ダム建設の是非
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ダム建設の是非では、主に日本国内におけるダムの建設に対する賛否に対する内容を詳述する。
ダム建設においては、流域に対する様々な生活的影響・環境への影響、さらには近年日本における公共事業の進め方に対する厳しい視線等もあり、賛否が分かれることが多い。
目次 |
[編集] ダム事業の損益
日本の河川の歴史は治水と利水の歴史でもある。日本は国土が狭く、河川勾配が欧米の大河川に比べ極端に急勾配である。ゆえに降雨は短期間で海に流出する。このため水害の頻度が高いことは疑いの余地がない。逆に水不足に悩まされることも多々あり、全国各地で古来より水争いによる流血沙汰は昭和初期まで続いていた。これらを解決すべく戦後「河川総合開発事業」によるダム建設が盛んに行われてきた。しかし近年ではこうしたダム事業に対して様々な観点から意見が述べられるようになった。ここではその概略を記す。
[編集] 肯定的視点から
2009年現在日本各地に建設されているダムは財団法人日本ダム協会調査によれば2,892箇所に上る。だが、日本全国のダムの総貯水容量は約222億立方メートルでアメリカ合衆国にあるフーバーダム(コロラド川)1箇所の総貯水容量400億立方メートルの半分でしかない。水が豊富に見えてそうではない現実がある。
近年の地球温暖化の影響により、全世界的に毎年のように集中豪雨と旱魃が局地的に襲っており、国際連合は「水の危機」を発し懸念を示している。日本においても平成16年7月新潟・福島豪雨、平成16年7月福井豪雨、平成20年8月末豪雨を始め毎年のように日本各地で水害が発生、流域住民の生命・財産を脅かしている。福井豪雨において同じ九頭竜川水系でもダムのある真名川とダムのない足羽川で浸水被害が大きく異なった事例もある。一方1994年・2005年の全国的な大渇水は各地で給水制限を引き起こし、特に大河川を持っているにもかかわらず慢性的に降雨量の不安定な四国地方での渇水は深刻となった。1996年に「細川内ダム建設事業」が事実上中止となった那賀川水系では渇水により100億円規模の経済損失が発生し、その後も連年取水制限が行われている。このような不安定な現状の中、治水整備・水資源の確保はより一層重要となり、ダム事業はとりわけ重要であるとの意見は国土交通省や渇水に悩む地方自治体から発せられている。
一方、地球温暖化防止の観点から二酸化炭素排出抑制のために化石燃料からの脱却が叫ばれている中、水力発電の再評価も行われている。欧米と異なり原子力発電に対するアレルギーが強い日本において新規の原発建設が困難性を増している中、風力発電・太陽光発電・地熱発電など代替エネルギーの大規模実用化が困難な現状、水力発電への期待は残っている。また、戦前に建設された多くの水力発電ダムはすでに減価償却も完了し、工事費等の債務などを完済しているケースが多い。このようなダムは毎年経常黒字を重ね維持修繕費はその黒字の中から賄われており税金では償却されていない。出力1万キロワット台でも地域の数千世帯分の電力を賄うことが可能で、クリーンかつ経済性に優れた発電法でもある。また揚水発電は夏季の急激な電力消費に即応可能である。こうしたことから治水・利水・エネルギーを総合的に確保できるダム開発に期待する向きも多い。
環境面からは、概して環境破壊の権化として批判される面が大きいダム事業であるが、反面農業用水の取水や天候により特に河川の流況が不安定な夏季において、ダムからの河川維持放流が存在することで常に安定した河川維持流量が確保でき、干ばつによる生物の枯渇を防ぐのに役立つという意見もあり、ダム建設と自然環境変化の因果関係は一概に言えない面がある[1]。1997年(平成9年)の河川法改正において河川環境維持が重要な目的に追加されたこともあり、これ以降電力会社管理ダムを含むほぼ全てのダムについて、河川維持放流を義務付けるなど行政の対応も変わりつつある。
[編集] 批判的視点から
ただし、治水目的としてはダムの存在が越流被害を一定以下に抑える効果はあるものの、堤防決壊による被害が大きかった川では堤防の強度が不十分だったのではないかという観点もあり、複合的な要因があることを考慮すると一概にダムがなかったことだけが洪水被害の原因とは言い切れない面もある。また、近年の集中豪雨ではダムの洪水調節機能が計画を超える大幅な洪水に対応できていない現実もあり、ただし書き操作による洪水調節も目立っている。近年の降雨の傾向が「長期間にわたる穏やかな雨」から「短期間に激しい降雨」に移りつつあり(地球温暖化が原因との見方が強い)、ダム建設以前に降水量の分析を始め全てにわたる治水対策の抜本的見直しを図る方が先ではないかという見方もあって、問題を複雑にしている。渇水対策についても、ダムのある川で渇水が発生し、逆にダムのない川で渇水が発生しないという河川もあるなど矛盾した事象もある。洪水・渇水には元来気候的問題が絡んでいることから、ダム事業に批判的な専門家からは洪水・渇水対策としてのダム単体の効果を事業者・流域住民双方が依存・強調することに疑問を呈している。
環境面で考えた場合、ダム建設が周辺の自然環境に直接的な悪影響を与えることを原因に反対であるという意見は天野礼子などダム事業を否定する評論家などの間でいまだに根強い。ダムの存在が河川の生態系を遮断し、生物の交流を妨げるのではないかという意見は自然保護団体など数多く見られるほか、2003年(平成15年)に奈良県の大滝ダム(紀の川)で発生した地すべり(多くの住民が仮設住宅への移転を余儀なくされている)はダム建設時の斜面対策不備が原因ではないかという国土問題研究会などの指摘もある[2]。また、水力発電のクリーン面を強調する事に対しては、こういった施策がCO2削減に大きく寄与するかという点についてダム建設に伴う森林喪失で削減効果が相殺される、逆に森林自体の削減効果が過大評価過ぎなど、様々な議論がある。
