タレント政治家

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タレント政治家(タレントせいじか)とは、タレントであること、あるいはかつてタレントであったことによる知名度を活用して政治家になった人である。

目次

[編集] 概説

タレント政治家については、明確な定義があるわけではない。タレント業を生業としている者だけについてそう呼ぶ場合もあれば、単にメディアを通じて高い知名度があるという理由でタレント政治家と呼ばれる場合もある。メディアを通じて高い知名度があった場合には学者や作家出身者などについてや、テレビ局の社員であって厳密にはタレントには含まれないはずのアナウンサー出身の政治家などについてもそのように表現されることもある。

政治家となった後、タレントとしての活動を辞めない者も多い。議員が兼職すること自体禁じられているわけではなく、他の職業の者であっても、それまでの活動を継続する政治家も数多い。

政党がタレントの擁立に走る背景としては、短期間の選挙運動で大量の得票ができるタレント候補は、選挙戦術上有効であるということや、選挙演説などで党の広告塔的役割を担ってもらうことができるということなどがある。

政治に関する経験や知識の少ないタレントが立候補するとの批判、および政党・政治団体がタレントを立候補させることを有権者から集票するための安易な客寄せに過ぎないとの批判がしばしば行われるが、職業差別に過ぎないとの反論もある。最終的には有権者の判断次第、というのが大方の見方である。

前述のようにタレント政治家と呼ばれる政治家(あるいは候補者)には文化人アナウンサー、あるいはタレント業を職業とするものであっても政治に関し専門的に学んだ者も含まれている。タレント政治家の中には批判を意識してか、自らをタレント政治家と扱われたり、知名度のみで当選したとされたりすることに不満を持つ場合も少なくない。そのため選挙の際にはマニフェストなど政策の具体性を強調したり、親族あるいは友人や師弟関係にある者その他の交友の深いタレント(あるいは著名人)が応援演説を申し出てきてもあえて断ったりして、自らがその他のタレント政治家とは一線を画するとする戦術を採ることも多い。

[編集] 日本での歴史

1980年まで参議院選挙には全国区制があったため、知名度のあるタレントが議員になりやすい傾向があり「芸能院」と揶揄されることもあった。ただし、1974年参議院選挙で、全国区から当選した山東昭子が日立グループからの全面的な支援をうけていたように、組織型選挙のいわば広告塔的な役割を果たしていたものも多い。

1983年には参議院選挙では全国区制が廃止・比例代表制厳正拘束名簿式が導入されたが、2001年から個人名でも投票できる比例代表制非拘束名簿式に改定されたため、知名度による集票力を見込んで政党がタレント候補を擁立するケースが注目されるようになった。非拘束名簿式になって初めての選挙となった2001年参議院選挙では、多くの政党がタレント候補の擁立に走り、舛添要一自民党)、大仁田厚(自民党)、田嶋陽子社民党)、大橋巨泉民主党)らが比例区で当選を果たした。また、自由連合が政治経験が全くないタレント候補を大量に擁立したが、当選者を出すことができなかった。当選を果たした大橋・田嶋が短期間で辞職したこともあり、安易なタレント擁立に対する批判が強まった。この時の自由連合の代表である徳田虎雄は、「二世議員より苦労して一流になったタレントのほうがまし」という反論をしている。

その後も自由連合のような極端な事例こそないものの、参院選の比例区を中心としたタレントの擁立は続き、2004年参議院選挙では神取忍(自民党・繰上げ当選)、荻原健司(自民党)、喜納昌吉(民主党)、2007年参議院選挙では丸山和也(自民党)、横峯良郎(民主党)らが比例区で当選を果たしている。

