チャールストン (サウスカロライナ州)

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チャールストン市

チャールストンの歴史的街並み
愛称 : 「聖なる市(The Holy City)、または 椰子の市(The Palmetto City)」
標語 : "Aedes Mores Juraque Curat (教会と慣習と権利に保護を)"
位置
チャールストン市の位置の位置図
チャールストン市の位置
座標 : 北緯32度47分 西経79度56分 / 北緯32.783度 西経79.933度 / 32.783; -79.933
行政
チャールストン郡
バークレー郡
 1 E8 チャールストン市
市長 ジョセフ・P・ライリーJr
地理
面積  
  1 E8域 347.5km2(147.1mi2
    陸上   251.2km2(97.0mi2
    水面   44.3km2(17.1mi2
      水面面積比率     15%
  都市圏 975.1km2(376.5mi2
標高 35.96m(118ft
人口
人口 (2007年現在)
  市域 118,270 人人
    人口密度   384.7人人/km2(996.5人人/mi2
  都市圏 603,178人人
その他
等時帯 東部標準時UTC-5
夏時間 東部夏時間UTC-4
公式ウェブサイト : [2]

チャールストン (: Charleston) は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州南東部に位置する港湾都市チャールストン郡郡庁所在地で郡内の最大都市。バークレー郡に接する。イギリス王チャールズ2世の名に因み、チャールズタウン(CharlestownあるいはCharles Towne)として1670年に建設され、1680年に現在の場所に移された。1800年までチャールストンは北アメリカで第5の都市であった。ちなみに他の大都市はフィラデルフィアニューヨークボストンケベックの各市である。現在の都市名は1783年に採用された。聖なる市(The Holy City)としても知られる。これは、低層の都市景観を形作る有名な教会があり、その多くの尖塔が街のスカイラインとなっているからである。チャールストンはジョグリング・ボード(en:Joggling board)のような独特の文化に溢れている。

2007年の推計人口は約12万人で、サウスカロライナ州では州都のコロンビア市に次いで第2位である。最近の傾向を見る限りでは、州内でも成長速度の速い都市となっている。チャールストンとノースチャールストン都市圏人口は603,178人と推計されており、都市圏人口でも州内第2位である。この人口の80%近くは市内とその市街地域にすんでいる。2000年の推計人口は549,033人だったので、7年間で10%近い成長率である。

チャールストン市はサウスカロライナの海岸線のほぼ中央に位置している。アシュレー川とクーパー川が合わさる河口にある。

エチケットに関する専門家で出版物も多いマージャベル・ヤング・スチュワート[3]が、1995年にチャールストン市を全米でも最もマナーの良い都市に選んだ。これは全米で唯一の居住性裁判所(en:Livability Court)があるという事実によっている。

目次

[編集] 歴史

[編集] 植民地時代

イギリス王チャールズ2世がオリバー・クロムウェル護国卿時代の後に王位に復し、1663年に上院植民地領主(Lords Proprietor)として知られる8人の忠実な友人にカロライナ領地を特権的領土として認めた。植民地領主が入植の準備を整えるまでに7年間を要し、最初の土地がチャールズタウンであった。1670年、イギリス人の群落がアシュレー川の西堤、現在の市街の数マイル北西の地に作られた。そこは植民地領主の一人アンソニー・アシュレー=クーパーによって偉大なる港町とすることになった。1680年までに、イングランドバルバドスバージニアからの植民者が増加し、半島にある現在地に移った。カロライナ植民地の首都として、チャールストンは以後の発展の中心となり、16世紀後半のイギリスによる植民の最南端でもあった。

植民者はしばしば海からまた陸からの攻撃に曝されることになった。イギリスに対しその地域の主権を主張するスペインフランスによる断続的な攻撃に加えて、インディアンの抵抗や海賊の襲撃も起こった。チャールストンの開拓者達は防衛のためにその小さな入植地の周りに防御壁を造った。当時の建物が2つ残っている。1つは火薬を貯蔵したパウダー・マガジン(the Powder Magazine)であり、もう一つは酒場のピンクハウス(Pink House)[4]である。

1680年は、将来町が成長した時のために、"正確で規則正しい町のモデル"いわゆるグランドモデルが計画された年でもある。集会所や広い通りの交差点の近くは市民広場のために取って置かれた。これは長い間に「四つ角法」として知られるようになった。この法は、広場や成長する町を取り仕切る行政的また宗教的な法の様々な詳細を定めている。最古の著名な教会であるセント・ミカエルズ・エピスコパル教会堂は1752年に南西隅に建てられた。その翌年、植民地の議事堂が広場の向かいに建てられた。その顕著な場所と優美な建築で、市民や訪れる者達に重要性を印象付けるものとなった。地方裁判所が1階に、議会室と知事理事会室が2階にあった。