[編集] ダムに対する反対運動
[編集] 反対運動とその評価
ダム建設に対する反対運動は古くから存在していたが以前は河川開発への重要性が最優先であったため、仮に住民側からも強硬な反対があったとしても最終的には不利な補償内容であったとしても妥協せざるを得ず、公共事業の実施において住民の意思などは省みられなかった。一例として1953年(昭和28年)に完成した岩手県の石淵ダム(胆沢川)があり、事業者である内務省[3]の高圧的・強権的な水没住民への態度と二束三文の補償金支払い、そして完成式典に住民を招かなかった報恩意識の欠如という住民軽視の補償交渉が行われた。この件については1963年(昭和38年)に科学技術庁資源局が発行した『石淵貯水池の水没補償に関する実態調査報告』においても批判されている[4]が、『日本の多目的ダム 1963年版』の石淵ダムの項目[5]では「関係者一同少なからず苦心した」の文言で片付けられている。こうした事業者の姿勢と日本国憲法発布以降における国民の権利意識向上もあり、次第にダム建設に対する反対運動が活発化していく。
世間にダム反対運動がクローズアップされたのは、1954年(昭和29年)の「田子倉ダム補償事件」からである[6]。これは当時電源開発が只見特定地域総合開発計画の一環として計画していた田子倉ダムに対し、水没住民が激しい反対運動を展開。これを解決すべく大竹作摩福島県知事の斡旋によって当時としては極めて異例な高額の補償金支払に応じると会社側が発表した事件である。最終的には河川行政を所管する建設省(現・国土交通省)・電力行政を所管する通商産業省(現・経済産業省)等が反発し結局当時の相場に応じた補償金支払で妥結したが、この事件を契機に各地のダム反対運動がこの影響を受け、補償金吊上げを狙って反対運動を激化させるという現象が起こった。だが、これについても生活の糧・基盤を失う水没住民の防衛本能の一環でもあり、やむをえない行動とも言えた。その後も事業者は開発優先の姿勢を崩さず、「円満解決」と表現しながらも土地収用法による強制収用等の半ば横暴な手法が行われていたケースもあった。
これに風穴を開けたのが筑後川水系の松原ダム・下筌ダム建設事業で起こった蜂の巣城紛争である。公共事業と基本的人権の整合性を問うた室原知幸の活動は水源地域対策特別措置法を始めとして従来、目が向けられなかった水没地域の福利厚生・地域振興を推進する契機となり、「住民の同意がない限り、ダム建設は着工されない」という不文律を形成した[7]。漁業権の観点からは強制収用から共生への方向転換がなされ、ノリ養殖に絡む筑後大堰と福岡県・佐賀県の有明海漁業協同組合連合の攻防は、ノリ養殖保護のために筑後川本流のダム連携放流による品質維持という漁連と国の協力態勢構築に繋がった。宮城県気仙沼市に計画されていた新月ダム(大川)は、カキ養殖を生業とする漁業関係者の反対によってダム計画自体が中止されるに至った。さらに北海道の二風谷ダム(沙流川)では、ダム建設に反対する萱野茂らがアイヌ民族の先住性を二風谷ダム建設差し止め訴訟で訴え、札幌地方裁判所の判決[8]でダム建設差し止めは棄却されたがアイヌ民族の先住性が認められた。ダム建設反対運動が契機となって北海道旧土人保護法が廃止、アイヌ文化振興法が制定されアイヌにとっては「先住認定」が国によってなされるという歴史的転機がもたらされた。
近年では公共事業見直しの風潮の中、長野県の田中康夫知事(当時)による「脱ダム宣言」を始め川辺川ダム反対運動等、ダム建設反対活動の勢いは衰えていない。特に徳島県那賀郡木頭村(現・那賀町)に建設省四国地方建設局が計画していた「細川内ダム」(那賀川)は、当時の木頭村長・藤田恵を中心に村全体がダム建設反対運動を展開。20年以上掛けて国・県と対峙した結果1996年(平成7年)に事業計画を事実上中止に追い込んだ[9]。これを契機に日本各地のダム事業が相次いで中止となるなど[10]、影響力は大きかった。こうしたダム反対運動が日本の河川行政の不備を指摘したのは事実であり、そうした流れは漫然とした公共事業継続による歳出超過を削減するという観点で第1次小泉内閣の『骨太の方針』における公共事業総点検へと繋がり、100ヶ所以上のダム事業凍結・中止へと結実した。
また「尾瀬原ダム計画反対運動」が契機となった日本の自然保護運動は日本自然保護協会の結成や環境影響評価法の制定に結実し、環境保護の観点において大規模公共事業と自然保護の整合性を図る重要な法律となって、“公共事業=環境破壊”の構図を修正する転機となった。こうした観点から大規模公共事業の中止が相次いでなされ「宍道湖・中海干拓事業」の中止や「千歳川放水路建設事業」の中止等に結実した。ダム建設も同様で現在は事業者・水源地域・受益者を含む下流関係者の三者による、治水・利水・産業・環境・補償等の総合的な合意が得られることが建設への必須事項となった。住民の意向を軽視し開発最優先だった戦後〜高度経済成長期から比べれば、「住民参加型」という意味では相当改善された。反面、この事がダム建設の長期化を招いたのも事実であるが[11]、事業長期化による負担増に耐えられなくなった地方自治体が計画が遅々として進まないダム事業の参加を離脱する動きが首都圏・京阪神において拡大した。これにより戸倉ダム(片品川)等のダム建設が中止に追い込まれているが、過剰な事業費支出による財政圧迫と下流住民の負担増を考慮した場合、漫然とした歳出抑制を行う観点で改善した事象といえる。
これに加えて、ダムを含む大規模公共事業に絡む行政側と業者間の不透明な関係も、ダム事業に対する批判を強めた。福島県の木戸ダム(木戸川)における建設業者から知事関係者への不当なリベートはその後贈収賄事件に発展し、2006年(平成18年)には当時の知事が逮捕されている。また、いわゆる談合もダム事業の中で行われたこともダム水門落札に絡む水門業者の談合事件(2006年)など、繰り返し発覚している。ただしこれらはダムだけに限った事ではなく、日本の悪しき商慣習に根ざした構造的な問題であるとの指摘があり、「談合決別宣言」を行った裏で談合を繰り返した名古屋市営地下鉄工事談合事件など公共事業全般に及ぶ病理でもある。
