ディック・チェイニー

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リチャード・ブルース・チェイニー
Richard Bruce Cheney
ディック・チェイニー

アメリカ合衆国
第46代副大統領
任期: 2001年1月20日2009年1月20日
元首: ジョージ・W・ブッシュ大統領

出生: 1941年1月30日(68歳)
ネブラスカ州リンカーン
政党: 共和党
配偶: リン・チェイニー

“ディック”リチャード・ブルース・チェイニー[1]Richard Bruce "Dick" Cheney , 1941年1月30日 - )はアメリカ政治家実業家アメリカ合衆国副大統領(2001年 - 2009年)。

目次

[編集] 来歴

ネブラスカ州リンカーンに生れ、ワイオミング州キャスパーで育った。イェール大学に数学期在籍したが、その後ワイオミング大学政治学の学士及び修士号を取得。

[編集] ニクソン政権からジョージ・H・W・ブッシュ政権まで

リチャード・ニクソン政権では、大統領次席法律顧問を務め、ニクソンがウォーターゲート事件により辞任した後は、ジェラルド・フォード政権で史上最年少のアメリカ合衆国大統領首席補佐官となる。フォード落選後は連邦下院議員に当選し、ロナルド・レーガン政権時には共和党下院院内幹事を務める。ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ政権では国防長官として湾岸戦争を主導した。

[編集] ハリバートン

アメリカのハリバートン社の経営にも1995年-2000年までCEOとして参加していた。ハリバートンは世界最大の石油掘削機の販売会社であり、イラク戦争後のイラクの復興支援事業や、アメリカ軍関連の各種サービスも提供していることから、湾岸戦争とイラク戦争で巨額な利益を得た。チェイニーはまた、この会社の最大の個人株主でもある。

[編集] ジョージ・W・ブッシュ政権

2000年の大統領選挙前にジョージ・W・ブッシュ(当時テキサス州知事)から副大統領候補を推薦してくれるように依頼され、そのまま自分を推薦して副大統領となった[2]

2001年、第43代ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領の副大統領となる。小泉純一郎前首相との会談をこなしたり、フロリダ州立大学の卒業式に参加したりと多忙な日々を送る。前国防長官であるドナルド・ラムズフェルドと30年以上もの師弟関係にある。

2005年10月から、首席補佐官ルイス・リビーイラク戦争に批判的だったジョセフ・ウィルソンの妻バレリー・プレイムCIA工作員であると身元を漏洩したとしてアメリカの連邦大陪審が起訴し、更に副大統領も情報漏洩に関与されている疑いが持たれている。

2007年2月20日より訪日し、安倍首相や麻生外相と会談。外交、国防政策に関して意見を交わすが、イラク政策に関し苦言を呈した久間章生防衛大臣との会談は行わず、在日アメリカ軍横須賀海軍施設自衛官(制服組)トップの齋藤隆統合幕僚長を始めとする自衛官幹部と会談した。自衛隊は「日程の都合」と説明した。また、横須賀港では空母キティホークにアメリカ軍の兵士を集め、「アメリカ国民は(イラクからの)撤退を支持しない」と演説した。

時折心臓発作で入院することもあるが、精力的に活動する。そのため在任中は、「史上最強の副大統領」とあだ名された。一方で2008年12月、CNNが行った世論調査によればチェイニーが副大統領としての能力に劣っているとの回答が41%を占めた他、「史上最悪の副大統領」だとする意見が23%にのぼった[3]

2009年7月、極秘の対テロ作戦実行を、議会には隠すよう中央情報局に指示していた事が発覚[4]

[編集] 政治姿勢

アメリカ新世紀プロジェクトのメンバーでもあり、ブッシュ政権内では「ネオコン思想家の要石の1人」とされるが、これはネオコンの定義を無視した誤った認識である。アメリカ同時多発テロ以降、ブッシュ政権の強硬な武断政策は、チェイニーの意見が大きく働いているとされる。

イラク戦争については、開戦前にアルカーイダとフセイン政権との関連性を示す発言を行い、「証拠もある」としていたが、開戦から5年近く経た現在でも明確な証拠は提示されていない。

[編集] その他

  • 若い頃、飲酒運転による逮捕歴がある。ブッシュ大統領も同じ容疑での逮捕歴があることから、正副大統領で飲酒運転による逮捕歴があることになる。
  • 高校時代からの恋人だったリンと結婚し、6人の孫がいる。
  • 妻のリン・チェイニーが以前から歌手のエミネムを非難していたことから、近年はエミネムがチェイニーの妻と共にディック・チェイニーを非難する曲を発表している。
  • 次女メアリーが同性愛者であることを公表し、イラクの反戦運動にも参加した。なお、共和党は道徳価値として反同性愛を掲げているが、ブッシュは副大統領候補指名に際してこの件を特に問題とはしなかった。
  • 2006年2月11日には狩猟中に友人の弁護士を誤射し重傷を負わせる事故を起こした。この事故に関して、マスメディアに情報が漏れるまで公表しなかった。なおこの時に酩酊状態であったと報道されている。このニュースは、全米で瞬く間にジョークのネタとなり、ブッシュ大統領も「どんな厳しい前途があったとしても、私はレームダック(死に体)にはならないよ。チェイニー副大統領に足を撃たれない限りね」とジョークを飛ばした。
  • 口癖は『fuck』やそれに類する表現であり、議会で激高して叫んだ姿がテレビ中継にものったことがある。
  • 2009年1月20日に行われたバラク・オバマの第44代大統領就任式へは車いすに乗って出席した。これは前日の1月19日に、新居への引っ越し作業を行っていた際に背中を痛めてしまったことが原因である。

[編集] 脚注

  1. ^ マスメディアではチェイニー['tʃeɪni]と発音されるが、彼自身や一族はチーニ['tʃi:ni]と発音している。Cheney Holds News Briefing with Republican House Leaders, Aired on CNN December 5, 2000における本人の言によると、生まれ育った西部ではチーニであり、東部ではチェイニと呼ばれる傾向があったが、本人はどちらで呼ばれても構わないとのこと。
  2. ^ アメリカでは致命的な持病を持つ者を大統領に選ぶことは避けられるため、心臓病を持つチェイニーは、「将来の大統領選出馬意図がない副大統領候補」として話題となった
  3. ^ チェイニー氏、世論調査で米史上最悪の副大統領にCNN.co.jp
  4. ^ 「前副大統領の指示認める=対テロ戦隠ぺい、調査を」時事通信
ウィキメディア・コモンズ

先代:
アル・ゴア
アメリカ合衆国副大統領
2001年 - 2009年
次代:
ジョセフ・バイデン
先代:
フランク・C・カールッチ
アメリカ合衆国国防長官
1989年 - 1993年
次代:
レス・アスピン

最終更新 2009年11月16日 (月) 03:10 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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