スーパージョッキー

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スーパーJOCKEY
ジャンル バラエティ番組
放送時間 日曜日13時00分 - 14時00分(60分)
放送期間 1983年1月9日 - 1999年3月28日(721回)
放送国 日本
制作局 日本テレビ
プロデューサー 渡辺弘ほか
出演者 ビートたけし
たけし軍団
蓮舫
ダチョウ倶楽部
松村邦洋
蛭子能収
細川ふみえ
飯島直子
辺見えみり
佐藤藍子
山田まりや
パイレーツ
他多数
音声 ステレオ放送

特記事項:
1996年10月から1999年3月の番組終了まではCS★日テレでもサイマル放送された。

スーパーJOCKEY (SUPER JOCKEY) 』(スーパージョッキー)は、日本テレビ系列で1983年1月9日から1999年3月28日にかけて放送されたビートたけしが総合司会のバラエティ番組である。放送時間は毎週日曜日13時00分 - 14時00分(JST)。

目次

[編集] 番組概要

番組スタート当初は『THEガンバルマン』が看板のお笑い番組だったが、『熱湯コマーシャル』開始以降はお色気番組路線となった。

放送当初は生放送という触れこみだったが、途中から「2本撮り」による隔週生放送となった(生放送終了後に翌週放送分を収録するスタイル)。また、『THEガンバルマン』のコーナーは予め収録したものを生本番中にビデオ再生して、観客に見せていた。なお、テロップの表示方法で、その日の放送が生放送か収録かが見分けられる。

ゲストの歌についても、当初は生放送で流していたが、のちにあらかじめ収録したものを放送するスタイルに変更された。

[編集] 番組コーナー

[編集] THEガンバルマン

たけし軍団を始め、芸人達が体を張っていろんな事に挑む企画。『熱湯コマーシャル』開始前はこのコーナーが番組の看板コーナーで、主に下記のようなチャレンジ企画があった。ジャズ空手師範・澤村宗など名物講師も話題となった。末期のナレーションは武居“M”征吾。このコーナーではたけしが手の形を模した坐禅に使う警策のような棒を使ってツッコミをしていた。

  • 熱湯風呂シリーズ
  • 拷問シリーズ
  • 水中シリーズ(水中ジェスチャーなど)
  • 格闘技シリーズ
  • 整体シリーズ
  • スタントアクションシリーズ
  • ジャズ空手シリーズ
  • ロケシリーズ(フライデー事件によりたけしが出演していない時期に一時的に行われていた)
  • 風船ジェスチャー「たけし軍団VSダチョウ・松村三番勝負」で初登場。後に風船ペアジェスチャー(衣服内でホースに繋がれた1000丸風船を膨らます)に発展した。
この風船ジェスチャーは、たけし軍団・ダチョウ・松村らとアシスタントやレギュラーだった女性陣もペアジェスチャーで参加している。
飯島直子(腹で青1回、股間でピンクとオレンジ1回ずつ、お尻で赤1回破裂)、そめやゆきこ(股間でピンク1回、破裂した)、佐藤藍子(腹と股間で緑1回)、辺見えみり(腹で緑1回)、大神いずみ(腹で青1回、この時はラッシャーが針で割る)、細川ふみえ(背中に1回)も挑戦している。ダンカン(股間で黄色1回と青1回)は、正解してもなぜかストップされずに破裂までギリギリの状態まで膨らみ、たけしに後ろから蹴られたショックで破裂したことがあった。(黄色風船使用時)
女性陣以外は膨らんでいる途中にズボンや全身タイツが破れ(切れ目などを入れ破れやすく加工してある)、そのまま破裂するまで膨らむのがお約束であった。つまみ枝豆は、全身緑タイツで正解後、移動中にお尻が破れホースが付いた青風船が丸見えになっていた。蛭子能収は全身緑タイツでタイムアップになり全身タイツが膨らみに耐えきれずに破れたあとにさらに膨らんで破裂した。(腹部の風船だけ破裂したが、股間と尻部に入っていた風船は破裂するまで膨らまなかった。)風船ジェスチャー声だし事件つまみ枝豆がカーッペッと言ったさい後ろからたけしに突っ込まれた。、飯島直子は、大神いずみの矢沢永吉の答えを言ったときに大神いずみに馬鹿発言をした。

番組開始当初は一般視聴者が軍団らと共に挑戦を行い、金一封を賭けて挑むという内容だった。判定基準はたけしの気分次第で、(面白い)ハプニングを起こしてしまった番組スタッフの1人に賞金を贈呈したこともあった。

[編集] JOCKEY-1

「どうですか〜?お客さん」の前身(後述)。最後に「お問い合わせはスーパーJockeyまで」と出ていた。

[編集] JOCKEY-2

番組初期から中期まで放映。たけしが座って小ネタを発表するコーナー。有名人のそっくりさんの写真を募集する「よく見りゃ似てるこの2人」や、昔の特撮モノの変なところを重箱の隅をつつくようにツッこむ企画、マイナーで妙な歌ばかりを集めて流す企画「困ってしまうレコード」などを週変わりで発表していた。

[編集] 書きゃいいってもんじゃないんだよコーナー

番組初期から中期まで、ザ・ガンバルマンの次のコーナーとして、CMとゲストの歌を挟んだ後に7〜8分放映されていた。たけしが読む視聴者からのハガキによる質問に、当日のゲストが答えるコーナー。次週のゲスト名は毎回テロップで紹介されるため、視聴者はそれをもとにハガキを送ることができたため、ほとんどの質問は特定ゲスト名指しだった。このコーナーで採用され、たけしの独断と偏見で運がよかった視聴者には日本エアシステム(当初は東亜国内航空 現日本航空)から毎週ペア1組に国内線往復航空券(東京〜福岡間、のちに東京〜札幌間)がプレゼントされた。