[編集] 米国のダム事情
日本のダム反対派に多大な影響を与えたものとして、1995年、組織の予算縮小に迫られていたアメリカ合衆国内務省開拓局の長官だったウィリアム・ピアーズの「アメリカにおいて、ダム建設の時代は終わった」という発言があった。ビアーズは日本弁護士連合会の招聘によって来日した際、上記の趣旨の発言を行った。これが日本のダム反対派を勇気付け、今に至るダム否定の流れを形成している。この講演においてビアーズが述べたのは正確には以下の通りである。
- 「アメリカではダム建設の時代は終わったという避けがたい結論を得た。最早従来型の大規模な建設プロジェクトを遂行するだけの一般大衆の支援も政治的支援も当てには出来ない。現在遂行されているダム事業は速やかに完成させるが、今後新規の大規模事業が遂行される可能性はほとんどない[12]。」
これが日本で大きな影響を及ぼし、計画中のダムのみならず建設途上のダム事業を中止させるという潮流になっている。では、日本のダム反対派が模範としているアメリカでのダム事業および反対派の動きについてはどうなのか述べる。
アメリカ国内には「アメリカン・リバース」、「フレンズ・オブ・ジ・アース」、「トラウト・アンリミテッド」という河川自然保護団体があり、ダム撤去に精力的に活動している。この3団体は1999年12月に『Dam Remobal Success Story』(ダム撤去成功の物語)という書籍を発行した。これはアメリカ国内におけるダム撤去の統計および具体例を記したものであり、国土交通省もこの書籍を援用しダム反対派へ反論を行っている[13]。この中でアメリカ国内では1999年までに467基のダムが撤去されている。だが、実際においてその9割は国際大ダム会議が定義したハイダムの基準や日本の河川法・河川管理施設等構造令で規定された「ダム」ではなく、堤高15メートル以下の「堰」に分類されたものである。用途も治水・利水というよりは、特に自家発電や観光用としての目的を有するものがほとんどであり、管理主体も民間企業中心である。さらに彼らアメリカのダム反対派は撤去すべきダムの対象について同署のサブタイトルに、『維持管理しても意味のないダムを撤去し、河川をよみがえらせる』とその理念を記している。「フレンズ・オブ・ジ・アース」のジョーン・カントレルは「アメリカではダム撤去は急進的なものではない」と述べている一方で、「(ダム撤去を)全米7万5,000箇所の大ダムに適応すべきとは考えていない。撤去の条件は環境・安全性・経済性の三条件が揃ったときである[14]」とも述べており、何が何でもダム撤去というわけではないとしている。また『Dam Remobal Success Story』には「堆砂などが及ぼす河川環境への負荷を考慮した場合、無闇にダム撤去を進めるべきではない」と安易なダム撤去には警鐘を鳴らしている。
現在のアメリカ政府のダム建設に対する考え方であるが、当の内務省開拓局は「(ビアーズ発言は)別にショックを受けるようなことではない」と延べ、予算と環境への負荷、そして大ダム建設が可能な地点の枯渇を考えれば今後は別の水資源開発の方法を模索すべきだとも述べている。その一方で「ダムを造るかと問われれば『造る』と答える」とダム建設には肯定的である。アメリカでなぜダム建設がセーブされたかであるが、一つは国内にある全ダム数が約7万5,000箇所で日本(約2,800箇所)の約30倍、総貯水容量が約6,148億立方メートルと日本(約222億立方メートル)の約300倍に当たり、水資源開発の緊急性を帯びていないこと、整備水準が高いため補修で事足りていること、さらに河川勾配が緩やかなため治水の問題が低いこと、火力発電が主力であること、などが挙げられる。事実、アメリカでは6,786基のダムにおいて改修事業が行われており、撤去ダムの約15倍の数に当たる。またダム建設が全く新規で行われていないかと言えばそうではなく、国際大ダム会議が1999年に行った調査によれば水不足が頻繁に起こるカリフォルニア州において42基のダムが建設中とされている。
アメリカにおけるダム撤去の代表例として日本でも喧伝されたワシントン州のエルワーダムの場合、1918年の完成直後ダムの一部が破壊し、修繕を行ったものの老朽かも手伝って漏水が続く状況であり、政府が策定したダムの安全基準にも抵触する状態であった。そこに水利権更新問題があり、建設当時から反対していた地元住民がサケ漁業権の復活を求めダムの撤去を主張した。管理しているのは民間企業であったが水利権の更新を求め電力行政を管轄する連邦エネルギー省に申請を行ったが省当局はこれを自然保護とダム安全性の観点から却下。連邦議会の調停もあって1992年にエルワー川環境回復法が制定され、連邦政府が企業に対し補償額2億9,500万ドルを払ってダム撤去が決定した。ダム撤去の決め手となったのは先述した環境・安全性・経済性の三点でエルワーダムが満足する稼働状況にないというのが背景にあり、政府・地元住民・管理者の合意下で撤去が進められている。この点において日本とは正反対の対応である。
