ズームイン!!朝!
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| ズームイン!!朝! | |
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![]() 「ズームイン!!朝!」の生放送が行われた 現在の初代マイスタジオ跡地 (現:日本テレビ麹町診療所) |
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| ジャンル | ニュース・情報番組 |
| 放送時間 | 平日 7:00 - 8:30(90分) |
| 放送期間 | 1979年3月5日 - 2001年9月28日 |
| 放送国 | |
| 制作局 | 日本テレビ放送網 |
| 出演者 | 徳光和夫 福留功男 福澤朗 他 |
| オープニング | 作曲:宮川泰 |
| エンディング | 同上 |
| 外部リンク | 日本テレビ |
『ズームイン!!朝!』(ズームイン あさ)とは日本テレビ系列の各テレビ局で1979年から2001年まで22年半放送されていた、平日(月曜日から金曜日)の朝の情報番組である。放送時刻は7:00 - 8:30(JST、開始以来不変)。
目次 |
[編集] 概要
東京都千代田区二番町(麹町)の日本テレビ本社(当時)内オープンスタジオ「マイスタジオ(通称:マイスタ)」を拠点に、国内外からの中継を基に構成。最新のニュース、スポーツ情報から、番組の目玉である日本列島各所の中継、特集を放送した。
番組の企画段階での仮タイトルは『今日、あなたは』。その後『ズームイン!!全国的に朝!』と変更されたが、当時の小林與三次社長の決裁により「全国的に」の部分だけが取れて『ズームイン!!朝!』に落ち着いた。
番組の開始を機に、当時新築された日テレ本社南本館1階に「マイスタジオ」を新設した。マイスタジオはこの番組以外にも『ルンルンあさ6生情報』や『タウン5』(後に『ズームイン』の第2代司会者となる福留功男が担当)、『日本テレビハイライト』などで使用されたほか、スタジオ特性(外部からの中継回線を通常のスタジオより多く受け入れられる設計であった)を生かし、外部からの中継番組を処理する「受けサブ(リモートサブ)」としても使用された。
2001年10月1日からは『ズームイン!!SUPER』としてリニューアルされ、現在に至る。
[編集] 番組の歴史
[編集] 徳光時代
- 1979年3月5日放送開始。初代司会者は徳光和夫。3月初頭という改編期前の中途半端な時期に放送開始した理由は「4月に開始だと改編期に当たるため、広報がPRに力を入れてくれない。3月なら広報も暇だからPRに協力してくれる」というプロデューサーの思惑が理由だとされている。
- 開始当初からの企画としては、各局が地元球団を応援しながら伝える「プロ野球イレコミ情報」、街角からの中継で通りがかった一般の人と英会話を行う「Wickyさんのワンポイント英会話」、「朝の詩(ポエム)」など人気コーナーがあり、長寿企画である。
- 1979年4月2日、西日本放送の岡山・香川相互乗り入れにより岡山県で放送を開始。
- 1979年7月2日(実質は6月25日のサービス放送から)、前日に開局した静岡第一テレビで放送を開始。それまで日本テレビのクロスネット局であった静岡けんみんテレビは前番組の『NNNおはよう!ニュースワイド』はネットしていたものの、終了後はテレビ朝日系列の『オリンピックニュース』とアニメの再放送枠に充てていた。
- 1980年に『ゆく年くる年』を日本テレビが制作することになった際には『ズームイン』のスタッフが実働部隊となり、『ズームイン』のシステムで『ゆく年くる年』を制作・放送した。これには『ズームイン』並びにキャスターとしての徳光を全国的に売り出す狙いがあったとされ、そのために渡辺謙太郎(TBS)、露木茂(フジテレビ)、奈良和(テレビ朝日)といった各局の看板キャスターを集め、中心に徳光を置くといった演出も行われた。またこれがきっかけとなり、翌1981年4月から鹿児島テレビ(当時はフジテレビと日本テレビのクロスネット局)が『ズームイン』のネット局に加わるなどの効果も生まれた。
- 1980年10月1日、この日に開局したテレビ信州で放送を開始。それ以前は長野県に日本テレビ系列局が無かった。
- 1981年4月1日(実質は3月25日のサービス放送から)、この日に開局したテレビ新潟で放送を開始。それまで日本テレビのクロスネット局であった新潟総合テレビは当時間帯にテレビ朝日系列(『ANNニュースセブン』)とフジテレビ系列(『FNNテレビ朝刊』『ママとあそぼう!ピンポンパン』『ひらけ!ポンキッキ』)の番組を放送していたため、テレビ新潟開局まで新潟県での放送は無かった。開局当日は司会の徳光が新潟に赴き、生放送を行った。また、この日に鹿児島テレビでも放送を開始。
- 1982年4月1日(実質は3月29日のサービス放送から)、この日に開局したくまもと県民テレビで放送を開始。それまで日本テレビのクロスネット局であったテレビ熊本は当時間帯にフジテレビ系列の番組を放送していたため、くまもと県民テレビ開局まで熊本県での放送は無かった。
- 1987年、「プロ野球イレコミ情報」で当時読売テレビアナウンサーの辛坊治郎、森たけしが阪神タイガースの弱さを嘆いた台詞「なんぎやなぁ」が流行語となり、流行語大賞の銀賞を受賞(フレーズを考えたのは森たけし)。
[編集] 福留時代
