チカーノラップ
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チカーノラップはチカーノたちがヒップホップ文化に触れて創めたラップ・ミュージックの一潮流である。
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[編集] 概略
概ねギャングスタ・ラップ、特にドクター・ドレーやウォーレンG等のGファンクに影響を受けた音楽性であるが、黒人たちのギャングスタ・ラップとの相違点を挙げると、まず第一にオールディーズネタの多用があげられる。ローライダー文化の中で連綿と受け継がれてきたオールディーズ愛好の伝統は80年代~のチカーノラップにも受け継がれ、オールディーズをサンプリングした曲を使うチカーノ・ラッパーが多い。もうひとつには、当然のことだが、彼等の大部分がスペイン語話者であることがある。スペイン語でラップすると英語とは明らかに違う印象になるし、彼等が英語でラップしてもスペイン語風になまって歯切れがよくなる。以上のように他のラップミュージックとは明らかな違いを持つチカーノラップには、これだけを聞き、他のラップミュージックは聴かないというマニアも多数存在する。
[編集] 「チカーノ」で「ラッパー」
上記のようなチカーノラップの特徴を有していない者、特にチカーノラップのコミュニティにあまり参加していないものはチカーノでラッパーであってもチカーノラップをしているとはみなされない。2メックスはアンダーグラウンド・シーンで活動しているのでチカーノであってもチカーノラップの文脈で語られることはまずない。
[編集] カリフォルニアのチカーノラップの略史
最初のチカーノラッパーであり、最高のチカーノラッパーの一人なのがキッド・フロスト(現フロスト)である。彼が1990年に発表したデビューアルバム「Hispanic Causing Panic」の先行シングルとしてリリースされた「La Raza」は、スペイン語と英語のバイリンガルスタイル、いわゆるスパングリッシュでラップされており、同じスタイルで一足先にリリースされていたメロウ・マン・エース(彼はキューバ生まれ)の「Mentirosa」とともに、チカーノにとどまらず、ラティーノでラップミュージックに触れるすべての人々に影響を与えた。
その後、1990年代前半には、ライター・シェイド・オヴ・ブラウンの「On A Sunday Afternoon(1992年)」と「Hey D.J.(1994年)」、N2ディープの「Back To The Hotel(1993年)」などのヒット曲が生まれた。
1990年代後半~2000年代初頭には商業的に大きな成功を収める新たなアーティストは登場しなかったが、現在存在するチカーノラップのレーベルの大半がこの時期に生まれた。
地元ヴァレーホからのヒューストンに移住したベイビー・ビーシュ改めベイビー・バッシュが2004年に「シュガ・シュガ」をヒットさせるのと平行して、先述したようなレーベルに所属するラッパーたちがにわかに注目され始めた。ロウ・プロファイルを代表するアーティストのミスター・サンチョ、自らのレーベル、ハイパワーを立ち上げ、オールディーズのアーティストとのコラボレーションもこなした多作家のミスター・カポーン・E、もはやローカリティを感じさせない楽曲を制作するプロデューサーフィンガズがほとんどの楽曲を手がけるリル・ロブなどが脚光を浴びた。
[編集] 他の地域のチカーノラップ
下記の州やカリフォルニアのようなメキシコとの国境周辺だけでなく、コロラド州デンバーやイリノイ州シカゴにもチカーノラップのシーンは存在する。
[編集] テキサス州
テキサス州ヒューストンでまず見るべきチカーノラップの潮流としては、SPMと彼のレーベル、ドープ・ハウスがある。SPM(サウス・パーク・メキシカン)は、94年にドープハウスを設立すると、地道にミックステープを売るなどしてファンの基盤を作り、この地域に覇権を築いた。彼自身やドープハウスに所属する他のアーティスト、ラシード、ベイビー・ビーシュ、グリム、ラッキー・ルチアーノ、フアン・ゴッティ達は、同じ地元のスクリュード・アップ・クリックとの交流を持ち、彼等の音楽性を取り入れつつも自らのチカーノであるというルーツもにじみ出るような音楽性を作り上げた。
この地域の他のチカーノラッパーとしては、チンゴ・ブリングなどがいる。
[編集] アリゾナ州
この地域のチカーノラッパーはそれほど多くは知られていないが、NBライダーズ(元ナスティ・ボーイ・クリック)はカリフォルニアのチカーノたちに匹敵する人気グループである。トークボクサーをメンバーに含み、メロウさとファンクさの双方を前面に押し出したその作風で2004年のアルバム「NB Raidaz.com」を日本でもヒットさせた。
最終更新 2008年11月7日 (金) 16:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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