ズラタン・イブラヒモビッチ
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| ズラタン・イブラヒモビッチ | ||
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| 名前 | ||
| 愛称 | イブラ、ズラタニオ 、イル・ジェニオ(Il Genio:天才) |
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| ラテン文字 | Zlatan Ibrahimović | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1981年10月3日(28歳) | |
| 出身地 | マルメ・ローゼンガルテン | |
| 身長 | 195cm | |
| 体重 | 95kg | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | FW | |
| 背番号 | 9 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1999-2001 2001-2004 2004-2006 2006-2009 2009- |
40 (16) 73 (32) 70 (23) 88 (57) |
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| 代表歴2 | ||
| 2001- | 58 (22) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。現在。 2. 2009年9月5日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ズラタン・イブラヒモビッチ(Zlatan Ibrahimović, 1981年10月3日 - )は、スウェーデン・マルメ出身でFCバルセロナ所属のサッカー選手。ポジションはFW。愛称はイブラ、ズラタニオ、イル・ジェニオ(Il Genio:天才)。
目次 |
[編集] プレースタイル
並外れたフィジカルに加え、スピード、繊細なボールコントロール技術も有しており、シュートやアクロバティックなプレーで数多くのゴールを量産する。ドリブルやトラップの技術も高く、極めて高いボールキープ力を誇る。最大の武器はその全てを高次元で融合させたポストプレーである。
一方で、彼の課題は感情のコントロールと言われ、気性の強さがマイナス方向に働く事も多かった。ユベントス所属時代には、厳格な指導で知られるファビオ・カペッロ監督の下、少しずつ改善の様子を見せており、インテル移籍後は、熱くなったチームメートを自ら制止するなど、以前のようにピッチ内外で問題を起こすことは少なくなってきている。しかし、その実力は下記の個人タイトルや“天才”の愛称からも見て取れるように確かであり、世界最高峰のセンターフォワード(ターゲットマン)とされる。
遠目の位置からのフリーキックを直接決めることもある。
[編集] クラブ
「イブラヒモビッチ」の名が示す通り、ルーツをバルカン半島に持つ彼は、スウェーデン人の血を引いてはいない。スウェーデンに移住したボスニア人の父セフィクとクロアチア人の母ジュルカとの間に生まれた。
幼い頃から、4点ビハインドの試合で交代選手として投入され8得点を奪うなど、「単独で局面を打開出来る」選手として傑出した才能を示す。1995年にスウェーデン屈指の強豪であり自身の地元のクラブでもあるマルメFFと契約し、1999年にトップチームデビューを果たす。しかしそのシーズン、マルメFFは2部リーグ降格となった。主力選手が移籍していく中、イブラヒモビッチはこれを「レギュラー獲りのチャンス」と考え、その読み通りに翌シーズンレギュラーとして活躍。26試合12得点の成績を残し、チームの1部リーグ復帰に貢献した。
