スーパーカー

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スーパーカーとは、スポーツカーGTカーの一つのジャンルである。 アメリカ、および欧州ではSuper car、あるいはExotic car'(エキゾチックカー)とも呼ばれる。元々はイギリスのAPフィルムズ製作のパペットドラマ「スーパーカー」に由来する。

目次

[編集] 概要

スーパーカー一覧」も参照

スーパーカーはスポーツカー、またはGTカーの一種であると言える。一般的には、「かなり風変わり(な外観)で珍しく、同時代のスポーツカーと比較して極端に性能が優れるもの」を指す場合が多い[1]。走行性能やスタイルなどにより一般のスポーツカーと差別化されているが、「スーパーカー」という言葉の広まりにつれ、定義は非常に曖昧になり、専門家やエンスージアストなどの間でも議論がある。

また、時代によってもその概念が変化し、機構や装備、動力性能などは、ある時点では「スーパー」であっても、技術革新により、後の世代では「スーパー」ではなくなる場合もある。スーパーカーと非スーパーカーの区別が明確にある訳ではなく、また、メーカー自身がスーパーカーを自称する事も稀であり[2]、もっぱら消費者側の視点に立った呼称である。したがって「スーパーカー」という言葉は、印象と存在感が極めて大きい車を好意的に指していると解するのが妥当だろう。その点、「エキゾチックカー」という呼称は、数字では表せない、時間がたっても色褪せない、独自の「オーラ」を持つ車両の表現に適している。

普遍的な定義ではないが、1960年代後半-1980年代のFRからMRの過渡期にあった量産ハイパワースポーツカーもしくはGTカーの一群を指す事が多い[要出典]。 この頃は、レーシングカーと一般のスポーツカーの領域が明確に分かれ始めた時期である。レーシングカーの技術をそのまま量産車に適応出来た最後の時期だったと言われる。この時期以降のレーシングカーは、競技フィールドに特化した技術の集大成となり、量産車への適応が困難となっていった。スーパーカーは、レーシングカーの技術を表面的に量産車に応用し特徴のある外観を与えた夢のある時代の産物であるとも言える。

ただし、スーパーカーと呼ばれるものの全てがレーシングカーの技術を利用しているとは限らず、悪く言えば「見かけ倒し」的なものもあった。それでもそういったものがスーパーカーと呼ばれる理由はその外観にある。高性能であるだけではスーパーカーの部類には当てはまらず、スーパーカーと呼ばれるものは一般の乗用車とは異なる誰もが一目でスーパーカーとわかる、いかにも速そうな外観を持つことが最大の特徴とも言える。特に「ミッドシップレイアウト」や「ガルウイングドア」がそれを端的に表している。また、クーペスタイルもスーパーカーとしての要素ではない訳ではない。

スーパーカーのほとんどは、メーカーのフラッグシップとしてイメージリーダ的な役割を負い、その時代の最新技術が惜しみなく投入されている。エクステリア、インテリアともに、時代を先取りしたスタイリングがなされ、マルチシリンダーエンジンを擁した、贅沢な[3]2座席であることが多かった。

これらはすべて、大量生産にはそぐわないものであり、量産スポーツカーに比べ、生産台数は極端に少なく、多いものでも数万台、少ない場合には数台程度のものもある。また手作りのため、非常に高額となる。

フェラーリランボルギーニなどの典型的なスーパーカー・メーカーは、スーパーカー専業である場合が多いため、上記のような定義には疑問の声もある。大量生産される大衆乗用車と少量生産のスーパーカーを両方製造し、スーパーカーが大衆車のイメージリーダーになっている例は、M1を製造したBMW[4]など、かなり限られる。フォード・GT40の場合はスーパーカーというよりは、コンペティションカーとの認識が一般的である。

ホンダもその少数例と言われることもあるが、フラッグシップカーであるNSXは高額とはいえ、あくまでマスプロダクトカーであるため、ホンダ自体の考えとしては、希少性へのこだわりは低かったと見られている。貴族階級や億万長者(もちろん成金も)など、選ばれたごく少数の人のための特別な車であるスーパーカーは、希少性も非常に重要な価値である。

