ティーブ・釜萢
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ティーブ・釜萢(ティーブ・かまやつ、本名:釜萢正、1911年 - 1980年)は、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス生まれのジャズ・ミュージシャンでシンガー。日本におけるジャズの草分け的な存在である。
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[編集] 経歴
[編集] 生い立ち
日系アメリカ人2世として、洋服店を営む日本人の両親のもとアメリカのロサンゼルス近郊で生まれた。アメリカは当時大恐慌下で、アメリカでは日系人には職が得られなかったため、第二次世界大戦勃発前の1930年代に来日し、戦前より東京をベースにジャズシンガーとして活躍していた。淡谷のり子のバックバンドをやったり、中華民国の上海に赴き「上海バンスキング」のモデルとなった店で演奏する。
なお、おなじく日系アメリカ2世で、日本に渡ってジャズをやっていた森山久(森山良子の父)と親しくなる。釜萢は日本人女性と結婚したが、その関係で森山はその妹と結婚し、「妻どうしが姉妹」の義兄弟の関係になる。
第二次世界大戦末期、日本語がほとんど話せないにも関わらず召集令状がきた。自動車の運転ができたため、輸送部隊に配属され中国戦線に渡った。なお、「東京ローズ」の対米諜報放送のバックで、釜萢(もしくは森山)がジャズを演奏していたという説もある。
[編集] 日本ジャズ学校
第二次世界大戦後は、森山久がいてボーカルは石井好子だった「ニュー・パシフィック・バンド」に入り、駐日連合国軍(主にアメリカ軍)の将校クラブやキャンプ等で演奏活動をする。
その傍ら、1950年に日本初のジャズ音楽専門学校である「日本ジャズ学校」を設立し、ミッキー・カーチスや平尾昌晃、弘田三枝子、ペギー葉山などの戦後の日本の音楽界を代表するミュージシャンを多数育て、日本の音楽界に多大な影響を与えた。また同時に、「ティーブ釜萢とブルーリボン」などのグループとしても活躍した。なお、息子のかまやつひろしによると、生涯、日本語はほとんど話せなかったという。
[編集] 家族
息子の「ムッシュかまやつ」ことかまやつひろし、孫息子の「TAROかまやつ」ことかまやつ太郎も共にミュージシャンであり、息子との競演アルバム「FATHER&MAD SON」は名盤として名高い。なお、ムッシュかまやつが在籍していた伝説的な人気バンドザ・スパイダースの名付け親でもある。
また、姪(弟方)は歌手の森山良子、大甥(弟娘方)はシンガーソングライターの森山直太朗、大姪(弟娘方)は元歌手の森山奈歩という芸能一家を作り上げた。
[編集] 関連項目
最終更新 2009年10月16日 (金) 15:30 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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