この活躍を見たアヤックスやアーセナルなどのビッグクラブがイブラヒモビッチ獲得に乗り出し、特にアーセナルはアーセン・ヴェンゲル監督が自ら背番号9を保証するなど懸命に獲得を試みたが、最終的には10代の選手としては破格の、そしてチーム史上最高額の780万ユーロ(約10億2200万円)の移籍金を提示したアヤックスに移籍した。そのアヤックスでかつてマルコ・ファン・バステンやパトリック・クライファート、ヌワンコ・カヌなどが背負った背番号9を受け継いだ。ピッチ内外で度重なるトラブルを起こし、そのプレーよりも問題児ぶりをクローズアップされたものの、2001-2002シーズンのオランダカップ決勝で決勝ゴールを決めるなど徐々にチームの主力となった。2002-2003シーズンもUEFAチャンピオンズリーグで4得点、エールディビジで10得点を挙げ、レギュラーの座を不動のものとした。翌シーズンは足の故障のため3ヵ月欠場するが、復帰後は16試合13得点を記録し、PSVアイントホーフェンからの王座奪回に寄与すると、この年にカペッロ監督を招聘していたユヴェントスが獲得を画策し、1900万ユーロ(約26億円)もの移籍金で活躍の場をセリエAに移した。
当初は、アレッサンドロ・デル・ピエロ、ダビド・トレゼゲに次ぐ3番手のFWと目されていたが、2004-2005シーズンのセリエA開幕戦ブレシア戦でデビューし、早速ゴールを挙げると、トレゼゲやデル・ピエロの故障もあって、カペッロ監督の信頼を得始める。彼らの復帰後もユヴェントスフォワード陣の柱となり、最終的に35試合16点の成績を挙げ、ACミランからのセリエA王座奪回に貢献した。2005-2006シーズンも2トップの一角として、ユヴェントスのセリエA首位独走に貢献した。2006/2007シーズンからは、ユヴェントスの審判操作疑惑によるチームのセリエB降格の影響により、2460万ユーロ(約37億円)の移籍金で昨シーズンまでと同じセリエAの強豪インテルへの移籍が発表された。
2006-2007シーズンはセリエA初年度の16ゴールには及ばなかったものの15ゴールを記録し、インテルの15度目のスクデットに貢献した。しかし、セリエAにおける活躍に対してチャンピオンズリーグでは無得点で、ベスト16で敗退した。
2007-2008シーズンは右膝の怪我に悩まされたものの、セリエAで17ゴールを記録しインテルの16度目のスクデットに貢献した。特にセリエA最終節のパルマFC戦では後半途中から投入されると2ゴールを奪い、この活躍でインテルは勝利。スクデット獲得を決めた。チャンピオンズリーグのグループリーグでは5ゴールを記録するも決勝トーナメント1回戦のリバプールFC戦では無得点に終わり、チームはまたしてもベスト16で敗退した。
2008-2009シーズンはチャンピオンズリーグではわずか1ゴールに終わりチームも三度ベスト16で敗退するも、セリエAでは得点を量産し、インテルのセリエA4連覇に貢献。自己最多の25ゴールを記録し、セリエA得点王に輝いた。
2008-2009シーズン終了後、「インテルでやることはもうない」というイブラヒモビッチの発言から移籍が噂されたが、クラブやイブラヒモビッチ自身も残留を明言。新シーズンの背番号が10に決定するなどインテルに残留すると思われたが、2009年7月、サミュエル・エトオとのトレードでFCバルセロナへ移籍。実際移籍金は史上2番目高価の6900万ユーロ(約93億円)で、5年契約。背番号はエトオが付けていた9。
2009-2010シーズン、バルサのスタイルに馴染めるかどうかが不安視されていたが日を追うごとに周囲の選手との連係を高め、リーガ開幕戦のスポルティング・ヒホン戦では早速ゴールを決めた。その後も順調にゴールを重ね、移籍初年度選手の開幕から5戦連続ゴールというバルサのクラブ記録を打ち立てた。 自信初のクラシコでは後半からアンリに代わって出場し、ダニエウ・アウヴェスからの絶妙なクロスに走り込み、左足のボレーシュートを放ち決勝点となった。
[編集] 代表
代表テビューは2001年1月31日のフェロー諸島戦である。2002年日韓W杯の最終メンバーにも20歳の若さで選出されたが、グループリーグのアルゼンチン戦と決勝トーナメント1回戦のセネガル戦の2試合30分の出場にとどまった。
EURO2004の本大会からレギュラーに定着すると、グループステージ第1節のブルガリア戦でPKを決め、続く第2節のイタリア戦ではゴールに背を向けたままジャンプしながら踵でループシュートを決め、チームをグループステージ突破に導いた。準々決勝のオランダ戦、PK戦にもつれ込んだこの試合で3番目のキッカーとして登場するが、これを外し、オランダに敗れた。
