ティモシー・アイルランド
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | アメリカ合衆国カリフォルニア州 |
| 生年月日 | 1953年3月14日(56歳) |
| 身長 体重 |
6' 0" =約182.9cm 180 lb =約81.6kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 内野手(二塁手) |
| 初出場 | 1981年(MLB)、 1983年(NPB) |
| 最終出場 | 1984年 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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ティモシー・アイルランド(Timothy Ireland, 1953年3月14日 - )は、元プロ野球選手(内野手)。
目次 |
[編集] 概要・人物
シャボー大から1973年、モントリオール・エクスポズにドラフト25巡目で指名される。1981年にカンザスシティ・ロイヤルズでメジャーデビュー。1983年に広島東洋カープへ移籍。広島ではレギュラー二塁手としてガッツあふれるプレーをみせていたが、1984年10月7日の対読売ジャイアンツ戦にて、ホームクロスプレーで村田真一捕手と激突し骨折。10月13日から行われた日本シリーズには出場できなかった。同年11月22日にレーシッチ投手と共に自由契約選手となる。
1997年に福岡ダイエーホークスの臨時コーチを務めた。1998年に台湾大連盟の声宝太陽で監督を務めた。その後独立リーグのソノマ・カウンティ・クラッシャーズで監督を務めた。
[編集] 背番号
- 4(1983年~1984年)
[編集] エピソード
- 広島に所属していた2年間に隠し球を数回成功させている。中には、自らのエラーで併殺が完成しなかったのを事実上帳消しにした見事な隠し球もあった。高木豊の話では脇の間にボールを挟み、両手を差し出して“ボールないよ”とおどけていた事があるそうである(プロ野球ニュース、2007年8月22日)。
- 応援歌の原曲は石川優子とチャゲ「ふたりの愛ランド」。同曲はその後、ランディ・ジョンソン、ウェイド・ロードンと広島の外国人打者に引き継がれている。
- 中日ドラゴンズの谷沢健一が二塁ランナーとしてセカンドにいる際、足元にヘッドスライディングしてくる選手がいたので何だろうと思っていたら、ボールをもったアイルランドがそこにいたという。
- アウトがほぼ確実な内野ゴロを打った際ファーストのタッチをかいくぐりながらヘッドスライディングし、指を骨折した(結果はアウト)。ガッツあふれるプレーは1992年に入団したマーティ・ブラウンに引き継がれた。
- 判定を巡り審判と怒鳴りあい退場になったことがあるほか、悔しがってヘルメットをスタンドに向かって蹴り上げたこともある。
- 声宝太陽監督の時、隠し球を数回成功させている。ピンチのとき、外野手ひとりを内野へ呼び、「内野手五人」という特殊な守備配置も数回使用した。
- ソノマ・カウンティ・クラッシャーズで監督を務めた2001年当時、同球団にはケビン・ミッチェルと古賀英彦がコーチとして在籍しており、佐々木誠も選手として在籍するなど、日本色の強いチームとなっていた。
[編集] 年度別成績
| 年度 | チーム | 試合数 | 打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 勝利打点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1983年 | 広 島 | 96 | .293 | 94 | 12 | 44 | 8 | 5 |
| 1984年 | 108 | .254 | 67 | 6 | 23 | 4 | 2 | |
| 通算 | --- | 204 | .275 | 161 | 18 | 67 | 12 | 7 |
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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最終更新 2009年8月10日 (月) 12:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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