- 1988年3月、徳光が新番組『NNNニュースプラス1』を担当することになり勇退。後任に福留功男が起用される。なお、福留は当時『アメリカ横断ウルトラクイズ』(1977年~1990年)の司会を務めており、そのロケ期間(1ヶ月間ほど)は代理キャスターが担当していた。また、1988年7月22日放送の「ワンポイント英会話」に鞍馬天狗扮したビートたけしとリポーターに徹した高田純次が突如通行人として出演した(『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の企画による物)。ウィッキーに対してちょっかいを出すたけしの奇妙な行動に福留も「今写っているのはたけしさんじゃないですか?」と声を掛けて見破った。その場面は番組史上最高傑作の爆笑シーンとなった。
- 1990年4月2日(実質は3月26日のサービス放送から)、前日に開局したテレビ金沢で放送を開始。それ以前は石川県に日本テレビ系列局が無かったため、北日本放送が取材を行っていた。
- 1990年7月には8時台の「NSヘッドライン」を「情報トレイン」に変更。さらには「31分31秒」を「朝生リポート」に変更し、31分31秒に代わる企画「ズームインズーム」を登場させ、「ワンポイント英会話」の開始時間を7時45分にするなどの大幅なリニューアルを行った。
- 福留が中心となって視聴者の朝の生活習慣を調査。トイレ・歯磨きなどほとんどの行動が3分以内であることが判明。それを機に1回の中継時間を3分とした。また、それまで持ち回り制だった中継スケジュールを廃止。毎月全国の放送局のディレクターを集めて企画会議を行い、それを基に中継を実施した。「情報トレイン」に至っては会議であらかじめテーマを決め、各局が企画したテーマを持ち帰って取材を進め、中継を放送した。
- 1991年4月1日、長崎県での放送がテレビ長崎からこの日に開局した長崎国際テレビに変更。
- 1992年10月1日、これまでTBSの平日朝7時の番組(最末期の番組は『ビッグモーニング』)を放送していた秋田放送と南海放送が番組ネットに参加。
- 1993年4月9日、番組放送開始15周年を記念して日本テレビ開局40周年記念特別番組『ズームイン!!夜!』をゴールデンタイムの夜7時から4時間に渡って放送した。かつての司会である徳光と当時の司会である福留のダブル司会により朝と同じスタイルの番組を夜に展開する企画で、好評につき同年秋にも2回目(このときは夜7時からの2時間30分)の放送がなされた。
- 1993年から1994年に掛けて、長寿企画である「朝の詩(ポエム)」や「ワンポイント英会話」のコーナーを終了するなどの第2のリニューアルを進めた。「朝の詩」は花王の一社提供コーナーであり、花王に了承を得てから終了となった。以後、花王は提供クレジットから降りてPT(パーティシペーション)扱いとして、現在の『ズームイン!!SUPER』でもCMを流している。
- 1994年4月1日、鹿児島県での放送が鹿児島テレビからこの日に開局した鹿児島讀賣テレビに変更。
- 報道特別番組が放送されるような重大な事件・事故が起きた際、その翌朝にはメインキャスターである福留自らがマイスタを離れて事件現場に乗り込み(福留自身報道記者の経験がある)、そこから生放送やリポートを行う手法を多用した。1993年7月12日の北海道南西沖地震発生の際には被災した奥尻島を翌朝の番組でヘリコプターからリポートしたほか、最も有名なのは1995年1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)発生の翌日に神戸に入り現地キャスターと被災地や被災者のリポートを行っている。『ズームイン!!SUPER』になってからの2007年7月16日の新潟県中越沖地震・2008年6月14日の岩手・宮城内陸地震発生の際にもメインキャスターである羽鳥慎一自らが現地からリポートをしている。
- 1996年4月6日、土曜日に姉妹番組として『ズームイン!!サタデー』を放送開始。通称『ズムサタ』。初代司会者は福澤朗(ただテレビ大分は自社制作などの折り合いが付かず、2年後の1998年4月に開始した)。
- 1998年4月1日、前半ネット部分のスポンサー体制が、それまでの隔日提供から曜日毎の提供に変更された。
[編集] 福澤時代
- 1998年8月31日の放送を最後に福留が勇退。代わって9月1日放送から『ズムサタ』の福澤朗を総合司会に起用。福澤は『アメリカ横断ウルトラクイズ』(1991年~1992年)と『全国高等学校クイズ選手権』(1991年~2000年)の司会も福留に代わって担当した。ちなみに福留は、1ヵ月後の10月1日から8年ぶりに『アメリカ横断ウルトラクイズ』(一度限りの復活“今世紀最後”)のロケに出掛けている。
- 2000年1月5日、「ズバリ!!橋本五郎」放送中に当時の小渕恵三首相から突然電話がかかり、スタジオと数分間談話した。この日の前後にも複数の番組に電話をかけ、話題になった(前年の流行語大賞にも選ばれた「ブッチホン」の有名な一例である)。
- 2001年9月28日に番組終了。22年半の放送にピリオドを打ち、福澤を司会に据えた『ズームイン!!SUPER』にリニューアルされる[1]。
- 徳島県の日本テレビ系列局である四国放送はローカル番組『おはようとくしま』の放送のため、開始から終了まで一貫して放送されなかったが、裏送りで中継には参加した。
- なお、2000年秋には『スーパースペシャル2000』で当番組のスペシャルが放送され、歴代の司会者である徳光・福留の両名も福澤とともにマイスタから出演した。