このようにスーパーカーは究極の走行性能やデザイン、そして究極なる存在を追い求めているが、その反面、大衆車に求められるような乗りやすさ、実用性、経済性、整備性、耐久性といった要素は考慮されていない場合がある。

車種にもよるが、前述の低車高と傾斜のきついフロントガラスによる視界の悪さ、低回転のトルクに欠けるエンジン、高温にならないと効きの悪いブレーキ、マニュアル車では重く癖の強いクラッチ、多気筒エンジンでは始動性の悪さ(徳大寺有恒も著書で「フェラーリの12気筒エンジンは始動にコツがいる」と語っている)、居住性の問題として雨漏り(そもそもルーフやフロントガラスさえ無い車種もある)や静粛性の悪さ、エアコンやオーディオの不装備などがある。また、カーボンやチタンなど加工の難しい素材をふんだんに使っているため、ちょっとした事故による破損でも修理不能で廃車になってしまう(俳優ローワン・アトキンソンが所有していたマクラーレン・F1など)ことすらある。修理できたとしても大衆車のように部品はすぐ調達できず、驚くほどの日数と費用がかかる場合も多い。

[編集] 購買層

スーパーカーは、階級制度によって育まれてきたヨーロッパの産物のひとつでもある。金に糸目を付けず特別なものを欲しがる上流階級と、そういった需要に応え手間暇をかけて一品製作に近い形で高級品を製作する職人集団という構図が古くからあり、スーパーカーに限らず特殊なものが生み出されてきた。現代においては、ヨーロッパの階級制度以上に、オイルマネーを牛耳るアラブ富裕層なども大きな顧客層となっており、世界中に目を向ければ、珍しいものを欲しがる金持ちは相当数いるため、商売の対象はそれなりにある。自動車評論家清水草一の「フェラーリがローンで買えるのは日本だけ」という言葉には、日本の国情とスーパーカーのなじみ方がよく表されている。

少量生産ゆえ、状態が良好で走行距離も少なければ価値が下がりにくいという面もあり、と同様に安定資産と見る向きがある。最近では日本円にして1億円超という限定生産車が発売され、すぐに完売するという現象が続いているが、購入目的の多くは走る為ではなく、プレミアが付くことを目論んだ投機だという意見もある。

[編集] 経営

スーパーカーのような超高級車はごく少数の顧客に向けて少量だけ製作されるため、メーカーの経営は常に不安定になりやすい。世界の政治経済民主化が進み、大衆車の大量生産が自動車ビジネスの主流となった第2次世界大戦後は特にその傾向が強く、馬車時代からの多くの名門コーチビルダーブランドが存続の危機に立たされ、実際に消えて行った。その後もイタリアフェラーリが、1970年代に同国随一の大衆車メーカーであるフィアットの傘下に入り、最古のスーパーカーメーカーと言えるマセラティは、様々なオーナーの下を移った挙句に、フェラーリの傘下に入って再生を遂げ、現在はフィアットの直轄となっている。ランボルギーニフォルクスワーゲンアウディ傘下に組み入れられ、さらにブガッティもフォルクスワーゲン傘下となった。

名門スーパーカーメーカーの名前が途絶えず、より大規模な量産車メーカーによって買収され、ブランドのみが維持される理由は、ブランドにそれだけの価値があるからである。販売数量に波のあるスーパーカーの経営に対して、大量生産販売で生まれた利潤を還元させることにより経営は平準化ができる一方、量産メーカーは経営の一環としてカタログに花を添えるようにブランドを掲げられる上、大量生産ではなしえない経営層の夢をスーパーカーブランドにより実現させることができる。

また、イギリスノーブルなど新たにスーパーカーとして名乗りを上げるメーカーや、オランダスパイカー・カーズのようにかつての高級車ブランドを利用してスーパーカーの製造を行うメーカーも現れている。


[編集] 日本のメーカーによるスポーツカー

ホンダ NSX
光岡 大蛇(オロチ)

