チェーザレ・デステ
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チェーザレ・デステ(Cesare d'Este, 1561年 - 1628年12月11日)は、モデナ公及びレッジョ公。最後のフェラーラ公となった。
フェラーラで、アルフォンソ・デステ(モンテッキーノ侯アルフォンソ1世・デステの四男)の庶子として生まれた。従兄はフェラーラ公及びモデナ公アルフォンソ2世・デステである。アルフォンソ2世が嫡子のないまま1597年に死去したため、チェーザレが公位を継いだ。嫡出子にのみ継承権を認めるとしていた神聖ローマ皇帝ルドルフ2世とローマ教皇クレメンス8世により、1598年にフェラーラ公国は教皇領として没収された。
首都をフェラーラからモデナに移してからは波乱含みであった。フェラーラ貴族とモデナ貴族の対立の仲介に立ち、ガルファニャーナの所有をめぐってルッカ公国と戦争が起きた。1586年に結婚した妃ヴィルジニア・デ・メディチ(トスカーナ大公コジモ1世の庶子)は早くから精神病を患い、亡くなるまで苦しんだ。
チェーザレ自身は穏やかで信心深い人物だったが、政治的な才能に欠けていた。彼の死後は息子アルフォンソ3世・デステが継いだ。
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最終更新 2009年11月2日 (月) 09:25 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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