[編集] 民族と宗教の多様化

初期の開拓者は主にイングランドから来ていたが、徐々に民族と宗教が入り混じり始めた。植民地時代はボストン姉妹都市を結び、資産のある市民の中には夏をボストンで、冬はチャールストンで過ごす者もいた。バミューダカリブ海諸島との交易も盛んで、これらの地域から移り住む者もいた。フランス人スコットランド人アイルランド人、それにドイツ人が移住してきて海岸の町を発展させ、多くのプロテスタント宗派信者、カトリック教徒、ユダヤ教徒がいた。スペイン系ユダヤ人が多く移住してきたので、19世紀の初めから1830年頃まで、北アメリカで最大かつ最も富んだユダヤ人社会を形成した。[5] [6] [7] [8] 1762年に造られたジューイッシュ・カミング・ストリート墓地は、彼らの長期に渡る社会が存在したことの証である。最初の聖公会のセント・フィリップス・エピスコパル教会は1682年に建てられたが、火事で焼け現在ある場所に移された。奴隷達の人口に占める比率が高かったが、宗教的社会では活発に活動した。自由黒人の市民と奴隷達が、オールド・ベテル・メソジスト教会を1797年に建てる際に貢献し、1791年建立のエマヌエル・アフリカン・エピスコパル教会の信者はアフリカ系アメリカ人でのみ構成されていた。なお、アメリカで最初の美術館1773年1月12日に開館された。

18世紀半ばからは、大量の移民がカロライナの北部に入った。チャールストンを経由して入植した者もいれば、北部のバージニア、メリーランドペンシルベニアから入る者も多かった。州北部の人口は海岸地方のそれを上回るほどになった。これらの人々をチャールストン市民は多くの意味で洗練されていないし、関心の対象が異なる者と見ていたので、幾世代も経て州北部の民とチャールストンのエリート層との間に軋轢が生ずるようになった。

[編集] 大西洋の主要港

18世紀半ばまでに、チャールストンは活気溢れる貿易の中心地となった。南部やフィラデルフィアより南の富んだ大都市に向けた大西洋の中継基地となった。1770年まで、ボストン、ニューヨーク、フィラデルフィアに次いで4番目の大きな港であった。人口は11,000人で、その半数強が奴隷であった。インディゴが海岸の周辺で栽培され成功していた。ダイオウショウの材木は利益を生む造船業用に輸出された。当時のチャールストンは南部の文化的、経済的中心であった。

[編集] アメリカ独立戦争

植民地人とイギリスとの関係が悪化すると、チャールストンは革命の焦点となった。「代表なくして課税」の概念を体現する1773年茶法に抗議して、チャールストン市民は茶を没収し、交易所と税関内に保管した。1774年、植民地のあらゆるところから大陸会議に送る代表を選ぶために交易所に集まってきた。代表はアメリカ独立宣言を起草する責務があった。サウスカロライナは交易所の階段でイギリスからの独立を宣言した。まもなく教会の尖塔、特にセント・ミカエル教会の尖塔がイギリス戦闘艦の標的にされたので、独立派の軍隊は夜の空に溶け込むようにその尖塔を黒で塗ってしまった。

チャールストンは前後2回イギリス軍の攻撃目標となった。どちらの場合もイギリス軍の戦略は、イギリス王への忠誠を誓う王党派が軍事的にも支援してくれるという仮定に立っていた。1776年クリントン将軍は2,000名の兵士と海軍船隊を引きつれチャールストンを占領しようとした。このときサウスカロライナの王党派も同時に決起することを期待していた。これは戦争の行方を甘く見たものであり、海軍が市内の防衛軍の助けを得たムールトリー砦とサリバン島から来たウィリアム・ムールトリーの部隊に破れ失敗した。さらに土地の王党派はイギリス軍の期待に反して町の背後から攻撃することも無かった。王党派の組織力が弱く効果を上げられなかった。それでも1780年まで、王党派の避難民からたきこまれたイギリス高官は今度こそ決起があるものと確信していた。

クリントンは1779年2月に14,000名の部隊とともに再度来襲した。大陸軍ベンジャミン・リンカーン将軍が罠に嵌り、5,400名の将兵全員が降伏した。独立戦争で大陸軍最大の敗北である。クリントンはコーンウォリス将軍に8,000名の兵を託してニューヨークに戻った。コーンウォリスは王党派を集結させ、植民地内に砦を造り、イギリス王への連帯を誓わせた。彼らは1782年までチャールストン市を支配した。イギリス軍が去ると、1783年に市の名前を公式にチャールストンに変えた。

[編集] 商業の発展

1788年まで、カロライナは憲法批准会議のために議事堂に会した。連邦政府に対する支持がある一方で、新しい州の首都を選ぶ議論が持ち上がった。会議中の議事堂で不審火が起こり、その後代表団は交易所に移り、コロンビアを新しい州都とすることを宣言した。1792年、議事堂が再建されチャールストン郡庁舎となった。その完成時、市は全ての公共的建物が植民地の首都から南部の中心に合うように変質すべきだとした。しかし、次の世紀に立てられた多くの威厳ある建物は、多くのチャールストン市民が彼らの社会に感じている楽観主義、誇り、市民の宿命を映し出すものになった。