[編集] 視聴率
- 初回の視聴率は2.4%(最低視聴率は開始年のゴールデンウィーク期間中に記録した1.5%)。
開始当初はNHKの朝のニュース番組(当初は「NHKニュース」と「スタジオ102」、後に「NHKニュースワイド」)および「連続テレビ小説」が強く1%台も記録し苦戦続きだったが、それは当時の地方局のほとんどが県に2~3局しかなかったために、他系列の番組を放送していたためである。
ところが1979年の7月に静岡県で静岡第一テレビが開局したのを機に、基幹地域以外にも民放地方局第3局・第4局が開局。番組確保の必要性から日本テレビ系(即ちこの番組)を選択する局が出てくることでネット局が飛躍的に増加したことがまずあり、その上で「幅広い世代が一緒に見る事が出来る内容」、「時計代わりに使える番組構成」、当時としては画期的な「言葉で時間を告知する事」などの要因により徐々に向上し、1年後には8%を記録する日も現れた[2]。
1987年4月には当時、視聴率で民放首位だったTBS『朝のホットライン』を追い抜いた。 - 1992年4月には1日だけではあるが、裏番組であるNHK総合のニュースワイド番組の視聴率を民放史上初めて上回り、1994年4月には平均視聴率でもNHKを上回った。
1996年6月には平均視聴率20%を記録し、放送開始17年目にして完全に日本の朝番組の頂点に立った。1996年7月には番組最高視聴率である22.8%を記録した。 - 1990年代中盤の勢いは福留時代末期から、裏番組のフジテレビ『めざましテレビ』の躍進やNHK『おはよう日本』の復調により、視聴率が頭打ちとなった。
そのため、司会者の若返り・天気リレーの短縮・芸能情報の導入を取り入れるなどテコ入れを図ったが、2000年までは16%前後と他番組とは圧倒的な差をつけていた(『めざましテレビ』はまだ10%に達していなかった)。 - 2001年になるとNHKの視聴率上昇の影響を受けて、月平均視聴率が13~15%前後となる。
2001年6月に『進め!電波少年』のプロデューサーであった土屋敏男が編成部長に就任した際、最初に着手したのが早朝時間帯の大改革の断行であり、『ズームイン』・『ジパングあさ6』・『あさ天5』の3番組を統合する形で、5時30分~8時30分の情報番組『ズームイン!!SUPER』が始まることとなる。
ちなみに『ズームイン!!朝!』最終回の視聴率は13%。
[編集] 番組テーマ曲
テーマ曲は宮川泰の作曲による番組オリジナル。原曲は3分00秒の曲だが、番組オープニング部分が長時間のため番組では原曲を継ぎ接ぎして長くし、使用していた。オープニング、エンディングとも同じ曲。なお、司会が福澤朗になってからは宮川の長男である宮川彬良がアレンジしたものを使用した。オリジナル音源は現在CDで発売されていないが、日本テレビ内の音効にあると言う。
[編集] 司会
歴代の司会者はその当時の日テレの看板アナウンサーが務めていたが、いずれも後にフリーアナウンサーとなっており、「ズームイン!!朝!の司会者は“フリーアナウンサーへの道”である」とも言われた。
また、司会の3人はそれぞれ『アメリカ横断ウルトラクイズ』と『全国高等学校クイズ選手権』に関係している。現在の高校生クイズの司会は後身の『ズームイン!!SUPER』の司会の羽鳥慎一ではなく彼の後輩である鈴木崇司である。
総合司会が休養のときはネット局のアナウンサーや日テレのアナウンサーが司会を代行した。徳光の休養時は福留など、福留の休養時は福澤など、そして福澤の休養時は堀敏彦や藤井貴彦などが司会を務めたことがある。
各地からの中継による司会や東京に派遣されての司会などのパターンがあった。福留時代には代理で徳光の司会が復活したこともある(番組末期はほとんど札幌テレビの森中慎也アナが東京での代理司会に定着)。
[編集] アシスタント(末期)
[編集] お天気コーナー
天気予報のコーナー当初、徳光の歌う「天気予報の歌」に合わせて天気予報を放送していたが放送開始から2〜3年した頃アメリカでは天気予報がウェザーショーとしてショーアップしてきている事に着眼したプロデューサー(仁科俊介)とディレクター(斉藤太朗)がコーナーを一新し、天気予報を一つのコーナーにした。
- 初代天気予報キャスター和田より子(現:山岡依子・フリーアナウンサー)とともに現在の原形である。
- 温度計使用・各地を天気リレーでつなぐ。
- マイスタから外に出る(天気予報をスタジオの外から送る)
- 分りやすく親しみやすい天気予報(視聴者が一番知りたい映像・寒暖情報が一目でわかる、一言でわかる)の形を作った。
- また、従来の天気予報は、気象観測所?を中心の天気を予報していたがもっとアバウトな広範囲でありながら自分の知りたいところの天気が分かる天気予報にした。
- その為、テロップ画像も毎朝気象協会から送られて来る情報を一目で分る様にブラッシングで色分けしてズームインらしい天気予報コーナーにした。
- ちなみに、この時の天気予報キャスター和田より子(現:山岡依子フリー)は、気象協会から送られて来る情報のテロップを作成し、(ブラッシング加工した上に天気シールを貼った)放送画像のカット割りもさせてもらっていた。
[編集] お天気キャスター
[編集] 中継キャスター・アナウンサー
後継の『ズームイン!!SUPER』に出演している辛坊や『午後は○○おもいッきりテレビ』の高橋佳代子、きくち教児、国木田かっぱ、植松おさみ、脇田義信、堤信子、今中麻貴、木村洋二、森中慎也、佐藤啓、三浦隆志、奥田美香子など、この番組で全国区となった人も多い。また、松本明子のデビュー前、1982年の宇高連絡船での上京を中継した番組として知られている。
