テディ・メイヤー

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テディ・メイヤー(Teddy Mayer,1935年9月8日 - 2009年1月30日)はアメリカ出身の企業家、モータースポーツ・ディレクター。1970年代にF1マクラーレンチームの監督として初のワールドタイトルを獲得、今日の栄光の礎を築いた。また1977年ジル・ビルヌーブを、1980年アラン・プロストを起用しF1デビューさせている。

[編集] 略歴

テディは弟のレーシングドライバー、ティム・メイヤーのマネージャーとしてモータースポーツに関わり、後にマクラーレンチームの創設者でありドライバーだったブルース・マクラーレンの右腕としてチーム運営に携わるようになった。1970年シーズン中のブルースの事故死を受けてチーム代表を引き継ぎ、1974年にはエマーソン・フィッティパルディを擁してチーム初のドライバーズ、コンストラクターズ両タイトルを獲得。同年には当時参戦していたインディ500でもチーム初勝利を納めた。1976年にはドライバーにジェームス・ハントを抜擢、フェラーリニキ・ラウダと激しくポイントを争い、僅差でドライバーズタイトルを獲得した。だが翌年以降はマシン開発の遅れが鮮明になりチームは低迷し、1980年には新人アラン・プロストを擁したが成績は伸びず、同シーズン末にメインスポンサーのフィリップモリスが推すロン・デニスに代表の座を譲った後、1982年までに全株式を手放し、完全にチームを離脱した。

1985年にはカール・ハースが企画し米国ベアトリス・フーズのスポンサードで誕生したチーム・ハース(ローラ)の代表としてF1に復帰。同じく復帰となったドライバーのアラン・ジョーンズや、ニール・オートレイのデザインを補佐したロス・ブラウンの初期の仕事を共にするが、チームは成功せず1986年シーズンをもって撤退。その後、1990年代には活躍の場をCARTに移し、ペンスキーのために尽力した。

[編集] 関連事項

最終更新 2009年6月27日 (土) 20:30 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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