チャールストンが成長するにつれ、文化的、社会的機会、特にエリートの商人と農園主の機会も増大した。1736年にアメリカで最初の劇場が造られた。この建物は19世紀にプランターズ・ホテルとなり、裕福な農園主が競馬シーズンに滞在する所となった。共済組合が幾つかの民族集団により形成された。1737年にはフランスのユグノーによりサウスカロライナ協会が、1766年にはジャーマン・フレンドリー協会が、1801年にはアイルランド移民によりハイバーニアン協会が創設された。1748年には当時の科学的、哲学的問題を取り扱うことを願う裕福な市民によって、チャールストン図書館協会が設立された。この集団は1770年、サウスカロライナでは最古、全米でも13番目の大学、チャールストン大学の開設にも貢献した。

チャールストンは独立戦争後に農園に寄って立つ経済の繁栄を見ることになった。1793年のコットン・ジンの発明は生産方式を革新し、綿はサウスカロライナの主要輸出品となった。綿農園は奴隷の労働に大きく依存していた。奴隷は市内でも主要な労働力であり、家事奉公人、職人、市場労働者あるいは作業員として働いていた。多くの黒人はアフリカ系アメリカ人の使う言語構造でアフリカ語、フランス語ドイツ語英語オランダ語の単語を組み合わせた方言であるガラ語を話した。1807年、チャールストン市場が創設された。そこはすぐにアフリカ系アメリカ人の地域社会にとっての中継地となり、多くの奴隷や自由有色人種を店員とする店が軒を連ねた。

1820年、チャールストンの人口は23,000人となった。1822年に自由黒人のデンマーク・ ビージーが計画した大規模な奴隷の反乱が露見し、チャールストンやカロライナの白人の間におきた興奮状態によって自由黒人と奴隷の活動が著しく制限されることになった。何百人もの自由黒人と奴隷、それに白人の支持者が反乱計画に関わっており、すべて刑務所に入れられた。このことが新しい兵器工場を造るきっかけとなった。最近ジョーンズ・ホプキンス大学の歴史学者マイケル・P・ジョンソンが発表した研究では、ビージーが計画した奴隷の反乱に関する証言について疑いを投げかけている。

チャールストンの行政や社会、産業が成長するにつれ、地域社会の願望を支援するために商業的施設が造られた。全米の銀行で2番目に古い建物を持つサウスカロライナ銀行は1798年に創立された。合衆国の首位銀行と二番目の銀行の支店が1800年1817年にそれぞれ開設された。首位銀行の建物は1818年に市庁舎となったが、二番目の銀行の支店は地域社会の活力となり国際貿易に必要な為替を扱える唯一の銀行となった。1840年、新鮮な肉などが毎日取り扱われる市場と倉庫が市の商業中継地となった。奴隷貿易もチャールストン港に頼っており、奴隷も売り買いされた。

[編集] 南北戦争前の政治定期変化

19世紀の前半、サウスカロライナは「州権」が連邦政府の権威に勝るという考えにはまり込んだ。海洋病院のような建物が議論に火をつけ、連邦政府はサウスカロライナの政府、社会、経済に関わるべきだということになった。この時期の連邦政府予算の90%以上は輸入品に掛かる関税であり、チャールストンにもある税関が集めていた。1832年、サウスカロライナ議会は、そのころに発効した関税法を対象として、州が連邦法を無効にできるという無効化条例を可決した。直ぐに連邦軍の兵士がチャールストンの砦に派遣され、軍の手で関税を集め始めた。この時は、関税が徐々に減らされるという妥協が成立したが、州権に関する議論は次の10年間高まり続けた。チャールストンは依然としてその地方で最も繁華な港であった。1849年、さらに新しく大きな政府の税関の建設が始まったが、南北戦争によって中断された。

1860年の大統領選挙に先立ち、民主党の会合がチャールストンで開催された。ハイバーニアン会館はステファン・A・ダグラスを支持する代議員の本部となった。ダグラスは拡大する奴隷制度問題について北部と南部の橋渡しをする者として期待されていた。この会合ではどの候補者も3分の2以上の多数の支持を集めることができないまま散会した。この不和が民主党内に亀裂を生み、共和党の候補エイブラハム・リンカーンが選ばれることになった。

[編集] 南北戦争とレコンストラクション(再建)

南北戦争後のチャールストン(1865年)
キング・ストリート 1910-1920

1860年12月20日、サウスカロライナ州議会は連邦からの脱退第1号となることを決めた。その主張によると、原因の一つは奴隷制度に敵対的な意見と目的を持つ者に大統領選挙の結果が決まったことであり、他にも様々な原因があるというものだった。