2006年ドイツW杯欧州予選でも8試合8得点を記録し、スウェーデン代表として本大会への切符を手にした。しかし、代表でも試合前の国歌斉唱中に他のメンバーが歌っているのにもかかわらず、彼だけチューインガムを膨らましているシーンがテレビで放送され、国民から反感を買った。本大会でも活躍を期待されたが無得点に終わり、チームも開催国・ドイツに敗れベスト16にとどまった。2006年9月の欧州選手権予選期間中に「規律を守らなかった」としてクリスティアン・ヴィルヘルムション、オロフ・メルベリらと共に同国代表を追放された。その後、二転三転あったものの、2007年3月の試合から代表復帰を果たした。
EURO2008ではグループリーグ第1戦のギリシャ戦で強烈なミドルシュートを決めた。このゴールはイブラヒモビッチの代表として実に2年8ヶ月ぶりのゴールとなった。試合はその後スウェーデンが追加点を決め2-0で前回大会王者であるギリシャを下した。第2戦のスペイン戦ではフェルナンド・トーレスに先制点を許すも自身の同点ゴールで試合を1-1とする。しかし後半ロスタイムにダビド・ビジャに決勝点を決められ、試合は1-2で敗れた。決勝トーナメント進出をかけて臨んだ第3戦のロシア戦ではフル出場するも不発に終わり、試合もロシアのエースアンドレイ・アルシャヴィンの活躍で0-2で敗れ、グループリーグ突破はならなかった。大会前からの自身の右膝の怪我もあり、不本意な結果で本大会を終えた。
2010年W杯欧州予選ではデンマークやポルトガルなどの強豪と同居したグループ1で3位に終わり、本大会出場はならなかった。
現在、代表チームではキャプテンを務めている。
[編集] その他
- ユヴェントス時代のチームメイトであるファビオ・カンナヴァーロに勧められて2006年2月に髪を丸刈りにしている。
- テコンドーの有段者である。ハイボールをとらえるアクロバティックなシュートは、幼少時からのテコンドーのキック練習の賜物と言っている。
- 自分のヒーローはモハメド・アリだと明言している。
- 自らの所有するベンツで数回事故を引き起こしている。
- 好物はアップルパイ、寿司。
- 以前所属していたユヴェントスの試合の前、他の選手がウォーミングアップをしているさなか、チューイングガムでリフティングをしていた。
- アヤックスへ移籍した際、ロッカールームでの自己紹介時、「俺はズラタンだがお前らは誰だ?」と言い放った。
- アヤックス時代は素行の悪さで何度も問題になったことがある。その中でも空中戦による肘鉄は猛威をふるい、相手選手が怪我をすることが多かった。現に2002-03シーズンには肘打ちにより5試合の出場停止処分を受けている。同じスウェーデン代表のFWマルクス・ローセンベリや、アヤックス時代の同僚ラファエル・ファン・デル・ファールトとは仲が悪いことで知られる。特にラファエル・ファン・デル・ファールトには、オランダとの国際試合で彼を殴り負傷させ、退場に追い込んだ。また、同じく当時同僚であったミドとロッカールームで喧嘩をし、ハサミを投げつけられてもいる。
- ユヴェントスからインテルへ移籍する会見で「自分はインテリスタだ」と発言し、ユヴェンティーノから激しい顰蹙を買った。
- 試合後の会見で「君の独特なプレースタイルはイタリア流?それともスウェーデン流?」と聞かれ、「俺のスタイルはズラタン流だ。」と答えた。
- 11歳年上の妻と息子が一人居る。妻の名前はヘレン、息子の名前はマキシマム。
- 妻の誕生日に何をプレゼントしたのか聞かれ「俺をあげたよ。」と答えた。
- 2009年に背番号を8から10に変えたが一ヶ月もたたずにインテルからバルセロナに移籍した。
- バルセロナ移籍後のリーガ第8節レアル・サラゴサ戦は負傷したダニエウ・アウヴェスの代わりにロングレンジのフリーキックを任され、キーパーの手を跳ね飛ばすゴールを直接決めた。これはインテル在籍時にシニシャ・ミハイロヴィチと練習を供にし修得したものである。
[編集] 所属クラブ
[編集] 獲得タイトル
[編集] クラブ
アヤックス
- エールディヴィジ:2(2001-02, 2003-04)
- KNVBカップ:1(2001-02)
- ヨハン・クライフ・シャール:1(2002-03)
インテル
- セリエA:3(2006-07, 2007-08, 2008-09)
