セカイ系
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セカイ系(セカイけい)とは、アニメ・漫画・ゲーム・ライトノベルなど、日本のサブカルチャー諸分野におけるストーリー類型の一つである。 セカイ系という言葉は明確に定義されないまま、主にインターネットを通じて広がったため、意味するところは諸説あるが社会学、現代文学論、サブカルチャー論などで様々に言及されている。
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[編集] 狭義のセカイ系
セカイ系は「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』(これらについては後述する)など、抽象的な大問題に直結する作品群のこと」と定義される場合があり、代表作として新海誠のアニメ「ほしのこえ」、高橋しんのマンガ「最終兵器彼女」、秋山瑞人の小説『イリヤの空、UFOの夏』の3作があげられる[1]。
「世界の危機」とは地球規模あるいは宇宙規模の最終戦争や、UFOによる地球侵略戦争などを指し、「具体的な中間項を挟むことなく」とは国家や国際機関、社会やそれに関わる人々がほとんど描写されることなく、主人公たちの行為や危機感がそのまま「世界の危機」にシンクロして描かれることを指す[2]。こうした「方法的に社会領域を消去した物語」はセカイ系諸作品のひとつの特徴であり[3]、社会領域に目をつぶって経済や歴史の問題をいっさい描かないセカイ系の諸作品はしばしば批判を浴びている[4][5]。つまりセカイ系とは「自意識過剰な主人公が、世界や社会のイメージをもてないまま思弁的かつ直感的に『世界の果て』とつながってしまうような想像力」で成立している作品であるとされている[6]。
セカイ系において、世界の命運は主にヒロインの少女に担わされる。「戦闘を宿命化された少女と、それを傍観するしかない無力な少年」というキャラクター配置もセカイ系に共通する構図とされている[7]。この傷ついた少女(=「きみ」)と無力な少年(=「ぼく」)との恋愛が、世界の危機と平行した学園ラブコメディとして描かれることも多く、このため「きみとぼく系」と呼ばれることもある。そのため、ごく乱暴に「セカイ系とは『学園ラブコメ』と『巨大ロボットSF』の安易(ゆえに強力)な合体であって、つまり『アニメ=ゲーム』の二大人気ジャンルを組み合わせて思い切り純度を上げたようなものである」とも説明されることもあるのだが[8]、こういった極小化された「きみとぼく」の純愛世界と、誇大妄想的な「世界の危機」がシンクロして物語が進行するのがセカイ系の特徴であるのは前述したとおりである。
これらのセカイ系作品については前述したように社会領域を描いていない点を批判された他、コバルト文庫の看板作家だった久美沙織はセカイ系作品をとり上げた際に、少年が戦闘せずにそれを少女に代行させ、その少女から愛されて最後には少女を失うという筋書きは「自分本位の御都合主義で、卑怯な責任放棄」に過ぎないと述べ[9]、評論家の宇野常寛は「母性的承認に埋没することで自らの選択すらも自覚せずに思考停止」していると断定した[10]。
多くの論者はこうしたセカイ系はアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の影響下で現れたと見ており[11][12]、「ポスト・エヴァンゲリオン症候群」と呼ばれることもある[13]。また、「きみとぼく世界」+「世界の破滅」という構造はギャルゲー/アダルトゲーム特有の方法として現れたとする見方もある[14]。
[編集] 広義のセカイ系
セカイ系という言葉の初出は2002年10月下旬のことであるとされているが[15]、定義がはっきりしないままに広がった結果、前述のような定義よりも広い使われ方をしている場合もある。
たとえば作家で評論家の笠井潔は前述の東浩紀による定義を受けてセカイ系について論じていたが、彼がセカイ系の特徴とした「方法的に社会領域を消去した物語」をセカイ系の定義として使用するようになり、セカイ系の範囲を広げている。[16]
またゲーム・ライター元長柾木は、セカイ系とは「世界をコントロールしようという意志」と「成長という観念への拒絶の意志」という二つの根幹概念をもつ作品群のことであり、代表するのが、それぞれ清涼院流水のJDCシリーズと上遠野浩平のブギーポップシリーズだとした[17]。清涼院の小説である『カーニバル・イヴ』(1997年)中の「社会派ではなく世界派として小説とは異なる大説を目指す」という言葉を元長は「セカイ系宣言」とみなし[18]、翌年に発表された上遠野『ブギーポップは笑わない』と合わせてセカイ系の代表的存在とした。元長によれば、それまでのジュブナイル小説からライトノベルが枝分かれしたのは、清涼院や上遠野が示した「セカイ系的なもの」の有無であり[19]、これに従えばライトノベルはすべてセカイ系である。
これらの見解は必ずしも広く支持されているとは言えないが、セカイ系をめぐる言説の一面をうまく説明はしている。たとえば前述の狭義のセカイ系には当てはまらない西尾維新、上遠野浩平などの作品をセカイ系的とみなしている文献は散見される(たとえば東浩紀[20])。また東浩紀はセカイ系の先駆として、「世界をコントロール可能なものとして捉えるような」神林長平のSF作品や[21]村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』をあげている[22]。もっとも東自身が認めるように「自意識と世界の果て、というモチーフ自体は、ある意味で文学の基本テーマそのもの」であり、セカイ系に固有のものではない。それはたとえばヨハネ黙示録を考えれば明らかであろう。そのモチーフが学園ラブコメディや「萌え」と結びついたところにセカイ系の特徴がある[23]。
[編集] 参考文献
- 東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』講談社現代新書(2007年)
- 東浩紀編 『コンテンツの思想』青土社 (2007年)
- 笠井潔『探偵小説は「セカイ」と遭遇した』南雲堂(2008年)
- 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』早川書房(2008年)
- 限界小説研究会編『社会は存在しない――セカイ系文化論』南雲堂(2009年)
[編集] 脚注
- ^ 東浩紀他『波状言論 美少女ゲームの臨界点』の編集部注によるものだが、東の著作で何度か再記されている。例えば『ゲーム的リアリズムの誕生』(2007年)講談社<講談社現代新書>、pp.96-97など。
- ^ 浅羽通明『右翼と左翼』 幻冬舎 2006年、p.199. ISBN 978-4344980006.
