タイ・カッブ

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タイ・カッブ
Ty Cobb
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タイ・カッブ(1917年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗ジョージア州ナロウズ
生年月日 1886年12月18日
没年月日 1961年7月17日(満74歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4cm
175 lb =約79.4kg
選手情報
投球・打席 右投左打
守備位置 外野手
プロ入り 1905年
初出場 1905年8月30日
最終出場 1928年9月11日
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
監督歴
  • デトロイト・タイガース(1921 - 1926)
殿堂表彰者
選出年 1936年
得票率 98.23%
選出方法 BBWAA選出

タイラス・レイモンド・カッブTyrus Raymond "Ty" Cobb, 1886年12月18日 - 1961年7月17日)は、アメリカ合衆国ジョージア州出身のプロ野球選手。右投左打。

1920年以前の本塁打が少なかった頃の代表的な選手で、The Georgia Peach(ジョージア・ピーチ)のニックネームで呼ばれた。日本では「球聖」と冠され、アメリカでは「メジャーリーグ史上、最も偉大かつ最も嫌われた選手」と言われている。

目次

[編集] 経歴

ジョージア州の教師ウィリアム・カッブと若妻のアマンダの家庭に生まれ、同州ロイストンで育つ。母のアマンダは12歳で結婚し、15歳でタイを出産している。厳格な父親は一時ごろつきになるのではないかと心配し、タイが野球をするのに反対していたが、タイは自らの実力を過大評価した手紙を新聞社に送りオーガスタ・ツーリスツと契約した。

オーガスタでの2年目の1905年8月、父のウィリアムが、暴漢と勘違いした母親に誤って銃撃され死亡した。その葬儀の後タイはすぐにデトロイト・タイガースと契約したが、そこでの恒例の新人歓迎(新人相手のいたずら)でいきなり暴力沙汰の騒ぎを起こした。この年の成績は打率.240で終わっている。

2年目は体調不良などでわずか98試合に出場しただけだったが、打率.316という好成績を残した。翌年1907年には.350で首位打者。さらに、最多安打、打点王で当時の三冠王を達成。3年目にしてブレークした形となった。この年以降、24年間の現役生活最後に至るまで打率.323を下回る事はなかった。1908年にも2年連続で当時の三冠王を達成した。

1907年から、ネクストバッターズサークルで黒いバットを使い始める。実際にそれを試合で使ったのはシーズンの最初だけだったが、タイはそのバットを「魔法のバット」と呼んでおり、1907年の結婚式でも持ち出していてそのとき撮られたケーキカットの写真にも映っている。

強い闘争心と勝つためには手段を選ばないえげつなさから、いくつかのエピソードを残している。1909年のシーズン終盤、1.5ゲーム差で首位を争うフィラデルフィア・アスレチックスとの試合では三塁へ盗塁を試みて故意にスパイクで三塁手フランク・ベイカーの腕を刺したり、試合後半に安打を打つと迷わず二塁を目指し、スライディングで二塁手エディ・コリンズに足払いをかけて転倒させたりした。

性格の悪さも折り紙つきで、エゴイスト人種差別者、粗暴な態度と歯に衣着せぬ口の悪さでも有名であった。そのため周囲からは忌み嫌われ、疎まれる存在だった(映画『フィールド・オブ・ドリームス』の中でシューレス・ジョーことジョー・ジャクソンが、「タイ・カッブもプレーしたがってたが、生前みんなあの野郎には愛想が尽きてたから、シカトしてやったさ」という台詞がある)。タイと長い間チームメートだったデイビー・ジョーンズも、「彼(タイ)がスランプに陥ったときは、話しかける事なんかできなかった。(ただでさえひどい態度が)悪魔よりもひどくなっていたから」と語っている。タイの悪癖の1つにダッグアウトで相手にわざと見えるようにしてスパイクの歯を研ぐ事が知られているが、これは進塁の際に進塁先の守備を萎縮させる狙いがあったためとも言われている。

これら事によってタイの悪評は全米に知れ渡ることとなり、「最高の技術と最悪の人格の持ち主」と形容されるようになってしまう。これについてタイは、「勝つためには手段は選んでいられなかった」と語っている。

しかし、同1909年には3年連続の三冠だけでなく、史上初となる首位打者、本塁打王、打点王、最多安打、盗塁王、最高出塁率の6部門制覇を達成。得点数、二塁打数、三塁打数、塁打数、長打率、OPSも含め合計12部門でトップとなっている。

