選抜高等学校野球大会
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| 選抜高等学校野球大会 | |
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選抜高等学校野球大会
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| 分類 | 高校野球 |
| 開始年 | 1924年 |
| 主催 | 毎日新聞社 日本高等学校野球連盟 |
| 参加チーム | 32 (記念大会を除く) |
| 前回優勝チーム | 長崎県立清峰高等学校 |
| 公式サイト | 高野連公式サイト |
選抜高等学校野球大会(せんばつこうとうがっこうやきゅうたいかい)とは例年3月下旬から4月にかけて兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で行われる日本の高校野球の大会である。略称はセンバツ。通称は「春の大会」「春の高校野球」「春の甲子園」とも。英文名称はNational High School Baseball Invitational Tournament。主催は毎日新聞社、財団法人日本高等学校野球連盟(高野連)。優勝旗の色は紫紺。5年に1度(下1桁が0と5の回)は記念大会として実施されている。歴代優勝校は、選抜高等学校野球大会歴代優勝校に記述。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 出場校の選抜
出場校は、選考委員会によって定められる。一般に、新チームで臨む最初の公式大会(実質的な新人トーナメント戦)となる秋季各都道府県大会・地域大会(全国10ブロック)がこの大会出場校・並びに補欠校の選考資料となる。また、出場校が最大32校と定めている。そのため1つのブロックに定められているため確実に1校は選出される東京都・北海道を除けば夏の高校野球とは違い、出場校が1校もない府県は毎回生じる。逆に、同一府県から2校出ることもあるのが夏の大会と違う点の1つでもある。
選考会における出場校の決定には高野連の役員の意思が反映されるため地域的なバランスを考えた選考、秋の地区大会で初戦敗退だった高校が選ばれるなど時々首をかしげたくなるような選考が起こる。そしてこれら一連のことが選考後に毎年といっていいほど物議を醸しているのも事実である。「明確な選考基準」を示すことを望む高校野球ファンは多い。
出場校決定後に組み合わせ抽選会を行いトーナメント方式で頂点を決め、2校出場した都道府県代表校は決勝戦まで当たらない様に配置させる。そのため、同じ都道府県代表校の対戦の機会は非常に少ない。
[編集] 一般選考
基本的には秋季大会の成績に、地域性を考慮して決定。ここで出場28校と補欠(各地区につき1、2チーム程度)を選出。しかし野球と何ら関係のない地域性という選考基準を商業的理由により採用するに対して、批判の声が存在する。
- 北海道:1
- 東北:2
- 関東(4)・東京(1):6
- 東海:2
- 北信越:2
- 近畿:6
- 中国(2)・四国(2):5
- 九州:4
- 関東・東京、中国・四国の括弧内は各地区の出場校数。残り1校は両地区を比較した上で選出する。しかし、特に中国・四国においてこの比較選考を疑問・批判する声も少なくない。
- 東京大会のみ関東の枠組みから外れて、単独開催となっている。それゆえ、1位校と2位校が揃って選出されるケースが多い。この実質的な”東京の2校枠”に付いては、「選抜の不思議」として揶揄されている。背景には、毎日新聞東京本社の意向が反映していると見られている。
- かつては近畿地区の枠は7校であり、2府4県から1校ずつ選ばれてもさらにもう1校枠があった。そのため近畿のいずれかの府県からは必ず2校選出されていた。
[編集] 21世紀枠
第73回(2001年)から設けられた。部員不足などの困難を克服したチームや、他校の模範となるチームを選出。推薦は基本的に各都道府県の秋季新人大会で参加校数が128校を上回る都道府県ではベスト16、それ以外の県ではベスト8以上のチーム。各ブロックから1校ずつ出してもらいその中で2校(東日本〜東海以東・西日本〜近畿以西各1校)を選出。第80回(2008年)は記念大会で例年より1校増の3校で「北海道、東北、関東・東京」、「東海、北信越、近畿」、「中国、四国、九州」各1校が選出。第81回(2009年)は東日本1校、西日本1校、その他1校の3校が選出された。この21世紀枠は他競技にも影響を及ぼしており、近いものとして全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会の「チャレンジ枠」、全国選抜高等学校テニス大会の「ドリーム枠」が後に設けられた。
“他校の模範である事”を根拠に名門大学へ現役合格者多数、学校全体での「朝の読書」推進、「青少年赤十字部」の活動、生徒のボランティア活動など野球そのものとは直接関係のない事象により推薦されるケースがあり「選考基準が曖昧」という理由により非難の声も聞かれる。なお、この枠は設定10年目の第82回(2010年)の後に見直されることになっている。
| 年 | 出場校 | 主な選考理由 | 結果 |
|---|---|---|---|
| 2001年 | 安積(福島) | 創立創部ともに県最古であり考える野球の実践をした。 | 初戦敗退(2回戦) |
| 宜野座(沖縄) | 部員全員が地元中学出身で地域貢献を果たす。 | ベスト4 | |
| 2002年 | 鵡川(北海道) | 廃校の危機を乗り越え、希望の星となる。 | ベスト16 |
| 松江北(島根) | 県内屈指の進学校。 | 初戦敗退 | |
| 2003年 | 柏崎(新潟) | 豪雪地のハンディを克服。 | 初戦敗退 |
| 隠岐(島根) | 離島の過酷な条件を克服。 | 初戦敗退(2回戦) | |
| 2004年 | 一関一(岩手) | 県内屈指の進学校。 | 初戦敗退 |
| 八幡浜(愛媛) | 生徒数大幅減少の中で文武両道を徹底。 | 初戦敗退 | |
| 2005年 | 一迫商業(宮城) | 地域密着の活動で過疎の町を勇気づけた。 | ベスト16 |
