スーパークイズスペシャル
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| 4時間クイズスーパースペシャル ↓ スーパークイズスペシャル |
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|---|---|
| ジャンル | バラエティ・クイズ |
| 放送時間 | 毎年春と秋の 1990年春~1991年春 水曜日19:00~20:54(2時間) 1991年秋~1993年春 水曜日19:00~22:46(4時間) 1993年秋 水曜日19:00~22:48(4時間) 1994年春~1995年春 水曜日19:00~22:54(4時間) 1995年秋 木曜日19:00~22:54(4時間) 1996年春 木曜日19:00~22:24(3時間30分) 1996年秋~1997年春 木曜日19:00~21:54(3時間) 1997年秋~1999年春 木曜日19:00~21:24(2時間30分) 1999年秋 水曜日19:00~21:24(2時間30分) |
| 放送期間 | 1990年春~1999年秋(20回) |
| 放送国 | |
| 制作局 | 日本テレビ放送網 |
| プロデューサー | 渡辺弘 小杉善信他 |
| 出演者 | 歴代司会者 逸見政孝 (1990年春~1993年春) 渡辺正行 (1990年春~1996年春) 板東英二 (1991年秋~1999年秋) 木村優子(NTVアナウンサー) (1991年秋~1992年秋) 永井美奈子(NTVアナウンサー) (1993年春~1999年秋) ビートたけし (1991年秋~1994年春、 1995年春~1997年春、 1998年春) 所ジョージ 島田紳助 ウッチャンナンチャン ナインティナイン 楠田枝里子 久本雅美 福澤朗(NTVアナウンサー)他 |
スーパークイズスペシャルは、日本テレビ系列で毎年、春と秋の番組改編期に、1990年春から1999年秋に放送されていた、様々なタイプのクイズと主に各バラエティ番組のゲーム等を中心とした、日本テレビの各番組のレギュラー・司会者等が総出演したバラエティ番組の別称である。1991年秋から1996年秋までは『4時間クイズスーパースペシャル』または『クイズスーパースペシャル』と呼ばれていたが、『スーパースペシャル』と間違えやすいことから1997年春からこのタイトルに変更された。タイトルは『4月(10月・秋)は人気番組で』や『春(秋)は人気番組で!!』、そして『春(秋)は超人気番組大集合!!』である。
目次 |
[編集] 概要
- 1989年までは春・秋には『巨泉のワールドスタークイズ』、新春には『番組対抗歌合戦』(1975年、1978年)、『番組対抗かくし芸大会』(1979年~1984年)→『番組対抗スターお年玉大会』(1985年~1987年)を放送していた[1]。
- 1990年春~1991年春までは当時、日本テレビの看板クイズ番組であった『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』のクイズのみで構成された。その為、番組タイトルも『4月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』、『秋は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』等と題された[2]。1991年秋の放送以降は『SHOW by ショーバイ』に限らず様々な番組のクイズが出題された。この番組の特徴は、クイズ番組ではない番組からもその番組に因んだクイズも出題されるというところである[3]。番組タイトルも日本テレビの人気番組を継ぎ接ぎしたものとなった。
- 基本的にこの番組は『SHOW by ショーバイ』がメインの番組で、他の番組はサブ的な扱いだった。しかし、1995年から『SHOW by ショーバイ』自体の視聴率、人気が低迷してきた為、1995年春以降から他の番組と同等の扱いとなっていった。その様子が番組タイトルから読み取れる。また番組で出題されるクイズも同回から徐々に減少し、『SHOW by ショーバイ』が最後に参加した1996年春の放送では、『バラ珍』と合同の2択クイズとラストクイズの2つのみとなっていた。
- 総合司会は基本的に『SHOW by ショーバイ』の逸見政孝(1993年春まで)、渡辺正行(1996年春まで)、そして福澤朗(1994年春から)と『マジカル頭脳パワー!!』の板東英二(1991年秋から)、木村優子(1992年秋まで)、そして永井美奈子(1993年春から)等が務めた。以降はビートたけし、所ジョージ、島田紳助、笑福亭鶴瓶、そしてウッチャンナンチャン等の大物タレントも総合司会者に昇進している。
- 1996年9月25日に『SHOW by ショーバイ』は放送を終了したが、この番組タイトルで扱われている同番組のロゴマーク(ミリオンスロットの顔マーク、キャラクター(50萬と5萬))と得点単位(ショーバイマネー)の「萬」のみは1999年秋の最終回まで引き続き使用されていた。番組終了後、3年間も使用されていたということは、いかに『SHOW by ショーバイ』が重要視されていたかということであろう。また、『SHOW by ショーバイ』終了後にも「フリフリ早押しクイズ」等、『SHOW by ショーバイ』末期のクイズを番組名を言うことなく行った回があった。
- 前述の理由からか、一部の視聴者には『SHOW by ショーバイ』の番組ではないかとイメージされている。
- 末期(1997年春~1999年秋)は、番組からのクイズから番組独自のクイズが中心となり、個人のプライバシーに要する自分や他人の暴露をし、得点を競うクイズや代表者が体力を競うクイズも存在した。
- 『SHOW by ショーバイ』の後を受けて1995年秋以降に番組の中核を担っていた『マジカル頭脳パワー!!』も、1998年春以降から『SHOW by ショーバイ』同様に番組自体の視聴率、人気が徐々に低迷し始めた。当時、日本テレビには『マジカル』以外に人気のあったクイズ番組が存在せず、この『スーパークイズスペシャル』の内容も末期には独自のゲームやクイズが大半を占めていた。その為、1999年9月16日の『マジカル』の終了に合わせ[4]、1999年秋の放送が最後の放送となったのである。
- 放送日は1995年春までは『SHOW by ショーバイ』に合わせて水曜日であったが、1995年秋からは『マジカル』に合わせて木曜日に変更された[5]。
[編集] 番組タイトルの歴史
基本的に番組タイトルに入っている番組は、その放送回でクイズを出題している(但し『お笑いウルトラクイズ』や『EXテレビ』の様に、クイズを出題したが番組タイトルに入っていない番組も存在する。)。
当初はクイズ番組のみが番組タイトルに入っていたが、1994年秋以降はクイズ番組以外の番組も番組タイトルに入る様になり、更に1996年秋以降はクイズを出題していない番組も入る様になった。
- 1990年春『4月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』
