の誕生を祝う
復活祭翌日 イースターマンデー velky piatok ,velkonocny pondelok 月曜日
5月1日 メーデー Sviatok prace
7月5日 キュリロスとメトディオスのスラヴ語布教の記念日 Den slovanskych vierovestcov Cyrila a Metoda キュリロスメトディオスキリスト教キリル文字をもたらしたことを記念する
8月19日 vyrocie Slovenskeho narodneho povstania
9月1日 憲法記念日 Den Ustavy Slovenskej republiky
9月15日 Sedembolestna Panna Maria
11月1日 Sviatok vsetkych svatych
12月24日 クリスマスイヴ Stedry den
12月25日,26日 クリスマス sviatok vianocny

[編集] 脚注

  1. ^ IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ


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最終更新 2009年12月5日 (土) 03:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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