1861年1月9日、チャールストン港に入ってきた連邦の船スター・オブ・ウエスト(Star of the West)に向かってシタデル士官学校の士官候補生が砲弾を放ったときが南北戦争の最初の銃火である。4月12日ピエール・G.T.ボーリガード将軍に率いられた大隊が港の中にある連邦支配下のサムター要塞に攻撃を仕掛けた。34時間に及ぶ砲撃の後、砦のロバート・アンダーソン少佐は降伏した。士官学校の士官や士官候補生は、サムター要塞の砲撃の間に様々なアメリカ連合国軍大隊に割り振られた。士官学校は南北戦争中も学校としての運営を続けたが、士官候補生はコロンビアのアーセナル士官学校の士官候補生とともにサウスカロライナの軍事部門の一部となり、州士官候補生大隊を構成した。両校の士官候補生は新兵の訓練、銃弾の製造、保護具の保管、連邦捕虜の警備などで連合軍を支え続けた。さらにタリフィニークリークで連合軍への参加を命じられ、北軍のW.T.シャーマン将軍の部隊と断続的な戦闘を行い、8人が戦死した。町は包囲されたがサムター要塞は支配し続け、ここが海上封鎖の標的となった。また、1864年2月17日、潜水艦のH. L.ハンリー(the H.L. Hunley )が北軍のUSSハウサトニック(USS Housatonic)に夜襲をかけたのが、史上初めての潜水艦による攻撃の成功となった。[9]1865年、北軍が市中に入り多くの場所を占拠した。例えば、南軍が戦争勃発時に占拠した合衆国兵器庫である。北軍はシタデル士官学校のグラウンドや建物を差し押さえた。ここは1882年に州に返還され士官学校として再開されるまで、17年間も駐屯地となった。

最終的に南軍が敗れると北軍は市の再建期間(レコンストラクション)チャールストンに駐在した。戦争は戦前の市の繁栄を破壊した。開放された奴隷は貧困と人種差別に直面した。製造業がゆっくりと回復し、住民が戻って活気を作り人口が増えた。市の経済が改善されると、市民達は公共機関も復活するべく働きかけた。1867年チャールストンで最初の黒人のための中等学校が設立された。アベリー校である。シャーマン将軍が合衆国兵器庫をポーター士官学校に転換するための支援を行った。ここでは元兵士や戦争による孤児や貧窮層の少年の教育を行った。ポーター士官学校は後にゴード校と合併し現在は良く知られているK-12予備校となっているPorter-Gaud School。高齢者の介護施設、ウィリアム・エンストン・ホームズは1889年に建設された。合衆国郵便局と裁判所が1896年に完成し、市中心部の新しい生活のシンボルとなった。

1886年チャールストンはマグニチュード7.5の地震にみまわれ多くの建物が破壊された。この地震は遠くボストンやバミューダでも感じられた。損壊した建物は2,000棟、被害額は6百万ドルに達した。当時の全市の建物の価値はおよそ2千4百万ドルであった。[1]

多くの火事、ハリケーン竜巻、何度かの戦争と20世紀の市街地の更新を経て、今日でも多くの歴史的建造物が無傷で残っている。

[編集] 現代

"レインボー・ロー"

現代のチャールストンは、スペイン苔で覆われたリブオークの並木のある街路で著名な観光地となっている。レインボー・ローとして知られる水際の一帯には多くの美しいパステルカラーの家が並んでいる。チャールストン港は今でも重要な港であり、東海岸で2番目、北米でも4番目のコンテナ取り扱い港である。[2]また、香港に次いで世界で2番目に生産性の高い貿易港でもある。チャールストンは技術的な仕事と会社の主要所在地となりつつある。市のダウンタウンでは、バイオテクノロジーと医学研究の急速な発展に伴って、サウスカロライナ医科大学やロパー病院など医療施設も拡張されてきた。1909年創立のアシュレー・ホールという名の高名な女子学校や1867年創立のポーター・ゴード校もある。

1989年にハリケーン・ユーゴーがチャールストンを襲った。近郷のマックレランビルの被害が一番ひどかったが、チャールストンの歴史地区の4分の3も損壊した。このハリケーンの被害額は28億ドルに達した。

1993年、チャールストン空軍基地でC-17グローブマスターIII輸送機の大隊が世界で初めて作られた。

2004年、サウスカロライナ医科大学に代わって、SPAWARアメリカ海軍宇宙海事システム指令所はチャールストン都市圏で最大の雇用主となった。

チャールストンは総合通信外来患者薬局(en:Consolidated Mail Outpatient Pharmacy (CMOP))の所在地である。これは退役軍人局が音頭をとり、合衆国中の戦略地点でコンピュータを使い、退役軍人にメールで処方箋を取り扱うものである。