中継時(コーナーの担当時)、画面右上に「東京・日本テレビ」・「北海道・札幌テレビ」・「愛知・中京テレビ」・「大阪・読売テレビ」というように中継地と放送局名が常に表示されていた[3]。これは、全国各地の中継を目玉とするこの番組の大きな特徴であった。
『ズームイン!!SUPER』に出演のキャスターを参照する場合は当該項目を参照されたい。
※印のキャスターは『ズムサタ』にも出演。
- 日本テレビ(NTV)
- 小林大作→小林・辛坊治郎[13][14]→辛坊・森武史→森・萩原章嘉→森・脇浜紀子・三浦隆志→脇浜・三浦・野村明大→脇浜・野村→※村上順子・※国木田かっぱ・中元綾子・鳥羽美音子(イレコミ情報)→三浦・村上・国木田
- 浜田容助→石田佳世
- 安田栗之助→古賀ゆきひと[18]→古賀・堤信子(現・フリー)→※舘恭子・今泉清保(現:フリー)→舘・今泉・加茂川里美(現:フリー)→舘・今泉・中村明美→舘・今泉・浜崎正樹→舘・浜崎・※奥田美香子→浜崎・奥田
- 柴田岸雄→畠山のりえ→小笠原正典
- ※川満聡
- イエーガー(杉山)由美子→山本智寿子→上地ゆり子→松尾直子→今井晶子
- 浜田ふみ子
- 田野中陽子→佐保暢子
- 石田麻美
[編集] 主なコーナー
- 7時0分 オープニング・天気リレー
- 番組開始から数年間は天気リレーがなく、7時の時報とともに番組テーマ曲とオープニング映像のアニメーション[23]を流し、アニメーションの終了とともに総合司会にカメラが切り替わり、朝の挨拶及び話題の後、最初の提供クレジットの直前に「ズームイン!!」の掛け声を行っていた。
- その後、徳光時代の中頃からオープニングのスタイルを変更。7時の時報とともに総合司会の朝の挨拶及び話題の後、カメラに向かって「朝一番は○○(最初の中継地)に向かってズームイン!!」と“ズームイン!!ポーズ”をとり、同時にカメラが総合司会に向けてズームされつつ最初の中継地に画面が切り替わり、最初の中継地の映像とともに番組のタイトルロゴ及びテーマ曲が流れて番組がスタートする形式となった。各中継局は番組テーマ曲に乗せて中継地の様子、天気、番組オリジナル温度計で気温を伝え、次の中継局キャスターへ呼びかけて順次中継を渡していき、最後は東京(マイスタ)に戻りお天気キャスターが全国の天気を伝え、最初の提供クレジットが入る。総合司会が福留・福澤に代わってもこのスタイルを踏襲、番組の看板コーナーのひとつとなった。
- 福留時代末期から福澤時代は、最初にヘッドラインニュースを2~3本伝えてから挨拶が始まっていた。これは『ジパングあさ6』終了後にステーションブレイクレスで本番組がスタートするようになり(一部地域を除く)『ジパングあさ6』出演者撤収のための時間が必要となったためで、その時間をヘッドラインニュースにあてていた。
- 7時4分 N.Sヘッドライン
- 開始当初は報道番組との区切りがあったので『ニュース』という言葉が使えず、その結果このタイトルに。ニュース映像を使用できない時期もあり、新聞記事を紹介していたこともある。
- 特徴として、中継先から地域のニュースを伝えるところ(2県に跨るニュースの場合は別々に中継を振る場合と中心となった地域に一括する場合とあった)。また、項目数が多い。
- 『きょうの出来事』・『ニュースプラス1』・『ニュースジパング』からのニュース映像を使い回して放送していたため音声・BGM部分はカットしてキャスター読みにしていた。
- 7時15分 ズバリ!!橋本五郎
- 7時20分 プロ野球いれコミ情報
- コーナータイトルはタカラ(現・タカラトミー)から発売されていたプロ野球のチーム応援人形『いれコミくん』が由来。コーナー中でも小道具として必ず使われていた。
- 全国の局でそれぞれ応援している地元球団のハッピやジャンパーを着て、試合結果などを伝えていた。総合司会が巨人、読売テレビが阪神、中京テレビが中日、広島テレビが広島を担当し、関東エリア担当のリポーターである伊藤克信がヤクルトを、魁三太郎が横浜(大洋)の応援役として登場した。回によっては福岡放送がパ・リーグ代表としてダイエー、札幌テレビが巨人(札幌シリーズ時)の結果を伝えることもあった。山口放送の勝津正男リポーターが下関発祥の大洋(横浜)の応援役となったこともあった。
- 胸には現在のチームの順位が書かれた名札をつけており、Aクラスのチームは赤色[24]、Bクラスのチームは黒色と分けられていた。
- 各局が情報を伝える時は「○○(チーム名)ワリコミ情報~!」と言いながら中継がその局に切り替わっていた。切り替わるとその応援球団に因んだBGM[25]が流れ、試合結果や喜びの声、ぼやき(敗者の主張)などが繰り広げられた。
- 伊藤や魁が乱入し、またネット局からの応援合戦が白熱したところで画面右上に15秒からのカウンターが表示され、0になると「GAME OVER」と表示されコーナーは終了[26]。喧騒の後は一転しておだやかな「朝の詩」が始まる(1994年まで)。
- 東京の総合司会が巨人を応援するので巨人の情報にかたよりがちになっていた。なお、総合司会の休養時には日テレの金子茂アナ[27]が巨人を担当していたことが多かったほか、札幌テレビの森中アナが代理の場合、読売テレビと共に阪神ニュースを読んでいた。