その日本ではピアーズの発言の影響を受けダム撤去論が台頭し、熊本県の荒瀬ダム(球磨川)や高知県の家地川ダム(四万十川)の撤去要望が高まっている。ダム撤去による河川再生・漁業環境の良化がその目的であるが、アメリカのように関係各方面の合意形成が取れておらず、流域住民の中でも賛否が分かれている。荒瀬ダムと同規模のエルワーダムでは撤去に係る総費用が1億4,200万ドルと予想されており、財政難にあえぐ日本の地方自治体が捻出できるか不透明である。このため荒瀬ダムは撤去が一旦本決まりになりながら財政的な問題から2008年(平成20年)に撤去は白紙となっている。また、日本でも従来のコンクリートで固めた護岸工事を反省し自然に近い形での河川再生事業を国土交通省や各地方自治体が始めているが、この中で魚類遡上促進のために固定堰や床固工の撤去を実施、さらに千歳川や北上大堰(北上川)などで「自然化工法」と呼ばれる護岸工事を出来うる限り自然の姿に近い形で行う動きが起こっている。アメリカと同様のことは日本でも行われているが、主に行われているのは国土交通省の河川工事が中心であり、ノウハウの不足や事業費が掛かる事もあって財政の厳しい地方自治体では今なお従来の河川事業・護岸工事が行われているケースが多く、今後の課題となっている。
[編集] 反対運動の問題点
[編集] 極端な反対運動
従来の反対運動とは地域活性化のために事業者から有利な補償条件を引き出すことを最終目的にしており、「蜂の巣城紛争」の室原も反対運動と並行して地域活性化策を建設省(当時)と折衝していた。他の水没予定地住民も事業者と折衝を重ね妥結に至るが、ダム建設の必要性は痛感しており断腸の思いを抱きながら「公共の福祉」に殉じたのである。故に、生活基盤に直結する流域住民の反対運動は、真剣勝負そのものである。
ところが、近年では市民団体を中心に「ダム=公共事業=税金の無駄遣い」というやや短絡的とも言える意見で、または蜂の巣城紛争後半期・長良川河口堰反対運動のように強硬的なダム反対運動を展開している風潮がある[要出典]。えてしてダム撤去に固執し他者の意見を徹底的に排除する観念的な独善論に陥る傾向があるとダム推進派から指摘されている[15]。こうした主張は、2003年(平成15年)の「世界水フォーラム」において田中康夫と天野礼子が「脱ダム」についての講演を行った際に会場から「地域事情を勘案しない独善的な論拠」と建設推進の立場に立つ途上国の行政担当者らを中心に激しい反発を浴びたように、地元の推進派の理解を得られていない。また、こうした一部の反対派は地元反対派と異なり地元に根ざした治水・利水代替案を示さないか、あるいは示したとしても論拠となる資料の不備が多く、さらに意見が論破されると感情論で対抗し収拾が付かなくなる例がある(熊本県川辺川ダム問題公開討論会など)。ちなみに国土交通省等は川辺川ダム・足羽川ダム・城原川ダム・サンルダム等でダム代替案を提出し、ホームページで公開する等広く意見を求めることが多くなってきた。
ただし、途上国ではダムをはじめとする国家的プロジェクトに反対する住民に対し国家が圧力を加えている例もある。特に悲惨な一例としてグアテマラに1983年完成したチショイダムで、建設に反対する住民に対する政府の弾圧は軍を出動させる事態となり、1982年にリオ・ネグロの大虐殺という惨事に至った[16][17]。中国では三峡ダム・溪洛渡ダムなど長江の河川開発に関して移転する住民への補償対策が不十分である点が隠蔽されるなど、必ずしも全面的にダム推進にまとまっているとはいえない。また国土交通省のダムに対する意見公開についても「ダム事業を進めるために都合よく書かれただけ」と反対派は否定している。
反対派の多くが問題にしているのは「水余り」と税支出にまつわる利水に関する問題であり(八ッ場ダム・南摩ダム・細川内ダムなど)、治水に対して明確な対案を唱えている反対派は最上小国川ダムや川辺川ダム、サンルダムなどに限られており余り多くはない[要出典]。治水ダム建設を中止に追い込み、その後甚大な水害が発生した場合反対派は果たして責任を担保しうるのか、語られることがないのも問題点の一つと言える[要出典]。
[編集] 政党の態度
ダム事業に対する政党の対応は、各政党によってまちまちであり、政党内に所属している議員の中でもまちまちである。概ね政権与党である自由民主党や国土交通大臣が所属する公明党は「推進」、民主党は「否定寄り」、日本共産党と社会民主党は「反対」である。この部分は政治思想的には「右派・保守=推進」、「左派・革新=反対」と見えるが、実情は必ずしもそうとはいえない。
[編集] 自由民主党
自由民主党は、かつては田中角栄を頂点とした木曜クラブ(田中派)のように建設業界と強い関係を保持した建設族議員が党の中核を占め、かつ『日本列島改造論』の様に総合開発を政権公約にしていたこともあって、ダム事業を強力に推進していた。だが、1990年代以降になると経済不況や財政赤字などの諸事情からその性質は必ずしも維持されず、1996年(平成8年)11月に第2次橋本内閣において建設大臣に就任した亀井静香は持論である「大型公共事業縮小」を政策に反映。宍道湖・中海干拓事業や千歳川放水路建設事業を中止したほか、細川内ダム(徳島県・那賀川)の建設凍結を決定し、後のダム事業中止に道を拓いた。さらに2001年(平成13年)に内閣総理大臣となった小泉純一郎は「聖域なき構造改革」を政権公約に掲げ、計画から十年以上経過しても着工されていないダム事業の中止を決定した。これにより100ヶ所以上のダムが軒並み中止となり、公共事業見直しの総決算となった。なお亀井も小泉も、田中派と熾烈な派閥抗争を繰り広げた清和政策研究会(福田赳夫派)の出身である。
[編集] 民主党
民主党は旧政党や支持母体の違いなどから自由民主党以上に意見が広範となっているが、ダム建設に慎重な姿勢を明確にしている議員は少なからずいる。この中にはかつて自由民主党に所属した議員も含まれる(例えば佐藤謙一郎など)。また支持母体である連合も、必ずしもダム事業に慎重という訳ではなくダム推進の立場を表すこともあり、「保守=推進」・「革新=反対」という従来の構図は崩れてきている。とはいえ、これはダムに限らず公共事業全体を否定的に見る風潮をとらえたものであり、干拓や高速道路整備等と並ぶ大型公共事業の代表格として(多大な経費と期間を要する)ダム事業が取り沙汰されているものであるという側面もある。民主党はそのマニフェストの中で八ッ場ダムと川辺川ダムの中止および計画中のダム全ての即時凍結を掲げるなど、現在政党としてはダム事業に否定的な姿勢を示している。