1910年、最終日を残して首位打者を確信していたカッブは、打率を維持するために残り試合を欠場した。しかし打率.376だったナップ・ラジョイセントルイス・ブラウンズとのダブルヘッダーに8安打し打率.384とカッブを猛追した。ところがそのうちの7本は三塁へのバント安打で、これは相手チームブラウンズの監督ジャック・オコナーが当時人気の高かったラジョイにタイトルを勝ち取らせるために三塁手に後ろに下がってプレーしろと命じた結果のものだった。結局、公式な首位打者はタイとなったものの賞品のチャルマーズの車は両者に与えられることになった(そのシーズン後にオコナーは監督を解雇されている)。1981年、スポーティング・ニューズ社によりこの年の集計に誤りが指摘され、カッブの打率は.383に修正された。しかしコミッショナー特別委員会は首位打者の変更を認めなかった。

1911年、自身初の打率4割となるキャリア最高の打率.420を達成。4回目の三冠王にもなり、この年は投票数満票でのMVP選出となった。

1912年5月15日、ニューヨーク・ヒルトップパークでのハイランダース(現在のニューヨーク・ヤンキース)戦でタイは観客の暴言に逆上してスタンドに殴りこみ、暴言を飛ばしたその観客(事故で片腕を失い、もう片方の手も不自由な人)を袋叩きにするという暴挙を起こして退場、出場停止処分となった。制止しようとしてタイに殴られた人物によると、「その男を蹴るな!両手が無いんだぞ!」と止められても「こいつ(暴言を吐いた観客)だけは、両足が無くてもこうしてやる!」と怒鳴り返したという。5月18日、この処分を不服としたチームメートはフィラデルフィアでの試合をボイコット。チームは臨時で大学生らのアマチュア選手を集め、コーチ2人と合わせて試合を行うも24-2で大敗。結局タイ自身がチームメートを説得し事態は収拾した。しかし、1911年に続いて史上初となる2年連続打率4割(.409)を達成。

タイ・カッブ(左)とジョー・ジャクソン

1914年に肋骨を骨折し、その後右親指も骨折。一説には肉屋の店員と取っ組み合いの大喧嘩となり、それで負傷したともいわれている。

1915年まで9年連続の首位打者に輝く。1916年にも.371の高打率をマークするも、トリス・スピーカーの.386には届かず惜しくも10年連続首位打者を逃す。しかし1917年1919年にも3年連続首位打者で、首位打者獲得は通算12度にも及んだ。

1921年には選手兼任でタイガースの監督に就任したが、同年のワシントン・セネタースとの一戦で審判の判定に激高し、試合後に観客と息子のジュニアが見守る中で審判のビリー・エバンスと取っ組み合いの大げんかを起こしている。タイガースを退団する1926年まで監督として指揮をとったが、この間にチャーリー・ゲーリンジャーハリー・ハイルマンといった名選手を育てている。

1922年には.401の高打率を残すが、首位打者は.420をマークしたジョージ・シスラーに譲る形となった。しかし3回目の打率4割は史上初の記録となった。

1926年限りでタイはタイガースを退団して、フィラデルフィア・アスレチックスに移籍。その後、引退までの2シーズンをアスレチックスで過ごした。3902安打、2087得点、664二塁打、286三塁打といった記録は、現在でもタイガースの球団記録として残っている。

1927年、史上初の通算4000本安打を達成。当時は将来更新されることはまずないだろうと言われていたが、後にピート・ローズによって更新された。

1928年に現役を引退。引退時には通算安打数をはじめとする90ものメジャー記録を保持していた。通算打率.366、通算本盗55等々、現在も30を超える記録が健在である。同年シーズンオフには日本に渡り、当時の大毎野球団に加わる形で明治神宮野球場甲子園球場で計12試合を行た。

引退後は現役時の罪滅ぼしなのか、若手選手を積極的にバックアップした。例えばジョー・ディマジオがヤンキースと契約するときに一役買ったエピソードや、テッド・ウィリアムズがタイよりロジャース・ホーンスビーの方が偉大な選手と言われたためにウィリアムズとの仲を断ってしまったこともある。また困窮した元メジャーリーガー(ミッキー・カクレーンなど)のために自分の財産の一部を寄付し続けた話もあるなど、名士として晩年はふるまったように見える。

しかしその一方で自身の生活は荒んだもので、護身用に拳銃を携帯し、また体の痛みを紛らすためにバーボンを一日に一瓶空けるありさまだったという。また、結婚生活もすべて最後は破局し、寂しい晩年を過ごした。

1961年7月、タイは74歳でこの世を去ったが、引退後の善行を差し引いても現役時代の業は相当深かったらしく、葬儀に訪れた球界関係者は前述のカクレーンを含めた、たったの3人、ないしは4人だけだったという。