| 高松(香川) | 県内屈指の進学校。 | 初戦敗退 | |
| 2006年 | 真岡工業(栃木) | 地元密着の選手育成。 | 初戦敗退 |
| 金沢桜丘(石川) | 県内有数の進学校。 | 初戦敗退 | |
| 2007年 | 都留(山梨) | 部活時間確保のため、通常10分の休み時間を7分に短縮。都立三宅高校と避難生活中に合同練習や試合を行った。 | 初戦敗退 |
| 都城泉ヶ丘(宮崎) | 県内有数の進学校。狭いグラウンドという悪条件を、工夫を凝らした練習で克服。 | ベスト16 | |
| 2008年 | 安房(千葉) | 創立100年を超える文武両道の進学校。房総半島の南端に位置し、小規模校の多い地元の中学出身者だけでチームを構成。 | 2回戦敗退 |
| 成章(愛知) | 創部100年を誇る県立の進学校。試合会場まで長距離移動する地理的なハンディを乗り越え強豪私立高と接戦を演じた。 | 2回戦敗退 | |
| 華陵(山口) | 全校生徒が日本赤十字の会員で、青少年赤十字モデル校の指定を受けている。過去4年間で春秋合わせて中国大会に6回出場。 | ベスト16 | |
| 2009年 | 利府(宮城) | 地域の清掃活動に積極的に参加。運動部員が小学校へ出前授業をしている。生徒が梨農家の手伝いをしている。 | ベスト4 |
| 彦根東(滋賀) | 右翼が左翼より30メートルも短い変形グラウンドという悪条件を、工夫を凝らした練習で克服。 | 初戦敗退 | |
| 大分上野丘(大分) | 県内随一の進学校。放課後の練習は2時間までと決められていながら、2008年秋季大会では九州大会出場を果たした文武両道。 | 初戦敗退 |
[編集] 明治神宮大会枠
第75回(2003年)から設けられる。明治神宮大会枠は11月の明治神宮大会優勝校が所属する地域に与えられ、この地域の通常枠が1つ増える形となる。第80回(2008年)は記念大会で1校増の2枠で、優勝校・準優勝校を出した地区に枠が与えられた。この枠ができ、通常枠の1都道府県2校までが確定した。第81回(2009年)は1地区で1つの枠を争った。
| 年 | 出場校 | 結果 |
|---|---|---|
| 2003年 | 東邦(愛知) | 初戦敗退(2回戦) |
| 2004年 | 常葉菊川(静岡) | 初戦敗退 |
| 2005年 | 戸畑(福岡) | 初戦敗退 |
| 2006年 | 旭川実(北海道) | 初戦敗退 |
| 2007年 | 室戸(高知) | ベスト8 |
| 2008年 | 宇都宮南(栃木) | 初戦敗退(2回戦) |
| 宇治山田商(三重) | ベスト16 | |
| 2009年 | 下妻二(茨城) | 初戦敗退 |
[編集] 希望枠
第75回(2003年)から、第80回(2008年)まで設けられた。
一般選考の補欠校にもセンバツへの「希望」を残す狙いで第75回から導入された。神宮大会枠を得た地区を除く地区の補欠1位校が対象。投手を含めた守備力のデータに従って決める。項目は被塁打、与四死球、失点、失策。明治神宮大会を除く直近4試合で各項目の1試合9イニング平均値を計算し、順位を得点化。合計がもっとも多い学校が選出される。希望枠は明治神宮枠以外の地区の補欠出場順位第1位の学校の中からデータを比較の上、守備力に長けているチームを1校選出。ただし東京枠は2枠選出する場合においては除かれる。理由は同一都道府県から出場枠を21世紀枠を除く、3校選出を避けるためである。
| 年 | 出場校 | 結果 |
|---|---|---|
| 2003年 | 旭川実(北海道) | 初戦敗退(2回戦) |
| 2004年 | 秋田商(秋田) | ベスト8 |
| 2005年 | 三本松(香川) | 初戦敗退 |
| 2006年 | 一関学院(岩手) | 初戦敗退 |
| 2007年 | 大垣日大(岐阜) | 準優勝 |
| 2008年 | 一関学院(岩手) | 初戦敗退(2回戦) |
[編集] 1日に割り当てる試合数
- 1日の試合数は以前は最大4試合で、第66回(1994年)までは1回戦の2日目-4日目と8日目の準々決勝開催日がその当該日だった。しかし阪神・淡路大震災による交通障害で応援団の来場スケジュール調整が必要なこと、また選手の健康管理面の問題などを考慮し第67回(1995年)から4試合日は9日目の準々決勝のみとし1・2回戦の全開催日の初日-8日目は1日3試合とするようになった。
- 更に第76回(2004年)から大会後半の選手の連戦による疲労を避けるという意味合いで夏の大会と同じように、準々決勝を1日2試合ずつ割り当てることにした。ただし雨天延期などによる日程の過密化で消化しきれない場合は4試合一括開催となる場合あり。よって現在は最大1日3試合まで開催されていることとなる。ただ10年単位の記念大会となる西暦下一桁8年の年は36チーム参加のため、一部予め4試合設定の日がある。
- 第1試合の基本的な開始時間
- 初日 - 開会式直後の10:20
- 3試合開催日 - 9:00(第79回(2007年)から、従来の9:30より30分繰り上げられた[1])
- 2試合開催日(主として準々決勝、準決勝) - 11:00
- 1試合開催日(主として決勝) - 12:30または13:00
- 4試合開催日(日程編成の都合で4試合消化しなくてはいけない場合) - 8:30(第61回(1989年)まで8:00開始)
- 2試合以上開催する場合、新聞の組み合わせ発表では「試合時間2時間・練習とグラウンドの整備30分」と仮定して3試合日の場合「(1)9:00、(2)11:30、(3)14:00」とそれぞれ掲載されているがあくまでも目安であり、実際には次の試合はグラウンド整備や事前練習の関係もあり原則として前の試合終了から30分程度の時間を置いてから行う(早く終了した場合は新聞等発表の時刻より繰り上げられる場合もある)。なおかつては4試合開催日の場合で「(1)8:00、(2)10:20、(3)12:40、(4)15:00」を目安として、前の試合終了から20分後に次の試合を行っていた。
[編集] 試合
DH制(指名打者)は採用しない。
