チーフテン (戦車)

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チーフテンMK.V(諸元)
イスラエルで展示されるチーフテンMk.III
性能諸元
全長 10.8 m
車体長 7.48 m
全幅 3.50 m
全高 2.89 m
重量 55 t
懸架方式 ホルストマン方式
速度 48 km/h
行動距離 500 km
主砲 55口径120mmライフル砲L11A5
副武装 L7 MG 7.62mm機関銃×2
装甲 120 mm
エンジン Leyland L60
6気筒ディーゼルエンジン
750 馬力
乗員 4 名
  

チーフテンFV 4201 Chieftain)とは、イギリスで開発された戦後第2世代の主力戦車である。

[編集] 特徴

チーフテンは、主力戦車であるセンチュリオンとその支援用重戦車コンカラーの両車を統合するという目的で開発が始まった。

冷戦が激化する中、西側諸国の戦車は、対戦車ミサイルや歩兵用携帯対戦車火器の発達により装甲防御力を強化するより機動力を高め攻撃を回避する方が得策である、という設計思想の基に開発されるものが多数を占めていた。

その様な潮流の中、イギリス陸軍は、装甲防御力を犠牲にし機動力を強化する思想には乗員保護の観点から懐疑的であり、そのためチーフテンにはかなりの重装甲を持たせ、主砲もコンカラーの120mm戦車砲を搭載することが要求されたが、余りに大きすぎ搭載が難しかったため、新型のL11A5 120mm戦車砲が搭載された。この砲は分離弾薬方式で弾頭と装薬が分離しており、装填手の負担を軽減する様に配慮されていたが、結果的に発射速度は低下してしまった。

サスペンションはセンチュリオンと同じホルストマン方式のものを採用し、整備性と実用性を重視していた。エンジンはL60水平対向6気筒多燃料液冷ディーゼルエンジンを搭載していたが、このエンジンは構造が複雑で信頼性に欠けていたため、後の改良で一般的なディーゼルエンジンに換装された。

チーフテンは1963年から本格的に生産が開始され、その後も改良を続けながら1970年代初頭まで量産された。その後も装甲や火器管制装置の改良が加えられ、後継のチャレンジャー1が登場するまで、NATO軍の第一線で運用された。

[編集] 運用

チーフテンは出現当初、時代の潮流とは異なる重戦車的な性格が強い戦車であったため注目を集め、ソ連軍はチーフテンの攻撃力と防御力の高さを非常に恐れていたという。特に冷戦期NATO軍の一員として西ドイツに駐屯するイギリス陸軍ライン軍団(British Army of the Rhine:通称BAOR)にセンチュリオンから更新配備された本車は、充分な抑止力として機能した。

チーフテンはイランヨルダンオマーンクウェート等の中東諸国に採用された。イラン仕様車であるシール1は後にチャレンジャー開発にシフトされるシール2計画の開発ベースにもなった。シール1は元々イスラエルとの間で共同開発を決め契約を行ったが、イギリスの中東政策の変更で契約は反故にされ、試験購入された2輌以外は導入されなかった。この後、イスラエルは主力戦車の独自開発を行い、本車と同様の設計思想の下にエンジンを前方に配置するなど本車以上に乗員の生存性を重視したメルカバを誕生させた。イランの出資により開発が続けられたシール1はイラン革命により契約がキャンセルされ、結局ヨルダンが「ハリド」として採用した。

チーフテン戦車はイラン・イラク戦争にてイラン軍がアメリカ製のM48戦車M60戦車などと共にイラク軍のT-54/55T-62T-72などと交戦したが、防衛に転じたイラク軍が平地を冠水させ湿地化、このためイラン軍のチーフテンはその重量のために苦戦することとなった。またこの時捕獲された車両が、イラク軍によって使用された。また、1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻した際には、クウェート軍はイラクの侵攻に対する準備が整っていなかったためにまったく活躍できず、大半がイラクに鹵獲され翌年の湾岸戦争でイランやクウェートから鹵獲したチーフテンはそのほとんどが破壊された。

目立った戦果の無いまま退役した本車は、朝鮮中東で活躍したセンチュリオンと湾岸戦争で活躍したチャレンジャーとの間で影が薄い存在であるが、防御性重視と120mm砲搭載という戦後第3世代戦車のスタンダードを先取りしていた点では評価できる。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年8月8日 (土) 14:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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