ハガキは単純な質問に終わらずに、ギャグを交えたものが多く、ゲストや観客も笑ってしまうことがある等、総じてレベルが高かった。当時ニッポン放送で放送されていた『ビートたけしのオールナイトニッポン』に投稿している常連、いわゆる「ハガキ職人」が多く投稿し中身を競い合ったことにもよると思われる。

主なネタ

  • 前回、石川秀美が新曲を歌ったとき表情が険しかったのは事務所とうまくいっていないせいではないかネタ
  • 同じく石川秀美のお姉さんは婦人警官ネタ
  • エンディングに菊池桃子の手の振り方がユニークネタ
  • 早見優旺文社の学習出版物の広告に出ているのにもかかわらず同時期に出していたシングル曲「Stand up!」ではガリ勉を非難していたネタ
  • 荻野目洋子が出演したCMサッポロ一番カップスター』での、メッセージトークについてのネタ
  • 荻野目洋子の姉・慶子ネタ
  • 柏原芳恵本人に「紅茶のおいしい喫茶店はどこにあるのですか?」と問うネタ
  • シブがき隊が3人揃って「ザ・ベストテン」などに出演しても、薬丸裕英だけは問われた事に対して不貞腐れたり投げやり的に返答していたと言う、チクリネタ
  • 実は、シブがき隊の3人は仲が悪いのではネタ
  • BaBe二階堂ゆかりは、クロマティに似てませんかネタ

ロボコップ』のプロモーションで来日したピーター・ウェラーがこのコーナーに出演した際、最初は(その良くも悪くもいかがわしい番組内容に)訝しげな表情で見入っていたが、司会を担当していたたけしが、ウェラーの尊敬する監督である大島渚の映画(『戦場のメリークリスマス』)の主演男優だと気付くと途端に積極的になり、矢継ぎ早にたけしに質問を浴びせたり、たけしの発言を一語一句全て通訳に翻訳させたりしてたけしを困らせる一幕もあった。

[編集] 軍団クイズ・体は資本だ!

1980年代末期から1990年代初頭のクイズコーナー。軍団がロケで体を張った対決やゲームに挑戦、スタジオにいるたけしやゲストがその結果を予想するという内容。中でも、浅草キッドが人間が入れるぐらいの発泡スチロールで作られたサイコロの中に入り、それを転がして丁半博打をやる企画はシリーズ化され、様々な所でその巨大サイコロを転がした。しかしスキー場で転がした回では、水道橋博士が入ったサイコロは途中で水道橋が投げ出されたものの無事に雪が積もっている所に着地、玉袋筋太郎に至っては入ったサイコロがスキー場の谷底に落ち、中の玉袋はしばらくの間気絶、周囲に緊張が走るシーンがあった。この映像は、後に「日本テレビの21世紀に残しておきたい映像」に選ばれた程インパクトのあった映像だったが、この一件で椎間板ヘルニアを患った水道橋は「ガンバルマン」のコーナーの辞退を余儀なくされ、たけし軍団の力仕事からは一線を退かざるを得なくなる代償を得た。

[編集] 言わんのバカ!

1990年代前半のコーナー。形式は一般的な「10回クイズ」の応用形で、浅草キッドが言うフレーズを通行人に何度か繰り返させた後、似たようなフレーズや全く違う言葉を言って噛ませる、というもの。

[編集] 熱湯コマーシャル

『THEガンバルマン』の名物コーナー『熱湯風呂』から派生して1989年頃に始まったコーナー。「熱湯CM 」と略される。テレビコマーシャルをしたい人達が集まり、熱湯ルーレットと呼ばれるルーレットスイッチスタートとストップの2種類がある)で熱湯に入る人を決め、熱湯に入れた秒数(最大30秒)で宣伝をする企画。熱湯の温度は摂氏51度前後。この温度は人体には非常に熱く感じるが、火傷などの後遺症が残らない程度の温度である。当初は湯船の底に着けられたセンサーに挑戦者の体が触れるとタイマーが作動してアナウンサーが実況風にCMを読み上げ、湯が熱くてセンサーから離れるとCMが中断する方式だったが、その後出場者が専用のブースに入って自ら時間内にCMを読み上げる方式に変更された。さらに熱湯ルーレットや公開生着替えが導入され、コーナーは人気を博した。

ルーレットの結果により急遽入湯する事になった場合、その場で天井から電気で吊られたカーテン囲みされた「簡易脱衣室」が設置され、私服の女性は50秒、男性は服装にかかわらず30秒の制限時間内に水着に着替えることになり、30秒経過するとBGMが流れ始めてそれに合わせて手拍子をし、終了間際になるとスタッフや司会者からタオルを投げつけられ、時間が経つとカーテンが自動的に下に落ちるという、まさしくハプニングを起こすことを意図した仕組みとなっている。時間が経った際のBGMは悪魔の笑い声のようなBGMが使われており、時間内に着替え終えると別のBGMになる。

さらに、女性には不定期で水着から水着へ着替える「泡風呂生着替え」もあった。着替えが間に合わなかった場合はタオルで隠して入湯する(また、女性進行者が救済を意味した「済」と書かれたモザイク代わりの札を持っており、局部を隠していた)。