[編集] 日本共産党
日本共産党は「無駄な公共事業ストップ」「社会福祉に重点を」という政策を掲げ国会議員・都道府県議会議員・市町村議会議員の全てが一切のダム事業に反対している。田中康夫が長野県知事時代に進めていた「脱ダム宣言」にも全面的賛意を示し、各地のダム予定地を視察して問題点の洗い出しを行っている。行政のチェック機能としての共産党のポジションは政権与党である自由民主党も評価しているが、その反面で意見が硬直化しすぎる指摘もある。例えば足羽川ダム(福井県・足羽川)の場合、2004年の福井豪雨による足羽川流域の水害以降地元の建設要望が高まり、福井県をはじめ福井市・坂井市・南越前町などの被災自治体と被災住民、さらにダムによって水没する池田町と町議会・水没住民がダム建設を要望・容認しているにも拘らず、共産党だけ頑なに反対するという状況となっている。同様の例は村井仁長野県知事が「脱・脱ダム宣言」で計画再開に動き出した穴あきダム・「浅川ダム」(浅川)において、自民・公明・民主・社民各党が賛成するのに対して反対を貫いている。ただし、実質穴あきダムと同様であった田中康夫案(河道内遊水地)には反対していない。
また共産党の場合、その多くにおいて具体的なダムの代替案を示さずに反対しているという指摘もある。共産党のダム反対姿勢は戦後書記長であった徳田球一から連綿と続いているが、徳田の場合は多少異なっていた。徳田は自著である『利根川水系の綜合改革-社会主義建設の礎石』(1952年8月)において建設省が進める利根川水系8ダム計画に「水没地に犠牲を強いる」として反対していた。だが徳田は著書の中で代替案を示し、治水には千葉県我孫子市付近から手賀沼・印旛沼を経由して千葉市花見川区の東京湾に至る「利根川放水路計画」を、利水には利根川・荒川・多摩川を結ぶ大運河計画及び房総半島の各河川を結ぶ運河計画を提案した。建設省や水資源開発公団[18]は後に「利根特定地域総合開発計画」で利根川放水路を計画(後に中止)、武蔵水路・朝霞水路を建設して利根川と荒川を結び、さらに荒川・多摩川間を羽村取水堰(多摩川・羽村市)から狭山湖・多摩湖を経て河水を融通して上水道を首都圏に供給している。また房総導水路を千葉県夷隅郡大多喜町まで建設しているが、これらは徳田の構想に近似している。行政当局が直接徳田の意見を採用したわけではないにしろ、実際の河川行政に通じる対案を呈示したともいえる。しかしそれ以降の共産党は行政を納得させるだけの対案は示せず、反対運動に終始している。なお、ダム事業に関わる国土交通省の地方整備局河川部局や水資源機構の労働組合(国土交通省全建設労働組合、水資源機構労働組合[19])は何れも日本国家公務員労働組合連合会(国公労連)に加盟しているが、そのナショナルセンターは共産党系の全国労働組合総連合である。すなわち、組合員が支持する政党が、自らの職務であるダム事業を否定しているという奇妙な構図が生まれている。
蜂の巣城紛争後半期には全くの第三者であるはずの労働組合員が大挙して蜂の巣城に入り、左翼的反政府運動を展開して室原知幸ら当事者を困惑させたということもある[要出典]。また共産党はレッド・パージ以降の非合法活動期において、小河内ダム(多摩川・東京都)破壊工作を目的とした山村工作隊の展開活動指示(1952年1月-3月)[20]や、田子倉ダム補償事件における水没住民への思想的扇動[21]を行っている。これは所感派を中心とした「極左冒険主義」の一環でもあったが、当の住民達には何の益ももたらさなかった[要出典]。
[編集] 地元との意識乖離
[編集] 切望する地元と反対派の対立
反対運動の今一つの問題点は、反対運動の過熱化に伴い肝心な水没移転住民・流域住民の意識が取り残されて行くことである[要出典]。反対運動が長期化しダム工事が凍結している間は補償工事・事業も進展することができないため、かえって住民を苦しめることになる。1990年代以降の反対運動は主に地元とは接点が全くない市民団体や活動家が主体であり、地元が容認した事業に反対を唱えてダム事業を遷延化させている。こうした反対運動に対して断腸の決意で故郷を明け渡し、早期の事業推進を願う水没予定地の住民は「何を今更」と反発している。旧徳山村全村が水没した徳山ダム(揖斐川・岐阜県)では補償交渉に従事した複数の旧徳山村住民代表が「環境問題だけを盾にとってダム反対を訴える部外者は許せない」・「あの手ほ反対運動ほど早期完成を願う水没住民の感情を逆なでする者はいない[22]」と口を揃え、八ッ場ダムでは利根川下流の市民団体「八ッ場ダム建設をストップさせる会」が2008年に起こしたダム公金支出差し止め訴訟に対して水没住民の間から非難の声が上がっている[23]。川辺川ダムについても2008年9月に開催された五木村民大会でこうした「後出し反対運動」への批判が集中した。
また、水害に苦しむ流域住民の悲願であったダム事業に対して、反対住民と共に、地元と全く関わりがなく、かつダム問題の専門家でもないメンバーが反対派に加わり、時には反対派の主導的立場となって、結果的にダム事業が中止に追い込まれるなど、問題を必要以上に複雑化させる弊害が発生している[24]。一方で、補償内容が国税が使われているにも関わらず客観的に見て不適切な場合[25]、反発が出るのは必然である。
