ダイオン・オバニオン

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ダイオン・オバニオン(Dion "Deanie" O'Banion、本名:ディーン・チャールズ・オバニオン(Dean Charles O'Banion)、1892年7月8日 - 1924年11月10日)は禁酒法時代のアメリカシカゴアイルランド系ギャングスター。凶暴で童顔、両手利き、左足が右足よりも4インチ短く歩くときに足を引きずるといった特徴があった。オバニオンは結婚していたが夫婦に子供はいなかった。

少年時代はコソ泥だった。1902年ごろ、シカゴでアイリッシュ・マーケット・ギャングという強力なギャングがおり、その少年部のリトルリオンのリーダーがダイオン・オバニオンだった。その後、花屋を隠れ蓑にし、ブートレガーとギャングスターの大物となった。いわばジョニー・トーリオアイルランド版だった。警察の情報によるとオバニオンは少なくとも25人の商売敵の殺人をお膳立てしていた。しかし、殺人罪で裁かれることはなかった。

表向きはトーリオ=カポネ組と同盟を結んで組織の保護を受けていたが、裏ではトーリオ=カポネ組の酒の密売を邪魔していた。トーリオから売春業から上がる収益の取引を拒絶した。理由はオバニオンは多くのアイルランド系ギャングスターと同じで売春業をきたない商売としていたのでイタリア系やユダヤ系に任せておきたかった。

ジェンナ兄弟がオバニオンのノース・サイドの縄張りで粗悪なウィスキーを売ったときジェンナ兄弟の酒を積んだトラックをハイジャックした。そのときはトーリオが仲裁役になり全面戦争になる直前に棚上げになった。

1924年には、闇酒取引で年間100万ドル近い利益を上げていたし、他のブートレガーたちが仕入れた極上品のウィスキーを大胆に次々とハイジャックして儲けを増やしていった。

1924年5月に事前に警察の手入れが入ると知りながらトーリオとアル・カポネにシーベンの酒造所を譲渡し2人をはめる。アル・カポネは手入れの夜に酒造所にいなかったので逮捕を免れたが、トーリオは酒造所所有で懲役9ヶ月と罰金5千ドルの刑を宣告された。これもすべてオバニオンの裏切りによるものだった。この後、ジェンナ兄弟がトーリオとアル・カポネに協力してオバニオン暗殺を計画する。

1924年11月10日に自分の経営する花屋で、花を買いに来た客に成りすましたフランキー・イェール(トーリオがニューヨークからよんだ)とジョン・スカリーゼとアルバート・アンセルミの3人に、射殺された。(イェールではなくマイク・ジェンナという説もある)32歳。

その後、シカゴ北部地区のボスが次々と殺害され報復合戦になる。

最終更新 2009年11月5日 (木) 17:06 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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