初期では生放送という事もあり、時間内に着替え終わらない、胸や股間が露出しそうになる、数人で一気に着替えている途中でお尻がはみ出す、女性が着替えが間に合わずバスタオル1枚の姿で熱湯風呂に入った時に熱さのあまりバスタオルを外してしまい胸が露出する等のハプニングが多発した。その際には瞬間視聴率は跳ね上がったが、その分苦情も多数寄せられた。

このシステムを逆手に取り、たけし軍団やダチョウ倶楽部が生放送にも関わらず、タイムオーバーを狙い観客やゲストの前で海水パンツを履かずにワザと全裸状態になって、このままスタジオ中を走り回る等の行為(井手らっきょに関しては、自分に当たった直後、脱衣場外ですぐ全裸になったり、ワザと脱衣場の出入り口(真裏なのでテレビカメラには映らない)から転がり落ちてゲストや観客に全裸を見せる事もあった。)を行なったり、前期に関してはたけし軍団のグレート義太夫のバンド関係者が熱湯CMに出演した際は、一部のメンバーが入る事となったものの、何時の間にか「THEガンバルマン」中期で見られた軍団同士による熱湯風呂の落とし合いとなり、軍団メンバーが服を着たまま落とされたり、畳位の大きさの板を持ち出し軍団メンバーが入っている状態で風呂に蓋をしようとしたり、遂には井手らっきょが全裸(前は看板で隠していた)で乱入して熱湯風呂に落とされたりと、スタジオ中が阿鼻叫喚状態となった。

後に、ガラス張りの箱の「スケスケボックス」の中で着替える「スケスケ生着替え」にまで発展。スケスケボックスの下部分は透けていないため、しゃがんだだけでお尻が見えてしまうハプニングが続出した。

また、着替え中に脱衣室を上のアングルから撮ったカメラもスタジオの天井にあり、現在の放送規定から見ると、日曜昼間の番組とは思えない位かなりのお色気を醸し出しており、現在では(この時間帯として)実現不可能な企画である。着替え終わった人は前の方にある回転床に乗り、このコーナーの進行者・ガダルカナル・タカの「レッツ!しだるまタイム!」という掛け声とともにその姿をお披露目した。「しだるま」とは「まるだし(丸出し)」の逆読み。ルーレットは後に、宣伝内容に関係する出演者や番組として熱湯に入れたい出場者の名前を書いたマグネット製のシールを貼って、的を上書きし当たり易くされるようになった。また、ルーレットの赤い電気の部分は初期は電球が露出していたが、後に黒い枠に電気が埋め込むタイプにマイナーチェンジされた。ルーレットの回る時や止まる時のSEも何度かマイナーチェンジされている。

また、タカはこの番組の前身である『TVジョッキー』の初代司会者・土居まさるに放送を通じて、番組がお色気路線になってしまった事に対し、「土居さんすみません」と謝罪していた。

飯島直子がこのコーナーの進行役を務めていた頃、歌ゲストにC.C.ガールズが出演した際、熱湯挑戦者で自分達に関する事を宣伝してくれる人が来たにもかかわらず、ルーレットにネームプレートを貼る事を嫌がっていたC.C.ガールズに対し「すいません(これは番組の)仕来たりなんです!」と弁明。これがキッカケで、その日に来た熱湯挑戦者がレギュラー出演者やゲストに少しでも関係するような事があれば、強制的に熱湯ルーレットに参加(当たればもちろん、入湯)する事が定番化されるようになった(挑戦者と同行の有名人も例外にあらず。)が、こうした平等中心の路線が後述の事件を生む形となった。

番組末期は上島竜兵ダチョウ倶楽部)と辺見えみりが「熱湯兄弟」を結成し、のちに「アッチッチサンバ」という楽曲でCDデビューも果たした(後にこの曲はコーナーのオープニングや底のセンサーが作動している際のBGMとして使われるようになった(24時間テレビでの復活放送の際もこの手法が踏襲されている))。このCDのカップリングは、当時出場者にHなクイズや質問を出題するミニコーナー「熱湯クエスチョン」の質問集が収録されている、ナレーションを菅谷大介アナウンサーが担当しており、「熱湯アナウンサー」として出題者を務め、毎回出場者にいじられるのがお約束であった。なお、質問に答えられないとやかんや鍋に入った熱湯が追加された。

1993年、当時同局アナウンサーだった薮本雅子が熱湯ルーレットに当たってしまうと言う出来事があった。薮本は困惑する態度を示したが、タカに説得され、渋りながらも「お給料が上がるのかしら?」と水着への着替えを受け入れた[1]。その後、当番組を放送していた系列局のアナウンス部がこの件について、「一社員にこんないかがわしいことをさせるとはどういうことだ!」と番組制作班に猛抗議したため、これ以降は同局女子アナが入湯するのは禁止された。

ところが、それから4年後、1997年に当時番組アシスタントだった大神いずみアナが熱湯ルーレットで「スケスケ生着替え」のマスに当たるという事態が起きた。大神はその際入湯を拒否し、代わりに当時の松永二三男アナウンス部長らが藪本の一件以降のアナウンス部の方針について謝罪、自ら熱湯に浸かった。しかしながら、皮肉にもこの時大神が取った職場放棄とも取られる態度に、全国から抗議の声が殺到してしまった。この放送後、本人不在のまま大神を番組から降板させることが決定。ただ、この入浴拒否に対する抗議の中には「これは仕事だろ」といった内容のものが多かったものの、「これは仕事ではない、セクハラだ」と言った反論抗議も少なからずあった。

