セヴァストポリ

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セヴァストポリ
Севастополь

セヴァストポリ港
市旗 市章
位置
の位置図
座標 : 北緯44度36分00秒 東経33度31分48秒 / 北緯44.6度 東経33.53度 / 44.6; 33.53
行政
ウクライナ
 行政区画 セヴァストポリ特別市
 市 セヴァストポリ
地理
面積  
  市域 1079km2
標高 100m
人口
人口 (2007現在)
  市域 379,200人
その他
等時帯 東ヨーロッパ時間UTC+2
夏時間 東ヨーロッパ夏時間UTC+3
郵便番号 99000—99699
市外局番 +380-692

セヴァストポリ(ウクライナ語:Севастопольセヴァストーポリロシア語: Севастопольセヴァストーポリ;ラテン文字転写の例:Sevastopol')は、人口360,000人の、黒海に面したクリミア半島南西部に位置するウクライナの都市である。首都のキエフとともに、ウクライナの特別市となっている。帝政ロシア時代以来セヴァストポリは軍港都市・商港都市として発展してきた。またリゾート地・観光地としても有名である。ソ連時代に、クリミア戦争第二次世界大戦での攻防戦の奮闘を讃え英雄都市の称号を与えられた。

現在のセヴァストポリ軍港にはロシア連邦海軍基地とウクライナ海軍の司令部も置かれている。ソビエト連邦時代はソ連の黒海艦隊の基地であったが、ソ連邦解体後の1997年にロシア・ウクライナ間で締結された協定により、2017年まで租借することになった。ウクライナが受け取る租借料は年間9800万ドルである。

ウクライナ政府は、2017年5月28日までの黒海艦隊の退去をロシア政府に求めている。しかしセヴァストポリ軍港の租借料はウクライナがロシアへ払うガス料金未納分を考慮して決められており、延長しない場合には、利息を含め約8億ドルを支払う必要が生じる。このためウクライナは租借料の値上げも検討しているという。[1]

最近のロシアとウクライナの政治対立から、セヴァストポリのロシア領土編入を求める運動が、同地に住むロシア人住民によって起きており、新たな両国の対立の火種となっている。

目次

[編集] 歴史

古代この地にはボスポロス王国の都市ケルソネソス(ケルソン)があり、6世紀に東ローマ帝国の統治下になった後も東ローマ帝国のクリミア半島における統治の拠点、ハザールキエフ大公国などとの交易拠点としてテマ(軍管区)が置かれ、12世紀のコムネノス王朝時代まで東ローマの領土であった。

12世紀後半に東ローマが衰退すると、その後はモンゴル人キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)、その後裔のクリミア・ハン国などの支配下にあったが、1783年ロシア帝国クリミア半島を併合した際、一緒に組み込まれた。その後、重要な海軍基地、商業港として発展してきた。

1853年からのクリミア戦争では、同地を拠点とする黒海艦隊シノープの海戦オスマン帝国の艦隊を撃破するなどの戦果を挙げたが、1854年にオスマン帝国と同盟を結んで参戦してきたイギリスフランスオーストリアの妨害工作により攻略目標をオデッサからセヴァストーポリに変更。ロシア軍は英仏艦隊の侵入を阻止するために黒海艦隊を湾内に自沈させ、市街地全体に防塁を敷き詰めて要塞化したが、長期にわたる包囲戦の末にナヒーモフ提督やコルニーロフ大佐も戦死し、1855年9月に放棄を決定。後にパリで開かれた講和会議でカルス要塞と引き換えに返還された。

第二次世界大戦時、要塞化された同地に対してドイツ軍は80cm列車砲「ドーラ」、カール自走臼砲などを用いて攻略、占領したが、その後赤軍の反撃によりセヴァストポリはソ連へ取り戻された。(セヴァストポリの戦い

ソビエト連邦の時代には、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国内のクリミア州の一部としてではなく、キエフの直轄下に置かれ、外国人の立ち入りを固く規制する閉鎖都市だった。

セヴァストポリの位置

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 月刊ファクタ2008年11月号 国会寒帯の軍港租借 キナ臭いウクライナ(67ページ)

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年10月19日 (月) 10:32 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【セヴァストポリ】変更履歴

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