浮動票の多い都市部ではタレント候補に票が集まりやすいとされ、タレント政治家を輩出しやすいと言われている。特に東京都知事選挙、大阪府知事選挙、参議院東京都選挙区、参議院大阪府選挙区のように都市部を舞台にした選挙では、1983年に横山ノックが全国区から大阪府選挙区に転進して当選、1986年に西川きよしが参院選で初当選し3期つとめ、1995年に青島幸男、横山ノックが知事選で初当選、参議院東京都選挙区でも1992年に森田健作、1993年に横光克彦、2004年に蓮舫、2007年には丸川珠代が初当選するなど、タレント候補の当選が注目された。

地方選挙においてもタレント政治家が当選を果たすことも少なくない。地方のタレント政治家の例としては、首長では石原慎太郎東京都知事)、青島幸男東京都知事)、横山ノック大阪府知事)、田中康夫長野県知事)、東国原英夫宮崎県知事)、橋下徹大阪府知事)、橋本大二郎高知県知事)、森田健作千葉県知事)、地方議会議員では堀井学北海道議)をはじめ船場太郎大阪市議)、須藤甚一郎(東京都目黒区議)、林家とんでん平(北海道札幌市議)、真山勇一(東京都調布市議)、プリティ長嶋(千葉県市川市議)などが挙げられる。

[編集] 公的場面での芸名(通名)使用

日本では国会議員は国民の代表として立法に参画して行政にもの申す立場であり、行政機関の一員ではないため通名使用が認められている(ただし、参議院議員芸名通名使用が認められたのは近年の事である)が、国務大臣行政府の役職に任ぜられた場合は、議員としての立場とは別に行政機関の一員として公文書を発し、時に大臣等の肩書きで国民の権利・義務・許認可を左右することがあるため、責任明確化の観点から芸名の使用は認められていない。

このため、閣僚として入閣したタレント議員は、行政府の公文書に対しては本名で署名する事となっている。例えば、前参議院議員扇千景国土交通大臣国務大臣)としての公文書には本名の「林寛子」で署名をしていたが、このような規定のない参議院議長としての公文書には芸名(通名)の「扇千景」で署名をしていた。

現・宮崎県知事東国原英夫の場合は、選挙の際には芸名(そのまんま東)としたものの、公的には使いづらいと判断し、知事就任後は本名を用いている。

タレント政治家が政治活動の上でも芸名も使っていることを批判する向きもあるが、タレント出身者以外でも本名以外で政治活動をする政治家も存在する。一例として、日本共産党不破哲三(本名は上田建二郎)がいる。

[編集] その他

非常に稀であるが、浜田幸一(元衆議院議員)・小沢遼子(元埼玉県議会議員・元浦和市議会議員)・松浪健四郎(元文部科学省副大臣・自民党副幹事長)のようにタレント政治家とは逆に政治家からタレント・文化人に転じる人物もいる。タレントから政治家となり引退後大学教授となった人物に野末陳平(元参議院議員)がいる。

落語家の立川談志1971年参院選全国区で50人中50位の最下位当選した際、インタビューで「寄席でも選挙でも、真打は最後に上がるもんだ」と答えた。

青島幸男は選挙期間中は選挙公報作成と政見放送録画を除いて当人や秘書や支援者は一切の選挙運動をやらず、タレント的な高い人気を武器に毎回高得票を獲得して当選していた。

山東昭子が1987年に参議院環境特別委員長を務めていた時、テレビ東京のゴルフ番組「ゴルフだよ人生は」の収録で公害健康被害補償法に関する本会議を欠席したため、政治職務よりタレント活動を優先したと問題視され、委員長辞任に追い込まれた例がある。

馳浩プロレスラーとしての知名度を買われて参議院議員となったが、のち本格的に政治家に転身することとなり衆議院に転出、プロレスラーも引退した(後に2006年8月27日に両国国技館で引退試合を行っている)。

将棋の元名人升田幸三は政治家にならないかと尋ねられて「本業に自信のある者はそういうことはしない」と答えている。一方、将棋の元名人大山康晴は同様の質問に「なってもだからばかばかしい」と答えている。

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月14日 (土) 19:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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