セラフィールド

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セラフィールド (Sellafield) は、原子力廃止措置機関 (NDA) のもと、英国セラフィールド社が管理する原子力施設の名称。施設のほとんどは閉鎖されている。

セラフィールド

付近のイングランド北西端カンブリア州にある村の名前 Sellafield に由来する。[1]


目次

[編集] 歴史

セラフィールドはもともと王立の軍需工場であり、第二次世界大戦においてはTNT爆弾などの砲弾を製造していた。

[編集] ウィンズケール

1947年核兵器の材料となるプルトニウムの生産を行うため、ウィンズケール原子力研究所が着工された。近くにあるプレストン市のウラン処理工場 Springfields と名前が似ていることから、混乱を避けるためにセラフィールドではなくウィンズケール (Windscale) の名前を採用した。こちらも付近の村の名前に由来する。

1954年、英国原子力エネルギー機構 (UKAEA: United Kingdom Atomic Energy Authority、現在は AEA Technology plc.) が設立されるとともに、ウィンズケール原子力研究所より所有権が移動された。

1956年10月17日、ウィンズケールに隣接するコールダーホール原子力発電所が、マグノックス炉の方式で世界初の商用発電を開始し、名称も「ウィンズケール・アンド・コールダー研究所」 (Windscale and Calder Works) となった。

  • なお、世界初の原子力発電所は旧ソビエト連邦のオブニンスク発電所である。

1957年10月10日 ウィンズケール火災事故  世界初の原子炉重大事故。英国北西部の軍事用プルトニウムを生産するウィンズケール原子力工場(現セラフィールド核燃料再処理工場)の原子炉2基の炉心で黒鉛(炭素製)減速材の過熱により火災が発生、16時間燃え続け多量の放射性物質を外部に放出した。避難命令が出なかったため、地元住民は一生許容線量の10倍の放射線を受け、数十人がその後白血病で死亡した。現在の所白血病発生率は全国平均の3倍である。当時のマクミラン政権が極秘にしていたが、30年後に公開された。[要出典]なお、現在でも危険な状態にある。2万キュリーのヨード131が工場周辺500平方キロを汚染し、ヨードの危険性を知らせたことで有名である。また水蒸気爆発のおそれから注水に手間取った。これはスリーマイル島原子力発電所事故でも繰り返される。

1971年、核兵器の研究および生産拠点としての操業終了に伴い、新たに設立された英国核燃料公社(BNFL: British Nuclear Fuels Limited) に生産部門が吸収統合され、ウィンズケールの施設の大半が BNFL の管理下となった。

[編集] セラフィールド

1981年、ウィンズケール・アンド・コールダー研究所は施設の再編成に伴い、セラフィールドと改名した。

  • UKAEA に残された施設は、戦後の核兵器の開発のために構成されたもので、現在もウィンズケールと呼ばれている。また、ウィンズケール原子炉は、改良型ガス冷却炉の原型となった。

2003年、施設自体が老朽化していたこと、また英国内における電力自由化などの影響で採算が取れなくなっていたことも重なり、閉鎖が決定となる。

2007年9月29日、コールダーホール原子力発電所の4つの冷却塔が爆破解体された。

施設の全景

セラフィールドは当初より、使用済み核燃料再処理工場も多く保有していた。再処理が施されることにより、例えば日本の高速増殖炉もんじゅなどに利用されるMOX燃料の製造にプルトニウムを用いることが出来る。 他にも、ガンマ線照射用の線源としてセシウム137の抽出を行うなど、核分裂生成物を再利用するための努力も行われてきた。

[編集] 事故

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月23日 (月) 02:34 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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