ティヴォリ

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ティーヴォリ
Tivoli
ティヴォリの風景
ティヴォリ の紋章
イタリア
ラーツィオ
ローマ
測地系 北緯: 41°58′0″ 東経: 12°48′0″
標高 海抜 235 m
面積 68 km²
人口 51,880 2007年2月28日 
人口密度 762.94 人/km²
分離集落 Tivoli Terme, Villa Adriana, Campolimpido, Favale
隣接コムーネ カステル・マダーマグイドーニア・モンテチェーリオマルチェッリーナローマサン・グレゴーリオ・ダ・サッソラサン・ポーロ・デイ・カヴァリエーリヴィコヴァーロ
CAP(郵便番号) 00019
市外局番 0774
ISTATコード 058104
IDコード L182
住民の呼称 tiburtini
守護聖人 殉教者聖ロレンツォ(San Lorenzo)
祝祭日 8月10日
Comune
Posizione del comune nell'Italia
公式サイト

ティヴォリ(Tivoli)は、人口51,880人のイタリア共和国ラツィオ州ローマ県コムーネの一つである。イタリア語での発音はティーヴォリが近いが、ティヴォリの他、チボリティボリなどと表記されることも多い。 ローマ市の東に位置する町で、古代ローマ時代から別荘が多く作られている。

目次

[編集] 概要

古代から、皇帝ハドリアヌスや多くの貴族達の別荘が創られてきたことからもわかるように、 独特の優美さと神秘的で夢想的なロマンス漂う牧歌的な美しき地である。 緑豊かで穏やかな空気が流れており、タイムスリップしたかのような感覚を満喫することも出来るため、 「ローマからの小旅行」として旅行する人たちも多い。

優れた芸術家達が、自身のコラージュ作品、写真作品、文章作品(詩や小説)、絵画作品、映像作品、音楽作品などで、 このティヴォリの地からインスピレーションを得たものを創作・表現し,発信して来ている。

特に、ヴィッラ・デステ(エステ家の別荘)とヴィッラ・アドリアーナ(ハドリアヌスの別荘)のふたつは、現在、ユネスコが定める世界遺産にも指定され、公的にもその魅力を高く評価されている。

ティヴォリ(チボリ)の名を冠したものとして、IBMに買収されたチボリシステムズ、宝塚チボリ、デンマークチボリ公園(ここから倉敷チボリ公園が名前を使用)などがある。

[編集] 歴史

ガイウス・ユリウス・ソリヌスは、大カトーの書いた失われた物語にあった『ティブル(Tibur)の町は、アムピアラーオスの子カティルスによってつくられた。彼はテーバイでの虐殺を逃れてここへやってきたのである。カティルスと三人の息子たち、ティブルトゥス、コラス、そして父と同名のカティルスらは、アニエネ台地からシクリ族を追放し、ティブルトゥスの名にちなみ町をティブルと名付けた。』という一説を引用した。さらなる歴史的根拠によると、ティブルはアルバ・ロンガ(en:Alba Longa)の植民地の代わりであった。この一帯にある定住地の歴史的な痕跡は、紀元前13世紀に遡る。

アエネイス』の中でウェルギリウスは、コラスと弟カティルスの二兄弟を、トゥルヌス王(en:Turnus)を助けるティブル出身の軍事指導者として描いた。

エトルリア時代のティブルはサビニ人の都市で、ティブルの巫女(en:Tiburtine Sibyl)が定住していた。滝の上には2つの小神殿があり、伝統的なロトゥンダの神殿には女神ウェスタを祀っていた。長方形の神殿には、マルクス・テレンティウス・ウァロがアルブネア(水のナイアード)と呼んだ巫女が祀られていた。近くの森には、ファウヌスの神聖な森があった。古代ローマ時代のティブルはその重要性を保った。アブルッツォへ向かうアペニン山脈の山岳地帯を縦断しなければならなかったローマ人たちが、必ず通る途上にあったのである(ヴァレリア街道の延長したティブルティナ街道)。アブルッツォには、恐ろしい敵であるヴォルスキ人、サビニ人、サムニウム人が住んでいた。

[編集] ローマ人のティブル

ウェスタ神殿をのぞむ風景、アダム・エルシャイマー画、17世紀

初期はローマの独立した同盟都市として、ティブルは紀元前361年にガリア人と同盟した。この時代の防御壁が痕跡として残っている。しかし紀元前338年、ティブルはローマに敗退し併合された。ティブルは紀元前90年にローマ市民権を獲得し、その美しさと良質の水資源からリゾート地域となっていった。多くのローマ人別荘が建てられて華やかであった。最も有名な別荘の一つが、遺跡の残るヴィッラ・アドリアーナである。ガイウス・マエケナスアウグストゥス帝もティブルに別荘を所有していた。詩人ホラティウスはこぢんまりとした別荘を構えていた。彼とガイウス・ウァレリウス・カトゥルス、スタティウスは全員それぞれの詩の中でティブルについて言及している。273年、囚われの身となっていたパルミラ女王ゼノビアアウレリアヌス帝によってこの地に住居をあてがわれていた。2世紀のヘラクレス神殿が現在発掘されている。現在のディアッツァ・デル・ドゥオモは、ローマ時代の公共広場の上にある。