[編集] 地勢および気候

チャールストン近辺の大河と港

チャールストンは、北緯32度78分00秒西経79度93分00秒 [3]に位置する。

人種構成は、白人58.5%、黒人35.0%、アジア系5.0%、ラテン系10.50%である。 アメリカ合衆国国勢調査局によると、総面積は347.5平方キロメートル(147.1平方マイル)、陸地面積は251.2平方キロメートル(97.0平方マイル)、水面44.3平方キロメートル(17.1平方マイル)である。水面比率15%である。古い市街は半島にあり、市民の言い方では「アシュレー川とクーパー川が合わさって大西洋に注ぐ所」にある。半島全体は高度が低く、埋め立てごみなどでできている。激しい雨、高波や高潮でしばしば洪水を起こした。市の境界は半島からアシュレー川に沿って広がり、川の西岸とジェームズ島やジョーンズ諸島を含んでいる。クーパー川沿いではダニエル島とケインホイ地区を含んでいる。半島の北はノース・チャールストンとなり、クーパー川の東の地にはマウント・プレザントがある。

潮河(ワンドー、クーパー、ストノ、アシュレー)は沈水海岸の証拠である。換言すれば、元々の川は川床が低く、海洋が隆起するか陸地が沈降したために地形が変化した。チャールストン港の入り口には沈降した川のデルタがあり、川は深く、港に適している。海洋の隆起は氷河期の終りに氷山が溶けたことによると思われる。

最近の数十年で、市街地はインターステート26に沿って東西方向に短くはあるが伸びた。今日の地区は人口密度1,000人/平方マイルであり、半島先端からサマービル地区に向けて絶えず広がっている。

[編集] 気候

夏は湿気の多い季節である。年間降水量のほぼ半分が夏の間に降る。秋は11月まで比較的暖かい。冬は短くて厳しくはない。ときたま雨がある。雪は滅多に降らない。記録に残る最高気温は1985年6月2日の104.0°F(40.0°C)、最低気温は1985年1月21日の10.0°F(-12.2°C)である。[4]

月別平均および記録に残る最高・最低気温
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
過去最高 °F 83 87 90 95 98 103 104 105 99 94 88 83
平均最高 °F 58.9 62.3 69.3 76.1 82.9 87.9 90.9 89.4 85 77 69.6 61.6
平均最低 °F 36.9 39.1 46 52.2 61.3 68.5 72.5 71.6 67.1 55.3 46.4 39.3
過去最低 °F 6 12 15 29 36 50 58 56 42 27 15 8
降水量 (in) 4.08 3.08 4 2.77 3.67 5.92 6.13 6.91 5.98 3.09 2.66 3.24
Source: USTravelWeather.com [10]

[編集] 都市圏

チャールストン都市圏は、チャールストン郡、バークレー郡 、およびドーチェスター郡で構成される。ジョージタウン郡、ウィリアムスバーグ郡、およびコレトン郡の一部も含む。2005年の推計で、中心3郡の人口は約60万人であった。チャールストンには幾つかの大きな郊外都市がある。ノースチャールストンはチャールストンと並ぶ人口があり、州内第3の都市である。マウント・プレザントとサマービルがそれに次ぐ都市である。レコンストラクションまでは伝統的な教区制、以降は郡制となった。それにもかかわらず、教区制はある程度存続し、公的なサービスには用いられている。チャールストンの旧市街は元々セントフィリップ&セントミカエルの教区であった。現在でもセントジェイムズ、セントジョージ、セントアンドリューズ、セントジョンの教区が存在し、最後の2教区はまだ田舎の方の教区も組み込んでいる。

2000年の詳細統計では、チャールストンとノースチャールストン都市圏の人口は549,033人であり、その内78%は市街地とその周りに住んでいる。当時、チャールストンとノースチャールストン市内の人口は423,410人であった。この人口はチャールストンとノースチャールストン都市圏およびコロンビア都市圏が州内のほぼ拮抗する2つの都市圏であることを示している。チャールストン都市圏にはバークレー郡内の小さな町モンクスコーナーも含んでいる。

[編集] チャールストン都市圏の市と町

[編集] 他の圏外地区

  • ジョーンズ島
  • ワドマロー島
  • モーリス島
  • セントステファン
  • デウィーズ島

[編集] 軍事基地

  • チャールストン空軍基地en:Charleston Air Force Base
  • 沿岸警備隊チャールストン駐屯所
  • チャールストン海軍基地Charleston Navy Base - (武器庫および海軍刑務所)ノースチャールストン市の元造船所に病院もある。
  • チャールストン武器庫 - ノースチャールストン市

[編集] 経済

キングストリートの店
チャールストン・プレース

チャールストンの経済は主に繁栄する港と観光によっている。多くの大企業の本社もある。

チャールストン都市圏の大企業

[編集]

チャールストン港には5つのターミナルがある。3つは港にあり、残り2つはチャールストン港の真北クーパー川にある。港はSupply Chain Execsによって北米一番に格付けされた。

[編集] 桟橋

  • コロンバス・ストリート・ターミナルColumbus Street Terminal
  • ノースチャールストン・ターミナルNorth Charleston Terminal
  • ユニオン・ピア・ターミナルUnion Pier Terminal
  • ベテランズ・ターミナルVeterans Terminal
  • ワンドー・ウェルチ・ターミナルWando Welch Terminal
  • 港に対する需要が増しているので新しいターミナルが建設される予定。場所は元海軍造船所。