試合は9回で同点の場合には延長戦。ただし延長15回でも決着しない場合には、翌日か翌々日再試合。コールドゲームは得点差では認められておらず、雨天などの天災で7回以降の均等回を消化した場合のみに採用される。1999年12月の高野連全国理事会で翌年の春の大会から延長18回制(引き分け再試合)を15回制に変更。
審判員は球審、3人の塁審、予備審判2人と控え審判員1人の計7人。ただし、ナイター下では2人の予備審判員が外審として試合に加わる。
[編集] 大会歌・その他
- 第8回(1931年)で初代大会歌(作詞・長谷川海太郎、作曲・陸軍戸山学校軍楽隊)が制定。しかし歌詞に英語が含まれていたため1年で廃止。
- 第11回(1934年)で2代目大会歌「陽は舞いおどる甲子園」(作詞・薄田泣菫、作曲・陸軍戸山学校軍楽隊)が制定され、第64回(1992年)まで使われた。
- 第65回(1993年)からの3代目大会歌は阿久悠の作詞、谷村新司が作曲した「今ありて」が採用されている。
- また第27回(1955年)から現在に至るまで、連続的に神戸山手女子高等学校が大会歌の合唱を担当している。
- 国旗、大会旗、プラカードを持つのはボーイスカウト日本連盟所属のベンチャースカウト(高校生)であったが第80回(2008年)から各出場校の生徒がプラカードを持つことになった。なお、甲子園球場の所在地は兵庫県だが、プラカードは大阪連盟所属のスカウトが持っていた。プラカードは第80回から「全国高校書道コンクール」(毎日新聞主催)で上位に入賞した高校生が地域ごとに出場校の文字を書き入れるものに変更される[2]。
- 第71回(1999年)より、開会式の国旗掲揚時に「全日本学生音楽コンクール」(毎日新聞主催)声楽部門高校生の部の優勝者による国歌独唱が行われている。
[編集] センバツ球史に残る名勝負
- 作新学院対八幡商延長18回引き分け再試合(第34回・1962年)
- 前橋(群馬)対比叡山(滋賀)1-0完全試合(第50回・1978年)
- 東邦対上宮 3x-2の逆転サヨナラ勝ち(第61回・1989年)
- 北陽対新田延長17回(第62回・1990年)
- 金沢(石川)対江の川(島根)3-0完全試合(第66回・1994年)
- 花咲徳栄対東洋大姫路延長15回引き分け再試合(第75回・2003年)
- 関西対早稲田実業延長15回引き分け再試合(第78回・2006年)
- 平安対鹿児島工延長15回引き分け再試合(第80回・2008年)
[編集] 歴史
- 1924年(第1回) 和歌山中学が大毎野球団に働きかけた事により[3]、選抜中等学校野球大会として山本球場(のちの八事球場)で開催。
- 1925年(第2回) 会場を夏の大会と同じ甲子園に変更。以降、甲子園で開催するようになる。
- 1926年(第3回) ラジオ中継開始。
- 1927年(第4回) 大正天皇崩御の関係で4月下旬から開催し、決勝戦は5月に開催。優勝校のアメリカ遠征制度が開始。
- 1929年(第6回) 今大会から勝利校の校歌演奏と校旗掲揚が開始される。
- 1932年(第9回) 優勝校のアメリカ遠征制度廃止。
- 1933年(第10回) 前年度優勝校の無条件出場制度が廃止される。
- 1942年から1946年までは太平洋戦争と、その終戦の混乱により大会は中止。
- 1948年(第20回。開催当時は第1回) 学制改革に伴い、第1回選抜高等学校野球大会として開催される。
- 1954年(第26回。開催当時は第7回) テレビ中継開始。
- 1955年(第27回) 大会回数を中等学校時代からの通算とし、以前の大会(第1 - 7回)も回数を変更する。
- 1959年(第31回) 皇太子(今上天皇)の結婚式によって、決勝戦のテレビ中継が中止になる。
- 1962年(第34回) 準々決勝の作新学院対八幡商の試合が春の甲子園としては初の延長18回引き分け再試合となった(春夏通じて2回目)。
- 1973年(第45回) 山形県勢(日大山形)が出場したのを最後に空白県が消える。
- 1984年(第56回) 今大会途中より、歴代優勝校名入りの白いプレートを外野フェンスに掲示することを取り止めた。
- 1992年(第64回) 今大会からラッキーゾーンが撤去される。
- 1995年(第67回) 阪神・淡路大震災により開催が危ぶまれたが、無事に開催された。今大会より一日の割り当て試合数を原則最大3試合とし、会期を一日延長。これ以降11日間開催が定着する。
- 1997年(第69回) 日高中津分校が分校として初めて出場。
- 1999年(第71回) 沖縄尚学が沖縄県勢として初優勝を果たす。
- 2001年(第73回) 今大会から21世紀枠が設けられる。
- 2003年(第75回) 今大会から神宮大会枠および希望枠が設けられる。準々決勝の東洋大姫路対花咲徳栄戦は、春・夏大会通じて初めての「引き分け再試合の延長戦」となった。
- 2004年(第76回) 今大会から準々決勝を選手の健康負担を理由に「1日2試合ずつ、2日間の日程」で開催。決勝戦が史上初のナイターとなる。
- 2005年(第77回) 天候を理由に、大会第0日目が設定された。高松が史上最高年ブランクで出場(72年ぶり)。
- 2006年(第78回) 新潟県の日本文理が勝利を挙げ、未勝利県が消える。
- 2007年(第79回) 今大会から本塁周辺にダートサークルのラインが追加(高校野球の公式戦では初)。
[編集] エピソード
[編集] 入場行進曲における流行曲使用
第34回(1962年)以降、入場行進曲においては前年の流行曲が使われることになった。1曲目は坂本九の『上を向いて歩こう』。
[編集] 近畿以外の地域での全国大会開催
第1回(1924年)だけ名古屋市山本=八事球場で開いた理由として当時、夏の大会では関西近郊学校が8回中8回とも決勝に進出し優勝は8回中5回だったため主催者の毎日新聞社は「夏の大会(全国中等学校優勝野球大会)で関西近郊の学校が優勝確率の高いのは開催地の風土に関係するかを試すこと」と「東海地方の野球ファン拡大につなげるため」の2点を挙げていた。なお開催地の風土に関しては本大会では代表校8校中3校だった関西近郊の学校は2校が初戦敗退、1校が2回戦敗退という結果になっている。