- 阪神が低迷していた1980年代後半には、負け試合を伝える場合に「なんぎやなぁ」というフレーズを言うのが恒例となり、流行語になった。また辛坊治郎・森武史の両アナウンサーは阪神の応援ソング「負ける気せんね」をCD出版し、阪神のコーナー中は森が当番でかつ前日の試合で阪神が勝利した場合にBGMに「負ける気せんね」を、阪神が負けた場合はカップリングの「ハイハイ敗」を流し、それ以外の時は「六甲おろし(立川清登歌唱バージョン)」のインストゥメンタルを流していた。
- 中継リポーターの伊藤と魁をはじめ、中継先から伝えることも多い[28]。
- 巨人以外の球団を担当するリポーター(と解説者)が試合の開催地まで出張することもある。対巨人戦(巨人のホームゲーム)の際に東京のマイスタジオに出張した場合、前日の試合で巨人に勝った場合は巨人担当の総合司会(と巨人担当解説者)をスタジオの隅に追いやる(または追い出して)進行した。ただし、前日に巨人に負けた場合は逆に隅に追いやられるか追い出される[29]。
- 福岡放送のホークス情報は巨人とリーグが異なることで話題として軽視したこと、司会が応援合戦などの話題をまとめにくいことは明らかで、もともと放送時間・曜日がほとんど確保されていなかった。末期はおまけ程度のパ・リーグ情報というレベルである。パ・リーグの結果は字幕のみで終了する日が大部分になっていた。
- 魁は大洋時代、「ヒゲクジラ」と称してマスクマン姿でこのコーナーに登場していたが、ヒゲクジラになる前には福留と一緒に巨人の法被を着て応援していた時期も存在し、いったいどっちの球団のファンなのかと視聴者の疑問を抱かせる事実もあった。
- コーナー最後のカウントダウン表示は『ズームイン!!サタデー』の「プロ野球熱ケツ情報」に受け継がれている。この方法は他局にも影響を与えた。
- 時には野球と関係ないことでも「ワリコミ○○情報」として乱入することもあった。その例として1997年10月1日の放送ではこの日開業した長野新幹線特集にちなみ、イレコミ情報の最中に堀敏彦アナが下り始発が軽井沢駅に到着するシーンを「ワリコミ新幹線情報」と叫んで割り込んだことがあった。この日の放送は福留が夏休みで休んだため、堀をメイン司会に長野駅からの生放送。被害を受けたのは阪神の情報を途中で切られた読売テレビであったほか、その後の中京テレビでは佐藤が「新幹線はあさま、ドラゴンズは山本昌」と便乗しながら叫んで割り込んだ。
- 1993年ごろから「いれコミ感動大賞!」と称し番組独自の月間MVPをチームごとに選出し、受賞選手にトロフィーを贈呈していた。選考基準は記録よりも目に見えない活躍をするなど、ファンに感動を与えたかどうかが重要視された。当時「感動大賞」のフレーズは斬新だったため、他のスペシャル番組などがタイトルに「○○感動大賞」と銘打つなど影響を与えた。
- 番宣などで芸能人らがマイスタから出演するときは、ひいきチームの応援役として登場することもあった。
- Jリーグおまかせ情報
- プロ野球イレコミ情報とは異なり中継は結ばず、東京のマイスタから金子アナが試合結果を伝えていた。
- 当日もしくはその週に発売される集英社の雑誌を告知する生コマーシャル。末期は生ではないコマーシャルも多くなった。
- 初期の頃は井出ひろし(現:井手らっきょ)や、大川興業などが担当していた。
- 声優(小粥よう子(現:日比野朱里)、矢尾一樹、関俊彦)やグラビアアイドルなども出演した。
- 末期の「りぼん」のコマーシャルでは、同誌連載作品で他系列局でアニメとなったものが(『神風怪盗ジャンヌ』『GALS!』)そのまま流れていた。
- 後番組の『ズームイン!!SUPER』でも2001年12月まで集英社は同じ時間帯のスポンサーを継続していた。
- テレビ金沢など一部地域では、地元のローカルCMに差し替えられていた。
- 朝の詩(ポエム)(1979年3月~1994年9月)
- 花王が提供。番組開始当時は朝の番組に固定スポンサーがつくことはめずらしかったため、ネット局開拓の際にはこのコーナーの存在が大きなセールスポイントになったという。なおこのコーナーは後に名前を変えて放送番組センター供給の番組となった[31]。
- 花王自体は当時の前半30分の全国スポンサー枠の筆頭扱いとなっていたが[32]、花王のCMは全てこのコーナーの後に集中させていた。
- テーマ音楽の作曲は、広瀬量平(廣瀬量平)。
- Wickyさんのワンポイント英会話
- ウィッキーさん(アントン・ウィッキー)が街角で、通りがかった一般の人と英会話を行うコーナー。通勤途中で時間がなかったり、テレビに映るのを嫌う人が多いため、通りがかりの人を追いかけながら英会話することが多かった。
- ズームインズーム(のちにおもしろ発見)
- 各局が持ち回りで担当する特集枠。読売テレビのみ地元ローカル枠差し替えの関係上、金曜日しかコーナーを担当できなかった時期がある。
- ニュースチェック⇒ズームイン!!チェック
- 8時前後に放送していたニュースコーナー。末期にはバンヅケと併せて放送。
- 8時0分 情報トレイン
- 数ある中継の中心企画。共通のテーマで各局から中継を行う。企画を考えた放送局がホスト局を務め、進行を担当する。当初は8時ジャストにスタートしていたが、時々前後した。天気リレーとともに番組の看板コーナーとなった。
- エンディング
- 天気リレーのあと、日本テレビの正面玄関前から総合司会が締めくくる。学園祭の告知などでやってきた観客とともにその日の放送が終了する。
- この他のコーナー
- 今朝のキーワード
- 朝生リポート⇒きょうの現場
- なるほどエブリデイ
- 見て聞いてホント!