和製スーパーカーは自動車・二輪車メーカーやレーシングカーコンストラクターから様々な物が企画されたが、市販に至った車は多くはない。1960年代にはトヨタ・2000GTが僅かながら生産されたが、メーカーにとってはほとんど赤字であった。1970年代には童夢-零、バブル期には日産・MID4ジオット・キャスピタヤマハ・OX99-11、1990年代後半から2000年代ではトムス・エンジェルやASL・ガライヤが市販を目指したが、販売されることはなかった。近年市販化に至った例としては、東京R&Dがイギリスのヴィーマック社とコラボレートし共同で開発された「VEMAC」や、NSXが生産停止となり日本の自動車メーカーの現行スポーツカーが費えた時に生まれた「光岡・大蛇」が挙げられる。後者は近年注目を集めており、第1回あなたが選ぶカー・オブ・ザ・イヤー(C.C.C.)のスポーツカー部門では、圧倒的な得票数で1位に輝いている。

[編集] 1970年代の日本におけるスーパーカーブーム

日本では、かつて1974年から1978年にかけて、池沢さとしの漫画「サーキットの狼」などの影響で、スーパーカーの爆発的なブームが起きた。 スーパーカーは一般大衆には入手が困難なことから、特に自動車が好きな人達から見ると羨望の的となった。 当時のブームにおいて知名度を得たスーパーカー群は、21世紀初頭の現在でも根強い人気がある。

このブーム当時の日本では、車の購買層ではない低年齢層へのプロモーションとして、コカ・コーラファンタ等の清涼飲料水の王冠に車が描かれていたり、カード型の書籍が発売されたり、スーパーカー消しゴムと呼ばれる塩化ビニール製のミニチュアが売られたりした。また日本の各地においてスーパーカーの展示会が行われた。並行する形でF1ブームも巻き起こった。

テレビでもブームにあてこんだ番組が製作された。スーパーカーに関するクイズ番組『対決!スーパーカークイズ』(東京12チャンネル=現テレビ東京系列)の他、テレビアニメでは1976年の『マシンハヤブサ』を先駆けとして、1977年になると『とびだせ!マシーン飛竜』『超スーパーカー ガッタイガー』『激走!ルーベンカイザー』『アローエンブレム グランプリの鷹』が放映された。これらはスーパーカーブームとF1ブームの相乗効果だったと見られる。今も、最盛期に比べると劣るが、車の人気は根強い。

プームは異常な加熱を見せた。1977年春に東京晴海で行われた「サンスター・スーパーカー・コレクション77」などのスーパーカーショーでは、スーパーカーの写真撮影をしたいと高級カメラを持った少年たちが長蛇の列を作り、新聞などの一般マスコミで社会現象として大きく取り上げられた。同年7月には同じく晴海で「ラ・カロッツェリア・イタリアーナ'77」というイベントが開催されている。

一般的な自動車雑誌もこぞってスーパーカー特集を組み、関連した書籍や写真集に加え、スーパーカーの排気音だけを収録したレコードも登場した。街にスーパーカーが停まっていると人だかりができ、通行に支障が出るほどだった。少年たちから「ライト出して!」などと促され、運転しているオーナーが苦笑しながらリトラクタブルライトを作動させたり、少年たちが写真撮影を終えるまで停車して待ってやったり、という場面も見受けられた。またスーパーカーのエンブレムを窃盗するなど、悪質な行為を行うマニアも現れた。1978年には鈴鹿サーキットでスーパーカーレースの選手権まで開かれるようになった。参考リンク

スーパーカーの代表的な存在として君臨したのがランボルギーニ・カウンタックだった。その他にもフェラーリ・512BBポルシェ・ターボなどが特に人気のあった車種である。スーパーカー人気が新たな需要も生み出し、この時期の日本には異常なほど多数の欧米製スーパーカーが輸入されたと言われる。正規代理店以外に並行輸入業者も多数生まれた。世界中のどの国よりも路上でスーパーカーを多く見かけるのが日本、という説もあったほどだ。

ブームは1978年ごろには沈静化し、カメラ少年たちの興味はブルートレインなどに向かったと言われる。

ブーム当時、512BBを所有するゴルフ選手のジャンボ尾崎が、愛車の炎上事故に遭遇するという事があった。これは車自体の故障によるものと言われているが、レーサーの生沢徹が「ああいう車は乗るものではなく飾るもの、乗る方が悪い」という趣旨のコメントを残している。生沢のコメントは、ある意味でスーパーカーというものの本質を突いているという見方もある[誰?]