なお、この一件が理由の1つで、大神は同局に嫌気が差し、1999年に同局を退社してフリーへ転向した。

上記の一連の騒動の影響を受け、例えばフジテレビでは男女を問わずアナウンサーが水着で番組出演を行うことを禁じ、後に、アナウンサー以外でも女性タレントの入浴シーン自体が実質NGとなり、あっても足湯の類のみとなった。その他の局の動向は不明である。

日本テレビアナウンサー以外では、当時メンバー全員が未成年であったSPEEDを入湯させようとした場面が見られた。幸い実現には至らなかったが、直後に同ファンを中心に視聴者からの抗議が多く寄せられた。

ルーレットには、金色に塗られた「殿」=たけしのスペースもあったが、ルーレット1コマ分しかスペースが無いので、滅多に当たらなかった。しかし、放送500回記念だった1994年7月31日の放送で、非常に大きな的だったとはいえ初めて「殿」に命中。たけしがついに熱湯に入ることとなった。

また、熱湯ルーレットはSTOPボタンを押してすぐに止まるわけではなく、押されてからも暫く動いていた。その為、誰が選ばれるのかは分からず視聴者や出演者をハラハラドキドキさせていた。

熱湯長男ことダチョウ倶楽部の上島竜兵が入る際、決まって「押すなよ!押すなよ!絶対に押すなよ!」と言うが、これは「ウケを取るために押せ、そして熱湯の中に俺を落とせ」という意味である[2]。この他、上島が常に後方に立って、風呂に入る女性出場者の尻を食い入るように眺めるのもお約束であった。

その体裁と手法は『平成あっぱれテレビ』の1996年1月1日放送で行われた、「特設露天風呂企画」の原型になった。

[編集] 熱湯コマーシャルへのクレームとその後の番組に及ぼした影響

視聴者だけではなく、教育委員会からのクレームが常に絶えないコーナーだった事もあり、毎週BRO(現・BPO)の番組審議対象として取り上げられていた。

このコーナーの過熱ぶりは、後にこれまで当番組と違う時間帯で放送されていた番組が、同じ日曜13時台に枠移動した途端、急激に視聴率を落とす要因となり、さらには番組終了と日本テレビ13時枠が全国ネット枠からローカル枠に降格される遠因につながる事になる。90年代前半では同時ネットを取りやめテープネットに切り替える放送局が多々有り、セールスもネットセールスからローカルセールスへと格下げとなった[3]

詳細は後述にて述べるが、番組最末期には番組内でテコ入れが行われ、コーナー自体の放送時間が大幅に短縮された。しかしこれがさらにマイナスイメージとなり、最終的には番組自体の終了の原因となった。

[編集]  芸能人挑戦者と記録

[編集] 復活放送

『スーパージョッキー』終了後、過去の経緯もあり事実上封印状態であったが、2005年8月28日早朝、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』内にて、長年の沈黙を破り「スーパーJOCKEY同窓会」という形で一夜限りの復活を果たした。その後毎年『24時間テレビ』内の深夜枠で行われる事が恒例化している。 番組内容に配慮し、女性タレントが水着に生着替えする際、あらかじめ服の下に水着を着込んでいる事で放送事故を未然に防ぐという措置が取られている。またCMの内容は番組内のコーナーを紹介するものや、募金を呼び掛けるものが主流である。

2005年は、スパジョキの復活放送名目での実施だったため、ビートたけし以外のスパジョキ時代のレギュラーが集結(松村邦洋はたけしのものまねをしていた)。熱湯風呂にはくまきりあさ美岡田圭右ますだおかだ)、ダチョウ倶楽部が入湯した。

2006年は、小阪由佳堤下敦インパルス)、ダチョウ倶楽部が入湯した。小阪が入湯した際には、熱がる素振りを全く見せなかったため、実際には熱湯ではなかった事が露呈されてしまったが、翌年の出来事(後述)と比べると、それほど話題にはならなかった(半ば手探りの状態で進行していたため、スタジオではそれほど大騒ぎにはならなかった)。また、スパジョキ時代の「熱湯コマーシャル」の進行役を務めていたガダルカナル・タカ辺見えみりも含め、ダチョウ倶楽部以外のスパジョキ時代のレギュラーは参加せず(翌年以降も同様)、この年は久本雅美くりぃむしちゅー千野志麻、ダチョウ倶楽部により進行された。KAT-TUN赤西仁が告知終了後、CMブースの上から落ちる扉に頭をぶつけてしまったというちょっとしたハプニングもあった。堤下は時間内に着替えられず、尻を出してしまいスタジオにいた出演者から悲鳴が聞こえた。

2007年は、前回に引き続き参加したダチョウ倶楽部に加えタッキー&翼爆笑問題タカアンドトシ中川翔子が進行役として参加し、相澤仁美山崎静代南海キャンディーズ)が熱湯ルーレットに当たり入湯した。

その後、上島竜兵が小島よしおの真似をしたことがきっかけで小島が無謀な乱入を行い、浴槽内に立ちながら自身の持ちネタである「そんなの関係ねぇ!」「オッパッピー」を(肥後克広がやかんで差し湯をしたにも関わらず)熱がらずに披露した事と、参加者から「よしお!熱湯!熱湯!」というツッコミの後、入湯から20秒以上経過してからようやく熱がるリアクションを取った事から、昨年に続き再び熱湯では無かった事が露呈されてしまった。