[編集] ショッピング・モール

[編集] 主要百貨店

[編集] 文化

[編集] 方言

チャールストンの特徴ある方言は(消えつつあるが)、その持っている単一の属性ゆえに、南部や他の地区で長い間注目を集めてきた。数ある南部方面でも唯一チャールストンの人は長い中母音を滑らせる。/ay/ や /aw/ の語尾を上げるのである。チャールストン方言のこの特徴は初期の移民であるフランスのユグノーやスペイン系ユダヤ人による。どちらもチャールストンの発展と歴史に大きな役割を演じた。しかし、ガラ言語を話すアフリカ系アメリカ人の高い集中度を考えれば、言語パターンはガラのアフリカ系アメリカ人社会の方言から多くの影響を受けたと考えられる。

今日でも、土地のアフリカ系アメリカ人の間ではグラー言語と方言が話されている。発展が速いために特に周縁の島嶼ではその顕著さがゆっくりと消えていっている。

チャールストンの初期方言に光を投げかけたのは、シルベスター・プライマーの著した「チャールストン地方気質」Charleston Provincialismsと「チャールストン地方気質におけるユグノーの要素」The Huguenot Element in Charleston's Provincialismsである。チャールストンの言語パターンに対するスペイン系ユダヤ人の影響については今後の研究を待たねばならない。

[編集] 宗教

チャールストンは多くの教会と宗派で注目されてきた。ローマ・カトリック監督管区とサウスカロライナ監督教会派監督管区の本拠地でもある。アメリカで唯一残っているユグノーの省がある。大きなまた歴史的なユダヤ教の集団もいる。市は多くの良く知られた教会、大聖堂、シナゴーグの本部である。市のスカイラインに突き出た尖塔は市のニックネーム、「聖なる市」"The Holy City."の由来である。チャールストンの宗教的性格の証は、旧市街のミーティング・ストリートでセントミカエル教会の尖塔の高さを超える建物を禁じている法律である。歴史的にチャールストンは宗教に新世界で最も寛容な町であった。近年、保守的なサウスカロライナ監督教会派監督管区が英国教会の潜在的分派に対し重要な役割を果たした。チャールストンは合衆国とカナダのセブンスデイ・バプティスト総会において、唯一のアフリカ系アメリカ人の集会を開いた。チャールストンの最初のバプティスト教会は南部で最古のバプティスト教会であり、南部に残存する唯一のものである。

[編集] 毎年開催される文化的イベントと祭り

チャールストンは毎年スポレト・フェスティバルを主催する。これは様々な分野のアーティストによる100の作品を出展する17日間の芸術祭である。他にMOJA 芸術祭もある。これはアフリカ系アメリカ人とカリブ海諸国の美術、音楽、文化の2週間の祝典である。

南東野外生活展示会も市で開かれる。またチャールストン食品+ワイン祭り、ファミリー・サークル・テニス・カップ、クーパー川橋を走る会、チャールストン海洋祭りが5月に開かれ、トール・シップやボート造りの公開、チャールストン=バミューダ間のヨットレースもある。

[編集] 報道

地域の日刊紙はザ・ポスト・アンド・クーリエ(en:The Post and Courier)である。他にチャールストン・シティ・ペーパー(en:Charleston City Paper)とザ・チャールストン・リージョナル・ビジネス・ジャーナル(en:The Charleston Regional Business Journal)がある。月刊誌では「チャールストン」が市と周縁の地区の文化的生活を紹介する。ウエブサイト"The Charleston Crystal Ball" の本部でもある。このサイトは音楽会場のライブ映像や地域および近郷のフォーリー海岸の映像を流している。

チャールストンには多くの地域テレビやラジオの局がある。

[編集] ラジオ

  • 1640 XSUR - 70s & 80s ("Surfside 1640")
  • College of Charleston Radio COFC RADIO
チャールストンのラジオ局 en:List of radio stations in Charleston

[編集] 美術館および歴史的な見所

ブーン会館

古い植民地の都市として、チャールストンには様々な美術館および歴史的な見所がある。

  • 交易所と税関:1771年完成。
ギッブス美術館en:Gibbes Museum of Art
  • ムールトリー砦:南北戦争が始まった所

[編集] スポーツ

[編集] メディアの中のチャールストン

テレビ、映画の中のチャールストン en:List of television shows and movies in Charleston, South Carolina

[編集] 社会基盤

[編集] 行政府

消防局
  • 市長: en:Joseph P. Riley, Jr.
  • 市長代行: Deborah Morinelli
  • 委員会メンバー:
    • Henry B. Fishburne, Jr.
    • Deborah Morinelli
    • James Lewis, Jr.
    • Jimmy S. Gallant, III
    • Wendell G. Gilliard
    • Louis L. Waring
    • Yvonne D. Evans
    • Paul Tinkler
    • Larry D. Shirley
    • Anne Frances Bleecker
    • G. Robert George
  • 消防所長: Russell Thomas
  • 警察署長: Greg Mullen

