ガンデンポタン

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ガンデンポタンは、ダライ・ラマを長とし、ラサを本拠として1642年に成立したチベット政府1959年チベット動乱の際、ダライ・ラマとともにインドに脱出、現在はチベット亡命政府として十数万人からなるチベット難民組織の頂点に位置する。亡命政権となった現在、英語名としてはCentral Tibetan AdministrationCTA)(中央チベット行政府)の名称を採用している。

その呼称は、この政府がポタラ宮殿(1660年完成)に移転するまで本拠を置いていたデプン寺の「兜率宮殿」に由来する。ワイリー拡張方式によるチベット語表記では、dga' ldan pho brang。チベット政府としての正式呼称は「ガンデンポタン・チョーレーナムギャル(dga' ldan pho brang phyogs las rnam rgyal, 諸方に勝利せるガンデンポタン)」。下記の「国章」にも、二頭の雪獅子の足下の赤帯の上に、ウメ体で「諸方に勝利せるチベット政府ガンデンポタン(bod gzhung dga' ldan pho brang phyogs las rnam rgyal)」と記されている。

中央チベット行政府
Central Tibetan Administration(CTA)
1959年 - 現在
国旗 国章
国旗 国章
国歌 : Gyallu
チベットの位置
政府根拠地のあるダラムサラの位置
公用語 チベット語
首都 ダラムサラ(亡命政府根拠地)
ダライ・ラマ
1940年 - 現在 ダライ・ラマ14世
主席大臣(カロン・トリパ)
- サムドン・リンポチェ5世ロブサン・テンジン
変遷
亡命政府樹立 1959年4月29日

目次

[編集] 歴史

ガンデンポタンの組織は、時期によって変化がみられ、その首班は次のように変遷した。

1642年1720年 「ダライラマの財産管理や世俗業務の処理の担当者」という位置づけのデシーを首班とする
1720年1727年 カロンと称する大臣たちの合議制
1728年1750年 ポラ家が世襲するジュンワン(郡王)を首班とする
1750年1959年 ダライラマ(または摂政)の下で、俗人3人、僧侶1人からなる「カシャク」(内閣)を指導部とする。

ガンデンポタンの組織機構の変遷は、次のように時期区分できる。

  1. ダライラマの下にハンとデシーが並立(1642年〜1706年)
  2. ハンによるデシー打倒(1706年〜1717年)
  3. ジュンガル軍の占領下(1717年〜1720年)
  4. 三閣僚(のち五閣僚)並立体制(1720年〜1727年)
  5. ジュンワン(郡王)政権(1727年〜1750年)
  6. カシャク制(1751年〜1910年)
  7. ダライラマ13世の近代化とその後(1910年〜1959年)
  8. 亡命政権時期(1959年〜)

[編集] 発足

デプン寺ダライ・ラマ5世の財務監ソナムチュンペルが西モンゴル・オイラトホショト族の指導者グシ・ハンと結び、グシ・ハンは1637年1642年にかけてチベットの全域を平定、チベットの中枢部(ヤルンツァンポ河流域)がダライラマ領として寄進され、その統治機関としてガンデンポタンが発足した。1753年1754年頃に編纂された法典には、チベットのハンと、ガンデンポタンの首班デシーが「ダライラマの下で「日月の一対」をなす」と描写されている。

[編集] 近代以降

辛亥革命によって1912年に清国が滅亡し、その遺領の再配分が問題になった際、ガンデンポタンは、チベットの西南部(西蔵の部分)を実効支配し、チベット国家が中国とは別個の国家であることの確認や、清国の雍正帝に奪取されて以来、清国の隣接諸省に分属せしめられていたアムドカム東部の回復を目指して中華民国と対決した。

ダライ・ラマ14世

1949年に、国共内戦に勝利して中国大陸を制覇した中国共産党政権は、「中国の領土を完成」させると称して人民解放軍を「西蔵」に侵攻させて全域を占拠、ガンデンポタンは、この軍事的圧力のもと、「十七か条協定」の締結を余儀なくされた。

この協定は、チベットと中国の当局者がチベットの地位に関して交わした取り決めとしては、吐蕃王朝唐王朝によって締結された822年講和・国境画定条約以来のもので、チベット国家の独立性と、ガンデンポタンによるチベット全土の統合を否定し、中国によるチベット併合を「祖国大家庭への復帰」と位置づけ、ガンデンポタンを「西蔵」部分のみの「地方政府」と位置づける内容を有し、1913年に「チベット・モンゴル相互承認条約」(蒙蔵条約)を締結して以来、歩調をそろえて中国からの圧力に対抗していたモンゴルとチベットの命運を決定的に分つものとなった。