1936年野球殿堂入り。この得票数はベーブ・ルースらを上回る最多得票だった。タイの現役時代に背番号がなかったために番号は指定されていないものの、デトロイト・タイガースでは永久欠番と同様の扱いになっている。

[編集] タイ・カッブが生んだ野球とプレースタイル

野球殿堂のタイ・カッブのブース
  • 握りの部分(グリップエンド)が根元に近づくにつれて円錐状に太くなっているバットを発案し、愛用していた。日本では、そのようなバットを「タイ・カッブ式バット」と呼ぶことがある。
  • 右手と左手を離してバットを握っていた[1]。このようなバットの握り方を「タイ・カッブ式グリップ」と呼ぶことがある。
  • 走塁時、二塁に滑り込む際にタッチを避けるためになるべくベースから遠ざかって爪先をひっかけることでセーフ判定を狙う「フック・スライディング」を考案・実践した。また、二塁へ進む際、ダブルプレーをとられないよう相手内野手に足を向けて滑り込んでゆく「ゲッツー崩し」を積極的にしかけたのもタイが初めてである。
  • 相手投手の投球フォームやクセの観察によって弱点を見つけたり、攻撃時や守備時に外野へ吹く風を計算に入れるという戦術を最初に編み出した。
  • 選手の権利と言う概念を主張し、メジャーリーグでの選手雇用契約の基礎を作った。
  • 打率維持のため、長打狙いのバッティングはしなかったが、実際は長打力も併せ持っており、ある時、ベーブ・ルースの豪打ばかりもてはやすマスコミ陣に対し、「君たちに見せたいものがある」と宣言して、セントルイス・ブラウンズ戦に臨んだことがある。タイはその日の試合で柵越えの本塁打を3本、その次の日の試合でも本塁打を2本放ち、フェンス直撃の二塁打も2本打ってその実力を証明している。
  • 足はそれほど速くはなかったと自身も語っており、上記に記したようにクセを見つける戦術によって、盗塁数も稼いでいた。後年、ヤンキース監督に就任したケーシー・ステンゲルからもその件で質問された逸話もある。
  • 以上のように細かい野球をするタイだが、闘志を前面に出すプレーをし、それが結果として悪態として扱われてしまったことも少なくない。乱闘のときなどは、ボールをあてられたチームメイトのために激しく攻撃したことも多かったとされる。

[編集] 逸話

タイ(キツい性格、しかしたゆまない努力と引き締まった体)はよくベーブ・ルース(愛嬌のある性格、それでいて天賦の才能とたるんだ体)と対極を成す人物として挙げられることが多い。引退後のメジャーリーグでの本塁打至上主義には批判的な見解を示し、「野球本来の面白さは、走塁や単打の応酬にある」と自らの回顧録で語っているように「スモール・ベースボール」の重要性を説いている。

本塁打至上主義に批判的な見解をしめす理由の一つとして本塁打狙いになることによっての、大振りによる打率低下を言っており、ベーブ・ルースの本塁打狙いの打撃はまさにその典型だと語り、その打撃スタイルを否定していた。さらに、ルースはタイ・カッブのヒット狙いの打法に対し、「あんたみたいな打ち方なら俺なら六割はいけるだろうな。でも、客は俺のけちなシングルヒットじゃなくて、ホームランを見に来ているのさ」とコメントしたため、タイ自身も「打てるものなら打ってみろ。3割そこそこでなにを言ってやがる」と反論している。しかし、そのルースが.376という高打率を記録したため、タイ自身もルースを認める評価をするようになる。さすがに本塁打狙いの打撃への否定は続けたが、ルースの打撃の才能を高く評価しはじめ、打率.393で投票数満票でのMVPをとったときなどは「本塁打狙いの打撃をやめれば、4割を超えるのは間違いない」と述べ、自らのバッティングの考え方の差を感じたコメントをしている。

そのルースに黒人の血が流れているという噂が流れた時などは、同室にいることを拒否するほか、対ヤンキース戦での乱闘のときなども、いつもタイに向かってやじを飛ばしていたルースに真っ先に殴りかかり、激しい乱闘をしていた。しかし、そんなタイも、野球選手としてのルースに高い評価をし、回顧録で記した『自身の選ぶオールスターチーム』のメンバーにも、ベーブ・ルースを選び、またルースの死にも「また来世で会えることを願う」という一節を記している。

引退後に出場した試合で、捕手に「ひさしぶりに、バットを握るので、バットがすっぽ抜けてしまうかもしれない。少し後ろにさがっていてもらえるか?」と頼み、捕手が後ろにさがると、すかさずセーフティバントをこころみ、見事に成功。これを見ていた周りの選手は、「引退してもタイ・カッブという選手はあくまで勝利のみにこだわっている」と感心していたという。