- こだわりの逸品
- 名物・日本の味
- 31分31秒[33]
- 衛星中継世界は今![34]
- あどべんちゃあレディ[35]
- おはよう新婚さん[36]
- 日本一
- 細川隆一郎の健康一番!⇒千秋実の健康第一
- 花とおじさん[37]
- 日本列島・聞いたら答えて![38]
- 紳助・竜介のOSAKAあっちゃこっちゃ[39]
- 深夜の出来事[40]
[編集] シリーズ企画
- 毎年1月1日の元旦放送は時間を拡大して『新春・ズームイン!!朝!』として放送し、全国の名産品をお年玉として視聴者へプレゼントしていた。なお、クロスネット局では途中(大方は8時30分)で飛び降りしていた。
- フルネット局でも広島テレビが飛び降りを行う場合があったが、ネット枠の後のCM終了と共に自社の中継地点に切り替えて独自のエンディングの挨拶を行う形を取っていた。
- 毎年8月6日には「8・6特集」として、広島テレビとの二元中継で放送時間すべてを原爆についての特集にあてていた。なお8時からは「NNN報道特別番組」として広島平和記念式典を生中継していたので、厳密には『ズームイン』としての放送時間は1時間である。
- 小学生チャレンジランキング大会(通称:チャレラン)
- 投稿ビデオ大賞
- 全国妙なモノ図鑑
- 中京テレビの企画制作で不定期に放送されていた。街で見かける妙な道路標識・看板・建造物などをノンストップで紹介していくもので、テレビ版のVOWのような企画だった。
- 路線別鉄道唱歌の旅
[編集] エピソード
- 生放送の中継中に水死体が発見されたり(福岡放送)、新年スペシャルで懸賞に当選した人の家へ突撃で行ったら親類の葬式へ出かけるところだった、海岸で生中継をしていたら入水自殺をしようとしていた人がいた(静岡第一テレビ。なお、「スーパースペシャル2000」内のスペシャルでは森きく子キャスターが入水自殺をしようとした人をなだめるシーンを放送している)、ニュース原稿を読み出した途端近くからラジオ体操の音楽がかかり始めた、福岡放送の安田栗之助リポーターがたこ焼きの移動販売車の扉を開けようとしたら漏電により感電し手が離れなくなり失神してしまったなど生放送ならではのエピソードを残している。2000年1月5日の放送では当時の小渕首相から突然電話がかかってきた[41]。
- 徳光は当時スタジオからよく見えて徒歩2分で到着する部屋に単身赴任していた。また寝坊してしまい、放送3分前にスタッフからの電話で起きて大急ぎでスタジオに向かい、上着のみをポロシャツに着替えた直後に番組スタート、下半身はパジャマのままで番組を進めていて、CM中にズボンに履き替えたことがあった[2]。
- 『吉田照美のてるてるワイド』の企画で吉田照美(当時文化放送アナウンサー)が一般人と共に飛び入り出演したり(徳光時代)、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のどっきり企画でビートたけし(鞍馬天狗の格好)と高田純次が「Wickyさんのワンポイント英会話」中(1989年7月22日放送、新宿区・JR信濃町駅前中継)に乱入したり、また『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の罰ゲームで松本人志が、さらに和田アキ子の特番での罰ゲームで梅宮辰夫が、という具合に芸能人の乱入事件(福留時代)が人気(?)を博したこともあった。
- 生放送のオープニングに福留がぎっくり腰になるというハプニングもあった。
- 「Wickyさんのワンポイント英会話」では、張り込み中の刑事に突撃したり、ラブホテルから出てきた不倫カップルに突撃したり、更にはカヌーで上手く漕ぐことが出来ずに「ヘルプミー」と言いながら一度もインタビュー出来ないまま終了したりと、数多くのハプニングが起きた。
- 「日本列島・聞いたら答えて!」は全くのアポなしで行われていたもようで、かつ「Wickyさんのワンポイント英会話」と同様、放送時間が7時30分過ぎと一般的な通勤時間帯に被っていたことから、まれにマイクを向けられて怒り出す人もいた。
- 「お天気リレー」のコーナーで、福岡放送が大濠公園の湖上から中継している最中に女性リポーターが湖に浮かぶ物を見つける。カメラがズームアップしたところ、それは人の水死体であった。女性リポーターは思わず悲鳴をあげ、すぐさま映像は日本テレビのスタジオに切り替わったが、一瞬とはいえ死体が大きく映し出されることとなった。特別番組ではこの映像はカットされている。
- 1980年10月22日、前日の読売巨人軍の長嶋茂雄監督辞任発表に対し、徳光は約26分間ぼやき続けた。
- 1982年11月9日の放送で徳光が広島テレビの脇田義信アナウンサーと一緒に板東英二らに丸坊主にされるという催しがあった[42]。
- 1988年11月15日、『火曜サスペンス劇場』にてテレビ長崎(当時日テレ・フジのクロスネット局)を舞台として『ズームイン!!朝!殺人事件』というドラマが放送された[43]。
- 1994年3月16日の放送で『マジカル頭脳パワー!!』の司会者である板東英二が出演し、所ジョージのサインを持ってきて福留と数分間会話をした[44][45]。
- 1979年3月5日に放送された『ルパン三世第2シリーズ』の第73話「花も嵐も泥棒レース」に徳光が声優として出演した。また、2008年2月21日放送の『モクスペ・大統領は私が撃った!JFK事件45年目の衝撃』では銭形警部と『ズームイン!!SUPER』の司会の羽鳥慎一と西尾由佳理が共演している。