主催者の毎日新聞社は毎年開催地を変えて全国各地で開催する構想だったが翌年の第2回(1925年)以後は高校野球(当時は中学野球)の聖地として知られる甲子園球場での開催に定着するようになり、近畿地域以外での全国大会開催は国体、明治神宮大会を除くと春・夏を通してこれが最初で最後となっている。夏の大会における甲子園以外の開催は豊中球場、鳴尾球場、阪急西宮球場があるがいずれも近畿地域の開催である。
[編集] 初の引き分け再試合
春夏通して初めての引き分け再試合は山本球場で開催された第1回(1924年)の1回戦、横浜商 - 市岡中の試合。当時の制度は引き分けという制度が無く、勝負がつくまで試合を続けるというものだった。しかし山本球場には照明設備が無かったため、延長14回終了後に日没による引き分けとなった。
| チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | R |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 横浜商 | 1 | 0 | 4 | 3 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 |
| 市岡中 | 0 | 7 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 |
- 市岡中 21-13 横浜商(再試合)
[編集] 前年度優勝校の無条件出場
第2回(1925年)から第9回(1932年)までは、前年度優勝校は地方大会に出場しなくても無条件で全国大会に出場することができた。第10回(1933年)からこの制度は廃止されたが、優勝校は次年度全国大会に出場し続けていた。1942年の大会が戦争で中止になったのを除き、優勝校が次年度全国大会に出場できなかったのは第20回(1948年)で優勝した京都一商(京都)が最初である。
[編集] 優勝校のアメリカ遠征
第4回(1927年)から、主催の大阪毎日新聞社が野球の本場メジャーリーグの見学や日米親善という趣旨によりこの年から優勝校のアメリカ遠征が行われるようになった。この制度によってアメリカに遠征した優勝校は和歌山中(和歌山)、関西学院中(兵庫)、第一神港商(兵庫)、広島商(広島)の4校。
アメリカ遠征は夏休みを利用して行い7月中旬から9月中旬までの長期に渡り、メジャーリーグの試合見学や地元高校との親善試合も行った。夏の大会開催中に主力選手がアメリカ遠征に行っているため、春の優勝校は控え選手で夏の大会予選を戦うことになった。その中で第4回の優勝校だった和歌山中は控え選手で夏の大会の予選を制し、全国大会に出場した。
1932年、外国チームとの試合を禁止する野球統制令を政府が出したことにより、それ以降は優勝校のアメリカ遠征は中止になった。
なお、春の優勝校のアメリカ遠征に関しては春の大会を主催していた毎日新聞社が朝日新聞社が主催していた夏の大会の興味をそぐ目的があったという陰謀説も存在する。
[編集] 同都道府県から4校の出場
第10回(1933年)では出場校32校中、海草中、和歌山商、海南中、和歌山中と和歌山県から4校出場していた。また第14回(1937年)では出場校20校中、中京商、東邦商、享栄商、愛知商と愛知県から4校出場している。
なお現在では、通常枠での同一都道府県からの出場は2校までと決められている。21世紀枠を含めての3校出場は可能だが地域性の問題もあるため、選考されるのは非常に難しいとされている。かつては第60回(1988年)には大阪府から上宮、近大付、北陽の3校が、第73回(2001年)には茨城県から水戸商、常総学院、藤代の3校が選出された例もある。
[編集] 優勝旗
- 選抜大会の優勝旗は「大紫紺旗」と称されている。これは紫に近い色の糸を使っているためで、赤い糸を使っている夏の全国大会の優勝旗は「大深紅旗」と称されている。現在の旗は2代目で、第35回(1963年)に初代に代わり新調されたもの。初代と現在の旗との相違点は以下の3点。
- 大会名 - 初代は「全国選抜中等学校野球大会」に対し、現在は「全国選抜高等学校野球大会」。
- 主催新聞社名 - 初代は「大阪毎日新聞社」に対し、現在は「毎日新聞社」になっている。1943年に「東京日日新聞」と「大阪毎日新聞」が題号を「毎日新聞」に統一した事により、商号も毎日新聞社に変更したため。
- 「VICTORY」の文字 - 初代は染めぬきだが現在は金の糸を使って織られており、少し文字が大きくなっている。
- 初代の優勝旗は第18回(1941年)で愛知県・東邦商が手にしたまま戦争で大会が中断していたが、1945年の名古屋大空襲で同校の校舎が全焼。その際校長室に保管されていた優勝旗は燃え落ちる寸前に校庭に放り投げられ事なきを得た。
- 初代の優勝旗を最後に手にしたのは作新学院高等学校(栃木)で、現在の優勝旗を最初に手にしたのは下関商(山口)だった。
- 春の選抜大会には準優勝旗が存在する。夏の全国大会には存在しない(木内幸男(当時常総学院監督)が夏にも準優勝旗があると勘違いしていたのは有名)。色は夏の優勝旗と同じ深紅で3代目である。
- 優勝旗は大会の閉会式にて優勝校に授与され、翌年の大会の開会式にて前年優勝校から大会会長に返還される。その返還の際、優勝旗のレプリカが代わりに授与される。このレプリカの意匠は優勝旗とほぼ同じだが模様・文字は全部染めぬきであり、“第○回”および校名が付加される。
[編集] 連覇
本大会においての連覇は現在2例ある。詳しくは甲子園連覇を参照されたい。
[編集] セレモニーでの夏との相違点
春・夏とも高校生が担当するようになる以前の開・閉会式の司会は男性職員だった。ただ各々別の人物だったので、主催者か高野連関係者が担当したと推測される。
春の開会式は仕掛け花火をバックに選手が入場するのが特徴となる。かつては風船やハトを飛ばすこともあった。なお第67回(1995年)は入場行進を簡素化したため行われなかった。また天候の関係上花火が省略されることもある。
開会式の選手入場までの流れは夏は開式アナウンス→ファンファーレ→「選手が、入場します。」→選手入場だが、春はファンファーレ→開式アナウンス→司会自己紹介→「選手、入場!」→選手入場となっている。また選手入場での学校紹介は夏は以前はウグイス嬢、現在は高校生司会者が「(地区名)代表、○○高校。」と読み上げるが春は以前は男性職員、現在は高校生司会者が「○○高校、(所在都道府県名)、○年ぶり○回目(○年連続○回目、初出場)。」と出場回数を紹介するのが特徴。