紙切り芸の林家正楽(2代目)が「徹子の部屋」に出演した際、これまで苦労したことは何かと聞かれて「スーパーカーブームの頃は大変だった。寄席に来た子供さんからスーパーカーを切ってくれというリクエストが多く、スーパーカーの名前と形を必死になって覚える必要があったから」と答えたことがある。

[編集] バブル期の日本におけるスーパーカーブームとその終焉

1970年代のスーパーカーブームから10年ほどたった1980年代末、日本は空前のバブル景気に突入する。バブルで大金を手にした層がスーパーカーに食指を伸ばしたため、この時期の日本も一種のスーパーカーブームだったと言える。東京都心などではポルシェは日常の光景の一部で、フェラーリでさえ特に珍しい存在ではなかった。フェラーリ・F40ポルシェ・959など、億単位の価格のスーパーカーが多数輸入され、さらにプレミア価格で転売されるなど、異常な状況が続いた。

こうしたブームも、バブルが崩壊した1990年代に入ると、一気に冷えていく。さらに近年の株バブルとも言えるアメリカの好景気、欧州のポンド高、ユーロ高、中国東南アジア各国の経済急成長などにより、日本に大量に輸入されたスーパーカーの海外への流出が依然として続いている。つまり今や日本は、上質なスーパーカーが、結果的に世界一安価に入手できる状況と言える。

一方の背景として、これら「スーパーカー」は高速性能が売りの一つだったが、80年代、90年代をへて最高潮に達した日本のハイエンドスポーツカーとのその差が、出力などの分野ではほとんどなくなったということもある。日産・スカイラインGT-Rやトヨタ・スープラマツダ・RX-7ホンダ・NSXなどは国内でこそ自主規制により出力を抑えられていたが、その本来のパワーは海外のスーパーカーに匹敵するほど高い。

[編集] 新たな日本製スーパーカー

21世紀に入り日本人の自動車への趣向は、コンパクトカーブーム・ミニバンブームなど実用化に向かう中で、日本のスーパーカーはもちろん、スポーツカーも販売減が顕著になる。スカイラインGT-RやNSXの生産中止、マツダ・ロードスターホンダ・S2000などの販売減が例として挙げられる。日本におけるスーパーカーの需要はフェラーリポルシェアルファロメオシボレーなどの輸入車勢によって席巻されるかと思われた。

しかし、三菱ランサーエボリューションスバル インプレッサWRXなど、WRC参加競技車ベース用のハイパワー4WD車のブームによって市場は支えられ、オンロードスポーツが日本車市場から一掃されてしまうという事態は避けられた。

2007年にはスカイラインGT-Rの後継として日産・GT-Rが発売され、日本の新たなスポーツカーとして注目されている。また、トヨタもレクサスブランドとしてV10エンジンを搭載したレクサス・LF-Aの開発を進めている。しかし2007年後半以降の景気後退の影響で、ホンダ・NSXの後継車の開発が中止されるなど、新たなスーパーカーの登場には逆風が吹いている状況にある。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

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  1. ^ 高級、高額、高出力であっても、セダンリムジンがこう呼ばれることはまず無い。
  2. ^ 日産・GT-Rの車両紹介には「スーパーカー」の記述があるが、全天候下で安全で速い(そして、快適で楽しい)ことをうたっていることから、華やかだが御しがたい「エキゾチックカー」に対するアンチテーゼ(一種のヒニク)として用いられている節がある。
  3. ^ 多くがエンジンの存在を際立たせるパッケージングで、ラゲッジスペース等は無いに等しい
  4. ^ 当初は、エンジンのみを供給し、設計と生産をランボルギーニへ丸投げする予定であった。

最終更新 2009年11月16日 (月) 06:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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