- イタリア・スーパーカップ:2(2006, 2008)
[編集] 個人
- UEFAベストイレブン:1(2007)
- スウェーデン最優秀選手:3(2005, 2007, 2008)
- セリエA最優秀外国人選手:2(2005, 2008)
- セリエA最優秀選手:1(2008)
- セリエA得点王:1(2008-09)
[編集] 個人成績
| クラブ | シーズン | リーグ | リーグ戦 | カップ戦 | 欧州カップ戦 | 合計 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | ゴール | 試合 | ゴール | 試合 | ゴール | 試合 | ゴール | |||
| 1999 | アールスヴェンスカン | 6 | 1 | - | - | - | - | 6 | 1 | |
| 2000 | スーペレッタン | 26 | 12 | - | - | - | - | 26 | 12 | |
| 2001 | アールスヴェンスカン | 8 | 3 | - | - | - | - | 8 | 3 | |
| 2001–02 | エールディヴィジ | 24 | 6 | 3 | 0 | 6 | 2 | 33 | 8 | |
| 2002–03 | エールディヴィジ | 25 | 13 | 3 | 3 | 13 | 5 | 41 | 21 | |
| 2003–04 | エールディヴィジ | 22 | 13 | 1 | 0 | 6 | 2 | 29 | 15 | |
| 2004–05 | エールディヴィジ | 3 | 3 | - | - | - | - | 3 | 3 | |
| 2004–05 | セリエA | 35 | 16 | 0 | 0 | 10 | 0 | 45 | 16 | |
| 2005–06 | セリエA | 35 | 7 | 2 | 0 | 9 | 3 | 46 | 10 | |
| 2006–07 | セリエA | 27 | 15 | 2 | 0 | 7 | 0 | 36 | 15 | |
| 2007–08 | セリエA | 26 | 17 | 1 | 0 | 7 | 5 | 34 | 22 | |
| 2008–09 | セリエA | 35 | 25 | 3 | 3 | 8 | 1 | 46 | 29 | |
| 2009–10 | プリメーラ | |||||||||
| 合計 | スウェーデン | 40 | 16 | - | - | - | - | 40 | 16 | |
| オランダ | 74 | 35 | 7 | 3 | 25 | 9 | 106 | 47 | ||
| イタリア | 158 | 80 | 8 | 3 | 41 | 9 | 207 | 92 | ||
| スペイン | ||||||||||
| 合計 | 272 | 131 | 15 | 6 | 66 | 18 | 353 | 157 | ||
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| FCバルセロナ - 現所属メンバー |
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1 V・バルデス | 2 D・アウヴェス | 3 ピケ | 4 マルケス | 5 プジョル | 6 シャビ | 8 イニエスタ | 9 イブラヒモビッチ | 10 メッシ | 11 ボージャン | 13 ピント | 14 アンリ | 15 ケイタ | 16 ブスケ | 17 ペドロ | 18 ミリート | 19 マクスウェル | 21 チグリンスキー | 22 アビダル | 24 トゥーレ・ヤヤ | 28 ジョナタン | 32 フォンタス | 33 ムニエッサ | 35 ジェフレン 監督: グアルディオラ |
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最終更新 2009年12月2日 (水) 15:30 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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