- 一時期の天気予報のコーナーで徳光の『天気予報の歌』(作詞:浦沢義雄、作曲:宮川泰)が流れていたことがあった(このシーンについて、2005年の『24時間テレビ28』の土曜深夜のコーナーで放送された。歌の内容はお天気と徳光の好物である酒を掛け合わせたコミックソングのようなもの)。
- 1980年4月1日には、ネット局のキャスターがそれぞれ別の地方のリポートをするというエイプリルフール企画もあった。
- 番組後期には『ジパングあさ6』に続きステブレなしで放送していた。
- 「マイスタジオ」はこの番組の開始のために千代田区二番町(麹町)にあった当時の日テレ麹町本社(南本館)一階部分を改造し新設されたものであるが、第1回放送時に徳光は「私のスタジオ、そしてあなたのためのスタジオです」と説明している。同スタジオは、元々日本テレビ25年史を展示する展示室と郵便集配室だったものを無理矢理スタジオに改装したため、改装費に約4億円を費やしたという。またスタジオと副調整室の間に壁のない「オープンスタジオ」はこのマイスタが日本初である[46]。
- 番組マスコットは「ズームくん」という人工衛星を擬人化したキャラクターで、テロップや番組ノベルティグッズ等に使用されていた[46]。しかし番組終了と共に姿を消し、現在は『ズームイン!!SUPER』に出演するズーミンとチャーミンにその役割が引き継がれている。なお、ズーミンらや他局朝番組マスコットのような着ぐるみは製作されていない。
- 「朝の詩(ポエム)」はその後、放送番組センター配給の番組として名前を「詩の樹」と変えて配信され、東京MXテレビ等で放送されているが、タイトルテロップと花王のテロップは編集処理により流していない。
- 「プロ野球いれコミ情報」で各球団を表すのに使われた人形は「いれコミくん」としてタカラより商品化された[46]。
- 1993年6月の皇太子成婚の中継特番の第1部扱いとして『ジパングあさ6』との合同特番を実施。『ジパングあさ6』の出演者とともに朝6時ジャストに「ズームイン!」とコールした。
- 1996年に公開された映画『ガメラ2 レギオン襲来』では番組ごと劇中に登場した。当時のメイン司会者である福留と共に舞台が札幌と仙台のため、当時の札幌テレビ・ミヤギテレビの担当リポーターも出演している。
- 2005年5月14日放送の『ズムサタ』で『ズームイン』の第2代司会者である福留と第3代司会者の福澤のツーショットが一瞬だけ放送されていた[47]。
- 2007年10月開始の『オジサンズ11』に「ルームイン!!朝!」というパロディコーナーがある。コーナー担当者は『ズームイン!!SUPER』司会者の羽鳥(番組には徳光、福留も出演)。
- 2008年7月31日放送の『モクスペ』で「ウィッキーさんのワンポイント英会話」のシーンが一瞬だけ放送された。
- 2008年9月28日放送の『いつみても波瀾万丈』で『ズームイン』の第2代司会者である福留が阪神・淡路大震災のリポートを行っている姿が一瞬だけ放送された[48]。
- その『いつみても波瀾万丈』で、『ズームイン!!朝!』の直後に放送する『ルックルックこんにちは』の司会だった岸部四郎がゲストとして登場した時には、司会の福留が「ズームイン!!」をした。
- テレビ朝日で放送されている『ロンドンハーツ』に「すっぴんズームイン!!朝!」というコーナーがあるが、BGMは当番組のものを使用している(テロップは『ズームイン!!SUPER』のものを流用)。
[編集] 脚注
- ^ 現在は福澤の後輩である羽鳥慎一と西尾由佳理が担当している
- ^ い ろ 2007年11月11日放送のTBSラジオ『伊集院光 日曜日の秘密基地』「秘密基地VIPルーム」コーナーにゲスト出演した徳光本人の発言
- ^ 徳光時代から福留時代初期は角ゴシック体だったが福留時代中期にマイナーチェンジし、福留時代末期からは丸ゴシック体になった
- ^ 現在は函館放送局長
- ^ 現在は取締役ラジオ局長
- ^ 日本テレビが中継を担当したこともあり、その時の発局スーパーは「山梨・日本テレビ」
- ^ 後に参議院選挙に出馬
- ^ 1999年~2001年4月は、CM間引き問題によりNNS除名処分を受け、日本テレビが中継を担当
- ^ 発局スーパーは「静岡・日本テレビ」。ニュース中継に関してはSDTが担当したが、発局スーパーは「静岡」のみ
- ^ 番組開始のころは発局スーパーは「名古屋・中京テレビ」、その後は「(中継地の県名)・中京テレビ」となる
- ^ 番組初期に板東英二が毎週月曜日に出演し、きくち教児と共に中日ドラゴンズの情報を全国に伝えた。
- ^ 番組開始のころは発局スーパーは「大阪・よみうりテレビ」だったが、後に大阪府以外の近畿地方各府県から中継の場合は「(中継地の府県名)・よみうりテレビ」と表示される。
- ^ 現在は報道局次長兼解説委員
- ^ 2008年7月19日の『ウェークアップ!ぷらす』では1985年8月13日(日航ジャンボ機墜落事故翌日)の当番組の一部が放送された
- ^ 番組は終始ネットせず、番組中期より裏送りにて参加。詳しくは『おはようとくしま』参照
- ^ 初期は番組をネットしていない徳島地区の取材も担当
- ^ 佐賀県の取材も担当。
