セバスチャン・ベッテル
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| セバスチャン・ベッテル | |
|---|---|
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 同・ヘッペンハイム |
| 生年月日 | 1987年7月3日(22歳) |
| F1での経歴 | |
| 車番 | 15 |
| 所属チーム | レッドブル '09~ |
| 活動時期 | 2007 – |
| 過去の所属チーム | '07 BMWザウバー '07-'08 トロ・ロッソ |
| 出走回数 | 43 |
| 優勝回数 | 5 |
| 通算獲得ポイント | 125 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 9 |
| ポールポジション | 5 |
| ファステストラップ | 3 |
| F1デビュー戦 | 2007年アメリカグランプリ |
| 初勝利 | 2008年イタリアグランプリ |
| 2009年順位 | 2位(84ポイント) |
| タイトル | 0 |
| (記録は2009年終了時終了時) | |
セバスチャン・ベッテル[1](Sebastian Vettel, 1987年7月3日 – )は、ドイツ・ヘッペンハイム出身のレーシングドライバー。F1において数々の最年少記録を樹立している。
目次 |
[編集] 初期の経歴
1995年にカートを始め、2002年までにドイツ・ジュニアカート選手権(2001年・2002年)、ヨーロッパICAジュニア選手権(2001年)などでチャンピオンタイトルを獲得した。
2003年にはドイツフォーミュラ・BMW選手権に、「ADAC ベルリン・ブランデンブルク」チームから参戦し、初年度は19戦中5勝でランキング2位。2年目となる2004年には20戦中18勝、ポールポジション14回、ファステストラップ13回、全戦表彰台という圧倒的な成績でチャンピオンとなった。
2005年にはF3ユーロシリーズに「ASL ミュッケ・モータースポーツ」チームから参戦し、総合ランキングで5位。ルーキーの中ではトップという上々の成績で終えたものの、この年の選手権はルイス・ハミルトンに完全に支配されたものであり、未勝利に終わった。 前年のフォーミュラ・BMWでの活躍により、この年の9月27日にはF1のウィリアムズをテストする機会を与えられ、同チームのFW27をドライブした。その後BMWザウバーのテストにも参加している。
2006年も引き続きF3ユーロシリーズに参戦したが、この年は7月半ばにイタリアのミサノで開催されたワールドシリーズ・バイ・ルノーに「カーリン・モータースポーツ」チームからスポット参戦し、開催された2レースともに優勝を飾った。第1レースでは首位と2位でゴールした選手にペナルティが課されたため、3位でチェッカーを受けたベッテルが繰り上がり優勝となった。第2レースはポール・トゥ・ウィンを飾っている[2]。
スパ・フランコルシャンで開催された次戦、雨の中行われた第1レースにおいて、オー・ルージュの頂上付近でクラッシュを喫し、その際に指の骨に達するほどの切傷を負った。幸い切断にはいたらなかったが、数週間はレースに出られるなくなるものと思われる重傷であった。しかし、この負傷にも関わらず、翌週にはマスターズF3に出走し6位を記録している。
この年の8月、BMWザウバーはサードドライバーのロバート・クビサをレギュラードライバーに昇格させたため、代わりのサードドライバー兼テストドライバーを探していた。BMWザウバーは当初よりベッテルを候補としていたが、ベッテルがレッドブルの契約ドライバーだったという事情もあり、BMWザウバーとレッドブルの間で交渉の結果、ベッテルはレッドブルからBMWザウバーへ2年契約で貸し出されることとなった[3]。 ベッテルは同チームのサードドライバーとして8月末の第14戦トルコGPから最終戦ブラジルGPまでの5戦で帯同し、金曜日のフリー走行に出走した。初走行となったトルコGPの金曜フリー走行でトップタイムを記録し注目を集めた[4]。
F3ユーロシリーズでは20戦中4勝をあげてランキング2位。ワールドシリーズ・バイ・ルノーでは3レースのみの参戦ながらランキング15位。同年にカーリン・モータースポーツから参戦した4人のドライバーの中では唯一優勝を記録した。
2007年は引き続きBMWザウバーのテストドライバーを務めるとともに、ワールドシリーズ・バイ・ルノーにシーズン途中まで参戦した。
[編集] F1での経歴
[編集] 2007年