- 1990年秋『秋は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』
- 1991年春『4月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』
- 1991年秋『10月は人気番組でSHOW by ショーバイ世界まる見えマジカルで笑ってヨロシク』
- 1992年春『4月は人気番組でSHOW by ショーバイ世界まる見えマジカルで笑ってヨロシク』
- 1992年秋『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!』
- 1993年春『春は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!』
- 1993年秋『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!』
- 1994年春『春は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシク』
- 1994年秋『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシク特ホウ王国!』
- 1995年春『春は人気番組で!!笑ってヨロシク世界まる見えマジカル頭脳で特ホウ王国!SHOW by ショーバイ!!』
- 1995年秋『秋は人気番組で!!マジカル頭脳まる見え特ホウ王国SHOWby笑ってヨロシク!バラ珍もヒッパレ!!』
- 1996年春『春は超人気番組大集合!!マジカル頭脳まる見え特ホウ王国ショーバイ笑ってヨロシクバラ珍ウリナリもヒッパレ!!』
- 1996年秋『秋は超人気番組大集合!!マジカル頭脳まる見え笑ってコラえてバラ珍特ホウ王国ウリナリもヒッパレ!!』
- 1997年春『春は超人気番組大集合!!マジカルまる見えバラ珍コラえて特ホウ特命おしゃれに大辞テンもヒッパレ!!』
- 1997年秋『秋は超人気番組大集合!!マジカルまる見えバラ珍コラえて200Xウリナリぐるぐる大辞テンもヒッパレ!!』
- 1998年春『春は超人気番組大集合マジカル特命まる見えバラ珍DASHコラえて大辞テンGyu!っとメレンゲぐるぐる快傑おしゃれにヒッパレ!!』
- 1998年秋『秋は超人気番組大集合!!特命まる見え大辞10バラ珍ウリナリGyu!ぐるナイマジカル御殿コラえて!おしゃれにメレンゲ龍DASHでヒッパレ!!』
- 1999年春『春は超人気番組大集合!!電波ウリナリまる見えぐるナイDASH御殿伊東家バラ珍マジカルGyu!メレンゲ大辞10特命笑って龍ヒッパレ』
- 1999年秋『秋は超人気番組大集合おもいッきりまる見え伊東家コラえて大辞10バラ珍マジでぐるナイ電波ピカイチDASHヒッパレ200X!!』
[編集] 司会者
- 1990年春~1991年春:逸見政孝、渡辺正行
- 1991年秋~1992年春:逸見、渡辺、板東英二、ビートたけし、所ジョージ、木村優子
- 1992年秋:逸見、渡辺、板東、たけし、所、木村、島田紳助
- 1993年春:逸見、渡辺、板東、たけし、所、島田、永井美奈子
- 1993年秋:板東、渡辺、たけし、所、島田、永井
- 1994年春:板東、渡辺、たけし、所、楠田枝里子、島田、永井、福澤朗
- 1994年秋:板東、渡辺、所、楠田、島田、笑福亭鶴瓶、ウッチャンナンチャン、永井、福澤
- 1995年春:板東、渡辺、所、島田、鶴瓶、ウンナン、久本雅美、永井、福澤
- 1995年秋:板東、渡辺、たけし、所、楠田、島田、鶴瓶、ウンナン、永井、福澤
- 1996年以降は、司会者及び番組タイトルになっている番組が乱立する。事実上、板東英二と福澤朗が総合司会者的役割を担い全体を纏めた。
[編集] 番組ルール
- 解答席は、『SHOW by ショーバイ』のミリオンスロットが設置されている1軍、その上段に2軍・3軍(1991年春までは3軍が無い)となっている。得点単位は『SHOW by ショーバイ』で使用しているショーバイマネーの「萬」である。
- オープニングで席決め早押しクイズに挑戦し、正解順によりこれらの席を決める。1軍席争奪は『SHOW by ショーバイ』から『何を作っているのでしょうか?』を始めとする早押しクイズを出題し、1991年秋~1994年秋の2軍席争奪は『マジカル』から『マジカルスキャナ』(1991年秋~1992年春)→『早押しエラーを探せ!』(1992年秋~)が出題される。1軍に関しては正解後に司会者席のミリオンスロットでショーバイマネーを獲得して正解順に着席する。2軍に関しては1992年秋までは前述の1軍の席決めと同様で、1993年春以降はエラーの難易度によって5萬から50萬のショーバイマネーを獲得し、1軍の顔ぶれを見て好きな色の座席に着席する。それでも席が決まらないチームは『3軍席決め抽選』(これは『SHOW by ショーバイ』のみで番組が放送されていた初期の頃の『2軍席決め抽選』から続行するルール)で席が決定する。
- 本戦は基本的にはクイズに正解すると1軍はミリオンスロットのショーバイマネーを獲得することが出来、2軍は一律10萬、3軍は一律5萬しか獲得出来ない(『SHOW by ショーバイ』のみで番組が放送されていた初期の頃は2軍には解答権が無く、1軍不正解を待つのみであった。1991年春から3回は自チームの前列の1軍チームが正解しているかを○×で予想する方式に、1992年秋以降は同上のルールに変更された。)。1軍が不正解すると2軍、3軍と入れ替わる。早押しクイズの場合に限り、1軍の出したミリオンスロットの金額が得点になり、正解すれば、3軍のチームでも一気に1軍へ進行した。また、ミリオンスロットは使用せず、予めショーバイマネーが定められているクイズや縦列連帯で行われるクイズも存在した[6]。
- 本戦ラストクイズで『SHOW by ショーバイ』から『いっつみいのウソつき4択』(1993年秋~1994年春は『ホンモノいくつ!?クイズ』)を出題し、正解チームは司会者席のミリオンスロットに挑戦出来る。この時点で上位数チーム[7]が決勝進出となる。1993年秋以降は敗者復活戦[8]を実施し、最後まで残った1チームも決勝に進出する。尚、復活したチームは、決勝進出したチームの一番低得点のチームと同額の得点からスタート出来る。決勝戦は全て早押しクイズで、『マジカル』から『エラーを探せ』(1992年秋~1994年春)、『世界まる見え』から『世界のCM早押しクイズ』、『SHOW by ショーバイ』から『何を作ってるんでしょうか?』を始めとする早押しクイズを出題される。『エラーを探せ』はエラーの難易度により5萬から100萬、それ以外は正解すると司会者席のミリオンスロットに挑戦することが出来る。優勝チームは、獲得したショーバイマネーと同額の純金が授与された。1992年秋までは準優勝チームは最終売り上げの半額分の純金を贈呈された[9]。また1994年春は香港旅行が贈呈されている。決勝に進出出来なかったチームは、優勝チームを予想し、応援していた。的中すれば、ゴールドバーが贈呈される様になっていた。1991年春までは優勝チームが獲得した金額の1割が贈呈されていた。