[編集] 交通

2005年に完成したアーサー・ラベネルJr橋。斜張橋としては西半球で最大。

[編集] 学校、大学

チャールストンの学校のリスト: en:List of schools in Charleston, South Carolina

[編集] 近郷

チャールストンは数多くの島や諸島に囲まれる半島であり、チャールストン都市圏を構成している。チャールストン市は半島の主要部と西アシュレーおよび東クーパーを含んでいる。

[編集] 半島内の近郷

  • Ansonborough
  • Cannonborough
  • Central Business District
  • Downtown
  • Dr. Martin Luther King Jr. Memorial District
  • Eastside
  • Elliotborough
  • French Quarter
  • Harleston Village
  • Hampton Park Terrace
  • Historic District
  • Industrial District
  • Mazyck-Wraggsborough
  • Medical District
  • North Central
  • Radcliffeborough
  • Shopping District
  • South of Broad
  • Uptown
  • Westside
  • Wagener Terrace

[編集] 西アシュレー

  • Ardmore
  • Ashley Harbor
  • Ashleyville
  • Canterbury Woods
  • Charlestowne Estates
  • Grand Oaks Plantation
  • Heathwood
  • Hickory Hill
  • Lenevar
  • MacLaura Hall
  • Old Towne Acres
  • Orleans Woods
  • Maryville
  • Parkshore
  • Saint Andrews
  • Shadowmoss Plantation
  • Sherwood Forest
  • South Windermere
  • Springfield
  • The Crescent
  • Village Green
  • Windermere

[編集] カインホイ半島および東クーパー

[編集] ダウンタウンの広場

マリオン広場に隣接するサウスカロライナ州立武器庫

[編集] 公園

  • Brittlebank Park & Fishing Pier
  • Cannon Park
  • Charles Towne Landing (state historic site) [11]
  • Concord Park
  • Corrine Jones Playground
  • Etwin Park
  • Hampton Park (Large beautiful park near the Citadel)
  • Harmon Park
  • en:Joseph P. Riley, Jr. Park (en:New York Yankees傘下のen:Charleston RiverDogsホームグラウンド)
  • Hester Park
  • Mall Park
  • Martin Park
  • Mary Utsey Park
  • McMahon Playground
  • Mitchell Park
  • Moultrie Park
  • Parkshore Park
  • Waterfront Park
  • West Ashley Park
  • White Point Park & Gardens or "Battery Park"

[編集] マリーナ

  • City Marina
  • Ashley Marina
  • Cooper River Marina
  • Charleston Maritime Center
  • Buzzard's Roost - John's Island
  • Stono Marina - John's Island
  • Bohicket Marina - John's Island
  • Mariner's Cay - Folly Beach
  • Patriot's Point - Mount Pleasant
  • Toler's Cove - Sullivan's Island
  • Duncan's Boat Harbor - North Charleston
  • Isle of Palms Marina - Isle of Palms
  • Wild Dunes Yacht Harbour - Isle of Palms
  • Charleston Harbor Resort Marina - Mount Pleasant
  • Daniel Island Marina - Daniel Island

[編集] 姉妹都市

[編集] 脚注

  1. ^ [1]
  2. ^ North American Container Traffic (2005), Port Ranking by TEUs as reported by the American Association of Port Authorities.
  3. ^ "US Gazetteer files: 2000 and 1990". United States Census Bureau (2005-05-03). 2008-01-31 閲覧。
  4. ^ Maximum and minimum temperatures from Yahoo! Weather

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • Borick, Carl P. A Gallant Defense: The Siege of Charleston, 1780. U. of South Carolina Press, 2003. 332 pp.
  • Bull, Kinloch, Jr. The Oligarchs in Colonial and Revolutionary Charleston: Lieutenant Governor William Bull II and His Family. U. of South Carolina Press, 1991. 415 pp.
  • Clarke, Peter. A Free Church in a Free Society. The Ecclesiology of John England, Bishop of Charleston, 1820-1842, a Nineteenth Century Missionary Bishop in the Southern United States. Charleston, S.C.: Bagpipe, 1982. 561 pp.
  • Coker, P. C., III. Charleston's Maritime Heritage, 1670-1865: An Illustrated History. Charleston, S.C.: Coker-Craft, 1987. 314 pp.
  • Doyle, Don H. New Men, New Cities, New South: Atlanta, Nashville, Charleston, Mobile, 1860-1910. U. of North Carolina Press, 1990. 369 pp.
  • Fraser, Walter J., Jr. Charleston! Charleston! The History of a Southern City. U. of South Carolina, 1990. 542 pp. the standard scholarly history
  • Gillespie, Joanna Bowen. The Life and Times of Martha Laurens Ramsay, 1759-1811. U. of South Carolina Press, 2001. 315 pp.
  • Hagy, James William. This Happy Land: The Jews of Colonial and Antebellum Charleston. U. of Alabama Press, 1993. 450 pp.
  • Jaher, Frederic Cople. The Urban Establishment: Upper Strata in Boston, New York, Charleston, Chicago, and Los Angeles. U. of Illinois Press, 1982. 777 pp.
  • McInnis, Maurie D. The Politics of Taste in Antebellum Charleston. U. of North Carolina Press, 2005. 395 pp.
  • Pease, William H. and Pease, Jane H. The Web of Progress: Private Values and Public Styles in Boston and Charleston, 1828-1843. Oxford U. Press, 1985. 352 pp.
  • Pease, Jane H. and Pease, William H. A Family of Women: The Carolina Petigrus in Peace and War. U. of North Carolina Press, 1999. 328 pp.
  • Pease, Jane H. and Pease, William H. Ladies, Women, and Wenches: Choice and Constraint in Antebellum Charleston and Boston. U. of North Carolina Press, 1990. 218 pp.
  • Phelps, W. Chris. The Bombardment of Charleston, 1863-1865. Gretna, La.: Pelican, 2002. 175 pp.
  • Rosen, Robert N. Confederate Charleston: An Illustrated History of the City and the People during the Civil War. U. of South Carolina Press, 1994. 181 pp.
  • Rosen, Robert. A Short History of Charleston. University of South Carolina Press, (1997). ISBN 1-57003-197-5, scholarly survey