絶好調のときのタイ・カッブはあまりにもすさまじく打つため相手から報復とも言える行動をされることも少なくはなく、相手の捕手の中には、審判がボールをストライクと言うところのみしか投げないように指示し、そこのみを投げるように投手にいう捕手もいたり、あきらかに危険球ともいえるようなボールしか投げてこない選手も多かったと言う。また、打席のみの報復にとどまらず、外野への打球で、二塁をまわったときに腰に体当たりされて三塁打を二塁打にされ、乱闘になったなどがある。

嫌われ者というイメージが強いタイだが、実際は噂ばかりが一人歩きしてしまい、どんどん避けられるようになってしまったというところもあり、ルースと同じく、アメリカ球界に多大なる貢献をした人物であるにも関わらず、その球界からまるで厄介者のように扱われていたという見解がある。ルースは、裏には悪いイメージにつながる行動もあったのだが、それを打ち消すだけの本塁打の強烈な印象力があった。しかし、タイには悪いイメージを打ち消すだけの強烈なものはなく、逆に勝負にこだわる姿勢を、野球というスポーツのイメージを悪くしたととられてしまった、悲運な選手でもある。彼なりの正義感で動いていたらしく、打撃不振などを責められたためにチームメイトと大喧嘩をしたり、前述のようにひどいやじをとばした観客を袋叩きにするなどの暴挙も行ったが、相手にも原因があるときのみしか大喧嘩をしなかったといわれる。試合の乱闘も、ボールをあてられたチームメイトへの怒りによるものなどがほとんどで、相手に大きな怪我をさせるような乱闘は一度もしなかった。これは「怪我のせいで野球をできなくなるつらさは自分が一番わかっている。それを、たとえ敵でも同じ野球選手に味わわせたくはなかった」とタイ自身も語っている。

死の直前、タイは自らの回顧録を書いてもらっていた晩年、その内容もこと細かに指示をしていたとされていたが、死期が近づいてきたころ、その指示をやめて執筆者に「お前の好きに書いてくれ」と言い残して亡くなったとされる。一緒にいた執筆者は、カップと行動を共にするうちに、カップの知られざる人間的な面も知り。人知れぬ悲しみを振り払うために野球に打ち込んでいたこと、そして、カップが貧困しているかつての野球仲間に定期的に送金していること、自分の凶暴な面のため、家族とはうまくいかなかったことなどをも書き留めていた。そのことを知ったカップは死の直前、執筆者にそう言ったとのこと。その後、1994年にはタイを描いた本が映画化されトミー・リー・ジョーンズ主演の『タイ・カッブ』(Cobb)として公開された。

[編集] 通算打撃成績

※歴代順位は2006年シーズン終了時のもの

試合 打数 得点 安打 二塁
三塁
本塁
塁打 打点 盗塁 盗塁
四球 死球 犠打 三振 打率 出塁
長打
OPS
3033 11429 2246 4191 724 297 117 5854 1937 892 178 1249 94 295 357 .366 .433 .513 .945
5位 5位 2位 2位 4位 2位 - 4位 5位 4位 10位 44位 70位 12位 - 1位 8位 67位 26位

