セカイオー
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| セカイオー | |
|---|---|
| 品種 | サラブレッド系種 |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 栗毛 |
| 生誕 | 1952年5月7日 |
| 死没 | (不明) |
| 父 | ヒロサクラ |
| 母 | 十九雪 |
| 母の父 | 昭慶 |
| 生国 | |
| 生産 | 吉田英男 |
| 馬主 | 吉木三郎→中田正幸 |
| 調教師 | 加藤清一(京都) |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 40戦17勝 |
| 獲得賞金 | 873万1890円 |
セカイオーは日本の競走馬。1956年~1958年の鳴尾記念を3連覇したことで知られる。島崎宏騎手が殆どの競走で騎乗した。
牝系はフランス皇帝ナポレオン3世から日本の徳川将軍家に贈った芦毛のアラブ馬・高砂に辿り着く由緒あるもので、この一族のセカイオー以外の代表馬には『走る労働者』の異名を持つイナボレスがいる。
目次 |
[編集] 戦績
[編集] 4歳時
母・十九雪が「準サラ」[1]と言うハンデが災いしなかなか買い手が決まらず、4歳春になって漸くセカイオーは加藤清一厩舎の所属に決まる。この様な逆境にもめげず、1955年5月3日、京都競馬場での10万円以下競走で1着入線を果たし、見事デビュー戦を飾った。
その後、デビューの遅れを取り戻し10戦6勝の成績で挑んだ菊花賞こそメイヂヒカリの5着に終わったが、年末の12月25日に行われた阪神大賞典で、50kgの軽ハンデにも助けられたとは言え初の重賞勝ちを収める。
[編集] 5歳時
5歳を迎えたセカイオーは、1956年1月3日の京都・ニューイヤーステークスに出走し、最後の直線だけでライバル達を料理し初のレコードタイムで優勝。以後、同馬は通算5回のレコード勝ちを収めることになる。
その後は阪神で2回走って3、5着と一息の成績が続き、その後迎えた同年春の天皇賞では断然人気のメイヂヒカリの前に約7馬身近く離され4着敗退。しかし、同年5月の京都・オープン戦(1着)から破竹の快進撃が続き、京都記念、オープン戦(阪神競馬場)といずれもレコード勝ちを収める。
そして、7月8日に行われた鳴尾記念では1番人気に支持され、2着オンワードに3馬身半の差で4連勝を果たした他、2200mを2分15秒1で走破して3走連続レコード勝ちを収めた。
その後、秋の天皇賞を目指しセカイオーは東上。中山で2回オープンを走り、内1勝を挙げたが深管骨瘤が原因で秋の天皇賞を断念。その後、療養の為に約半年の休養に入る。
[編集] 6歳時
脚元に不安を抱えた状態のセカイオーであったが、1957年5月19日の京都・オープン戦で休養前の中山・オープン戦勝利以来の半年振りの勝利を飾った。
その後は、間に阪神・オープン戦(2着)を挟んで6月9日の鳴尾記念に出走。この年から同競走は2400mに距離が変更になったが、頭差ながらもホマレイチを下し、2分30秒1のレコード勝ちを果たして同競走連覇達成。
その後、現在の阪急杯に当たる第1回宝塚杯に出走したが、脚部不安に祟られシンガリ負け(9着)に終わる。その後、セカイオーは長期休養に入った為、この年は4戦だけの消化に終わった。
[編集] 7歳以降
10ヶ月の長期休養から復帰したセカイオーは、1958年3月22日の阪神・オープン戦から始動(5着)。4月の京都・オープン戦勝利後は春の天皇賞へと向かい、オンワードゼアの2着に食い込み復活をアピール。
続く京都記念は4着だったが、6月1日の鳴尾記念に同一重賞3連覇を期して出走。1番人気に支持されたが、ハタリユウ・ミスオンワードとの激しい叩き合いを制し、ついに鳴尾記念3連覇を達成した。
その後は宝塚杯2着、翌1959年春の天皇賞の5着(優勝馬トサオー)を含めて5走したが勝てず、11月7日の京都・オープン(5着)を最後に現役を引退した。
[編集] 引退後