- 1992年春まで、優勝チーム決定後の余興として『SHOW by ショーバイ』の特製・時価100万円相当の「ゴールドプレート」争奪戦を実施していた。ルールは各チームが一回ミリオンスロットに挑戦し、最高額を出したチームに贈呈された。最高額チームが複数の場合は、勝ち抜き方式で1チーム決定までスロットを続行する。
- 1994年春からは、司会者席のミリオンスロットがスーパーミリオンスロットになり、25萬と200萬の出目が追加され、更に1994年秋からは、解答者席のミリオンスロットもスーパーミリオンスロットになり、25萬と100萬の出目が追加された[10]。
- 1995年春からは、予選・決勝のシステムが廃止された。司会者席のミリオンスロットも廃止され、解答席にのみミリオンスロットが設置されていた。スロット回転場面や席の入れ替わり、リアルタイムの得点発表(得点ボードの位置は席の正面でなく、解答席から見て右側の遠い位置に移された。その後、視聴者に現在の得点を見にくくする為か、デジタルの電光の色も白から赤に変更された)や40萬の横取り行為の場面を放送カット、若しくは使用しなくなった(1996年以降は、得点ボードを写すことは全く無かった。)。この回から『SHOW by ショーバイ』をメインとした内容では無くなり、クイズよりゲームコーナーの割合が多くなっていった。また、同じく1995年春からは、最後に全員参加で『スーパージャックポットクイズ』が行われた。これにピタリ正解すれば最下位のチームでも一気に優勝に立てるルールだった(尚、『SHOW by ショーバイ』終了後の1996年秋以降はそれに代わって『体重計ピタリ当てましょう』になり、美女3人+松村邦洋の合計体重を当てるというものだった。)。1995年秋からはミリオンスロットが廃止され、これにより、1軍・2軍・3軍が「上段・中段・下段」となって入れ替わりがなくなり、番組名の書かれている札は番組タイトルを固定するものへと変更した。この様に、この番組は1995年春の放送から内容が大幅に変更していくこととなるのである。
- チーム数は1990年春~1991年春までが10チーム、1991年秋~1992年春は12チーム、1992年秋~1993年春は15チーム、1993年秋~1999年春は18チーム(但し、1996年春は例外的に20チーム)、1999年秋は16チームだった。
- 初期のルールが次々と廃止される中、得点の単位(ショーバイマネー)である「萬」は1999年秋の番組最終回まで受け継がれていた。
- 1999年春と秋は一部の出場チームが放送中に変更されていた。出演者のスケジュールの多忙さが理由と思われるが、実際の理由は不明である(1999年春は『ザ!鉄腕!DASH!!』は『超K-1宣言!』に、1999年秋は『ザ!鉄腕!DASH!!』は『Girls×2』に、『サイコメトラーEIJI2』は『号外!爆笑大問題』に変更された。)。
[編集] 番組セット
- 一回休みのプレートについて
- 早押し音について
- 1992年春まで - 早押しクイズで比較的多く用いられる音。いわゆる「ピンポン」音。
- 1992年秋以降 - 特徴的な低い音。
- 早押しの御手付きについて
- 1992年秋まで - 一律して御手付きしたチームのみ一回休み。
- 1993年春 - 「アナウンサー早押しクイズ」2問目までは上記の通りだが、3問目と「スペシャルゲストクイズ」は御手付きしたチームの同色の3チームが一回休み。
- 1993年秋・1994年春 - 「アナウンサー早押しクイズ」までは御手付きしたチームの同色の3チームが一回休み。「スペシャルゲストクイズ」以降は御手付きしたチームの横一列の6チームが一回休み。
- 1994年秋 - 一律して御手付きしたチームの横一列の6チームが一回休み。
[編集] 主なオリジナルクイズ
元々クイズ番組ではない番組も多い為、『スーパークイズスペシャル』の為にクイズを作って出題する場合もあった。殆どは番組制作のVTRを見て、そこからクイズを出題する。
また、「恐怖の居残り早押しクイズ」や「仲間でバトル」等、当番組で初登場したクイズが『マジカル頭脳パワー!!』に使用されることも多かった。
- 100人に聞いたら1人しか答えませんでした
- 1993年春に『EXテレビ』からの出題クイズとして初登場した。『EXテレビ』が終了した1994年春以降も人気コーナーだった為、1999年春まで実施された。『EXテレビ』参照。このクイズ自体は近年、島田紳助司会の『芸能界の厳しさ教えますスペシャル!』でも実施された。
- 日本テレビ縦断ビッグスターお笑いウルトラクイズ
- 1995年春~1996年秋まで実施された。『アメリカ横断ウルトラクイズ』の「ばらまきクイズ」が基本ルールである。1995年春はスカを引いた場合(スカが存在したのはこの回のみ)、1995年秋からはクイズに間違えると、着包みや被り物を着用して走行しなければいけないというルールだった。尚、1997年春は背負った風船が爆発するまでに面白いギャグを披露する「お笑い風船爆発バトル」、1997年秋は選んだ物を使ってダジャレを披露する「ダジャレバトル」として行われたが、「スカ」を引いた場合及び不正解の場合の着包み・被り物着用は無くなった。1995年は18チーム全員参加で9チーム毎2回戦実施された。1996年春は4チームに付き2人の割合で参加し、勝ち抜けると4チームに得点が加算されるというルールで、1996年秋は2チームに付き1人の割合で参加し、勝ちぬけると2チームに得点が加算されるというルールに変更された[11]。1995年春は先着4チームに30萬加算され、1995年秋は1位抜けで30萬、以下20萬・10萬・5萬加算された。1996年春は1位抜け50萬、2位抜け:40萬(横取り無し)、以下30萬、20萬、10萬と加算され、1996年秋は1位抜けで40萬(横取りなし)、以下30萬・20萬・10萬・5萬が加算された。
- 一流芸能人トップは誰だ!?
- 1994年秋~1995年秋まで実施された。出演者の中から選ばれた3人が「ウ冠の付く漢字」等のテーマが出題され、それに合うものを制限時間内にどれだけ書けるかを競合し、各チームは優勝者を予想した。
- イス取りクイズ
- 1996年春~1999年秋まで実施された。司会は島田紳助と永井美奈子である。椅子取りゲームの要領で出場者が椅子の周りを回るが、着席出来なかった出場者は敗者復活クイズに臨むことになる。クイズに正解すれば再びゲームに参加出来るが、その場合、椅子に着席している出場者からターゲットを一人絞り「○○(呼び捨て)、どけ!」と発言しなければならない(発言された出場者は失格となる。)。必ず安岡力也等の強持てな芸能人が着席しており、司会の紳助が若手芸能人を強持てなベテラン芸能人の前に連行した。若手芸能人に対しては、態と誰でも分かる様な簡単な問題を出題していたこともある(女性に対しては簡単な問題を出題された事もある。後になるに連れ、どの解答者にも簡単な問題を出題していた。)。このクイズは後に『LAUGH&PEACE 笑いはニッポンを救う。』の特番の1コーナーとして、同様に島田紳助司会で行われた。
- 覆面クイズ正解は多数決!!