2007年、第6戦カナダGPで大クラッシュしたロバート・クビサが、FIA医師団の判断により第7戦アメリカGPを欠場したため、代役として急遽F1に参戦することとなった。この19歳349日で参加したレースで8位に入賞し、ジェンソン・バトンの20歳67日を更新し、F1史上最年少入賞記録を樹立した。
第8戦フランスGP以降はクビサが復帰したため出走できなかったが、デビュー戦での活躍が認められ、第11戦ハンガリーGPからは、スコット・スピードに代わり、トロ・ロッソのレギュラードライバーとして参戦することになった。トロ・ロッソのSTR2は決して戦闘力の高いマシンではなかったが、雨のレースでは持ち前の才能を発揮した。富士スピードウェイで開催された第15戦日本GPの雨の予選では、マシン性能を考慮すると驚異的な9番グリッドを獲得し、さらに同じく雨の決勝では一時3位を走行するなど、才能の片鱗を見せた。また、このレースでは3周にわたりラップリーダーを記録し、これは2003年第2戦マレーシアGPでのフェルナンド・アロンソの記録を更新する最年少ラップリーダー記録である。しかし、45周目に走行が困難なほどの豪雨の中で、セーフティカー先導中に前を走るマーク・ウェバーに追突してしまい、ウェバーとともにリタイアに終わった。日本GPと同じくウェットレースとなった次戦の第16戦中国GPでは前戦の汚名を返上する快走を見せ、自身とチームにとっての最高位である4位を獲得した。
[編集] 2008年
2008年もトロ・ロッソから参戦。序盤は他車との接触などが目立ち、開幕戦オーストラリアGPから4戦連続リタイアと苦戦が続いたが、新車STR3が投入された雨の第6戦モナコGPでは5位入賞を果たした。その後の第9戦イギリスGPで、この年初めて予選Q3に進出して8位グリッドを獲得すると、これ以降の10戦中9戦で予選トップ10に入る活躍を見せた。
特筆すべきは、予選・決勝ともに大雨となった第14戦イタリアGPで、自身及びチーム(前身のミナルディ含む)にとって初のポールポジションを獲得。決勝レースでも、2位以下が雨により混戦を繰り広げる中、安定したドライビングで首位を堅持し、ポール・トゥ・ウィンで自身初優勝を果たすとともに、トロ・ロッソに初優勝をもたらした。このレースでは、21歳72-73日でF1史上最年少ポールポジション・最年少優勝・最年少表彰台・最年少ポール・トゥ・ウィンを記録した。さらに「初表彰台が初優勝」となるのは1979年第8戦フランスGPでのジャン=ピエール・ジャブイーユ以来であり、まさに歴史的な勝利となった。
[編集] 2009年
前年限りで引退したデビッド・クルサードに代わってレッドブルへ移籍した。
開幕戦オーストラリアGPでは予選3位を獲得した。決勝では終盤まで2位を走行していたが、オーバーテイクを仕掛けてきたクビサと接触し、そのダメージから直後にクラッシュを喫しマシンを大破。完走扱いで13位に終わった。この接触の責任を問われ、次戦10グリッド降格ペナルティが科せられた上に、損壊したマシンで走行を続けたため、危険走行とみなされ罰金も科せられた。第2戦マレーシアGPでは大雨の中、レース終盤でスピンを喫してエンジンストールを起こし、マシンを止めて完走扱いで15位に終わった。
2戦連続で無得点と苦戦が続いていたが、第3戦中国GPでは、前年のイタリアGP以来となる自身2度目のポール・トゥ・ウィンを再び雨のレースで達成すると共に、レッドブルに初勝利をもたらした。
第7戦トルコGPではポールポジションを獲得したものの、1周目にコースオフするミスを犯してジェンソン・バトンに抜かれ、その後は作戦を変更したがこれが裏目に出て僚友マーク・ウェバーにもかわされ3位でレースを終えた。続く第8戦イギリスGPでは予選Q3に進出した車の中で最も重い燃料を搭載しながらも、2戦連続となるポールポジションを奪取。決勝では2位以下にまったくつけ入る隙を与えず完勝。自身初のファステストラップも記録し、史上最年少(21歳353日)でハットトリックを達成した。
第15戦日本GPでは今季3度目となるポール・トゥ・ウィンを達成。土曜日には赤旗3回と荒れた予選の中、完璧な走りでポールポジションを獲得した。決勝ではレースの終盤、SCが入ったが順位を下げることなく終始安定した走りで見事勝利を飾った。シーズン3勝目、通算4勝目をポール・トゥ・ウインで飾った。
最終戦アブダビGPでは序盤にPPのルイス・ハミルトンからトップを奪い、そのまま独走で最終戦をファステストラップと勝利で締めくくり、ドライバーズポイントランキング2位、年間4勝でシーズンを終えた。
[編集] エピソード