その際、太田光は「熱いという前提が壊れちゃったよ」と火に油をそそぐ様な事を言って笑い飛ばしていたが、寺門ジモンからは「遅い!」と持っていた熱湯用の鍋で頭を叩かれ、小島は顔面蒼白になって言葉を失った。その後ジモンが騒動の原因となった上島に対し「時間稼いだからいいじゃん、な?」とフォローしたものの、これにより場の空気が完全に悪化したため、タッキー&翼が急遽服を着たまま浴槽内に落ち、場を取り直した。

また、滝沢秀明は全身びしょ濡れとなり、続いて今井翼も下半身だけが濡れた為その場にいた出演者は唖然となった。コーナー終了後、楽屋内でカンニング竹山サンミュージック企画の後輩である小島に対し「関係ある事もあるんだよ」と冗談交じりでアドバイスしている[4]。当日は撮り直しが出来ない生放送だった事もあり、一見重大なハプニングの様にとらえられるが、太田をはじめとする当日の出演者はハプニングと言うよりも笑い話として認識している様である。

その後、2007年11月8日テレビ朝日系列で放送された雨上がり決死隊冠番組雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』に上島と小島がゲスト出演した事から、宮迫博之が「この2人、24時間テレビの因縁がありますけど大丈夫ですかね」とこの話題に触れた。上島は「俺はもう大人だから…」と水に流すようなコメントをしていたが、小島に至っては「僕はあの時の記憶が定かではない」とコメントしていた。またこの騒動がきっかけか、上島と小島は「速水いまいち」シリーズでおなじみのサントリー「ビタミンウォーター」のCMで共演している(因みに、事件からわずか5日後である8月24日放送のフジテレビ系列の『森田一義アワー 笑っていいとも!』でもダチョウ倶楽部と小島が共演している(話題には一切触れられず)。

2008年は、くりぃむしちゅースザンヌ、ダチョウ倶楽部が進行役を務めた。小島はルーレットの頂点近くの目立つ場所に名前が置かれたが、当たることはなく、2回目のルーレットを回す前に軽く昨年のことを触れるのみだった。1回目では木口亜矢が入湯。しかし熱がる素振りがかなりオーバー気味でわざとらしく[5]、激しく熱がっている割には氷をほとんど使わないという矛盾が生じてしまう。2回目はニューハーフタレントはるな愛が入湯(当然ながら、女性用の水着を着用)。はるなも激しいリアクションを見せるが氷をほとんど使わなかった。この途中にダチョウが割りこんで、最早「伝統芸」とも呼べる巧みな熱湯リアクションを披露し、特にハプニングもなくコーナーを終えたが、本物の熱湯でないことは今回も明確に露呈していた。

2009年は、「熱湯コマーシャル007」として放送され、ネプチューン名倉潤が進行役を務めた。磯山さやか徳井義実チュートリアル)、有吉弘行、ダチョウ倶楽部が入湯した。

前述の事情のため、ジャニーズ事務所所属の男性アイドルがメインパーソナリティを務め、コーナーに必然的に参加する限りは、本物の熱湯は使うことが出来ない。

[編集] その他

[編集] 熱湯コマーシャルハプニング

時間内にカーテン落下
飯島愛がノーマル簡易更衣室で着替えている最中、残り16秒のときに突然残り時間表示表が消えて、時間内であるにもかかわらず突然カーテンが落ちてしまった(実際には電気系統の故障であった)。幸い飯島は既にビキニを胸に着けていたので放送事故に至らなかった。
胸が出る
中田英寿が出版した本のために入浴した2人のキャンペーンガールの着替えの時に時間内に間に合わず、両者とも手ブラ状態に。入浴した時に、熱湯のあまり1人がバスタオルの一部を外してしまい乳輪が半分映った。因みに、番組内で「熱湯コマーシャル」の名場面集が放送された際、モザイク等一切なしで流された。
ビキニが小さい
沢口みきが熱湯風呂に入る時に着替えた際に、胸が大きすぎて用意されていたビキニのサイズが合わないというハプニングもあった為、仕方なくバスタオルを巻いて入る事で対応した。
若い女性の全裸
番組後期に起きたハプニング。一般の若い女性出場者が着替えた際、予想以上に着替えに時間がかかってしまい完全全裸状態でカーテンが落下してしまいスタジオが大混乱、横のアングルからだが女性の全裸状態が映ってしまうというハプニングが起こり、エンディングにて放送中不適切な表現があった事をお詫びするテロップを流した。
イメージキャラクターの首が落下
マスコットキャラクターが入浴することになり、入浴したがあまりの熱さに暴れてしまい、マスコットキャラの首部分が落ちてしまった。
浅田好未、ビキニに手を突っ込む
パイレーツが着替え終わった際に浅田好未がビキニに手を突っ込んでしまい、それを相方の西本はるかが強引に引っ張るという事態になった。
ジャガー横田大激怒
  • 1998年2月ジャガー横田が熱湯コマーシャルに参加した際に、熱湯クエスチョンのHな質問に大激怒し、菅谷アナを自分の目の前に連れてこさせて、その場でクエスチョンを読ませた。その後菅谷の顔面を熱湯に突っ込むなどの暴挙に出た。
松村邦洋全裸事件
  • 松村邦洋が熱湯に入った際、出た直後あまりの熱さにパンツを脱いでしまうと言うハプニングがあった(幸いにも後ろを向いていたためテレビには映らなかった)