- 1997年秋~1999年秋まで実施された。最終問題の前の問題で芸能人に纏わる問題が出題される。9人の解答者は目の部分を摺りガラスで隠され、声も加工して(とは言いつつ、自ら持ちネタを披露する等、誰が書いているのかがバレバレだったのがお約束だった)、その問いに対し、被った解答だと得点が加算されるクイズ形式である。「正直に答えない場合は-10萬」というルールもあったが、余り適用されなかった。アンダーグラウンドな話ばかり飛び出し、解答にモザイクを入れなければいけないことも多々あった為、別名「アングラクイズ」とも呼ばれる。司会は今田耕司と東野幸治で出題は松永二三男アナ(当時日本テレビアナウンサー)だった(1999年秋のみ藤井恒久アナ)。『スーパークイズスペシャル』終了後の2001年10月に1度だけ特番枠[12]でこのコーナーの2時間拡大版が放送された。
- 1997年秋には「このスタジオの中で知名度の低い芸能人は?」と出題され、9人中8人が『ものまねバトル』チームのノブ&フッキーに集中し、それぞれ「ものまねチームの茶髪の人」(大石恵)・「茶色の髪にボーダーシャツの人」(岡村隆史)・「一番上のしましまの人」(飯島愛)等と解答し、チームメートのコロッケまでもがフッキーを指差す場面があった。但し、この時に千秋は山田隆夫を指しており、山田は激怒していた。
- 1999年秋には吉野紗香が、放送上とてもヤバ過ぎて流せないゴシップネタを出した為、2度も参加する珍事が発生した。
- また、番組スタッフが解答者となって出題されたこともあり、解答が被った場合にそのスタッフが特定されない様、スタッフが担当している番組にひっそりと得点が入ることになっていたが、結果全員解答がばらばらであった。
- 人間すごろく
- 1996年秋~1997年秋まで実施された。司会は島田紳助である。骰子を振り、止まったマスの指示に従う。指示は「網タイツを被る」「爆竹100本付き帽子を被る」「子供に擽られる」等があり、成功すると更に進行することが出来る[13]。爆竹付きの帽子を被ったナイナイの岡村隆史が板東英二を追行したたり、「ワサビたっぷりの寿司を食べる」の指示に的中した加藤紀子は紳助に「これ、胃に穴開くよ」と言われて断念したりした[14]。
- 芸能人秘密のイエスを探せ!
- 末期の1998年秋~1999年秋まで実施された。司会は最初の2回はナインティナインの矢部浩之で、1999年秋のみ島田紳助と楠田枝里子が担当した。ある質問にイエスを挙げるパネラーを的中するクイズで、予想したパネラーが「イエス」を挙げればそのチームメイトがいるチームに10萬が加算される。初回は予想屋の岡村隆史がイエスを挙げるパネラーの予想を参考にして解答したが、2回目は岡村が全問を通して解答者として参加した。初回の問題では「バブルの頃、株に手を出し失敗したことがある。」を出題し、岡村は板東英二を予想し「この人は、確実に失敗しています。」と断言し、3人の内、TOKIOの城島茂とモト冬樹が板東と予想し[15]、その結果、板東本人が「イエス」を出し、周辺の久本雅美・加藤紀子を中心とした『マジカル頭脳パワー!!』&『メレンゲの気持ち』チームのメンバーや『スーパーJOCKEY』チームの辺見えみり、そして『いろもん2』チームの山本圭壱も「イエス」の札を挙げた。
- 顔面!にらめっこバトル
- 1997年春~1997年秋まで実施された。司会は1997年春の回は今田耕司・東野幸治で、1997年秋の回は所ジョージと楠田枝里子が担当した。代表者の顔をチームメイトがメイクし、相手チームの代表者が牛乳を吐き出したらそのチームが勝ちとなり、そのチームの代表者とチームメイトがいるチームに20萬が加算される。1997年春の回では『速報!歌の大辞テン』の司会者である徳光和夫と『マジカル頭脳パワー!!』の高橋英樹が対戦したが、両者とも他のチームのメンバーを驚かすメイクになったが両者とも我慢し、司会の所の判断でチームの代表者とチームメイトがいるチームに10萬ずつ加点された。
- 今夜だけOK!カンニングクイズ
- 1998年春に1回だけ実施された。司会は今田耕司と東野幸治が担当した。ある問題に対して解答するのだが、仕切りの壁には穴が2つ開いており、解答者は隣の解答者が書いた解答を覗き見ることが出来る上に、隣の解答者と同じ解答をカンニングして書き、隣の解答者の答えが正解だった場合、同じ解答を書いた解答者も正解になるという、クイズとしては非常識な方法であった。因みに隣の相手への妨害もOKである。実際に島田紳助と千秋が隣同士の解答席になった際、千秋の解答を覗こうとした紳助だが、千秋に穴を塞がれてしまい、結局「F-BLOOD」という正解が出せず「ぶらっどばば」という謎の解答を書いて不正解となった。直後に紳助は「ブラッドババさんかな思うて・・・。」と解答の中身を発言した後、千秋に馬鹿にされていた。
[編集] 出場番組
[編集] 1990年~1999年の間に参加し、現在は終了した番組
- クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!→新装開店!SHOW by ショーバイ!!→新装開店!SHOW by ショーバイ2(1990年春~1996年春)
- マジカル頭脳パワー!!(1991年春~1999年秋)
- 速報!歌の大辞テン(1997年春~1999年秋)
- 夜も一生けんめい。→夜もヒッパレ一生けんめい。→THE夜もヒッパレ(1990年春、1991年春~1999年秋)
- 嗚呼!バラ色の珍生!!(1994年秋~1999年秋)
- 知ってるつもり?!(1990年秋~1991年秋、1992年秋)
- いろもん(1998年秋~1999年秋)
- ウンナン世界征服宣言→ウッチャンナンチャンのウリナリ!!(1993年秋~1999年秋)
- EXテレビ(1990年秋~1991年春、1992年春、1993年春~1993年秋)
- ザ・ラスベガス(1991年秋~1992年春)
- 投稿!特ホウ王国→1億3000万人の投稿!特ホウ王国2(1994年春~1997年春)
- クイズ どんなMONだい?!(1992年秋~1993年秋)
- スーパーJOCKEY(1992年春~1998年秋)
- 進め!電波少年→進ぬ!電波少年(1992年秋~1999年秋)
- 天才・たけしの元気が出るテレビ!!→超天才・たけしの元気が出るテレビ!!(1990年春~1996年春)
- どちら様も!!笑ってヨロシク(1990年秋~1996年春)
- 特命リサーチ200X(1996年秋~1999年秋)
- モグモグGOMBO(1993年秋~1995年秋)
- ビートたけしのお笑いウルトラクイズ(1993年春~1996年春)
- スーパースペシャル(1994年春)
- 伊東家の食卓(1997年秋~1999年秋)
- ザ・ワイド
- 午後は○○おもいッきりテレビ
- ルックルックこんにちは
- あしたP-KAN気分(1992年秋~1993年秋)
- それ行けKinKi大冒険→それ行けKinKi大放送→キンキキッズのGyu!→ピカイチ(1996年春~1999年秋)
- TVおじゃマンボウ(1994年春~1996年春)
- TVおじゃマンモス(1994年秋~1996年春)ほか
※アニメは1番組とも出場せず、情報番組の一部の出演者は出演しなかった。
[編集] 現在も放送している番組
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!