[編集] 美術、建築、文芸、科学

  • Cothran, James R. Gardens of Historic Charleston. U. of South Carolina Press, 1995. 177 pp.
  • Greene, Harlan. Mr. Skylark: John Bennett and the Charleston Renaissance. U. of Georgia Press, 2001. 372 pp.
  • Hutchisson, James M. and Greene, Harlan, ed. Renaissance in Charleston: Art and Life in the Carolina Low Country, 1900-1940. U. of Georgia Press, 2003. 259 pp.
  • Hutchisson, James M. DuBose Heyward: A Charleston Gentleman and the World of Porgy and Bess. U. Press of Mississippi, 2000. 225 pp.
  • McNeil, Jim. Charleston's Navy Yard: A Picture History. Charleston, S.C.: Coker Craft, 1985. 217 pp.
  • O'Brien, Michael and Moltke-Hansen, David, ed. Intellectual Life in Antebellum Charleston. U. of Tennessee Press, 1986. 468 pp.
  • Poston, Jonathan H. The Buildings of Charleston: A Guide to the City's Architecture. U. of South Carolina Press, 1997. 717 pp.
  • Severens, Kenneth. Charleston: Antebellum Architecture and Civic Destiny. U. of Tennessee Press, 1988. 315 pp.
  • Stephens, Lester D. Science, Race, and Religion in the American South: John Bachman and the Charleston Circle of Naturalists, 1815-1895. U. of North Carolina Press, 2000. 338 pp.
  • Waddell, Gene. Charleston Architecture: 1670-1860. 2 vol. Charleston, S.C.: Wyrick, 2003. 992 pp.
  • Weyeneth, Robert R. Historic Preservation for a Living City: Historic Charleston Foundation, 1947-1997. (Historic Charleston Foundation Studies in History and Culture series.) U. of South Carolina Press, 2000. 256 pp.
  • Yuhl, Stephanie E. A Golden Haze of Memory: The Making of Historic Charleston. U. of North Carolina Press, 2005. 285 pp.
  • Zola, Gary Phillip. Isaac Harby of Charleston, 1788-1828: Jewish Reformer and Intellectual. U. of Alabama Press, 1994. 284 pp.

[編集] 民族

  • Bellows, Barbara L. Benevolence among Slaveholders: Assisting the Poor in Charleston, 1670-1860. Louisiana State U. Press, 1993. 217 pp.
  • Drago, Edmund L. Initiative, Paternalism, and Race Relations: Charleston's Avery Normal Institute. U. of Georgia Press, 1990. 402 pp.
  • Egerton, Douglas R. He Shall Go Out Free: The Lives of Denmark Vesey. Madison House, 1999. 248 pp. online review
  • Greene, Harlan; Hutchins, Harry S., Jr.; and Hutchins, Brian E. Slave Badges and the Slave-Hire System in Charleston, South Carolina, 1783-1865. McFarland, 2004. 194 pp.
  • Jenkins, Wilbert L. Seizing the New Day: African Americans in Post-Civil War Charleston. Indiana U. Press, 1998. 256 pp.
  • Johnson, Michael P. and Roark, James L. No Chariot Let Down: Charleston's Free People of Color on the Eve of the Civil War. U. of North Carolina Press, 1984. 174 pp.
  • Kennedy, Cynthia M. Braided Relations, Entwined Lives: The Women of Charleston's Urban Slave Society. Indiana U. Press, 2005. 311 pp.
  • Powers, Bernard E., Jr. Black Charlestonians: A Social History, 1822-1885. U. of Arkansas Press, 1994. 377 pp.

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年12月3日 (木) 12:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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