[編集] 熱湯コマーシャルの華を飾ったヒロインたち

熱湯ギャルズ
ハイレグワンピース水着を着た女の子4人で構成。ルーレットのマスで止まった人数分で入湯。めったに当たらなかった。1994年頃には水着の上に看護師、セーラー服などの衣装を重ね着して登場。
J-KISS(Jガール)
"どうですかお客さん"のコーナーが始まった頃に"熱湯ギャルズ"に代わって登場。やはり、ルーレットのマスで止まった人数分で入湯。"熱湯3姉妹"が登場してからはカラフルなバニーガール姿の"Jガール"に改名。
そもそも「J-KISS」は、芸能事務所3社(ホリプロサンミュージック芸映)の共同プロジェクトとして、各社所属の女性タレントで編成された3人組のグループであった。
熱湯3姉妹
番組末期に登場。こちらは、矢部美穂や森えいみ等のグラビアアイドルを中心に構成していた。

[編集] びっくりしたなぁーMOW!

1990年代初期〜中期にあったコーナー。ロケ企画(クイズやドッキリ企画)以外に、生活に役立つ情報(「痴漢撃退法」「スケベ体操」などの過激な内容もあった)を紹介するコーナーも含まれていた。 ちなみにこのコーナーには、レギュラー以外に浅草キッドも出演していた。

飯島直子は、このコーナーでカメラマンの撮るバックショットのアングルによって、スカートの中が映ってしまった事がある。この時は黒いパンツを穿いていた。 この事態にすぐ気づいた飯島はカメラマンを凄い顔で睨みつけていた。 また、山田まりやも運動器具の紹介のときにスカートの中を映されている。彼女はその時不満げな表情で「あたし今日生理なの」と言っていた。

篠原涼子は、オープニングで自身の歌である「ダメ!」を披露したあとに、このコーナーで井手らっきょにセクハラ(お尻を触られた)された事がある。

矢部美穂は、このコーナーでガダルカナル・タカにセクハラ(お尻を触られた)された事がある。 この時、矢部は体操着で紺色のブルマー姿だった。

スケベ体操のとき、たけしは「親が怒ってる」と(アシスタントの女の子に向かってか?)つぶやいていた。

このコーナーでは、毎回のように女性レギュラー陣の身体に触るなどのガダルカナル・タカによる、セクハラ行為が多々見られた。 その度に客席の女性から「やらしぃ!」との声も出ていたが、タカは「仕事でやっているんだから!」と大声で反論していた。

このコーナーによく参加していた木下優は母親から「タカさんには気を付けて!」と言われていたという。

[編集] どうですか〜?お客さん

まだ知られていないマイナーな製品を紹介するコーナー。誰も欲しがらないような、あまり意味の無い製品を紹介することも多かった。軍団メンバーによる実演もあった。

番組初期〜中期時代は「JOCKEY-1〜週変わりのサブタイトル」で称され、ビートきよし石倉三郎が週交代でマイナー製品コーナーの司会進行をしていた。

なお「どうですか〜?お客さん」というタイトルは、たけしプロレス軍団新日本プロレスに登場した際、アントニオ猪木が発した言葉に由来している。

[編集] ゾロ目でドーン!

番組最末期にあったコーナー。ゲスト・一部の観覧客を含めた出演者が1人ずつサイコロを投げて、予めたけしが出したサイコロの目と同じ目を出す事を目指す。たけしの出した目に応じて賞品を決定。制限時間内でたけしが出したサイコロの目を出した人は、賞品獲得を賭けたサイコロを振る(後に、顔面ラップ破り等のゲームに変更)。賞品は、サイコロに書かれた「本人」の目を出せば本人に、「視聴者」が出ると視聴者にプレゼントされた。大抵サイコロに細工がしてあったりラップが厚かったりと、視聴者プレゼントになるようないかさまが施されていたが、それでも数回程、出演者が賞品を獲得するケースもあった。ただ生放送時は、制限時間を設定せず時間になったら終了となった。

[編集] その他

  • 前身の『TVジョッキー』に引き続き芸能情報・映画情報コーナーがあり、芸能情報は日景忠男が、映画情報は水野晴郎が担当した。なお、芸能情報は日景の降板とともに撤廃。
  • その他、ゲストの歌手が歌を生で歌う企画やクイズ企画、単発の企画[6]などがあった。
  • カテゴリーは基本的にバラエティ番組に属するが、ゲストの歌を披露する時間も多めに取っており、ある意味で音楽バラエティ番組の見方もあった。ゲスト歌手は初期〜中期は3〜4組、後期は2組前後出演する番組内容となっており、特に前期に関してはアルバム収録曲も同番組で披露されることもあった。また、番組開始当初からステレオ放送であった。このためか、カメラ撮影などには音楽番組チームのスタッフが起用されていた[7]

[編集] 番組の休止について

[編集] エンディングテーマ

1995年10月〜1997年9月まで辺見えみりの「流れ星」、1997年10月から半年間は山田まりやの「daijo-bu!! 」、1998年4月から4ヶ月間はパイレーツのデビュー曲「INCATATION」、同年8月から最終回までは上島竜兵と辺見えみりの「アッチッチサンバ」が使用された。