- ^ 笠井潔「社会領域の消失と「セカイ」の構造」、『探偵小説は「セカイ」と遭遇した』南雲堂(2008年)所収、pp.52-53
- ^ 前田塁『飛躍の論理』、「文學界」2005年3月号、「私が世界と直結する『セカイ系』という『キブン』もまた、厳然と存在する中間領域に目をつぶることによって、はじめて成り立つものでしかない」「存在するはずの経済野歴史の問題をいっさい描かない」
- ^ 元長柾木『パブリック・エナミー・ナンバーワン』、講談社MOOK「ファウスト」第五号所収、講談社、2005年、pp.222「登場人物や作者、そして読者の自意識過剰、社会性・社会経験の欠如が批判されることが多いのだが」
- ^ 東浩紀、『猶予のセカイを超えて』前編、「波状言論」21号、2005年
- ^ 笠井潔「偽史の想像力と「リアル」の変容」、『探偵小説は「セカイ」と遭遇した』南雲堂(2008年)所収、p.128
- ^ 佐々木敦『「きみ」と「ぼく」の壊れた「世界/セカイ」は「密室」でできている?』(『総特集 西尾維新』「ユリイカ」9月臨時増刊号、青土社、2004年所収)p.159
- ^ 『ちーちゃんは悠久の向こう』(日日日著、新風者文庫、2005年)所収の久美沙織による解説
- ^ 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』早川書房(2008年)p.86
- ^ 浅羽通明『右翼と左翼』 幻冬舎 2006年、p.199. ISBN 978-4344980006.
- ^ 笠井潔「社会領域の消失と「セカイ」の構造」、『探偵小説は「セカイ」と遭遇した』南雲堂(2008年)所収、pp.47-48
- ^ 佐藤心「『イリヤの空』、崇高をめぐって」、『社会は存在しない セカイ系文化論』南雲堂(2009年)所収、p.121
- ^ 東浩紀「波状言論」10-a号 上遠野浩平インタビュー「ブギーポップの彼方に視えたもの」後編、2004年
- ^ 多くのインターネット情報では、発言者は「ぷるにえブックマーク(現・はてなダイアリー「投げすてろ人生」)」のぷるにえ(現・とかたき)であるとしている
- ^ 笠井潔「戦闘美少女とily a」『探偵小説はセカイと遭遇した』南雲堂(2008年)所収、p.60には「近年のアニメやコミックやゲームに見られる、社会領域を欠いて自閉した印象の、キミとボクの恋愛ドラマは「セカイ系」と称されている」とある。
- ^ 元長柾木『パブリック・エナミー・ナンバーワン』、講談社MOOK「ファウスト」第五号所収、講談社、2005年、p.243
- ^ 元長柾木『パブリック・エナミー・ナンバーワン』、講談社MOOK「ファウスト」第五号所収、講談社、2005年、p.228
- ^ 元長柾木『パブリック・エナミー・ナンバーワン』、講談社MOOK「ファウスト」第五号所収、講談社、2005年、p.243
- ^ 東浩紀、『猶予のセカイを超えて』前編、「波状言論」21号、2005年
- ^ 東浩紀 (2004) 『セカイから、もっと遠くへ』(新海誠インタビュー前編・後編)「波状言論」15、16号
- ^ 東浩紀「波状言論」10-a号 上遠野浩平インタビュー「ブギーポップの彼方に視えたもの」後編、2004年
- ^ 東浩紀、『猶予のセカイを超えて』後編、「波状言論」21号、2005年
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年10月10日 (土) 16:11 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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