チャレンジャー号爆発事故
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チャレンジャー号爆発事故(チャレンジャーごうばくはつじこ)は、1986年1月28日にアメリカのフロリダ州ケネディ宇宙センター上空で起こったスペースシャトル・オービタ「チャレンジャー」の爆発事故である。
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[編集] STS-51Lミッション
[編集] 爆発
STS-51Lは1986年1月28日にケネディ宇宙センターから打ち上げられた。学校の教師という一般人を参加させた待望のプロジェクトであったが、STS-51Lは打ち上げから73秒後に突如爆発、シャトルの各部は爆発による空気応力で空中分解した後に大西洋に落下し、クルー7名の全員が死亡した。
[編集] 原因
打ち上げは何度も延期され、シャトルは気温の低い地に長い間さらされていた。当日は気温が氷点下にまで下がり、固体ロケットブースタ内部に使用されるOリングの凍結で気密性が低下し、これによって高温のガスが漏れ出したことが事故を引き起こしたと見られている。発射後の映像でもブースターから吹き出る炎が確認できる。
固体ロケットブースタのOリングは一次Oリングと二次Oリングがあり[1]、仮に一次Oリングが焼損してしまったとしても二次Oリングがガス漏れを防止するはずであったが、低温でOリングが機能を十分に発揮できず、一次・二次両方のOリングが焼損してしまっていた。またOリングのみならず、接合部の構造にも欠陥があったとされている[2]。
チャレンジャー号の打ち上げ以前にも、Oリングの凍結と気密性の低下で一次Oリングや接続部を焼損する事例がコロンビア号などで数回発生していた。チャレンジャー号打ち上げ時の気温が極低温になることが予想された後、発射の13時間前に行われた会議で、ブースターの製造会社であるサイオコール社の技術者から再三指摘されたにもかかわらず、度重なる発射延期のせいもあって、NASAはそれを会議における多数決による表決で無視した。技術者は発射前に自分の忠告を無視したNASAに対する不満を書いている。
打ち上げ直後、ブースター下部の継ぎ目から黒煙が上がっているのが一部のカメラで捕らえられていたが、その噴出は内部より押し出された破片によってふさがり一度は収まった。しかし上昇時の上空の気流が悪く機体が大きく振動、そのため隙間に詰っていた破片が吹き飛び、再度のガス噴出を引き起こしてしまい引火、その熱で外部燃料タンクとの接続部分が焼き切れ、シャトル右側の固体ロケットブースタが外部燃料タンク上部を直撃し、漏れた液体水素に引火したのが爆発の原因とされている。
[編集] クルーの死
この爆発は非常に大規模であったが、爆発直後の映像ではシャトルオービターのクルーコンパートメントは破損を免れており、海中から回収することに成功した。遺体の司法解剖の結果、死因は海面へ叩きつけられたことによる激突死と判明した。
なお3人分の緊急用酸素供給機のスイッチが入っていたことから、クルーの一部はクルーコンパートメントごと海中に墜落するまで生存していたのではないかと見られている(ただし意識は失っていた可能性が高い[3])。このため、後の改修ではクルーの緊急脱出についても考慮された。
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STS-51Lの打ち上げの瞬間。固体ロケットブースタから黒煙が出ているのを確認でき、この時点で既に事故の兆候を見せていた。 |
[編集] 報道
このSTS-51Lミッションは、初の民間人(学校教師)の搭乗という話題もあり、発射の光景はCNNなどのテレビで生中継された。さらに搭乗したクリスタ・マコーリフ教師の母校でも、生徒が授業の一環としてテレビを見ていた中で起きた悲劇となった。日本国内でも、当時独占契約を結んでいたテレビ朝日が「CNNデイウォッチ」で爆発の瞬間を生放送で伝えていた。
事故の映像はただちに世界各国へ伝えられ、アメリカを含む西側諸国のテレビ局ではニュース速報が行われた他、多くの新聞社が号外を発行した。また多くのテレビ局は通常の番組を中止して特別報道番組を放送した。
[編集] 事故の影響
このNASAにとって初の飛行中の事故、さらにテレビでの中継も行われた衆人環視の中での衝撃的な事故によって、事故後NASAは2年間、全ての有人宇宙飛行を取りやめた。
信頼回復のため、役人体質となったNASA職員の意識改善と、事故調査の徹底、再発の防止に力を上げ、また現場レベルの判断が優先されるようになり、1988年にスペースシャトルの飛行は再開された。しかし、スペースシャトルの実用化以来、無人ロケットの打ち上げを取りやめていたNASAは、この2年間人工衛星の打ち上げができず、顧客はいっせいにヨーロッパのアリアンスペース社へ流れる結果となってしまった。
飛行再開以後もスペースシャトルの信用は得られず、衛星ビジネス取り戻しのため、NASAは無人ロケット開発を再開し、以後、アメリカの人工衛星や惑星探査機のほとんどが無人ロケットによって打ち上げられることとなり、開発当初謳われていたスペースシャトルの存在意義が揺らぐ結果となってしまった。
またウェブ上にて一時期、公開されている無線交信のその後の交信記録として乗員の悲鳴や祈りが書き込まれたものが広まったが、アメリカ発の都市伝説である事が判明している。
[編集] 乗組員
全7名 写真前列左から
- Michael John Smith:アメリカ海軍大佐 40歳
- Francis Richard "Dick" Scobee:アメリカ空軍中佐 47歳
- Ronald Ervin McNair:物理学者 35歳
- Ellison Shoji Onizuka (エリソン・オニヅカ "鬼塚承次"):アメリカ空軍中佐 39歳
- Christa McAuliffe:教師 37歳
- Gregory Bruce Jarvis:アメリカ空軍大尉 41歳
- Judith Arlene Resnik:技術者 36歳
[編集] 脚注
- ^ http://shippai.jst.go.jp/fkd/Contents?fn=0&id=CA0000639&idx=3
- ^ http://shippai.jst.go.jp/fkd/Detail?fn=0&id=CA0000639
- ^ NASAのJoseph P Kerwinによるレポート [1](英文)
[編集] 外部リンク
- ロジャース委員会の大統領への事故報告書 1986年6月 (英文)[2]
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年11月22日 (日) 05:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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