ティーヴォリの滝、クリスティアン・ディートリヒ画、18世紀

市の名前は、ティブルに代わって指小な文法のティブリ(Tiburi)が用いられたことに由来する。それがティボリ(Tibori)、Ti boliへ移り変わり、最終的にティヴォリ(Tivoli)となった。しかし、住民は今も自称ティブルティーニ(Tiburtini)であり、ティヴォレージ(Tivolesi)とは呼ばない。

547年、ゴート戦争(Gothic War)の過程で、市は東ローマ帝国の将軍ベリサリウスによって防備された。しかし、のちに東ゴートトーティラ軍によって破壊された。戦後は東ローマ従属の公国となり、後に教皇領に加えられた。イタリアがカール大帝に征服された後、ティーヴォリは皇帝の代理人である伯爵の領土となった。

[編集] 中世のティーヴォリ

10世紀以降のティーヴォリは、選挙制の執政に治められる独立したコムーネとして、零落した中央ラツィオを勢力下におく戦いにおいてローマの恐るべき競争相手となっていた。神聖ローマ皇帝オットー3世は1001年にティーヴォリを征服し、教皇領の元におかれた。しかし、ティーヴォリは15世紀まで自治同様の状態を維持していた。都市の強力さを象徴するのは、アレンゴ城、トーレ・デル・コムーネ、サン・ミケーレ教会などこの時代に建てられた建造物である。同様に新たな市壁が増加する人口によって拡張された(1155年に認可された)。コムーネ内部の激動のかたみには、現在も見られる塔のある家、ヴィコロ・デイ・フェッリ、ヴィア・ポステラ、ヴィア・デル・セミナリオ、ヴィア・デル・コッレなどがある。

13世紀、ローマの立法機関はティーヴォリ市に朝貢を課し、地元出身の執政とともに連合したうえで、市を治める伯爵を任命する権利を与えた。14世紀、ティーヴォリはゲルフ(皇帝)側について、対立教皇クレメンス7世に対抗するウルバヌス6世を強力に支援した。ナポリラディズラーオ1世は、有名なコンドッティエーレのブラッチョ・ダ・モントーネ(en:Braccio da Montone)と同様、二度ティーヴォリから反撃された。

ピウス2世によって1461年に建てられたロッカ・ピーア城

[編集] ルネサンスのティーヴォリ

ルネサンスの間、教皇と枢機卿らはローマへの自らの華やかな計画に限界をもうけず、ティーヴォリにも自身の邸宅を建てた。1461年、ピウス2世はどっしりとしたロッカ・ピーア城を建てた。常に騒々しい民衆から己を守るためであり、ここに永久不滅の教皇の権力の象徴として示したのだった。

16世紀から、ティーヴォリにはさらに別荘建設が進められた。最も有名な別荘は、1549年にピッロ・リゴーリオがイッポーリト2世・デステ枢機卿(アルフォンソ1世・デステの実弟)のため建て始めたヴィッラ・デステである。後期マニエリスムの有名な画家、リヴィオ・アグレスティ(フォルリ派)、タッデオ・ツッカリ兄弟の手によるフレスコ画で豊富に装飾されていた。1527年、ティーヴォリは神聖ローマ皇帝カール5世コロンナ家の支持者らに略奪を受け、この攻撃の最中に重要な芸術作品が破壊された。1547年、再びティーヴォリは、教皇パウルス4世との戦いにのぞんでいたアルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレドに占領され、1744年にはオーストリア軍に占領された。

1835年、教皇グレゴリウス14世はヴィッラ・グレゴリアーナを建てた。アニエーゼの滝周囲を中心とする別荘施設である。これらはモンテ・カティッロの中のトンネルを通ってつくられた。

ヴィッラ・デステから眺めたティーヴォリ

[編集] 現代のティーヴォリ

1944年、ティーヴォリは連合国側の空爆で甚大な被害を受け、イエズス会派教会の全体を破壊された。

ティーヴォリの名声は、洗練されたリゾート地として、国内外に知れ渡っている。

[編集] 経済

石灰華の生産、特に炭酸カルシウム質の白い岩はローマの建築物に使用されてきた。滝の水力発電はローマに供給されている。近郊の丘陵地帯はオリーブ林、ブドウ園、果樹園に覆われている。最も重要な地元産業は、製紙産業である。

[編集] 行政

  • 市長: Marco Vincenzi (2003年6月~)
  • 電話: 0774 4531(代表)
  • サビーニ山群(Monti Sabini)、ティブルティーニ(Tiburtini)山群、プレネスティーニ(Prenestini)山群の山地共同体(Comunità Montana)に属している。
  • 気候等級: zona D, 1580 GR/G

[編集] 名所

新市街から見たヴィッラ・アドリアーナ

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月28日 (土) 15:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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