また開会式では国旗・大会旗のみならず、前年度優勝校の校旗を同校校歌の吹奏と共に掲揚するのも当大会の特徴となっている(夏は未実施)。なお、春夏とも各旗の掲揚(降納)については1970~2000年頃は開会式では全出場校の主将が閉会式では進出校の全選手がバックスクリーンの掲揚台に上って行っていた。現在どの団体の関係者が行っているかは不明。
表彰式の演奏曲は夏はスタンダードな「見よ、勇者は帰る」(ヘンデル作曲)が使用されるが、春は大会オリジナルの「栄光」(永野慶作作曲)が用いられている。導入のきっかけは1973年のオイルショックである。ユダヤ戦士を称える「見よ、勇者は帰る」を使うとアラブ諸国から石油を売ってもらえなくなる恐れから、翌年急遽この曲が作成された[4]。急ごしらえで作成された「栄光」だが使用後の評価が高かったため、それ以後継続して使われ続けている。ちなみに、同じ毎日新聞主催(日本野球連盟と共催)の社会人野球日本選手権大会の開・閉会式でも使用されている。
なお開会式の選手退場は夏は普通に行進で退場するが、春は駆け足で退場する。
[編集] 選抜に関する争い
1969年の秋の東京大会において帝京商工高等学校(現・帝京大学高等学校)が準優勝し、東京都高野連も翌年の第42回(1970年)に推薦した。しかし、高野連の選出委員会は帝京商工の火事による資料の喪失から戦力分析が不可能との理由で帝京商工を選出しなかった。
帝京商工はこれを不満として1970年2月20日に高野連を相手取り代表決定の効力停止の仮処分を大阪地方裁判所に申し立てた。これに対して東京都高野連が本校の対外試合を禁止する制裁を決定。さらにこの制裁に対して本校が東京地方裁判所に仮処分を申請するなどの泥仕合となった。
この際に帝京商工側が「選抜落選や試合禁止は野球選手としての就職が不利になる」としたことから高校野球においてされたことからそのような考え方の是非について議論を巻き起こした。3月9日には対外試合禁止が撤回され、3月12日には大阪地方裁判所で申立てが却下され続いて東京地方裁判所に対する申立ても取り下げられ問題は決着した。なお第42回には、東京都からは東京大会優勝の日大三高と都大会4位の堀越高等学校が出場した。
[編集] 応援団賞
[編集] 各種記録
高校野球全国大会の記録一覧を参照。
[編集] 中継
[編集] NHK
- テレビは第26回(1954年)から放送されている。第38回(1966年)よりカラー放送。当初は、春夏ともニュースなどによる中断で総合テレビで中継できない場合は原則NHKテレビによる中継は放送されなかったが1974年の第56回全国高等学校野球選手権大会準々決勝の東海大学附属相模高等学校対鹿児島実業高等学校戦の延長戦中継方式を巡って視聴者から苦情が殺到した(全国高等学校野球選手権大会#テレビ・ラジオ中継#NHKでの中継参照)こともあり、第47回(1975年)の準々決勝・準決勝において総合テレビと教育テレビによるリレー中継を実施したところ好評だったため同年の夏の大会以降この形でのリレー方式で完全生中継を行っている。地上デジタル放送でも同様にリレー方式をとるため大会期間中マルチ編成は行わないが、イベントリレー機能を利用してリレー時の案内を実施している。
- デジタル衛星ハイビジョンでも全試合中継。BSアナログハイビジョン実用化試験放送の頃から続いており、第79回(2007年)まで大相撲開催期間中は16:00で中継を終了していた(第80回(2008年)は18:00まで放送枠を取っている。ハイビジョン放送での大相撲本場所生中継が2007年春場所で廃止されたために伴う)。衛星第2は開会式、準々決勝、準決勝、決勝、閉会式のみ放送。東京都小笠原諸島、沖縄県大東島地方の地上波テレビの衛星再送信中継局ができるまでは東京代表と沖縄県代表出場校の試合も放送されていた。
- 基本的な放送時間帯(3試合日の場合、2009年のケース)
- 総合テレビ
- 平日 9:00-11:54、13:05-17:00(最大18:00まで延長)
- 土曜日 9:00-11:54、13:50-17:00(最大18:00まで延長)
- 日曜日 10:05-11:54、13:05-17:30(最大18:00まで延長)
- 教育テレビ
- 平日 11:54-13:05、(18:00-最終試合終了)まで
- 土曜日 11:54-13:50、(18:00-最終試合終了)まで
- 日曜日 9:00-10:05、11:54-13:05
- デジタル衛星ハイビジョン 9:00-18:00(総合テレビがニュースなどのインターバルで中断している時間帯も、中継は中断せずに球場の映像をフィラー的に流している)
- ラジオ第1 8:55-11:55(一部地域では11:50に飛び降り)、12:20(月~金)・12:15(土・日)-最終試合終了まで
- 参考・2006年のケース(3試合日の場合)
- 総合テレビ
- 平日 9:25-11:45、13:05-17:30(最大18:00まで延長)
- 土曜日 9:25-11:54、13:50-17:30(最大18:00まで延長)
- 日曜日 10:05-11:54、13:05-17:30(最大18:00まで延長)
- 教育テレビ
- 平日 11:45-13:05、(18:00-最終試合終了)まで
- 土曜日 11:54-13:50、(18:00-最終試合終了)まで
- 日曜日 9:30-10:05、11:54-13:05、(18:00-最終試合終了)まで
- デジタル衛星ハイビジョン 9:30-17:30(最大19:00まで延長)
- ラジオ第1 9:25-11:50、12:15-最終試合終了まで
- 第49回(1977年)までは他の野球中継と同様、ラジオ第2で放送されていた。(近畿圏ではラジオ第1で放送したこともある)。それ以前は市況放送、講座放送の合間を縫っての放送だった。
- 海外でも準々決勝以降はNHKワールド・プレミアム、決勝・閉会式のみNHKワールドラジオ日本でも放送(但し第81回(2009年)はNHKワールドラジオ日本では放送せず、別番組に差し替えた)。