1956年に勃発したチベット動乱においては、カムパたちを主として組織された抗中ゲリラとは一線を画し、ゲリラからの武器や兵糧の提供要求を拒み、十七か条協定で確保された自治の枠組みを維持することにつとめたが、果たせなかった。

[編集] チベット亡命政府の成立

チベット動乱が首都ラサに波及した1959年3月10日ダライラマ14世ノルブリンカ宮インドへ向け脱出、国境の手前でチベット臨時政府の発足を宣言した後、インドに亡命した。一方、中国側は、中華人民共和国国務院総理の周恩来が「西蔵地方政府の廃止」を宣言した。

同年4月29日、インド北部の丘陵地ムスーリーで新たに行政機構が再組織され、チベット亡命政府(中央チベット行政府 Central Tibetan Administration(CTA)が発足した。1960年5月、亡命政府はダラムサラのガンジョン・キショッと呼ばれる地域に拠点を移した。

[編集] チベット亡命政府の基本法規

[編集] 1961年版チベット憲法(暫定憲法)草案

1961年、ダライ・ラマ14世は、独立後のチベット国家の体制の概要を示すとともに、亡命チベット人社会を統治するためにチベット憲法草案(自由チベット憲法)を公布した。これは、1961年から1963年まで、チベット亡命政府の規範としての役割を果たした。

  • この最初の暫定憲法は亡命チベット人社会の圧倒的な支持を受けた。ただ、ダライ・ラマ14世自身が提案した、チベット人が望むならばダライ・ラマの権力を剥奪することができる、という条文だけは、亡命チベット人社会の受け入れるところとはならなかった。

[編集] 1963年版チベット憲法(暫定憲法)草案

1963年、チベット憲法草案(自由チベット憲法)の改訂が行われた[1]。これは、1963年から1991年まで、チベット亡命政府の規範としての役割を果たした。

[編集] 亡命チベット人憲章(1991年)

1991年、チベット憲法草案(自由チベット憲法)とは別に[2]亡命チベット人憲章(1991年)[3]が制定された。チベット憲法草案が将来の自由な祖国復帰の後に適用されるのに対して、亡命チベット人憲章は当面のチベット人亡命社会を統治する規範として定められたものである。これ以降現在にいたるまでのチベット亡命政府と亡命社会は、この憲章にもとづいて統治されている。

亡命チベット人憲章は憲法草案再作成委員会によって案が作成され、亡命チベット人代表議会とダライ・ラマの承認によって1991年6月に発布された。これは、国際連合の世界人権宣言を遵守することを宣言し、チベット人に対する法のもとでの平等と人権と自由とを保証している。憲章は、司法、立法、行政の3組織の分権を明確に規定している。

[編集] 1992年版チベット憲法(暫定憲法)草案

1992年、チベット憲法草案(自由チベット憲法)が改訂された[4]。これは、1961・63年版の憲法草案を引き継ぎ、将来の自由なチベット国家の基本路線を示したものである。したがって、この憲法は未だ発効していない。

  • 1992年の改訂の最も大きな点は、将来の自由チベットの元首に関する規定である。すなわち、1961年版と1963年版ではダライ・ラマを政治の実権を有する国家元首としていたのに対して、1992年版ではその権限は民主的な選挙によって選出される大統領に譲り渡すとしており、ダライ・ラマは国政の頂点から退くことが想定されている。
  • さらに、1992年版では、自由チベットが回復された際、亡命政府から正式なチベット政府に移行するまでの暫定期間の措置も定められている。たとえば、移行期間に入るとただちに暫定大統領が任命され、それまでダライ・ラマが保持していたすべての政治上の権力・責任を引き継ぐ。そして、新設された憲法制定議会がチベット憲法の正式な制定をおこなう。そして、その憲法に基づいてチベット国民議会と正式な大統領を選出する、などである。

[編集] チベット亡命政府の組織

チベット亡命政府は、1991年の亡命チベット人憲章に基づき、行政を担う内閣(カシャク)、民主的に選出される議会(亡命チベット代表者会議)、行政から独立した司法機関(亡命チベット最高司法委員会)などが整備されている。