[編集] ネット状況

  • RKCは番組開始当初は同時ネットだったが、番組がお色気路線となった影響で翌日月曜の深夜に枠移行、代わって『笑撃的電影箱』の遅れネットを開始した。また番組のローカルスポンサーは同じ曜日で遅れネットしていた『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ)に移行した。
  • FCTHTVでは、番組の内容が一部カットされ、CMの時間等に当てられた。
  • テレビ朝日系列局がない、YBSKNBJRTおよびFBC[8]の放送エリアでは、『東京国際女子マラソン』や『福岡国際マラソン』の中継時、また日本テレビ系列局でも高校サッカー地区大会決勝の放送やローカルのプロ野球中継があった場合は、それらを生放送し、本番組を同日深夜に回すことがあった。
  • KRYでは、『防府読売マラソン』のテレビ放送を初めて行った際、本番組の放送を取り止めたが、2度目以降は、同日深夜に遅れネットされている。ただ、通常時に関しては、番組がお色気路線に移行したにもかかわらず、RKC、FCT、HTVのような措置を全くとらず、NTVと同時ネット・完全放送を行っていた。かつてお色気路線に走りすぎた「11PM」を打ち切った事を考えれば、まさに隔世の感であった。
  • TVIでは、90年代前半は毎週同時ネットではなく、不定期ネットだった。
  • RABとKRYではNTV系列局が本番組を放送している裏で、TBS系列局[9]が同時刻に『たけし・逸見の平成教育委員会[10]を放送する珍事が起きてしまい、その結果、司会のたけしだけではなく、たけし軍団の一部のメンバー(タカやダンカンなど)が重複する事態になっていた。
  • RNBは1994年ごろまで日曜の13時台は特番枠であったためにそれまで未ネットであった。
  • 鹿児島県ではKTS(フジテレビ系列、当時はNTV系列とのクロスネット局)で放送されていたが1992年3月に打ち切りとなった。その後1994年4月にNTV系列のフルネット局であるKYTが開局したことで「放送再開」されている。

[編集] 番組の終焉

真偽の程は不明であるが、当時の日テレ社長氏家齊一郎民放連の会長を務めていた当時、「これからは健全な番組製作を目指す」と述べたところ、会員らに「ならばお宅のスーパージョッキーを打ち切って襟を正せ!!」と非難されたため、やむなく打ち切りを決定したとする説が存在する。だがこれは、一部の芸能誌による捏造記事が元になって造られた説とも言われる。

実際には、番組最末期になって既述の通り問題視され続けていた「熱湯コマーシャル」の過激化と長期間の放送によるマンネリ化がますます進行し、視聴率が下降気味になった為、急遽番組のイメージチェンジを迫られた。そして、新レギュラーに鈴木史朗を起用、さらに新コーナー「ゾロ目でドーン!」が開始される等、番組内でテコ入れが行われ「熱湯コマーシャル」自体の放送時間が大幅に短縮された。しかし付け焼き刃的なテコ入れで無理にイメージを変えようとした上、これまでの低俗・お色気路線のイメージが依然として残っていた事から、視聴者がイメージチェンジ前とのギャップを感じる様になってしまい、さらなるマイナスイメージとなった。この結果、同じ時間帯に放送されている裏番組に流れていった視聴者を取り戻せなかったばかりでなく、さらに視聴率を減少させた。そして最終的にはこれが原因となって日テレの『スーパージョッキー』放送終了の英断に繋がった、というのが真相のようである。

当番組の制作会社の社員が「かつてスーパージョッキーという番組を担当していた頃、あまりにも内容が過激になってしまった為に、当時の日テレ社長から怒られた事がある」と漏らしていた。2度の降板・終了の危機を乗り越えて司会を担当してきたビートたけしは番組の打ち切りに、「芸人として思いっきりバカができる番組が無くなってしまった」と嘆いたという話も残されている(ダンカン談)。番組としては16年3ヶ月[11]続き、放送回数は721回で前番組の『TVジョッキー』よりもさらに長続きしていた。

[編集] スーパージョッキー終了後

番組終了後、日曜13時00分枠はこの影響を受けてか、全国ネット枠[12]からローカル枠に格下げされた。日テレ(関東地方)では、後番組として『とりあえずイイ感じ。』を13時00分 - 13:30に放送された。

『とりあえずイイ感じ。』終了後の後番組には『日本のミカタ』を経て『巨人中毒』が放送されたが、いずれも『スーパージョッキー』のマイナスイメージが残っていたことなどから視聴率的に低迷したため、裏番組に勝てなかった。その後特別番組の再放送枠を経て、現在日テレ(関東地方)では日曜13時00分枠は、『カウントダウン・ドキュメント 秒ヨミ!』(12時45分 - 13時25分、中京テレビ制作)と特別番組の再放送枠(13時25分 - 15時00分)に充てられている。

またその他の地域では枠が分割され、特別番組や過去に放送された番組の再放送枠の後、日曜13時30分 - 15時00分にやしきたかじん冠番組たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)が入っている地域(関東や東北の一部・福井県・沖縄県を除く)が多くなっている。なお『いただきマッスル!』が日曜13時枠の前半枠に移動したのは、長年に渡り放送された『TVジョッキー』及び『スーパージョッキー』の全国ネット放送時代の名残であり、『そこまで言って委員会』は司会のたかじんや多くの出演者が猛反対していたため首都圏ネットを拒否された(東京MXテレビ以外の独立UHF局を除く)。そのため、日テレの強い意向だと推測される。理由は、そこまで言って委員会で言った発言を(東京キー局である日テレを含めた)在京キー局やローカル局でした場合、降板や放送局の出入り禁止となることがあるためと東京キー局には報道局に政治部があったり、大阪の番組に馴染みがなかったり(関東で以前半年で放送を打ち切られた番組例:『なるトモ!』、『クイズ!紳助くん』など)などが挙げられる。また『噂の!東京マガジン』同時ネット地区では、視聴率的に『アタック25』、『東京マガジン』、『そこまで言って委員会』の三つ巴の争いが繰り広げられている。