- BSアナログハイビジョン実用化試験放送の頃は、毎日放送と共同制作となったこともある。実況と解説はNHKが担当・映像は両社のものが混在。なお、当時の番組表ではNHK・TBS共同枠となっていた。
- 東北地方では原則プロ野球の生中継はラジオ第1で行うが第77回(2005年)~第79回(2007年)の楽天のシーズン開幕戦の時はまだ選抜高校野球の実施期間のためラジオ第1での放送ができず、異例のFM放送になった。第78回(2006年)は開幕カードが日本ハムVS楽天だったため北海道もこの例に当てはまる。
- 第65回(1993年)以後、中継の映像は甲子園球場のスコアボードで初戦の場合は学校紹介、2戦目以降は先の試合のハイライト、(以下春のみ)試合後は勝利校の校歌斉唱や校旗掲揚、さらに開閉会式の大会歌斉唱や各旗の掲揚、降納シーンを放映するのに使用される(いずれも実況なし)。ほか球場内の喫煙所や食堂、売店に設けられたモニターでも試合映像、監督インタビューやインターバルのフィラー映像が流されている。ただしファンから一番要望のある各試合の球場内リプレイ放映は高野連が高校野球にふさわしくないとして2008年現在も使用を認めない。
解説者については、高校野球解説者一覧を参照。
[編集] 毎日放送・GAORA
毎日放送(MBS)テレビでは第31回(1959年)から第74回(2002年)までは1回戦から決勝戦まで生中継していた。なお、第29回(1957年)、第30回(1958年)は旧大阪テレビ放送(現・朝日放送)が中継していた。大阪テレビ放送は毎日新聞社、朝日新聞社、朝日放送、そして毎日放送の前身・新日本放送(NJB)との合弁企業だったためである。
テレビ中継のタイトルは夏のABCとは対照的に、NHK同様「第○○回センバツ」である。かつて第66回(1994年)までは春も「第○○回選抜高等学校野球大会・中継」であった。ただしオープニングはグラウンドをバックにしたタイトル表示はあったが、最終試合以外の(例:第1〜3試合)エンディングは「第○日(若しくは準々決勝、準決勝) 第(一〜三)試合 終。」だけだった(ニュース等の中断明けの時間を案内することもあった)。現在はグラウンドをバックに「第○○回センバツ」とOP、ED、イニング間もタイトル出しが行われている。なおラジオ中継タイトルは「選抜高校野球・実況中継」となる。
初期は完全放送を実施していたが(試合の幕間にMBSニュース、天気予報、「水道完備ガス見込」などの帯ドラマを放送)、第38回(1966年)以降昼間時には平日は東京局(1975年3月まではNET、同年4月以降はTBS、「腸捻転解消」参照)発の全国ネット番組を、日曜は自社製作の演芸、バラエティー番組(後年は日曜もTBS発の全国ネット番組)を編成するようになった(土曜日と準決勝~後年は準々決勝~以降を除く)。しかしABCのようなサンテレビなどの近畿圏UHF局経由のリレー形式を取り入れる事はすでにABCがこれらUHF局と包括的な提携を結んでいたためMBSにはできなかった事に加え、視聴率も一桁に低迷した事、TBS発の全国ネット番組を編成するのに障害が生じてきたこと、そして夕方ワイド番組を強化したいMBSの意向もあり第75回(2003年)からは「センバツは別の形でお届けしたい」と準決勝の2試合と決勝戦の生中継だけとなった[5]。
毎日放送系のCATV・CS放送のチャンネル「GAORA」は1990年のスペース・ビジョン・ネットワーク開局以来全試合完全生中継している。また開局から数年の間はその日の夜録画中継も行っていたためほぼ1日中高校野球だけの編成というケースもあった。なお2007年と2008年の一部の期間、プロ野球・日本ハムが主催するパ・リーグ公式戦を生中継するためプロ野球終了後この時間の試合分を録画中継(NEARLIVE方式)した。GAORAでは大会終了後まとめて再放送[6]も行っている。なおTBS系のBS-TBS、TBSニュースバード、TBSチャンネルでの放送は行っていない。
選抜の期間中はMBSのみ深夜時間帯は特別編成となるケースが多い。選抜高校野球のハイライト(2009年は『みんなの甲子園』。ABCの『熱闘甲子園』と違って地上波は全国放送ではなく当日深夜のJNN最終版ニュース明け(月~木は『NEWS23』~『吉崎金門海峡』の後)にMBS関西ローカルで、また翌朝にはGAORAで第1試合開始前に全国放映されている。出場校によっては番販扱いで地方局で放映されることもある)と映画が放送されることが多い。MBS制作の本来の番組も中止になる。また土曜日の『CDTV』はこの時期のみ放送時間(2005年までは日曜日にずらされていた)が変更される。
標準的放送時間(表示は日本時間)
以下地上波(関西ローカル)
- 準決勝 11:00 - 15:55(延長:平日17:50、土・日曜の場合16:55まで)。
- 途中、「THE NEWS」(平日は『ひるおび!』(第1部後半「THE NEWS」)と『ひるネタ!おとなの教室』)を放送するため生中継は一旦中断される。
- 決勝戦 12:00から放送開始(出場校により一部地方局配信あり)。終了時間は15:25(延長:平日17:50、土・日曜の場合16:55まで)。
平日夕方ワイドの『ちちんぷいぷい』は開催有無に関係なく休止。なお雨天順延を考慮して余分に一日休止する場合もある。毎日放送テレビ番組一覧も参照。
(参考:1975~1990年頃の準々決勝までの放送時間)
- 開会式 8:30より中継(入場行進曲を歌うアーチストをゲストに招くのが定番)
- <午前>9:55~11:45(4試合日の場合8:10開始をする時もあり。土曜はすてきな出逢い いい朝8時、皇室アルバム、日曜は生きものばんざい→ザ・ビッグデー、兼高かおる世界の旅→オーケストラがやってきた→ミームいろいろ夢の旅を優先して放送。平日も当初は大阪株式市況終了後の放送)
- <午後>(平日)14:05~16:55(最大延長17:55、14時台生放送の西日本ブロックネット情報番組奥さん!2時です(東京12チャンネルと交互制作)→スタジオ2時(ここからTBS系列)→ワイドYOU、きらめきワイド→レインボー→はーい!昼ナマは裏送り。15時台の3時にあいましょうは休止)、(土曜)12:00~16:20、(日曜)13:00~16:20(延長なし、土、日は昼間のクイズMr.ロンリーなどの自社バラエティー番組をその後時差放送)