代表的な例が淀川で見られる。2005年(平成17年)「淀川水系流域委員会」は淀川水系に計画されている5つのダム事業(大戸川ダム・丹生ダム・余野川ダム・川上ダム・天ヶ瀬ダム再開発)の中止を勧告した。水需要の減少がその中止理由であるが治水の有効性に関しては具体的に触れられていない。ただし、同委員会は行政側が選んだ専門家で構成されており、委員が反対運動に加わっているわけではない。これに対し大戸川ダムや丹生ダム、川上ダム建設で移転した住民が「我らの苦労が報われなくなる」と猛反発、水害に悩まされた流域の一部住民もダム建設促進を要望する等答申と地元意識の乖離が鮮明になった。結果的に余野川ダムは計画中止となったが大戸川ダム・丹生ダム・川上ダムは治水中心に目的を再検討する事となった。ただ、ダム反対派の住民らは治水目的のダム建設にも反対する構えを見せており、問題を難しくしている。2008年には橋下徹大阪府知事や嘉田由紀子滋賀県知事など大阪・京都・滋賀・三重の四県知事が大戸川ダム白紙撤回を要求したが、地元大津市はこれに強く反発するなど状況はさらに複雑になっている。ただし天ヶ瀬ダム再開発については京都府は賛成の方向を崩していない。
同様のことは平取ダム(額平川)や川辺川ダム、八ッ場ダムさらには長野県の田中康夫知事(当時)に因る「脱ダム宣言」で中止となった浅川ダムでも見られた。特に浅川ダムについては流域住民のコンセンサスを得ぬまま中止してしまった経緯もあり、長野市や流域住民から批判の声が上がっている。八ッ場ダムでは民主党が示したダム中止マニフェストに対して予定地の長野原町・東吾妻町、長野原町観光協会や川原湯温泉組合などの地元のみならず受益地の石原慎太郎東京都知事をはじめ上田清司埼玉県知事、森田健作千葉県知事、大沢正明群馬県知事が揃って反発している[26]。一方で、川辺川ダム建設に関連した利水事業をめぐる訴訟において、住民の利水計画同意書や反対意見がダム事業を進めたいとする国側に改ざんされていたことが裁判の場で指摘されており、遂にはダム建設に賛成の意思を示していた相良村や推進派の市長が辞任した人吉市が反対に回り、推進派の五木村、八代市、球磨村と対立するなど複雑な様相を呈している[27]。また、推進の立場にたつ行政が「地元住民は建設を望んでいる」と言いながら、実際に新聞社が行った世論調査では建設反対の答えが多かった、ということもある。
ダムを建設するにしても取りやめるにしても「地元住民の意見」を集約する難しさを表している。
[編集] 上流域と下流域の意見相違
また、流域住民の意識と一口に言っても、上流域と下流域で大きく異なることも多い。下流域の住民にとっては、川沿い以外の地域であってもダム建設の影響で水源地整備費用の上乗せという形で水道料金が値上げされることも多く、安定的な水道供給の利便性や治水安全度の向上との比較で考えると、常に諸手を挙げて歓迎できるものとは限らない。他方、治水面や(農業用水をはじめとする)利水面で直接的な恩恵が多い上流域ではダム事業が積極的に推進されることも多く、上流域と下流域で一つのダム事業に対して正反対の意見が見られることも例外的ではない。
例えば愛媛県における山鳥坂ダム(河辺川)でも見られ、2004年(平成16年)に中予分水事業が中止となり多目的ダムから治水専用ダムに計画が縮小されたが、水没住民を含む上流域の住民はダム建設を促進し、下流の大洲市の市民団体は「一坪トラスト運動」を駆使してダム建設反対を訴えている。また、佐賀県の城原川ダム(城原川)では賛成派の下流域住民と反対派の水没住民・一部の流域住民が鋭く対立。署名運動などを行い意見を訴え、遂には合併で誕生した神埼市市長選挙の争点にもなった。さらに吉野川第十堰の可動堰化問題では、下流の徳島市による住民投票が一方的として、上流の板野町・藍住町などが反発をしている。
このようにダム建設においては地元内の意見調整のみならず水没地域・上流受益地と下流受益地、川沿いと高台の住民による意見の整合を図るのが年々難しくなっており、こうした事もダム事業長期化の一端を担っている。だが、『流域住民の許可がなければ、ダムは造れない』という不文律が確固たるものとなっている現在、意見の集約は賛否いずれにしても欠かせないものとなっている。特に、このような例が顕著に見られるのが、滋賀県である。
[編集] 滋賀県の例
滋賀県では、2006年(平成18年)の滋賀県知事選挙で当選した嘉田由紀子が淀川水系ダムの建設計画凍結・見直しを訴え、県内にある施工中のダム六箇所(丹生、大戸川、永源寺第二、栗栖(後の芹谷)、北川第一、北川第二)を凍結もしくは凍結要望した。この中には国土交通省所管の大戸川、水資源機構所管の丹生、農林水産省所管の永源寺第二ダムがあり、国営事業といえども例外なしとして凍結を強く迫った。これは長野県が国土交通省所管の戸草ダム(三峰川)を脱ダムの対象にしなかったのとは異なり、ダム反対派からは喝采を浴びた。
知事の施政方針に対し下流受益地にあたる山田啓二京都府知事や、桝本頼兼京都市長はこれに理解を示し、凍結に対し賛成の意思を送っている。柿本善也奈良県知事(当時)も淀川水系のダム凍結には肯定的であった。財政が苦しい下流自治体にとっては、自らが恩恵を受けるダムの直接的効果と支出するダム建設費用のバランスに苦慮している。一方ダム建設を予定している河川を流域に持つ上流受益地の大津市・彦根市等の県内主要自治体や、丹生ダム建設を切望していた余呉町などの高時川流域住民が反発し、当初の予定通りの計画遂行を求めた。
知事は当初財政的理由からもダム建設に否定的な答弁を議会で行ったが、『治水対策の瑕疵(かし)によって1人でも死者が出たら知事を辞任する』とも発言しており、治水に対する並々ならぬ覚悟を示していた。この間平成18年7月豪雨による長野県の被害もあってか多少柔軟姿勢に転じ、『他に有効な治水対策が無い場合はダム建設もあり得る』として地元との対話を重視する姿勢を見せた。また2007年(平成19年)には従来のダム凍結・見直しの方針はダムを全部否定するものではないとして、凍結を表明した県営ダム三箇所のうち北川第一ダム(北川)や芹谷ダム(芹川)について、治水対策には「有力な案として計画」していく方向となった。