[編集] 出演者

[編集] 総合司会

但し、1986年12月から1987年8月まではフライデー襲撃事件に伴う謹慎で、及び1994年8月から1995年3月まではバイク事故による療養のため出演せず。前者に関しては代役の総合司会を当時たけしが所属していた太田プロの後輩・山田邦子(回によってはたけしの親友である所ジョージも参加)が担当、後者に関しては特別な代役は立てなかったが、ガダルカナル・タカが実質的な総合司会代理を務め、時折細川ふみえが総合司会を代行していた。

[編集] パートナー司会(女性アシスタント)

スタート当初から数年間はたけし一人が司会を務めていたが、1985年頃(?)に春やすこがパートナーとして加入してからは細部は女性アシスタントが担当することになった。また、1992年10月からは複数制となった。

  • (時期不明)春やすこ
(この間不明)
  • 1990年4月〜1992年9月:蓮舫
  • 1992年10月〜1994年9月:薮本雅子(当時日本テレビアナウンサー)・飯島直子細川ふみえ
  • 1994年10月〜1995年9月:大神いずみ(当時日本テレビアナウンサー)・飯島直子・細川ふみえ
  • 1995年10月〜1996年9月:大神いずみ・飯島直子・辺見えみり
  • 1996年10月〜1997年6月:大神いずみ・辺見えみり・佐藤藍子
  • 1997年7月〜9月:辺見えみり・佐藤藍子・山田まりや
  • 1997年10月〜1999年3月:辺見えみり・山田まりや

[編集] レギュラー

[編集] 全期

[編集] 前期(1983年1月〜1990年12月)

[編集] 後期(1991年1月〜1999年3月)

1991年12月まで
  • 水野晴郎(映画解説)
  • 稲川淳二
  • 石倉三郎
  • ビートきよし(ツービート)
1992年1月から

フライデー襲撃事件のため、たけしのほか軍団主要メンバーが総じて謹慎することになった1986年12月〜1987年8月までの8ヶ月間に関しては、襲撃事件に参加しなかったつまみ枝豆井手らっきょラッシャー板前の3名を「留守番隊」と称して「ガンバルマン」コーナーの中心に据え、不在だったたけし軍団の代役としてダチョウ倶楽部と当時太田プロ所属であった大川興業らが「ガンバルマン」などのコーナーに参加していた。その後、ダチョウ倶楽部は1987年4月、不起訴が決定して一足先に復帰したたけし軍団と交代で番組から一時離れるが、1991年、きよし・石倉・稲川など初期の主要レギュラーが全て降板したことに伴い、今度は正式のレギュラーとして番組に復帰、同時に松村・蛭子も新たにレギュラーとなった。

[編集] 準レギュラー

[編集] スタッフ

  • 制作協力:オフィス北野(1988年までは太田プロダクションとクレジットされていた)
  • 歴代プロデューサー:八田一郎、高橋靖二、渡辺弘中村英明藤井淳
    • 藤井は『熱湯コマーシャル』で社長賞をもらった。
  • 構成:沢口義明、西川晋、河村達樹、だいもん孝之、高梨武志、吉原政幸
  • 渡辺弘が初回(当時ディレクター)から1996年6月(当時チーフプロデューサー)まで携わり、以後も最終回まで彼が築いた路線を引き継いだため、スーパージョッキーは渡辺弘の番組だったと言う声もある。その後7月から1999年3月の最終回までCPは増田一穂が担当した。

[編集] 脚注

  1. ^ ただし、着替えはスタジオ外で行った
  2. ^ 後にダチョウ倶楽部のメンバーが語ったところによると、最初の「押すなよ!」は準備中、最後の「絶対に押すなよ!」で準備OKという意味とされる。
  3. ^ 特に本番組終了後、テレビ朝日系のみを残してあとの系列キー局はすべてローカルセールスに統一された。これは10年以上経った今日でも全く変わっていない。
  4. ^ 若槻千夏ブログより。
  5. ^ 足の先が熱湯に浸かっているにも関わらず、一切リアクションをしないシーンがあった。
  6. ^ 例・「困ってしまうレコード(1曲)」コーナー等
  7. ^ 番組中で山田邦子が話していた。
  8. ^ 放送期間中の1989年4月にテレビ朝日系列に加盟。ただし加盟後もNTV系列引き続き参加
  9. ^ 青森県はATV、山口県はTYS
  10. ^ 恐らくは全国ネット廃止後の1992年10月以降と言われる。ちなみに「平成教育委員会」はTYSで1996年9月まで放送され、1996年10月からはKRYで放送された。
  11. ^ 源流番組の『コント55号とTVジョッキー』時代を加えると通算29年。
  12. ^ ただし、スーパージョッキーの番組の途中からローカルセールス枠に変わっている。

[編集] 前後番組の移り変わり

日本テレビ 日曜午後1時枠
前番組 番組名 次番組
スーパージョッキー
13:00=とりあえずイイ感じ。
関東ローカル枠)
13:30=単発・再放送枠

最終更新 2009年11月22日 (日) 06:46 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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