テリー・コリンズ (野球)

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テリー・コリンズ
Terry Collins
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ミシガン州
生年月日 1949年6月27日(60歳)
身長
体重
173cm
73kg
選手情報
投球・打席 右投左打
守備位置 遊撃手
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
監督・コーチ歴

テリー・リー・コリンズTerry Lee Collins, 1949年5月27日 - )は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手内野手)・監督

2007年より2008年途中までオリックス・バファローズの監督を務めた。吉井理人など一部選手は、親しみをこめて「TC」の略称で呼んでいた。2008年5月21日、シーズン途中にしてオリックス監督を辞任した。

2009 ワールド・ベースボール・クラシック中国代表監督。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] 米球界時代

1971年イースタンミシガン大学卒業後、パイレーツ傘下のチームに入団。1975年途中、ドジャース傘下チームに移籍。1980年に引退し、翌年同チームの監督に就任。6年間でリーグ優勝の功績を収めた。1989年に古巣のパイレーツ傘下の監督を務め、1992年にメジャー(パイレーツ)のコーチに就任。

2年後の1994年アストロズの監督に就任。1997年エンゼルスの監督を1999年まで務めた。その後カブススカウト、デビルレイズコーチ、ドジャース育成担当を務める。

[編集] 日本時代

2007年、オリックス・バファローズ監督に就任。背番号1。チームとしては2003年途中(開幕時は石毛宏典が指揮していたため)のレオン・リー以来の外国人監督となる。

来日当初は、パリーグの球場の大型化、日本のプロ野球の下部組織の構造、また日本にルール5ドラフトが無いことなどを知らず苦労したようである(彼だけの責任ではないが、結果的にこの年FA宣言した塩崎真日高剛を解釈の違いから「飼い殺す」こととなっている)。

非常に熱い性格で、2007年4月8日西武戦(スカイマーク)で、トム・デイビーに対するボークの判定に抗議、東利夫球審への暴言により両リーグ通じたシーズン退場第1号となった。監督就任13試合目での退場処分は、日本プロ野球史上最速である。なお、メジャーリーグの監督時代にも、8回も退場処分を受けている。

千葉ロッテマリーンズボビー・バレンタイン監督とは交友がある。また、現在独身であるが、結婚・離婚ともに経験していることをコリンズ本人が認めている。来日直後から、吉本興業のタレントシルクとはたびたび食事をともにするなどの交流があり、そこから交際説が度々報じられ、2008年3月2日には「結婚秒読み」などと報じられた。

タフィー・ローズグレッグ・ラロッカアレックス・カブレラという実績ある大砲3人組に対しコリンズ自らが「ビッグ・ボーイズ」と命名した。

[編集] オリックス監督退任後

2009 ワールド・ベースボール・クラシック中国代表監督に就任した。初戦の日本代表戦には0-4で敗れたが、台湾代表には勝利し、WBC中国代表としては初の勝利を挙げた。

オリックス監督時代にはあまり見られなかった、ベンチに戻ってくる選手にハイタッチをしたり、自らマウンドに行くなどの行動を積極的に行っていた。またオリックス時代の教え子の小松聖と談笑する場面もあった。

[編集] オリックス監督としての戦績

2007年はチームに2004年以来の最下位を記録させることになったが、序盤の1勝16敗という大型連敗が大きく響いた。また、終盤戦、イーグルスとの3連戦での連敗などで大きく評判を落としてしまった。メジャー式の改革を標榜したが、先発投手が100球限定で中4日のメジャー式ローテーションを遵守したところ、アメリカ出身のトム・デイビーも日本式のローテーションに慣れきっており先発投手は不調であった。

一方で中継ぎローテーションは驚くほどに機能し、オリックス救援投手陣の防御率はJFK擁する阪神に次ぎ12球団中2位を記録した。そのため2008年は先発ローテーションを日本式に移行、主軸の大型補強など、両者を折衷したチーム改革を進めていたが、ローテーション投手が全員故障し開幕から低迷、また主軸以外のレギュラーを固定しない併用制も批判を浴びる。その後、ゼロから投手陣を再編成し、スターティングメンバーも固定してくると調子も持ち直し、5月20日の交流戦初戦では阪神タイガースを逆転勝利で破り、パシフィックリーグの単独最下位を脱出するが、翌日5月21日に突然辞任が発表された。

シーズンに入り、チーム状況が思わしくない中、5月中旬あたりから進退に悩んでいた。

5月21日の阪神戦に敗れた後の記者会見では「私のような情熱を失ったものが務めるべきではない」「チームの全体のために、自分を捧げることが難しくなった」と語ったという。

その後の5月24日に、同じく辞任したジョン・ディーバス元打撃コーチ、マイク・ブラウン元投手コーチとともに帰国した。 オリックス監督時代のコリンズの選手起用に関しては賛否両論ある。2007年度は一軍と二軍の選手の入れ替えが極めて少なかったため、シーズンオフの契約更改の場では、ファームで三冠王を獲得したにもかかわらず、一軍ではほとんど出場の機会が与えられなかった迎祐一郎など、一部の選手から起用に関する不満のコメントが出た。

一方で、コリンズは目をつけた選手を積極的に起用し、それが奏功するケースも多かった。辛抱強く起用した坂口智隆下山真二は、2008年には主力選手に成長した。下山はコリンズ辞任の翌日、自身のブログ上で「(コリンズの辞任は)ショックだった」「自分の野球人生を良い方に変えてくれた」と記し、コリンズに感謝の意を表している。また、辞任前日の5月20日にも、2年ぶりの一軍昇格となった一輝をいきなり6番スタメンに抜擢すると(カブレラが首を痛めて欠場したのも一因である)、一輝は7回裏2死満塁の場面でジェフ・ウィリアムスから逆転決勝2点タイムリーを放ち、後の飛躍のきっかけを掴んだ。また、投手陣の例としては、元は中継ぎだった金子千尋山本省吾を先発に、加藤大輔を抑えに転向させた。2008年に金子・山本は10勝、加藤は33セーブで最多セーブ投手を獲得したように、結果的に投手陣の整備は成功した。

[編集] 監督通算成績

[編集] メジャー

878試合 444勝434敗 勝率.506

[編集] 日本

年度 チーム 順位 試合数 勝利 敗戦 引分 勝率
2007年 オリックス 6位 144 62 77 5 .446
2008年[1] 5位 49 21 28 0 .429
通算:2年 193 83 105 5 .441

[編集] 脚注

  1. ^ 5月21日まで

[編集] 関連項目

先代:
ジム・ラフィーバー
ワールド・ベースボール・クラシック中国代表監督
2009年 -
次代:
未定

最終更新 2009年10月15日 (木) 13:15 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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