エドワード・ケネディ
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エドワード・ムーア・ケネディ(Edward Moore "Ted" Kennedy, 1932年2月22日 - 2009年8月25日)はアメリカの政治家。連邦上院議員(マサチューセッツ州選出、1963年 - 2009年)。所属政党は民主党。
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[編集] 人物
ジョセフ・P・ケネディの9人の子供の末っ子であり、連邦上院議員、大統領を務めたジョン・F・ケネディ、司法長官、連邦上院議員を務めたロバート・ケネディは兄。愛称はテッド、時にテディと呼ばれることもある。
民主党リベラル派の代表格と看做されており、イラク戦争反対の急先鋒であった。上院では民主党上院院内幹事(1969年 - 1971年)、司法委員長(1978年 - 1980年)、労働委員長(1987年 - 1995年)、厚生・教育・労働・年金委員長(2001年 - 2003年)を歴任。
1950年にハーヴァード・カレッジに入学。アメリカ陸軍に2年間参加し、憲兵としてパリの欧州連合軍最高司令部に勤務した後、カレッジに戻り1956年に卒業。ヴァージニア大学ロースクール、ハーグ国際法アカデミーなどでも学んだ。
1969年にはチャパキディック事件(自身が運転する車が海中に転落。同乗の女性秘書が溺死したが、彼はすぐに警察に通報しなかった)を起こした。これが、1980年の大統領選で民主党の指名獲得を逃した要因の一つとなった。2人の兄と同じく大統領の座を狙うが、1980年の大統領予備選では現職カーターに敗北した。
ジョウン・ベネットと結婚、三人の子供をもうけるが後に離婚。その後、ヴィクトリア・レジーと再婚している。ジョウンとの間にもうけた次男パトリックはロードアイランド州選出の下院議員である。2004年の大統領選では、民主党大統領候補のジョン・ケリー上院議員の後見人としてケリーを支援した。2008年アメリカ合衆国大統領選挙においても、ケリーが引き続き出馬を望めば、全面的に支持する意思を示していたが、ケリーは出馬を望まず、2008年1月[1]にはバラク・オバマ上院議員支持を表明した。
2008年5月17日、ボストン市内の病院に緊急入院し、悪性脳腫瘍と診断されたが摘出に成功。同年8月の民主党全国大会には医師の反対を押し切って出席し、オバマ候補支持を訴えた。
2008年5月1日に下院通過、同21日にジョージ・W・ブッシュ大統領の署名により遺伝情報差別禁止法が成立したが、同法の成立のため10年にわたって尽力してきた人物としても知られる。大統領署名には先述の手術成功を祝う言葉も添えられていた。
2009年1月20日、オバマ大統領の就任式に出席したが、その最中発作を起こし病院へ運ばれた。医師からは過労という診断が下され、その翌日には回復し退院した。
2009年8月25日、脳腫瘍のため死去。77歳。8月29日、葬儀がボストン市内の教会で行われ、オバマ大統領以下クリントン、ブッシュ、カーターなど歴代大統領や現職および過去の上院議員らも参列。また、チェロ奏者ヨー・ヨー・マやテノール歌手プラシド・ドミンゴによる演奏が行われた。棺は夕刻、ワシントン郊外のアーリントン国立墓地に搬送され、暗殺された実兄ジョン・F・ケネディ大統領のそばに埋葬された。
[編集] 脚注
- ^ American University のイベント(2008年1月27日)で支持を表明した。(Ted Kennedy Endorses Barack Obama)
[編集] 関連項目
- エドワード・ケネディ・ジュニア - 長男。
- 大統領に知らせますか? - ジェフリー・アーチャーの小説。1977年に出版された初版では、エドワードがアメリカ大統領という設定だった。
[編集] 外部リンク
- Biographical Directory of the United States Congress - アメリカ合衆国議会の人名辞典サイト[1]内の、エドワード・ケネディの項目(英語)
最終更新 2009年10月13日 (火) 14:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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