[編集] 内閣の下の諸省

  • 宗教・文化省:チベットの宗教的、文化的遺産を保存し発展させることを目的とし、亡命社会のチベット仏教僧院・尼僧院を支援、次の施設を管理する。
    • チベット舞台芸術研究所(ダラムサラ
    • チベット・ハウス(所在地:ニューデリー
    • チベット文献図書館(ダラムサラ)
    • 高等チベット学中央研究所 (ヴァラナシサールナート
    • チベット文化ノルブリンカ協会(ダラムサラ近郊のシドプール)
  • 内務省:亡命チベット人入植地支援を主な目的とする。
  • 財務省:亡命政府の活動基金を集めるために、各地で25個の企業体を運営し、献金を集める。また亡命政府の年間予算計画を立てている。
  • 文部省:インド、ネパールおよびブータンにある84ヵ所の学校を管理し、30,000人の児童を受け入れている。
  • 公安省:ダライ・ラマ法王の安全確保及び占領下のチベットでの開発事業を監視する調査を主な任務とする。
  • 情報・国際関係省(外務省):対外的な宣伝を目的とする
  • 厚生省:チベット人亡命者会で61ヵ所の基本健康管理センターと6ヵ所の委託病院を管理し、チベット医学・暦法研究所の運営を支援する。

[編集] 立法機関

亡命チベット代表者会議または国民会議とも呼ばれる。亡命社会に所属する有権者による民主的な選挙によって選出された議員によって組織された議会。祖国復帰後は、国会となることを想定。

[編集] 司法機関

司法機関として、亡命チベット最高司法委員会が設置されている。判事はダライ・ラマによる指名。ただし、亡命政権という性格上、刑事犯罪については亡命先の国家(たとえばインド)の法が適用され、その国家の司法権に従うことが当然である。従って、亡命チベット最高司法委員会は、亡命チベット人同士の民事上の紛争を(もちろん、亡命先の国家の法に従った上で)調停することに主眼をおいている。

[編集] 外交

亡命政府の情報・国際関係省はニューデリージュネーヴニューヨーク東京ロンドンカトマンドゥブダペストモスクワパリキャンベラプレトリア台北に代表事務所を設置している。東京の代表事務所は、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(LIAISON OFFICE OF H.H.The DALAI LAMA for Japan & East-Asia)を名乗っている。

チベットの実権を掌握する中華人民共和国に対する配慮から、亡命政府を外交的に承認する国はないが、欧米の主要国や中華民国などの指導層には亡命政府の主張の賛同者も多い。ダライ・ラマ14世1989年ノーベル平和賞を受賞している。

[編集] 領土的もしくは領域上の主張

独立チベット、もしくは「中国の主権下の"自治チベット"」の領域として主張されている国土は、基本的に、チベット人が伝統的にチベットの国土だとみなしていた領域の全域に相当し、「ウー・ツァン」、「カム」、「アムド」の「三州」から構成されている。

中国による行政区画と対照すると、「ウー・ツァン」はチャムド地区を除く西蔵自治区のほぼ全域、アムド地方玉樹地方を除く青海省のほぼ全域および四川省アバ州カム地方四川省カンゼ州西蔵自治区チャムド地区雲南省デチェン州および青海省の玉樹地方などに相当する。

[編集] 中国側の対応

中華人民共和国側はもちろん、政権としてのチベット亡命政府を認めておらず、中国の新聞もチベット亡命政府を「反中国勢力」「国家分裂勢力」などとして敵視する報道を繰り返している。

たとえば、2009年1月9日付けの中国紙・環球時報は、ムンバイで起きた同時多発テロ後のインド安全会議においてヒマーチャル・プラデーシュ州首相が、チベット亡命政府が置かれている同地区では現在10万人を超えるチベット亡命者が治安を悪化させる最大の要因となっていると指摘し、またインドの学者達が「(チベット亡命政府を)早急に追い出さなければインド政府は自らの足の上に大きな石を落とすことになる」としている、という報道を行った[5]

[編集] 脚注

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  1. ^ チベット憲法草案1963年版の全文:http://www.interq.or.jp/neptune/amba-omo/const000.html
  2. ^ なお、チベット亡命政府日本代表部(ダライ・ラマ法王日本代表部)のウェブサイトに「亡命チベット人憲章」の項目があるが、ここで紹介されている内容のほとんどは亡命チベット人憲章ではなく、1992年版チベット憲法草案の概要である。http://www.tibethouse.jp/cta/charter.html
  3. ^ 亡命チベット人憲章(英語訳):http://www.tibet.com/Govt/charter.html  同(中国語訳):http://www.xizang-zhiye.org/b5/ex/liuwangfagui/index.html
  4. ^ チベット憲法草案1992年版の要旨:http://www.tibethouse.jp/cta/future_tibet_constitution.html
  5. ^ http://www.recordchina.co.jp/group/g27479.html

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年10月25日 (日) 02:11 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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