- 自分に与えられたF1マシンに名前を付けることで知られている。トロ・ロッソで初優勝したマシンは「ジュリア」。レッドブルでは「ケイト」、ケイトが2009年オーストラリアGPで大破した後のマシンは「ケイトズ・ダーティー・シスター」、2009年ドイツGP以降は「セクシー・セディー」など[5]。
- F1では通算5勝を挙げているが、全てフロントローからのスタートである。また4勝目までは全てポール・トゥ・ウィンであった。
[編集] F1での記録
- 最年少入賞:19歳349日(2007年第7戦アメリカGP)
- 最年少ラップリーダー:20歳89日(2007年第15戦日本GP)
- 最年少ポールポジション:21歳72日(2008年第14戦イタリアGP)
- 最年少表彰台:21歳73日(2008年第14戦イタリアGP)
- 最年少優勝:21歳73日(2008年第14戦イタリアGP)
- 最年少ポールトゥウィン:21歳73日(2008年第14戦イタリアGP)
- 最年少ハットトリック:21歳353日(2009年8戦イギリスGP)
[編集] F1での年度別成績
(2009年終了時)
| 年 | 所属チーム | 車番 | ランキング | 獲得ポイント | 決勝最高位・回数 | 表彰台回数 | 予選最高位・回数 | FL獲得回数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007年 | BMWザウバー | 10 | 14位 | 1 | 4位・1回 | 0回 | 7位・1回 | 0回 |
| トロ・ロッソ | 19 | 5 | ||||||
| 2008年 | トロ・ロッソ | 15 | 8位 | 35 | 1位・1回 | 1回 | 1位・1回 | 0回 |
| 2009年 | レッドブル | 15 | 2位 | 84 | 1位・4回 | 8回 | 1位・4回 | 3回 |
| 年 | 所属チーム | シャーシ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | ランキング | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007 | BMWザウバー | F1.07 | USA 8 |
15位 | 6 | |||||||||||||||||
| トロ・ロッソ | STR2 | HUN 16 |
TUR 19 |
ITA 18 |
BEL Ret |
JPN Ret |
CHN 4 |
BRA Ret |
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| 2008 | トロ・ロッソ | STR2B | AUS Ret |
MAL Ret |
BHR Ret |
ESP Ret |
TUR 17 |
8位 | 35 | |||||||||||||
| STR3 | MON 5 |
CAN 8 |
FRA 12 |
GBR Ret |
GER 8 |
HUN Ret |
EUR 6 |
BEL 5 |
ITA 1 |
SIN 5 |
JPN 6 |
CHN 9 |
BRA 4 |
|||||||||
| 2009 | レッドブル | RB5 | AUS 13 |
MAL 15 |
CHN 1 |
BHR 2 |
ESP 4 |
MON Ret |
TUR 3 |
GBR 1 |
GER 2 |
HUN Ret |
EUR Ret |
BEL 3 |
ITA 8 |
SIN 4 |
JPN 1 |
BRA 4 |
ABU 1 |
2位 | 84 |
[編集] 脚注
- ^ 独語ではゼバスティアン・フェッテル(フェテル)のような読みになる。
- ^ ワールドシリーズ・バイ・ルノー公式サイト:2006年 ミサノ・第1レース公式結果ワールドシリーズ・バイ・ルノー公式サイト:2006年 ミサノ・第2レース公式結果
- ^ Autosport.com 2006年10月6日
- ^ Autosport.com 2006年8月25日
- ^ F1-live.com 2009年6月7日
[編集] 外部リンク
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| 11 | 14 | 16 | 20 | 22 | |||||||||
| 12 | 15 | 17 | 21 | 23 | |||||||||
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最終更新 2009年11月22日 (日) 13:59 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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