- 世界まる見え!テレビ特捜部
- ぐるぐるナインティナイン
- メレンゲの気持ち
- 笑点
- 1億人の大質問!?笑ってコラえて!
- 踊る!さんま御殿!!
- ザ!鉄腕!DASH!!
[編集] 例外
- 1992年春は、当時日本テレビでレギュラー番組を持っていないものの、色んな番組にゲスト出演することはよくあったタレント達が集まり、「(日本テレビに)お世話になってます」というチーム名で参加した(チームリーダーは和田アキ子。)。しかも特定番組のチームではないのに優勝してしまうという珍事が発生した。
[編集] 優勝チーム
- (1990年春)クイズ世界は(『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』は1990年春と秋は「クイズ世界は」と「SHOW by ショーバイ!!」の2チームで参加)
- (1990年秋)知ってるつもり?!
- (1991年春)ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!
- (1991年秋)世界まる見え!テレビ特捜部
- (1992年春)お世話になってます
- (1992年秋)クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!
- (1993年春)ビートたけしのお笑いウルトラクイズ
- (1993年秋)大人のキス(TVドラマ)
- (1994年春)家なき子(TVドラマ)
- (1994年秋)ウンナン世界征服宣言&投稿!特ホウ王国
- (1995年春)家なき子2(TVドラマ)
- (1995年秋)THE夜もヒッパレ
- (1996年春)それ行けKinKi大冒険
- (1996年秋)鉄腕!DASH!!
- (1997年春)それ行けKinKi大放送
- (1997年秋)快傑!コウジ園
- (1998年春)スーパーJOCKEY
- (1998年秋)P.A. プライベート・アクトレス(TVドラマ)
- (1999年春)特命リサーチ200X!
- (1999年秋)マジカル頭脳パワー!!
[編集] エピソード
- この番組(『スーパークイズスペシャル』)では所ジョージと間寛平[16]が全ての回に出演した。
- 番組開始当初から1995年秋のスペシャルまでは『SHOW by ショーバイ』の山城新伍、『マジカル』の千堂あきほ、俵孝太郎といったレギュラー陣が登場したが、山城、千堂、俵等が降板した1996年春のスペシャル以降は加藤紀子、北野大、久本雅美、ガダルカナル・タカ、ダンカン等の常連メンバーが出演した。また、『SHOW by ショーバイ』のレギュラー出演者だった高田純次は1996年春まで一貫して『SHOW by ショーバイ』チームに所属せず、同じく高田がレギュラー出演していた『天才・たけしの元気が出るテレビ!!→超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』チームの一員として出演した。
- また『SHOW by ショーバイ』チームではジャイアント馬場が1995年春のスペシャルまで5回出演した。また1993年春と秋のスペシャルは出演しなかったが、春の回では『SHOW by ショーバイ』チームが再び1軍に戻ったことでたけしは「馬場さんは?」と話し「大道具倉庫に馬場さんの人形置いていた。」と話した。その年の秋のスペシャルでたけしは、オープニングで馬場と戦っているレスラーに扮した衣装で登場した。
- 1991年秋のスペシャルの「何を作っているのでしょうか?」でタバコを生産しているVTRが出題された時、解答権を得た『八百八町夢日記』チームの里見浩太朗が「マッチ」と解答して不正解になったが、直後に中田喜子が「タバコ!タバコ!タバコ!」と訂正したが認められなかった。その後解答権を得た『スポーツも一生けんめい。』チームは当然タバコと解答すると思いきや、そのチームにいた川合俊一が「マッチ棒!」と解答してスタジオは大爆笑となった(因みにこの問題を正解したのは『マジカル頭脳パワー!!』チームだった)。
- 同じく1991年秋のスペシャルの『決勝早押しクイズ』で、ダウンタウンの浜田雅功が加山雄三に「おい雄三!、コラァ!」と喧嘩を売るシーンもあったが、浜田は加山が大物歌手であることは承知の上だったことから番組終了後には平謝りした。また逸見が「お前らしっかりしろや!」、「何でお前らいるんや!」との言葉に対し、浜田は「いつみ~!」、「いつみのオッサンだけは!あのガキは!」、「逸見、後で裏来い!」と大暴走した。さらにダウンタウンの松本人志はハコウマを持って早押しボタンを押そうとする一幕もあった[17]。
- 同じく1991年秋のスペシャルの決勝早押しで、『何を作っているのでしょうか?』の問題の際(正解はシャンプー)に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』チームが「飲み水」と珍解答。司会の逸見政孝からは「真面目にやれよ!真面目に!」と激怒し、「飲み水をわざわざタイ(出題VTR収録国)から『何を作っているのでしょうか?』に出すか!」と突っ込まれている。
- たけし関連のチーム、特に『スーパーJOCKEY』チームは、勝手にチーム名を変更することがよくあった。番組名が表記されている札の裏に『笑点』、『クイズハンター』、『プレイガールQ』等と手書きし、裏面を表に出して置くことがよくあり、それでも司会の逸見は「笑点」、「クイズハンターチーム」と呼んでいた。また、1994年春のスペシャルでは『スーパースペシャル』チームが『紳助のこんな巨泉いらない?』や『巨泉のクイズダービー』ひた、『前武ハゲハゲ90分!!』、『11PM』[18]とチーム名を勝手に変更し、優勝チーム予想クイズ時では『巨泉の友なき子』になった。
- 1991年秋のスペシャルでは『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』も『笑点』と変更した。また、1992年秋のスペシャルでは『スーパーJOCKEY』が点いた後、逸見が「プレイガールQ」と発言してしまい、翌1993年春のスペシャル以後、書き換えは無かった。
- 1992年秋のスペシャルでは『おもいッきりテレビ』が決勝進出チームを決定するスロットで横取り40萬を出し、現在7位『進め!電波少年』から奪取すると8位の『どちら様も!!笑ってヨロシク』が7位に浮上するとのことで、『笑ってヨロシク』『電波少年』の両チーム関係者が司会者席へ駆け寄り、場内大騒ぎに発展した。結局『おもいッきりテレビ』は『電波少年』から40萬を横取りし、『笑ってヨロシク』が7位に浮上し決勝進出に至った。
- 同じ1992年秋のスペシャルではたけしのお笑いウルトラクイズの近似値クイズで『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』チームが一番近い値を解答したものの、3軍席にいたため5萬しか獲得出来なかったこと[19]に対して高田純次らが延々と司会陣に抗議をしていた。