- 全国ネット昼ドラのポーラテレビ小説(1986年まで)、愛の劇場、CBC制作昼の連続ドラマ(1993年まで)妻そして女シリーズ(1993年まで)、ドラマ30は準々決勝(第56回(1984年) - 第74回(2002年))、準決勝、決勝戦(第75回(2003年)以降も同様)の場合は放送を休止し特例として試合終了後時差放送の措置がとられた。
毎日放送テレビ製作の高校野球中継は東京地区では第32回(1960年)~第34回(1962年)・第36回(1964年)・第41回(1969年)はNETで、第35回(1963年)はTBSで(スポンサード・ネット)、第37回(1965年)~第40回(1968年)・第42回(1970年)~第46回(1974年)は東京12チャンネル(現・テレビ東京)で多く放送され、特に当時放送番組に窮していた東京12チャンネルでは完全中継を実施したこともあった。ほかカードによりtvk、チバテレビで放送されたこともある。名古屋地区では当初東海テレビでのち名古屋テレビから中京テレビで放送され、名古屋テレビと中京テレビの変則クロスネット解消後は岐阜放送、「腸捻転解消」後は中部日本放送(但し決勝戦のみ)でも放送された。いずれも1975年のいわゆる「腸捻転解消」で、毎日放送がTBS系になったことに伴いほとんど放送されなくなった。TBSで放送されたのは今のところ第50回(1978年)の決勝戦が最後である。
近年地方局へのネットは長野代表校登場の際に信越放送、沖縄代表校登場の際に琉球放送(放送時間はかつてのMBS地上波に準ずる。編成上の都合で放送されない時もある)。決勝戦に限れば第73回(2001年)、仙台育英が進出した際の東北放送(13時からの飛び乗りで、石黒新平による応援実況を実施)、第77回(2005年)、愛工大名電が進出した際の中部日本放送、第78回(2006年)、清峰が進出した際の長崎放送(各局共に14時からの飛び乗り)、第79回(2007年)、大垣日大が進出した際の中部日本放送(11時58分より)、第81回(2009年)、清峰と花巻東が進出した際の長崎放送(14時からの飛び乗り)とIBC岩手放送(12時より)などのケースに留まっている[7]。
毎日放送テレビ中継の協賛スポンサーは長らく十川ゴム(提供クレジット読みは「家庭用から工業用まで日の出馬印でおなじみの十川ゴム」、当初1社提供)を筆頭に年毎に松下電器(「技術で開く世界の繁栄~あなたとともに豊かな未来へ」。1995年は震災の被災者を激励するオリジナルCMを放映)、JR西日本グループ(「総合サービス企業を目指す」。1995年は震災のためにスポンサーは見合わせ)東京建物(「信頼を未来へ」)や日本ペイント(「豊かなこころで未来を開く」)(以下社名のみ)ゼット、コカ・コーラボトラーズ、日清食品など3~4社で担当していたが、2002年は十川ゴムとNTT-ME関西のみがスポンサーとなり、残りの枠はパーティシペーション(PT)によるスポットCM(主にハウス食品)が流されていた。地上波の中継が縮小された2003年以後は十川ゴムも降板し、PTによるスポットCMのみ放映されている(GAORAは最初からノンスポンサー)。
MBSラジオでは新日本放送(NJB)時代の第24回(1952年)から生中継を開始。ただし翌年からはもっぱら生中継は準決勝、決勝戦のみ行い、そのほかの試合は当日の12時、17時台(後年は22時台)にダイジェスト版を放送していた。またこの時期に開局した京都放送(当時KHK、現在のKBS京都)や四国放送(当時JR、現在のJRT)などの地方民間放送局へもネットしていた。決勝戦はNHKに対抗して「3元立体放送」(ステレオ放送とは別)と題して、アルプススタンドや出場校の地元にリポーターを配して放送していた。その後第31回(1959年)からは和歌山放送(当時WBC、現在のWBS)で1回戦から一部の試合を中継。第35回(1963年)以降はMBSラジオで全試合完全生中継を行い(ただしWBCは準決勝、決勝戦の放送をしばらくの間MBSとのサイマルで続行)、第38回(1966年)以降はJRN・NRNを通して全国に配信している。これ以降東京地区でも放送されるようになった。最近ではローカル番組が充実していることやスポンサーがなかなか付かない、NHKでも放送されているなどの理由から地元校が準決勝あるいは決勝まで進まない限りネットしない局が増えつつある[8]。そしてMBSラジオでも第81回(2009年)からラジオ中継も再び、テレビと同様に準決勝と決勝のみを中継することになった[9]。河内一友社長は「民放には民放のやり方がある」と指摘し、第81回は準々決勝までは速報番組『春一番!選抜甲子園』で選抜大会をPRすることとした。
MBSラジオは大会期間中その日の試合終了まで延長放送するため、最悪夜の番組(特に、終夜放送を実施していない日曜日の番組で顕著である)にまで影響するケースもある。さらに夏のABCやプロ野球と異なり雨天中止や早く終了した場合は雨傘番組を用意せずに通常の番組を放送するため生ワイド番組こんちわコンちゃんお昼ですょ!、ノムラでノムラだ♪ EXトラ!などのパーソナリティーたちは中継時間内待機を強いられる。ちなみに日曜日と準決勝、決勝戦が勝ちあった場合、サンデー競馬中継 みんなの競馬はラジオ関西で放送する(MBSラジオは中継終了後の飛び乗り)。毎日放送ラジオ番組一覧も参照。
MBSラジオでは協賛スポンサーのクレジット読みは試合中継の開始終了ごとに行われる。以前は12~3社程度あったゆえ開始時と終了時各々で社名を読み分けたり、イニング間に3~4社ずつ読み上げる措置をとったこともあった。ここ数年はスポンサーが7~8社程度(ほぼ夏のABCと共通)のためラジオでも広告枠の半分がPTによるスポットCMや自社イベントのPRや番組宣伝で埋められることが多い。第81回(2009年)は速報番組を毎日新聞社が連日協賛し、そのほか日替りで協賛スポンサーが付いた(昨年までの各社はほとんど降板)。準決勝、決勝戦の生中継はそれらスポンサーの連名となった。