[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
1905 DET 41 150 19 36 6 0 1 15 2 - 10 - .240 .288 .300 45 4 - - 0 - 0.588
1906 DET 98 358 45 113 15 5 1 34 23 - 19 - .316 .355 .394 141 14 - - 3 - 0.749
1907 DET 150 605 97 212 28 14 5 119 49 - 24 - .350 .380 .468 283 12 - - 5 - 0.848
1908 DET 150 581 88 188 36 20 4 108 39 - 34 - .324 .367 .475 276 14 - - 6 - 0.842
1909 DET 156 573 116 216 33 10 9 107 76 - 48 - .377 .431 .517 296 24 - - 6 - 0.948
1910 DET 140 506 106 194 35 13 8 91 65 - 64 - .383 .456 .551 279 16 - - 4 - 1.007
1911 DET 146 591 147 248 47 24 8 127 83 - 44 - .420 .467 .621 367 11 - - 8 - 1.088
1912 DET 140 553 120 226 30 23 7 83 61 - 43 - .409 .456 .584 323 8 - - 5 - 1.040
1913 DET 122 428 70 167 18 16 4 67 51 - 58 31 .390 .467 .535 229 11 - - 4 - 1.002
1914 DET 98 345 69 127 22 11 2 57 35 17 57 22 .368 .466 .513 177 6 - - 6 - 0.979
1915 DET 156 563 144 208 31 13 3 99 96 38 118 43 .369 .486 .487 274 9 - - 10 - 0.973
1916 DET 145 542 113 201 31 10 5 68 68 24 78 39 .371 .452 .493 267 14 - - 2 - 0.945
1917 DET 152 588 107 225 44 24 6 102 55 - 61 34 .383 .444 .570 335 16 - - 4 - 1.014
1918 DET 111 421 83 161 19 14 3 64 34 - 41 21 .382 .440 .515 217 9 - - 2 - 0.955
1919 DET 124 497 92 191 36 13 1 70 28 - 38 22 .384 .429 .515 256 9 - - 1 - 0.944
1920 DET 112 428 86 143 28 8 2 63 15 10 58 28 .334 .416 .451 193 7 - - 2 - 0.867
1921 DET 128 507 124 197 37 16 12 101 22 15 56 19 .389 .452 .596 302 15 - - 3 - 1.048
1922 DET 137 526 99 211 42 16 4 99 9 13 55 24 .401 .462 .565 297 27 - - 4 - 1.027
1923 DET 145 556 103 189 40 7 6 88 9 10 66 14 .340 .413 .469 261 22 - - 3 - 0.882
1924 DET 155 625 115 211 38 10 4 78 23 14 85 18 .338 .418 .450 281 15 - - 1 - 0.868
1925 DET 121 415 97 157 31 12 12 102 13 9 65 12 .378 .468 .598 248 5 - - 5 - 1.066
1926 DET 79 233 48 79 18 5 4 62 9 4 26 2 .339 .408 .511 119 13 - - 1 - 0.919
1927 PHA 134 490 104 175 32 7 5 93 22 16 67 12 .357 .440 .482 236 12 - - 5 - 0.922
1928 PHA 95 353 54 114 27 4 1 40 5 8 34 16 .323 .389 .431 152 2 - - 4 - 0.820
通算 24年 3035 11434 2246 4189 724 295 117 1937 892 178 1249 357 .366 .433 .512 5854 295 0 0 94 0 0.945
  • 太字はリーグ1位。赤太字はメジャー歴代1位。

[編集] タイトル・表彰・記録

  • アメリカンリーグMVP:1回(1911年
  • 打撃三冠王:1回(1909年)(当時の打撃三冠王は4回)
  • 首位打者:12回(1907年(.350)、1908年(.324)、1909年(.377)、1910年(.383)、1911年(.420)、1912年(.409)、1913年(.390)、1914年(.368)、1915年(.369)、1917年(.383)、1918年(.382)、1919年(.384)) (1907年~1915年、1917年~1919年) 
  • 9年連続首位打者(1907年~1915年)
  • 本塁打王:1回(1909年(9))
  • デビューから24年連続本塁打(1905~1928)
  • 打点王:4回(1907年(119)、1908年(108)、1909年(107)、1911年(127))
  • 盗塁王:6回(1907年(49)、1909年(76)、1911年(83)、1915年(96)、1916年(68)、1917年(55))
  • 12年連続30盗塁(1907~1918)
  • デビューから24年連続盗塁(1905~1928)
  • シーズン打率4割以上:3回(1911年(.420)、1912年(.409)、1922年(.401))
  • 11年連続打率3割6分以上(1909~1919)
  • シーズン打率3割以上:23回(1906~1928)
  • 最多安打8回
  • 最高出塁率7回
  • 19年連続出塁率4割以上(1909~1927)
  • 最多得点5回
  • 最多二塁打4回
  • 最多三塁打5回
  • 最多塁打6回
  • 最高長打率8回
  • 最高OPS10回
  • 二塁打20-三塁打20-盗塁20:4回
  • 打撃六冠王(1909年)(史上唯一
  • 通算ホームスチール55回(世界記録
  • 生涯打率.366(世界記録

[編集] 日本語表記について

カッブが日本で初めて紹介されたとき、翻訳・マスコミ関係者が「カッ」というカタカナ表記をあてたため、1990年代頃まで「タイ・カッ」とのカタカナ表記がマスコミや野球評論家の間でも完全に定着していた(例えば、彼の自伝の邦訳が1977年に日本で出版されたときの邦題は「野球王タイ・カッ自伝」であり、1995年映画『COBB』の邦題は「タイ・カッ」である)。現在では発音になるべく忠実に「カッ」とされるのが一般的になっている。

[編集] 脚注

  1. ^ Wayne Stewart: Hitting Secrets of the Pros, McGraw-Hill (ISBN 978-0071418249), 2004, 30-31ページ.

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月28日 (土) 18:32 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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