- また、1992年秋のスペシャルで、たけしは休憩中に客用の弁当を食事したことを『アナウンサー早押しクイズ』前やエンディングで話した。
- 1992年秋のスペシャルと1993年の春のスペシャルでは、『アナウンサー早押しクイズ』で放送禁止を言った解答者の後、たけしは「こんばんわ、俵孝太郎です」と本人がいながらも発言していた。
- 『世界まる見え!テレビ特捜部』名物のたけしのピコハン攻撃では珍解答をした渡辺正行・高嶋政伸・北野大・松本明子や席決めクイズで正解したのにスロットで破産を出した松村邦洋も叩いた。
- ほぼ全てのコーナーに参加し、番組中殆ど休憩する時間が無かった所とたけしであるが、おふざけも多く、たけしは担当司会者である際にも解答を知らないことが多かった。1992年秋の決勝戦ではいつも逸見・板東等といる司会席の所にいなく解答席に着席した。また、所の担当コーナー『どちら様も!!笑ってヨロシク』の『スペシャルゲストクイズ』では、スペシャルゲストが入っているべきボックスの中にたけしが入っていたこともあり、このことが本来のスペシャルゲストが登場した後にボーナス問題として出題されたこともあった[20]。
- 1993年秋のスペシャルでは、オープニングで席順を決める為に『何を作っているのでしょうか?』の解答の時(正解はフォトスタンプで『大人のキス』チームが解答。)、『どちら様も!!笑ってヨロシク』チームの加賀まりこが「ダッチワイフ!」と解答してしまいスタジオの大失笑を買った。
- 1994年春のスペシャルでは『くっつきバトルロイヤル』で「真ん中に『か』がくっついている言葉」を出題され、飯島直子は「ムカつく」と答えたところ、「真ん中にくっついている言葉でないとだめ」と訂正させられ、解答することが出来ず、時間切れでアウトなった。暫くして安達祐実が「味覚」と解答したところ、司会の板東から「偉いね~」と褒められたのに対し、解答出来なかった飯島は司会の渡辺から「飯島しっかりしろよ!」と窘められた。
- 1994年春のスペシャルで2軍席を獲得した『マジカル頭脳パワー!!』チームは、「弱そうだから」という理由で、1軍席の『家なき子』チームの後ろに着席した。その後、決勝進出を賭けた「ホンモノいくつ!?クイズ」でピタリ正解をした為、ミリオンスロットを2回叩くことが出来るダブルチャンスの権利を獲得した。しかし、2回目のミリオンスロットで破産を叩き出してしまった。その直後、寛平は板東に叩かれていた。皮肉にもこの回で『家なき子』チームは優勝、『マジカル頭脳パワー!!』チームは最下位という完全に明暗が分かれる形となった。
- 1994年春のスペシャルで、『マジカル』の『マジカルシャウト』の『似たもの三択』で「電池、磁石、ねじ回し、プラス・マイナスが無いのは?」という出題で『SHOW by ショーバイ』チームのジャイアント馬場が「ねじ回し!」と珍解答してしまったものの、幸い馬場が高身長でマイクに向かってなかったのでマイクのセンサーがそれに反応しなかった。だが皮肉にも、『どちら様も!!笑ってヨロシク』チームの江川卓はそれを解答だと思ったのか、「ねじ回し!」と珍解答してしまい、スタジオの大失笑を買った。
- 1994年春、番組のラスト直前で最後のミリオンスロットをやろうと盛り上がった時、たけしが現れて「その前にCMをどうぞ」と発言してCMとなった(この後CM明けでは、たけしが「いよいよ盛り上がって参りました!!ここでちょっと休憩です」とボケた)。さらに同年秋のスペシャルでは、やはりラストで盛り上がった時、板東が現れて「ちょっと待ったァ!!ここでCMをどうぞ」と発言してCMとなった。今では当たり前となっている「クライマックスの前のCM」は、この番組が最初ではないかと思われる。
- 1994年春のスペシャルでは25.1%の最高視聴率をマーク。また、この回で『SHOW by ショーバイ』時代のネット局だった鹿児島テレビがこの週で打ち切りなり、2日後に新規開局の鹿児島読売テレビへと入れ替えられた。
- 1994年秋のスペシャルでは、『世界年齢順クイズ』で横取り40萬を出した『夜に抱かれて』チームが、それほど高くない『静かなるドン』チームから40萬を奪取した。中山秀征は「何で中途半端な所から取るんだよ!?もっと他に有るでしょう!!」と大激怒し、その後「ウソつき4択」で横取り40萬を出した『静かなるドン』チーム(この時点で予選敗退が決定していた)の中山は、お返しとばかりに『夜に抱かれて』チームから40萬を奪取して決勝進出を阻止した。代わって『嗚呼!バラ色の珍生』が決勝に進出した。ところが中山が『TVおじゃマンボウ・TVおじゃマンモス』チームに移動して実施された決勝戦で、『バラ珍』チームが横取り40萬を出すと、島田紳助は「こうなったのも秀ちゃんのお陰です。恩返しで貰いたいと思います!!」といって、トップだった『おじゃマンボウ・おじゃマンモス』チームから40萬を奪横した。
- 1995年秋のスペシャルでは『日本テレビ縦断ビッグスターお笑いウルトラクイズ』2回戦で、本来は上位4人で終了だったが、4人中、東山紀之・清水圭・川島なお美の3人が1巡目で正解してしまった為、勝手にコーナーを続行した。まず、問題の内容を後付で本来の物とは全然違う物にして出題し、不正解を出させた。その後、不正解の罰を被り物からGスタジオにあった品々を持って走行することに変更していき[21]所は出場者に色んな物を持たせるたけしを見て「引越じゃないから・・・」と突っ込んだ。その後の『マジカルアクション伝言バトル』がセットが組まれ、スタンバイしてそろそろ開始しようとしてもまだ続行し、Gスタジオの反対側の入口に移動してクイズを続行した。最終的には板東・永井に突っ込まれてコーナーはいったん終了したが結局はコーナーを続行し、最終的には日本テレビ前のとある歩道に移動した。本放送では流れておらず番宣CMで放送したが、松村邦洋が下着姿で自分の衣装を持ちながら登場し、永井が呆れる場面が放送された。
- 1996年春のスペシャルでは、『スペシャルバナナ』時に「たばこといったら吸う」というお題に対し解答者の飯島愛が放送禁止用語を発言した。発言時には飯島の発言に代わり爆発音がなり、飯島の口元は「×××」の表示になっていた。その為、番組史上初となる前代未聞の途中退場となった。テロップには「本人だけの思い込み!退場!!」と表記されていた。それまでは仕事のスケジュールの都合等で中抜け・途中退席する出演者もいたが、このことは最初で最後である。
- 1996年秋のスペシャルの『オープニングバナナ』で「かぎといったらまわす」というお題に対し松本明子が放送禁止用語を発言し、言葉が「ドキューン」という音で潰されたうえにアウトになり(途中退席にはならなかった)、隣のチームの川合俊一らからツッコミを受けた。テロップには「放送できない!アウト!!」と表記されていた。