- ^ NIB開局初日とKYT開局初日の中継リポーターとしても出演。
- ^ 1990年10月から1991年3月まではFBSが取材を担当。
- ^ KKT退職3日前、実家の火災が原因で死亡。訃報は番組のトップで伝えられた
- ^ のちにFBSに移籍
- ^ 日本テレビ那覇支局が中継担当のため当初の発局スーパーは「沖縄・日本テレビ」だったが、後に「沖縄」のみとなる
- ^ アニメーションは『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』『カリキュラマシーン』のキャラクターデザインを担当した木下蓮三が手がけた
- ^ 途中から首位のみ金色
- ^ ヤクルト⇒東京音頭、阪神⇒六甲おろし、など
- ^ ののしり合いになった場合は、福留がかならず「おにぎやかで恐縮でございました」というフレーズでコーナーをしめていた
- ^ 代理司会に代わってニュースのみ担当
- ^ 中でも伊藤は北関東、魁は南関東のエリアが比較的多かった
- ^ 読売テレビの場合は関西ローカルパートとのからみから、担当曜日でない方のリポーターが東京出張していた
- ^ 生CM。スポンサーの都合上、放送されなかった地域あり
- ^ 後述。コーナー制作はベテランナレーターの羽佐間道夫などが所属しているムーブマンが担当していた
- ^ 以降の時間はローカルセールスあるいはオールスポット枠
- ^ 全国を結び、ひとつのテーマに関して掘り下げて特集するコーナー。毎回、最初にマイスタの副調整室の時計がアップになり、「7時31分31秒」になったと同時にコーナータイトルを叫んで始まっていた
- ^ オープニングでは徳光が、飛んできた地球儀の球をキャッチし、中継地点を指し示していた
- ^ 一般主婦による海外旅行記
- ^ 毎回笑福亭仁鶴が京王プラザホテル(地方収録の時もあり)の一室で新婚夫婦とトークを交わしていた。日テレアナウンサーだった松永二三男が夫人と共に出演したこともある
- ^ キャスターの定位置の横に置いてある、花瓶に飾られた花の特徴を紹介するミニコーナー。もちろん紹介される花は日替わりである
- ^ 時事問題に関して各地の街頭で、一般の人に直接マイクを向けて意見を聞くコーナー。生放送だった
- ^ 紳助・竜介が大阪の名所や話題のスポットを紹介。他に「TOKYOあっちゃこっちゃ」「KYOTOあっちゃこっちゃ」もあった
- ^ 最終版ニュース(当時は『NNNきょうの出来事』)終了から当番組放送までに起きた都内の事件・事故を当時新人だった羽鳥と藤井が担当。なお、このコーナーで福留は羽鳥のことを「鳥羽くん」と間違えた。
- ^ 俗に言う“ブッチホン”
- ^ 徳光と脇田が同年の9月に『ズームイン』で「万が一、読売巨人軍(広島)が優勝できなかったら私は丸坊主になります」と発言したことがきっかけ
- ^ 出演者は高木美保、渡辺典子、金田賢一、塚本信夫、森幹太、福留功男ほか。制作は国際放映
- ^ 同年3月5日放送の『マジカル』で所がトップ頭脳賞を取れなかったためおわびとしてサインを書いたので板東が「後日、ズームインに所さんのサインを持ってきて出ます」と発言したため
- ^ 1999年9月16日の『マジカル』最終回でも板東と福留の会話シーンが放送された
- ^ い ろ は 『ディレクターにズームイン!!』(齋藤太朗著、日本テレビ)
- ^ 『ズムサタ』の初代司会者である福澤が2005年の6月をもって日テレを退社することを表明したため、「さよなら福澤アナ企画」として放送された。なお、前述のツーショットシーンは1991年の『第15回ウルトラクイズ』の映像を流用
- ^ 同番組の最終回でレギュラー出演者の過去の映像が放送され、「マイスタ」で「ズームイン!」とコールする福留の映像も放送された
[編集] 関連番組
- アメリカ横断ウルトラクイズ - 『ズームイン!!朝!』の司会者である徳光、福留、福澤が出演(徳光はリポーター、福留と福澤は司会を担当)。
- 全国高等学校クイズ選手権 - 同上。
[編集] 外部リンク
| 日本テレビ系 平日朝7時台の情報番組枠 | ||
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| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
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ズームイン!!朝!
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| 日本テレビ系 平日朝7:00 - 8:30枠 | ||
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ズームイン!!朝!
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ズームイン!!SUPER
(→放送時間を拡大) |
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最終更新 2009年11月10日 (火) 12:20 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【ズームイン!!朝!】変更履歴