引退後は種牡馬になったが、代表産駒と呼ぶべき馬は皆無であり、その後の消息は伝わっていない。サラ系と言う血統面のハンデが、命取りの原因となったと思われる。その僅かな産駒セカイベルの孫にあたるカツラギセンプー(全日本アラブ大賞典)が種牡馬となり、アングロアラブの血脈に僅かにその血を残した。なお、全姉クインシユースの子孫が曾孫セカイライフ以降サラブレッドとなって残っている。
[編集] エピソード
- 4歳時の年末に出走した阪神大賞典を勝った時、騎手としては大柄な島崎はこのレースのために行った厳しい減量の反動から、後検量を終えた後に飲み干した牛乳を衆人の真っ只中で吹き出してしまうと言う珍事を起こしている。
- 本格化を果たした5歳時の秋、セカイオーの元に何とローレルパーク競馬場からワシントンDCインターナショナルへの招待状が届いた。早速アメリカ遠征の準備に取り掛かったセカイオー陣営であったが、終生の持病・深管骨瘤に祟られた事からこの招待を断念。そればかりか秋の天皇賞と新設重賞・中山グランプリ(現:有馬記念)の出走も叶わなかった。この時の陣営の無念の思いは相当なもので、『中山グランプリに無事出走出来ていたら、メイヂヒカリを容易く破ったであろう』と島崎騎手が語った程である。
[編集] 同一平地重賞競走3連覇
中央競馬(JRA)では、サラブレッド系の同一平地重賞競走3連覇を達成した馬は、半世紀近くに亘ってもこのセカイオーだけしか居らず、ある意味伝説の記録と目された。しかし、タップダンスシチーが2003年~2005年の金鯱賞を3連覇して史上2頭目の快挙を成し遂げたのを皮切りに、エリモハリアーが2005年~2007年の函館記念を、マツリダゴッホが2007年~2009年のオールカマーをそれぞれ3連覇し、現在JRAのサラブレッド系同一平地重賞競走3連覇達成馬は4頭存在する。なお、テイエムオペラオーは天皇賞を2000年春・同年秋・2001年春と3連覇している。
この他、アングロアラブ系重賞競走のセイユウ記念で、シゲルホームランが1993年~1995年の間3連覇を果たしており、廃止されたJRAアングロアラブ系同一平地重賞競走唯一の3連覇達成馬となっている。
更に、障害の世界ではオーストラリア所属のカラジの中山グランドジャンプ3連覇(2005年~2007年)が現時点での最大であり、更に年2回施行時代の中山大障害[2]では、フジノオー(1963年秋~1965年春)とグランドマーチス(1974年春~1975年秋)が4連覇を成し遂げた例があり、これが現在の同一重賞競走連覇の最大記録となっている。
因みに、地方競馬ではホッカイドウ競馬のシバフイルドーがクイーンカップ(現在は廃止)6連覇(1979年~1984年)を成し遂げている。そしてこれが日本の競馬における平地同一重賞最多連覇記録である[3]。
[編集] 血統表
| セカイオーの血統 (オーム系/アウトブリード) | |||
|
父
ヒロサクラ 1940 栗毛 |
*ダイオライト Diolite 1927 黒鹿毛 |
Diophon | Grand Parade |
| Donnetta | |||
| Needle Rock | Rock Sand | ||
| Needlepoint | |||
| 朝桜 1929 栗毛 |
*トウルヌソル Tournesol |
Gainsborough | |
| Soliste | |||
| 種家 | *ダイヤモンドウエツデイング | ||
| 第三フェアペギー | |||
|
母
(サラ系)十九雪 1944 栃栗毛 |
昭慶 1927 栗毛 |
*トリニチースクエーア Trinity Square |
Simon Square |
| Lady Tertius | |||
| 追風 | *パーナムビユーコー | ||
| *レスリーカーター | |||
| (サラ系)雪真 1939 栃栗毛 |
真驍 | *イボア | |
| *チツプトツプ | |||
| (サラ系)暁駿 | *アデージ | ||
| (サラ系)ウイン (アラ 高砂系) | |||
全妹オーヒの孫に帝王賞馬コーナンルビーがいる。
[編集] 脚注
最終更新 2009年11月17日 (火) 08:04 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【セカイオー】変更履歴

