ダレン・マシューズ
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| ウィリアム・リーガル |
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| プロフィール | |
| リングネーム | ウィリアム・リーガル ロード・スティーブン・リーガル |
| 本名 | ダレン・ケネス・マシューズ |
| ニックネーム | 悪の英国紳士 悪のコミッショナー 英国親善大使 冷血貴族 |
| 身長 | 189cm |
| 体重 | 110kg |
| 誕生日 | 1968年5月10日(41歳) |
| 出身地 | ウェスト・ミッドランズ州スタッフォードシャー |
| 所属 | WWE・ECW |
| スポーツ歴 | レスリング |
| トレーナー | マーティ・ジョーンズ |
| デビュー | 1983年 |
ダレン・マシューズ(Darren Matthews、1968年5月10日 - )は、アメリカ合衆国を主戦場とするイギリスのプロレスラー。イングランド・ウェスト・ミッドランズ州スタッフォードシャー出身。身長約189cm(6フィート2インチ)、体重約110kg(245ポンド)。ウィリアム・リーガル (William Regal)のリングネームで特に知られる。WWEのECW所属。
イングランドに伝わる古典的なレスリングスタイルであるランカシャーレスリング(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン)の達人と言われ、多彩な関節技と肘(エルボー)攻撃で徐々に頭角を現した。エンターテイメント色の強いWWEでも、ここ一番の試合ではランカシャーレスリングの実力を余すところなく発揮し、異彩を放っている。
目次 |
[編集] 来歴
1983年、イギリスのブラックプールにおいて、サーカスなどに出場するカーニバル・レスラーとして15歳でデビュー。その後はロビー・ブルックサイドとタッグチームを結成し、ダイナマイト・キッドやクリス・アダムスを輩出したジョイント・プロモーションで活動。オットー・ワンツの主宰するドイツのCWA(Catch Wrestling Association)をはじめ、フランスや南アフリカなど海外にも遠征した。
1991年にWWF(現・WWE)のトライアウトを受けるが契約には至らず。同年のWCWの英国公演に参加し、高い評価を得たことでWCWと契約を結び渡米した。1993年2月より嫌味な英国貴族のヒール、ロード・スティーブン・リーガル(Lord Steven Regal)としてWCWのリングに登場。以後、米国を本拠地に活動を始めた。
WCWでは1993年から1997年にかけてデイビーボーイ・スミス、リッキー・スティムボート、ラリー・ズビスコ、レックス・ルガーらと世界TV王座を争う。タッグ戦線でも活躍し、フランス貴族ギミックの若手ジャン・ポール・レベックと英仏貴族コンビを結成したほか、アメリカ南部出身のレッドネックだったボビー・イートンに英才教育を施し、クイーンズ・イングリッシュを話す紳士に変身させる(リングネームも紳士らしく、愛称の「ボビー」から正式名称の「ロバート」にマイナーチェンジさせた)。彼らとのチームは、その昔「貴族には青い血が流れている」と信じられていたことから、ブルー・ブラッズ(The Blue Bloods)と名付けられた。イートンとのコンビでは、ナスティ・ボーイズとハーレム・ヒート(スティービー・レイ&ブッカー・T)を相手に、WCW世界タッグ王座を巡る三つ巴の抗争を展開している。
1994年6月には新日本プロレスに初来日。同年8月にはWCWマットでアントニオ猪木ともシングルマッチを行った。1995年4月の再来日では橋本真也のIWGPヘビー級王座にも挑戦。橋本のフィニッシャーである垂直落下式DDTを返しており、日本のファンの間でも高い評価を得た(2005年に橋本が死去した現在、唯一この技を返したレスラーとなっている)。
1998年2月、WWFと契約。同年10月にビンス・ルッソー考案の木こりギミック「リアル・マンズ・マン(The Real Man's Man)」としてデビューしたが、大失敗に終わる(このギミックは、2003年に行われたRAW10周年記念特番でも「外してしまったギミック」の一つとして紹介された)。翌1999年1月、薬物依存の治療のためにWWFのサポートを得て入院するも、4月の退院とともにWWFはリーガルとの契約を解消。再びロード・スティーブン・リーガルとしてWCWに復帰する。
WCW復帰後はデビッド・テイラーやフィット・フィンレーとブルー・ブラッズを再編するが、翌2000年2月にWCWを解雇され、WWFと再契約。同年9月、現在のリングネームであるウィリアム・リーガルに改名し、英国親善大使のヒールとしてWWF再デビューを果たした。WCW時代の貴族ギミックと同様、スーツ姿でアメリカ人にテーブルマナーをレクチャーし、押しつけがましくモラルを説く嫌味ぶりでファンのヒートを煽った。
以後、数々のタイトルを獲得する一方、2001年3月にはWWFのコミッショナーに就任するなど、リング内外で活躍。しかし同年のWCW買収に伴い展開されていたWWF対アライアンスの抗争ストーリーの中、10月にWWF側からアライアンス側に寝返る。2001年のサバイバー・シリーズでアライアンスはWWFに敗北し、ストーリー上アライアンスの人間はタイトル保持者以外全員解雇された。リーガルは復職するために「ビンスのケツにキスする会」という企画において、リング上でビンス・マクマホンの尻にキスをすることとなる。