- 1996年秋のスペシャルでは、この番組の応援団[22]として明石家さんま、ラサール石井、村上ショージ、松尾伴内[23]の「さんまファミリー」が登場した。チアガール姿で応援したが、全然応援になっていない歌「ビバ日テレ」を歌った(下記参照)。また、1995年の『裏番組をブッ飛ばせ!!大晦日スペシャル』、1996年の『紅白なんてブッ飛ばせ!!』にも乱入した。
- 1995年秋の『アクション伝言バトル』でビートたけしが出演した時、お題は「ソフトクリーム」[24]であったが、たけしが故意に卑猥なアクションに変えてしまい、そのせいで彼以降の全員が不正解になったことがある。その際、司会者に事前注意を何度も受けていたにもかかわらず、その行為と思われる解答をした(「ナイショ」で処理)が、訂正を入れ正解となった。
- 1996年秋の『アート伝言バトル』でたけしが出演した時、お題は「蓑虫」であったが、同様に卑猥な絵に変えてしまい、放送時に「禁」マークで絵の上部が隠された(次の役のリサ・ステッグマイヤーはたけしの描いた絵を見た瞬間、「キャー!!」悲鳴を上げ、絵を描いている時呆れながら「もーっ!」と言っていた。)。当然、リサ以降の解答者は不正解だった。たけしが解答する際、板東英二が鬼の形相で、「これは全国ネットですよ!非常に多くのお子さんも見てるんですよ!あなた何書いたんですか!言いなさいよ!!」とたけしに詰め寄った。しかし、たけしは「×××(放送禁止用語)!」(たけしが発言の際に爆発音が鳴った)と発言し、その瞬間、板東は逃げるたけしを追い掛け回した。二人がその場を離れた後、最初の解答者である所ジョージがたけしの描いた絵と前の解答者の楠田枝里子のものを見て、「これがおじさんの絵心を擽っちゃたんだね。」と冷静に状況を分析していた。
- 別の回の『アクション伝言バトル』でもたけしはふざけてブリーフ姿で出場し、彼に対しアクションを行い内容を必死に伝えようとしている実兄の北野大に対してピコハンで叩いたこともある。
- 1997年春の『オープニングチェンジ』でたけしが出演した際、「まいご(迷子)という字を1文字変えて」というお題に対し、たけしが下ネタを発言したのか、言葉が「ドキューン、ドキューン、ドキューン」という音で潰されたうえにアウトになり(途中退席にはならなかった)、チームメイト全員に批判を浴び袋叩きにあった。テロップには「放送できない!アウト!」と表記されていた。
- 1997年秋のスペシャルにビートたけしが出演しなかったのは、ヴェネチア国際映画祭に出席した為である。なお、理由は不明だが、たけしは1998年秋のスペシャル以降この番組に出演しなくなった。
- 1998年秋のスペシャルでは、優勝決定バトルで巨大水槽に潜って正解の物をとってくるという余りにも無謀な企画が実施された。しかも、衣装着用のまま水槽に入るというルールだった。その中で榎本加奈子、堂本剛、研ナオコの3人が巨大水槽に潜りスタジオ内が大パニックになり、しかも榎本は『P.A. プライベート・アクトレス』の衣装であるセーラー服姿であった為、スカートの中から短いスパッツ[25]が見えてしまった。最後は榎本が正解の物を手にし『P.A. プライベート・アクトレス』チームが優勝した。
- 因みに『マジカル頭脳パワー!!』は上記の慨要の通り、1998年頃春以降から視聴率、人気が低迷し、1998年秋と1999年春の放送の番組タイトルの扱いでは『SHOW by ショーバイ』と同様、他の番組と同等に扱われ、番組の通称(『マジカル』)がこの番組の番組タイトルの上から下(厳密に言えば三段目)の中央または左端の位置に迫いやられるという屈辱を味わう(これは1999年秋まで続行し、それまではこの番組の番組タイトルの上段の右端に位置していた(1995年秋から1998年春まで)。)。だが、最終回である1999年秋の放送の番組タイトルの扱いでは、前述の通り番組タイトルの位置は固定されたままだったが、皮肉にも番組の通称の一部が省略されるという前述の屈辱以上の屈辱を味わった(マジカル→マジ(で))。
- そんな中、1999年秋のスペシャル(この番組にとっては事実上の最終回)では、『マジカル頭脳パワー!!』の『大逆転!優勝決定バトル(『マジカル』の通常放送では『マジカルぴったり』と呼ぶ)』に間寛平が『マジカル頭脳パワー!!』チームの代表として出演し、10000g(10kg)に最も近い記録である10017gという記録を出し、50萬を獲得した(寛平は『マジカル』最終回前の1999年9月9日放送分の『マジカルぴったり』でも100000g(100kg)ぴったりという記録を出し、ボーナス500点を獲得し、更に自身の合計点数が1000点を突破した為、マジカルミステリーツアーを獲得している。)。これにより、『マジカル頭脳パワー!!』チームの獲得ショーバイマネーが338萬となり、見事に優勝した(『マジカル』は翌日の番組自体の最終回直前にこの番組の最終回で有終の美を飾ることが出来たといえる。)。
- 年末には静岡第一テレビ等でも再放送された。
[編集] スーパークイズスペシャル以降
- 2000年春・秋の2回は『超人気番組CMの祭典』として各番組が紅白に分かれて各番組CMを観て審査をし勝敗を競った。
- 2001年春・秋の2回は『日テレ人気番組大集合オイシイとこだけ全部見せますSP』として放送され、日本テレビの人気番組・新番組の名珍場面の紹介を基に、賞品や賞金100万円を賭けたクイズコーナーもあった。
- 2001年秋をもって番組対抗特番は一旦消滅したが、2004年春のみ、『オールスター☆夢祭り超人気番組が大集合!行列まる見え伊東家DASH笑コラ大辞10エンタぐるナイSP』という番組名となり久々のクイズ・ゲーム主体の番組として実施された。この時の得点単位も「萬」であったが、裏番組に『いきなり!黄金伝説。』[26]と『クイズ$ミリオネア』のスペシャルがあり、視聴率の方も低迷してダブルパンチを食らった。
- 1年後の2005年春には『行列のできる法律相談所』の特番という形で、同番組に日テレの人気番組・新番組の出演者がゲスト出演する内容で放送[27]。
- 2005年秋は『踊る!さんま御殿!!』の特番で、同様の内容が放送され2006年春以降も同様の特番が継続中である[28]。
- 更に2006年春には、クイズ・ゲーム主体では2年振りとなる、クイズ番組『サルヂエ』をメインに据えた形式の番組対抗特番『超人気番組大集合!春のサルヂエ祭り』も制作されたが、視聴率はそれ程高くなかった。しかし、『サルヂエ』のレギュラー放送時の視聴率よりは若干良好だった為、2006年秋も『サルヂエ』をメインに据えた形式の番組対抗特番は制作された[29]。しかし、『サルヂエ』自体が2007年1月限りで終了したため、2007年春はクイズ・ゲーム主体の特番のみならず、トークメインの特番も放送されなかった。