これに対して、マスコミ各社は一斉に「マニフェスト違反」として集中砲火を浴びせた。マスコミの報道については後述する偏向的な報道と指摘する向きもあるが、この政策面の変化については、平成19年度予算の採決を控え、県議会で多数派を占める自民党県議やいままでの計画を推進してきた県職員の意向が背後にあった。したがって、知事本人としては後援会の会報では、「凍結・見直しのためにも現在計画されているダム関連予算をつける必要があった」と述べている。2007年での滋賀県議会議員選挙において知事は自身の母体でもある対話でつなごう滋賀の会公認・推薦候補(ダム慎重派・反対派が多い)を応援し、自民党を惨敗に追い込んだ。
その後一時はダム容認に姿勢が傾きかけたが、流域治水対策の進展も踏まえつつ、知事は平成19年夏以後は、すべてのダムに関しては慎重姿勢を貫いている。国直轄事業である大戸川ダムに関しても淀川水系全体における判断が必要との下で、京都府知事・大阪府知事とも連携して、国の河川整備計画への意見書を平成20年内に提出するとした。 さらに、平成20年10月には流域治水対策の成果の反映とも想定されるが、滋賀県内の河川の危険度を分類し、また、河川整備に対する予算が近年激減している現状から、芹谷ダムを中止するという方向性が報道されている。
[編集] ダム報道の問題点
ダム事業に対して日本で批判一色となってしまった背景にはマスコミの問題点も指摘されている[要出典]。本来行政の不備を広く喧伝するチェック機能を持つはずの新聞・メディアも、こうした脱ダム風潮に加担し、ダムについて中立的視点や正確な情報伝達が不足した報道を行った[28][29][30]。こうした報道も“ダム反対派=善・ダム推進派=悪”の二元論が定着する要因になり、公正な議論が果たし得なくなったと国土交通省やダム専門家から指摘されている[要出典]。加えて、無条件に“ダム事業=「無駄な公共事業」の典型”のように取り上げる事例も多々見受けられ、中には、治水目的という点で共通点はあるものの本来ダムとは趣旨の異なる施設である調整池を「ダム」と称し、なおかつ冒頭から司会者が「ダムはムダ」と発言し視聴者を一方の意見へ誘導する日本テレビ系列の特別番組[31]のような例もある[要出典]。その一方で福井豪雨や福島・新潟豪雨を始めダムの洪水調節機能によって浸水被害が防げたという報道はほとんどされておらず、こうしたことがダムに対する一般国民の認識を偏向させる一因であるとの批判も多い[要出典]。
他方、反対派から見たダム報道の問題点からすれば、生活面への影響ばかりがクローズアップされ、ダム建設の弊害として土砂供給の減少に伴う海岸の侵食被害があることや、生態系への影響があることについては報道ではほとんど触れられていない現状がある点に不満を持つ者も多い[要出典]。川辺川ダム訴訟や永源寺第二ダム訴訟、八ッ場ダムをめぐる対応や、最近では淀川水系流域委員会の問題[32]のように、行政側の姿勢にも問題点があることは否定できない。他方、多角的な情報をほとんど加味せず、単なる反行政としての視点に立った一面的な報道がまかり通っている点も同様に否定できない。
求められるのは不十分・不公正な情報を基にして活動家等が混在して論議する問題の方向のベクトルが歪むことではなく、賛成派・反対派双方の意見・論拠を公平に報道し、流域の利害得失を多角的に分析・検討することである。そのためにはあらゆる機関で意思決定の元となる情報を公開し、開かれた形での議論を進める必要性がある。従って最終的にダム計画の存廃に関しては、事業主体と水源地域住民と下流関係者が、開かれた情報や会議を基にした上での高度な政治的判断を行うことが必要となる。
事業者は根拠のはっきりしたダムの有用性を明確に関係者に伝達することが重要であるが、川辺川ダムにおける住民の意向調査改ざんやサンルダム建設の是非を討議する「天塩川流域委員会」の機能不全が反対派から指摘される等、不十分かつ問題な面も多い。他方反対派の河川開発に対するビジョンが広く一般に見えていない上、ダム事業を中止した河川で治水・利水上の問題が発生しても沈黙し責任を逃れる現状がある。あくまでも流域の利益に叶うように、あらゆる関係者によって結論を導けるようにすることが重要であるのだが、現状はダム推進派・反対派双方ともにまだまだ不十分と言わざるを得ない。
[編集] 今後のダム建設プロセスの在り方
河川開発、特に治水事業に関しては高速道路整備や新幹線整備とは異なり、突発的な災害に対し住民の生命・財産が保護できるか問われる公共事業であり、他とは性質を異にする[要出典]。ゆえに拙速な事業中止はかえって住民の命に係わる可能性もありうる[要出典]。だがダムオンリーで拙速に河川事業を進めるのは「蜂の巣城紛争」の反省を全く生かしてないことになる。従って始めから「脱ダムありき」・「ダムありき」ではなく、山林の土壌流出防止という観点での「治山」・海岸の侵食防止という観点での「海岸保全」そして治水という三位一体かつ総合的な視点から、最小限の犠牲で最大限の効果が期待できる事業を選択しなければならない。
ダムと環境との対策では今後河川整備と環境整備のコラボレーションが必須となる。河口付近の海岸保全の観点や、その他土壌に与える影響では堆砂対策と海岸侵食対策が最も重要となる。両者は連動しており、現在深刻な砂浜の後退が進行している段階では速やかな対策が求められる。可能な限り環境への影響を抑えながら自然に近い流砂サイクルを確立することや、植林を始めとした森林整備による山腹崩壊防止等の治山事業とも連携することも重要である。漁業の観点からは魚道による魚類の遡上モニタリングや濁水対策、ダム湖における漁場整備による流域漁業活性化も視野に入れる必要があるし、その他生態系に対する影響も環境影響評価法に準じて迅速かつ正確に調査することが必要となる。
