ダン・ブローザース

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ダン・ブローザース
Dan Brouthers
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1888年発行の野球カードより
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク州シルヴァンレイク
生年月日 1858年5月8日
没年月日 1932年8月2日(満74歳没)
身長
体重
6' 2" =約188cm
207 lb =約93.9kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 一塁手
初出場 1879年6月23日
最終出場 1904年10月4日
経歴(括弧内は在籍年)
殿堂表彰者
選出年 1945年
選出方法 ベテランズ委員会選出

ダン・ブローザース(Dennis Joseph "Dan" Brouthers, 1858年5月8日 - 1932年8月2日) は、19世紀のアメリカメジャーリーグの選手。主なポジションは一塁手ニューヨーク州生まれ。左投げ左打ち。ニックネームは"Big Dan"(ビッグ・ダン)。5つの打撃部門タイトルを複数回獲得するなど、19世紀屈指のスラッガーであった。

目次

[編集] 経歴

1879年にトロージャンズでデビュー、最初の年は39試合に出場し本塁打を4本放つ。しかしトロージャンズではレギュラーに定着できず、翌1880年は3試合しか出場しなかった。1881年からはバッファロー・バイソンズに在籍、出場は65試合ながら最多本塁打(8本)を記録する。この年の長打率(.541) もリーグ最高であった。

1882年には、打率.368で初めての首位打者となったのをはじめ、リーグ最多の129安打、また出塁率(.403)長打率(.547)でもリーグ最高を記録。翌1883年には159安打、97打点、打率(.374)、出塁率(.397)、長打率(.572) と、5つの部門でリーグ最高の打撃成績を上げ、当時のナショナルリーグ屈指の強打者となった。バイソンズ在籍の5年間は、いずれも長打率がリーグ最高だった。

1885年のバイソンズ球団解散を受け、1886年デトロイトに移籍する。デトロイト在籍時は、1886年に2度目の本塁打王となり、1887年、1888年には2年続けて最多得点をマーク。やはり球団の解散でボストンに移籍した1889年には3度目の首位打者となるなど、ほぼ毎年何かの打撃タイトルを取っていた状態だった。

1890年以降はボストン、ブルックリン、ボルチモア、ルイビル、フィラデルフィアなどの球団を渡り歩き、1896年に現役を引退する。この時期は毎年のようにルールが少しずつ改定されていた時期だったが、ブローザースは1881年から1894年までの14年間、ずっと打率三割を維持し続けていた。

1904年、元のチームメイトであったジョン・マグローが、ニューヨーク・ジャイアンツの監督になった際に、ジャイアンツで2試合だけ現役復帰する。成績は5打数でノーヒットだった。同年、ハドソンリバー・リーグのポーキープシー球団でプレーした。年齢は既に46歳だったが、その年の打率は.373だった。

1932年ニュージャージー州イーストオレンジで死去。1945年ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。

[編集] 通算成績

[編集] 打撃成績

※数字の後の"*"は、記録不明の箇所があることを示す。






















1673 6711 2296 460 205 106 1523 1296 256* 238* 840 105* 20* .342[1] .423 .519

[編集] 獲得タイトル・記録

  • 首位打者:5回(1882,1883,1889,1891,1892年)※1891年はアメリカン・アソシエーションで記録
  • 最多安打:3回(1882,1883,1892年)
  • 最多本塁打:2回(1881,1886年)
  • 最多打点:2回(1883,1892年)
  • 最多得点:2回(1887,1888年)
  • 長打率リーグ1位:6回、6年連続(1881-1886年)

[編集] 投手成績























4 2 23.0 0 0 2 0 8 44 0 11 - 4 7.83

[編集] 脚注

  1. ^ 1887年当時のナショナルリーグの打撃成績統計は、四球を安打に加えて打率を計算するルールが適用されていた。このため、当時の打率計算ルールを用いた資料では、ブローザースの通算打率が「.349」となっている。

[編集] 出典・外部リンク

最終更新 2009年9月19日 (土) 06:57 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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