- 現在、事実上のクイズ・ゲーム主体の特番となっているのが、『世界一受けたい授業』のスペシャル版である。2007年10月6日に『世界一受けたい授業』で人気番組・新番組の司会者が教師、出演者がゲストとして集合して授業を受ける3時間30分の特番が放送され、視聴率も好調だったことから2008年春に4時間、2008年秋に3時間、2009年春に3時間半[30]、2009年秋に3時間半の同様の特番を放送した。この特番では、通常の授業に加えて日本テレビ系の各番組からの授業も行われている。
- この他、2007年12月22日には『番組対抗2007 まちがいだらけのニュース検定』と題して、日テレの情報エンタテインメント局制作生放送番組[31]の出演者が集まって2007年1年間のニュースをコントで再現し、そこからクイズを出題する特別番組が放送された。
[編集] 問題間違え
- 1995年3月22日に放送された「マジカルシャウト 似たもの三択」で「ミッキーマウス・ドラえもん・ポパイ・この中でガールフレンドがいないのは?」という問題で正解が「ドラえもん・ドラミちゃんは、ガールフレンドではなく妹」となっていたが実際にドラえもんには「ミーちゃん」という猫のガールフレンドがいる。
[編集] スタッフ
- 制作:金谷勲夫
- プロデューサー:渡辺弘、小杉善信、桜田和之、佐野譲顕、吉田真ほか
- 総合演出:五味一男、吉川圭三、雨宮秀彦
- 構成:豊村剛以下出題クイズ番組放送作家陣
- 制作協力:ハウフルス、日企、NCV、ZIPPY、オン・エアー
[編集] テーマ曲
- 史上最大の作戦のテーマ(ミッチー・ミラー合唱団、エンディング)
[編集] 脚注
- ^ 新春の特別番組は『平成あっぱれテレビ』(1990年~2001年)→『平成あっぱれ開運祭!!チョー縁起いいTV!』(2002年~2005年)→『大笑点』(2006年~2008年)を経て2009年は『謹賀ラジかるッ2009』が放送されている。
- ^ この頃は、出場が10チームのみ・放送時間が2時間・3軍が存在しない等、後の大会に比べコンパクトな大会であった。
- ^ 「世界まる見え!世界のCMクイズ」、「特ホウ王国 4択クイズ」、「夜もヒッパレ・クイズ!サビからヒッパレ!!」等。
- ^ 『スーパークイズスペシャル』放送の翌日に『マジカル』の最終回が放送された。
- ^ 但し、最終回となった1999年秋は『マジカル』の最終回との兼ね合いからか水曜日に戻っている。
- ^ 『SHOW by ショーバイ』からの『順金クイズ』・『世界年齢順クイズ』や『どんなMONだい?!』からの『対決ドボン』では1軍のみに解答権が与えられ、1軍と同じショーバイマネーが同じ縦列の2・3軍にも入った。但し、減点となる場合でも連帯責任となった為、3チーム一気に破産や-50萬になってしまったこともあった。また、予選・本戦のシステムが廃止された1995年春以降、『マジカル』からの『エラーを探せ』では正解したチームと同じ縦列の他のチームにも同じショーバイマネーが入った。
- ^ 1991年春までは5チーム、1991年秋と1992年春は6チーム、1992年秋以降は7チーム(1993年秋以降は敗者復活1チームを加え8チーム)が決勝進出すること。
- ^ 福澤が司会を担当し、全て○×クイズで、1問目は『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』から出題し、2問目以降は『日本テレビネット局縦断○×クイズ』を出題し、サドンデス方式で1チームになるまで続けられる。
- ^ 但し、1991年秋のみドイツ旅行が贈呈される。
- ^ この回から本番中に盛り上がりに欠けたと思われる問題やコーナーを丸々カットする編集を実施する様になった。また、1996年頃から収録したコーナーを順番通りに放送せず、ばらばらに編集した物を放送する様になった。本家、『マジカル頭脳パワー!!』でも同様な傾向にあった。
- ^ ただし1996年春は勝ち抜けるとそのチームがある縦一列に得点が加算された。
- ^ 『スーパースペシャル2001』
- ^ その際、進行した先のマスの指示は受けない。失敗すると戻るという指示があるマスも存在する。
- ^ 以前、紳助が出演した『EXテレビ』で実施し、1回で終了したものを多少アレンジした。
- ^ 一方の原千晶は「ギャンブルをやってることから」を理由に蛭子能収と予想。
- ^ ただし、第1回は「マジカルミステリー劇場」でのVTR出演。
- ^ 司会の板東英二に「お前たばこ吸うな!こんなところで」とたしなめられた
- ^ いずれも同局あるいは他局で放送された番組のパロディ。
- ^ この時は書き問題を基準にした得点だったが入れ替え無しだった。また1軍のショーバイマネーが50萬だった為
- ^ 後にたけしは1995年春の『スペシャルゲストクイズ』でスペシャルゲストとして登場した。
- ^ 織田無道には氷の入った器+カメラスタンド、ウド鈴木には畳二枚、松村邦洋にはテーブル等を持たせた。
- ^ 団名はピーチーズ。
- ^ その後、ラサールは『世界まる見え!テレビ特捜部』チームに参加。
- ^ 舌でクリームをなめる。
- ^ 下着が見えるのを防ぐために穿く。
- ^ 『報道STATION』の準備期間時の4時間SP。
- ^ クイズ・ゲーム企画は無し。
- ^ こちらもクイズ・ゲーム企画は無し。
- ^ ただし、この『サルヂエ』形式の特番は『スーパークイズスペシャル』とは言わない様である。
- ^ この大会では、『名探偵コナン』から江戸川コナンと毛利蘭(声優ではなく着包み)が参加し、史上初のアニメチームの参加となった。しかし『コナン』はYTV制作であるため、日本テレビ制作のアニメは2009年秋の『それいけ!アンパンマン』からアンパンマンとばいきんまん(これも着包み)が参加したのが初だった。因みに『コナン』は、『サルヂエ』特番にアニメで問題を出題したことがある。
- ^ 『おもいッきりイイ!!テレビ』司会のみのもんたは裏番組『みのもんたVS国会議員ずばッとコロシアムIV』の生放送に出演しているので、みのの分身人形で参加。
[編集] 関連項目
- ZZZ(1997年 - 2003年、当番組のコンセプトをベースにしたスペシャルが1度だけ放送されたことがある)
- FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル(1983年春 - 1995年秋・フジテレビ系)
- FNS超テレビの祭典(1996年春・秋 フジテレビ系)
- FNS番組対抗!春秋の祭典スペシャル(1997年春 - 2000年秋・フジテレビ系)
- 笑っていいとも!春・秋の祭典スペシャル(2001年春 - 現在・フジテレビ系)
- クイズまるごと大集合(1987年春 - 1991年春・TBS系)
- オールスター感謝祭(1991年秋 - 現在・TBS系)
- 新タイムショック(2007年春 - ・テレビ朝日系)
最終更新 2009年11月24日 (火) 01:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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