ただし環境対策を重視する余り災害対策を後手にまわすことは得策ではない。国土交通省が発表した2004年における水害被害額は全国で総額2兆円を超える最悪の損害となっており、特に多目的ダム建設が行われていない、若しくは中止された河川に被害が集中しているという点を踏まえ、ダム建設の是非を含めた河川の整備計画策定は、河川流域全体の利益、あるいは河川環境の観点から捉えていく必要性がある。その上近年では地球温暖化の影響による短期集中型の記録的な集中豪雨が頻発していることから、従来の河川整備計画の根本的な見直しも今後必要になるケースも出てくる。いずれにおいても河川整備は上流域だけ、あるいは下流域だけの視点が反映されるべきではないのは当然のことであり、さらには気候変動と降水量の経年的変化の把握とそれに随伴する計画高水流量(計画限界の洪水流量)の見直しが治水事業においては不可欠となる。利水に関しては人口動態や水道・電力消費量の推移等を細やかに分析し、本当に地元が求める利水事業であるかを再検討しなければならない。さらに補償対策に関してはインフラ整備だけではないより木目細かい水没地域への対策が求められていく。
その点で、流域にとって最適な治水・利水対策を図る必要性が求められる。ダム以外の治水対策としては堤防建設や強化、浚渫、遊水池や放水路の建設、緑のダム構想といった案があるが、単独またはダムを含めた複数のコンビネーション等を、コストパフォーマンスに加え流域の特性・人口動態・過去の水害状況等を分析し、客観的・多角的な視点に立っての検討が必要である。その上でダム事業が妥当であるならば万難を排して事業を進めることが不可欠である。反対にダム建設が不要であれば必要な措置を講じた上で建設を断念すればよい。最も危険なのは、推進にしても反対にしても「一面的である」ということである。ダム推進派とダム反対派の意見対立は流域委員会のような公的なものから2ちゃんねるに至るまで、堂々巡りの主観的な議論になる傾向があり出口が見えにくい。だが、不毛な議論は流域の真の利益には何ら寄与しない。
河川管理は「危機管理」でもあるという視点も踏まえて、何を最優先に守るべきなのか行政は最終的には冷静な判断が求められる。また日本においても遠い将来適切なダム建設予定地が枯渇することは避けられない。このためダム推進派・反対派双方共何れは新しい治水・利水対策を考慮しなければならないことも、事実である。
[編集] 脚注
- ^ 詳細はダムと環境の項を参照
- ^ 奥西一夫『奈良県大滝ダム地すべり問題の新しい展開』国土問題研究会、2005年。
- ^ 事業発足当時。内務省解体後は建設省が事業主体となっている。
- ^ 『湖水を拓く』p11-13。
- ^ 『日本の多目的ダム 1963年版』p81。
- ^ 『電源只見川開発史』p457-470。『電発30年史』p120-121。『日本の多目的ダム 直轄編 1990年版』p90。田子倉ダム、只見特定地域総合開発計画も参照。
- ^ 文献に見る補償の精神〜蜂の巣城紛争〜:財団法人日本ダム協会 「ダム便覧」
- ^ 札幌地方裁判所 二風谷ダム土地収用差止訴訟判決文(平成9年3月27日)。事情判決であった。
- ^ 正式な事業中止は2000年
- ^ 中止したダムの詳細については中止したダム事業を参照。
- ^ 長期化しているダムの詳細については日本の長期化ダム事業を参照。
- ^ 『湖水を拓く』p82。
- ^ 国土交通省河川局ホームページ『アメリカのダム事情について』
- ^ 『湖水を拓く』p83-84。
- ^ 熊本県主催『川辺川ダム住民討論集会発言録』。矛盾を指摘された反対派が感情的に反論したことが記録されている。
- ^ Guatemala: Memoria del silencio. Caso ilustrativo no. 10 - Masacre y eliminación de la comunidad de Río Negro
- ^ Chixoy dam
- ^ 現独立行政法人水資源機構
- ^ 『水資源開発公団30年史』p356。
- ^ 土本典昭『「小河内山村工作隊」の記』に詳しい。なお共産党は山村工作隊の存在自体を否定している。
- ^ 『電源只見川開発史』p457-470。
- ^ 『湖水を拓く』p39-40。
- ^ 朝日新聞2008年12月18日付朝刊。
- ^ 読売新聞2009年7月29日朝刊報道で、上田埼玉県知事がこの問題点を指摘している。
- ^ 一例として、代替として設けられた公立小学校のプールが温水プールであった。
- ^ 財団法人日本ダム協会『ダム便覧』八ッ場ダム・ダムニュース
- ^ 読売新聞2008年9月5日付
- ^ 朝日新聞による長良川河口堰公開質問状報道
- ^ 朝日新聞によるダム堆砂報道(2002年11月18日付け朝刊)。
- ^ 北海道新聞による二風谷ダム報道(2003年8月11日および8月17日付け朝刊)。
- ^ 2007年1月8日放映「報道特捜プロジェクト "責任者出て来い!"怒り爆発スペシャル」。
- ^ 国土交通省が十分な説明のないまま自ら選び承認したはずの委員の反発を押し切り活動を停止させた。
[編集] 参考文献
- 建設省河川局監修・財団法人ダム技術センター『日本の多目的ダム 直轄編 1990年版』山海堂、1990年
- 30年史編集委員会編『電発30年史』電源開発、1984年
- 水資源開発公団『水資源開発公団30年史』財団法人水資源協会、1992年
- 高崎哲郎『湖水を拓く 日本のダム建設史』鹿島出版会、2006年 ISBN4-306-09381-6
- 建設省関東地方建設局監修・利根川百年史編纂委員会編『利根川百年史』、1987年
- 国分理編『電源只見川開発史』福島県土木部砂防電力課、1960年
- 国土交通省河川局ホームページ
- 川辺川ダム関連
- 足羽川ダム関連
- 蜂の巣城紛争関連
- 日本共産党関連
- 脱ダム関連
- ダム事業中止関連
- 文献に見る補償の精神〜田子倉ダム〜:財団法人日本ダム協会 「ダム便覧」
- 水没予定者側からみたダム問題
[編集] 関連項目
最終更新 2009年11月4日 (水) 11:18 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【ダム建設の是非】変更履歴