また毎日放送のホームページでは第70回(1998年)より試合速報を配信したのを皮切りに第75回(2003年)からNTT西日本協力の下ラジオの実況とMBSのカメラワークを用いたリアルタイムネット中継を実施していたが試合終了後のダイジェスト版にアクセスするユーザーが多かったこともあり、第78回(2006年)からは各イニング終了後に配信される形(ビデオ・オン・デマンド)になった。但し第80回(2008年)は準決勝と決勝のみリアルタイムネット中継を再開したが、大会期間後の動画の再生はできなくなった。さらに各インターネットテレビへの動画の配信も積極的に行っている。なお第81回(2009年)から実況音声はテレビ中継のものが使用されている。
中継のオープニング、エンディングテーマ曲は長年ラジオ、テレビとも大会歌(陽は舞いおどる甲子園→今ありて)のインストを、テレビは第68回(1996年)より、ラジオは第71回(1999年)より入場行進曲を採用していた[10]がテレビは第76回(2004年)を最後に独自のテーマソング[11]を設けている。
実況アナウンサーは、MBSタイガースナイターのアナウンサーの項目を参照のこと。なお上記のウェブサイトで主としてテレビ担当実況アナウンサーが各試合の戦評を記すことになっている。
第80回(2008年)は記念大会として各試合の5回のグラウンド整備の際、甲子園球場のスコアボードに「プレイバック・センバツ」として各大会からピックアップされた映像を流していたがほぼMBSテレビの映像だった。ナレーションや谷村新司の歌う「今ありて」もバックについてはいたが、テロップや実況音声は当時のまま流れていた(例:東邦対上宮の水谷勝海アナウンサー)[12]。
[編集] その他放送局
1959年開局時は連日春の大会を中継し、その後は春・夏とも1回戦から地元校の試合をネット受けにより中継してきたラジオ局の和歌山放送が第81回(2009年)は開局記念番組として、代表である箕島の試合を1回戦から準々決勝(敗退)までアナウンサーとゲスト解説者(1、2回戦はOBでもある尾藤公が担当)を自局で派遣して中継した(準決勝進出の場合も自主制作だったかどうかは不明)。
[編集] 脚注
- ^ 第79回選抜高等学校野球大会について - 日本高等学校野球連盟
- ^ 関西845 2008年2月15日放送
- ^ 恒川直俊 記録で読む甲子園「なぜ誕生した選抜大会 出場校の選抜基準も時代とともに」 asahi.com 2007年3月30日
- ^ ちなみに表彰式のテーマに「見よ、勇者は帰る」を使うのは日本独自の傾向である。この曲が表彰式のスタンダードになったのは1946年に復活した夏の大会からとされる。それ以降翌年復活した春の大会や他のスポーツ大会、学校や職場、地域の運動会まで広まった。
- ^ なお第76回(2004年)の決勝戦は開始時間が遅れナイターとなったため地上波は「中止」。1959年に「皇太子ご成婚中継」に人員や機材を割いたため中継できなかったのに続く決勝戦中止。
- ^ 随時、その年に行われた試合を全部ノーカットで放送しているほか、過去の大会からの名勝負を選んで1時間ダイジェストで送る「センバツプレイバック」も放映
- ^ さらに以前は福井代表校登場の際に福井放送(NNN系、夏も放送)、1988年、宇和島東が進出した際に南海放送(NNN系、当時あいテレビは未開局。なお愛媛朝日テレビ開局まで夏も放送)へネットされたこともある。
- ^ JRN親局のTBSラジオでは、第71回(1999年)以降は中継放送を行っていない。岡山県の山陽放送や香川県の西日本放送では両県でMBSラジオが直接受信可能なため、近年は中継放送を行っていない。さらに以前にはNRNのニッポン放送や文化放送、ラジオ沖縄へ配信されたケースがある。沖縄県では1990年代まで夏の大会(2005年まで)と同様、琉球放送(RBC i-Radio)とラジオ沖縄の2局でサイマル放送していた(コマーシャルは別内容。現在はRBC i-Radioのみ放送。ただし第81回(2009年)のラジオ中継はなかった)。
- ^ MBS センバツ高校野球 ラジオ中継縮小 産経関西 産経新聞 2009年1月8日付
- ^ ちなみにテレビはOPと当日の最終試合のEDが原曲、中継放送のEDはインストバージョン。ラジオはOPもEDもインストバージョン。中継のジングルや最終試合のEDは原曲。ただし第72回(2000年)、第73回(2001年)(ジングルは「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」)、第77回(2005年)はOP・EDのみ大会歌を使用。第74回(2002年)~第76回(2004年)、第80回(2008年)、第81回(2009年)はジングルもインストバージョン。
- ^ OPは「ザ・プロ野球」とおなじ効果音によりタイトル出し(第81回(2009年)はTBS系のドラマ、東宝系の映画「ROOKIES」と同様のフォントによるタイトル)をするだけ。近年はNHKテレビもOP・EDのテーマを省略する。EDは第80回(2008年)が「一歩一歩〜終わりなき道しるべ〜」(ONE☆DRAFT)、第81回が「One」(Aqua Timez)。
- ^ 通常は厚生労働省の薬物乱用防止キャンペーン、「NO CAR 甲子園」として球場側から観客に電車で来場の呼びかけ、「北海道にバットの森をつくろう」としてアオダモ植樹キャンペーンを流す(夏の大会はこれらは試合開始前に流し、試合中は年ごとのイメージアーティストが歌う大会歌「栄冠は君に輝く」をバックにその年の大会のポスター、キャッチフレーズコンクールの入賞作品を流している)。第81回(2009年)はこれに加え田中将大(楽天)、斎藤佑樹(早大)が2016年夏季オリンピックでの野球競技復活を呼びかけるキャンペーンを流す。
[編集] 関連項目
- 高校野球
- 選抜高等学校野球大会歴代優勝校
- 全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)
- 団体専用列車
- 野球実況アナウンサー一覧
- 京阪グラウンド - 本大会の開催地とする構想があった。
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月15日 (日) 15:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【選抜高等学校野球大会】変更履歴