2003年春から約1年間、心臓病のため、長期欠場。2004年の復帰後はベビーフェイスにターンし、ユージン、タジリと組んで、タッグ戦線で活躍した。特にリーガルの「お茶汲み」として絡んだタジリとの間にはプライベートでも強固な信頼を築いた。タジリが呼ぶ「師匠」とは紛れもなくリーガルのことである。
2005年6月、トレードによりRAWからSmackDown!に移籍。英国出身の新人ポール・バーチルと英国人ヒールのタッグとして活動を開始した。その後バーチルが海賊ギミックになり、それを嫌悪したリーガルはタッグを解消する。
2006年、キング・オブ・ザ・リングを制覇したキング・ブッカーの王国に加入し、フィンレーと共に活動する。ブッカーからサーの称号を授かり、サー・ウィリアム・リーガルとなったが、No Mercyにて訣別。デイヴ・テイラーとのタッグでベルト獲得を目指す。
2007年6月に行われたドラフトにてRAWに移る。8月6日、RAWの新ジェネラルマネージャー(GM)を決定するバトルロイヤルに参加し、最後までリング下に隠れズルして勝利を収め、RAWのGMとなった。
2008年4月に行われたRAWの三時間スペシャル放送内で行われた一夜限りのキング・オブ・ザ・リングトーナメントにおいて、決勝戦でCMパンクを破り優勝。
その後Mr.ケネディとの抗争に入るが、敗者退団マッチに敗れRAWを解雇される(実際には薬物規定違反による謹慎)。7月頃からフリーとして復帰し、ジェイミー・ノーブルとの抗争をきっかけにレイラを従えるようになる。
11月の英国公演ではヒールながら地元のファンの声援を浴びサンティーノ・マレラに勝利しIC王者となった。
その後はCMパンクと抗争し、2009年1月に王座を奪われる。同年6月のトレードでECWへ移籍。ウラジミール・コズロフやエゼキエル・ジャクソンを従え、ヒール軍団のリーダ格を努めている。
[編集] エピソード
- スティーブン・リーガルというリングネームは、18歳のときにアメリカのプロレス雑誌を見て気に入ったアメリカ人レスラー、スティーブ・リーガル(1980年代半ばにAWAで活躍)から拝借したもの。
- 大の爬虫類好きとしても知られ、家ではヘビを2匹、8匹のトカゲとカメを飼っている。その他にも猫と犬も5匹いる。彼はインタビューで「人間が一番下品な生物」と語っている。
- 1997年日本帰りの飛行機に乗っているときに、大変酔っ払いスチュワーデスに排尿したとして逮捕されている。またこの事件により飛行機は緊急着陸している。
- 2003年から心臓病に悩まされていたが、2005年に心臓移植をする話もあった。
- 日本で初めてRAW TVショーが行われた際に、タジリと組んで世界タッグに挑戦し勝利している。なお、この時日本のファンからは大"師匠"コールが起こり、実況のジム・ロスは「何と言っているのか分かりません」と説明できなかった。
- アメリカ英語を徹底的にバカにして、発音や綴りを英国式に正すレッスンをリング上で行っていた時期があった。
- 2007年12月に行われたRAW15周年記念大会ではフィナーレにすべてのスーパースターがリング上に集いビールで祝杯を上げたが、CMパンクとともにコーラを飲んでいた。
[編集] リングネーム
現在、過去に名乗ったことがあるリングネーム
- スティーブ・リーガル
- ロイ・リーガル
- ウィリアム・リーガル(現在も使用)
- リアル・マンズ・マン
- "ロード" スティーブン・リーガル
- "サー" ウィリアム・リーガル
[編集] 得意技
- リーガルストレッチ
- 変形STF。かつては「ロイヤル・ストレッチ」と呼ばれた。
- リーガルボム
- 神の拳(The Power of The Punch)
- ブラスナックルをこっそり装着してのパンチ。反則技。
- ハーフネルソン・スープレックス
- ニー・トレンブラー
- 最近のフィニッシャー。前かがみになっている相手の顔面を狙って、ダッシュして横から膝をかち上げるように当てる。
- バタフライ・スープレックス
[編集] 獲得タイトル
- インターコンチネンタル王座 : 2回
- ヨーロピアン王座 : 4回(ディーロ・ブラウンと並んで最多獲得者)
- ハードコア王座 : 5回
- 世界タッグ王座 : 4回 (w / ランス・ストーム×2、ユージン、タジリ)
- 2008年キング・オブ・ザ・リング優勝
- WCW世界TV王座 : 4回
MCW(Memphis Championship Wrestling)
- MCW南部ヘビー級王座 : 1回
PWI(Pro Wrestling Illustrated)
- 1994年度PWIシングルレスラー・ランキング : 18位(全500位中)
[編集] 入場曲
- Real Man's Man
- Promnarde
- Gladiators
[編集] その他
- 2005年、自伝 Walking a Golden Mile を発売。
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月10日 (火) 10:46 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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