ディディエ・ドログバ

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ディディエ・ドログバ
名前
本名 Didier Yves Drogba Tébily
愛称 ティト
カタカナ ディディエ・イヴ・ドログバ・テビリー
基本情報
国籍 コートジボワールの旗 コートジボワール
生年月日 1978年3月11日(31歳)
出身地 アビジャン
身長 189cm
体重 91kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 チェルシー
ポジション FW
背番号 11
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1998-2002
2002-2003
2003-2004
2004-
フランスの旗 ル・マン
フランスの旗 ギャンガン
フランスの旗 マルセイユ
イングランドの旗 チェルシー
64 (12)
45 (20)
35 (19)
138 (58)
代表歴2
2002- コートジボワール 60 (41)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年9月1日現在。
2. 2009年10月10日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

ディディエ・イヴ・ドログバ・テビリーDidier Yves Drogba Tébily1978年3月11日 - )は、コートジボワールアビジャン出身の同国代表プレミアリーグチェルシー所属のサッカー選手。ポジションはFW。愛称はティトTito)。

目次

[編集] 経歴

5歳の頃、生まれ故郷のコートジボワールを離れフランスに移り、サッカー選手であった叔父の元で育てられる。18歳までパリ郊外の地元チームに所属、19歳でル・マンUCとプロ契約しキャリアをスタートさせる。

ル・マンでは怪我もあり満足な活躍ができず、2001-2002シーズン途中からギャンガンに移籍、2002-2003シーズンには17得点を挙げると注目され、マルセイユに5年契約で移籍。素早い順応を見せた彼は、リーグでは18得点を挙げ、2003/04シーズンのフランスリーグ最優秀選手に選出された。UEFAカップでも獅子奮迅の活躍、準優勝の原動力になる。チャンピオンズリーグで対戦した当時ポルトモウリーニョ監督の目に留まり同監督とともにチェルシーへ、同クラブ史上最高額の移籍金47億円で移籍した。

幼いころフランスへ移住していたため、代表ではフランス人として、フランス代表でプレーすることも可能であったが、母国であるコートジボワール代表を選択。アーセナル所属のDFコロ・トゥーレと共に母国をドイツW杯初出場に導く原動力となった。

2006-2007シーズン、アンドリー・シェフチェンコの加入により出番が少なくなると思われていたが、ツートップで使われる形が多くなることもありチェルシー加入3シーズン目で本領発揮、開幕から素晴らしい活躍を見せアフリカ年間最優秀選手に選ばれる。最終的に公式戦59試合出場33得点を挙げる。リーグでは20得点を挙げてFAプレミアリーグ得点王に輝いた。

2008/2009シーズンに就任したルイス・フェリペ・スコラーリ監督のもとでは、怪我などによりベンチに回る事が多く不発に終わったが、2009年2月から就任したフース・ヒディンク監督のもとでは、これまでにはなかったニコラ・アネルカとの2トップを組み、08/09UEFAチャンピオンズリーグユヴェントス戦では第1戦、第2戦ともにゴールを決めるなど、怪我からの復調を印象付ける活躍を披露し、改めてエースとしての存在感を見せつけた。2009年5月6日にスタンフォード・ブリッジにおいて開催されたUEFAチャンピオンズリーグの準決勝セカンド・レグ、vsバルセロナ戦において主審を務めたトム・ヘニンク・エブレベのレフェリングに対して試合後に激しい批判を行い、後に行動が不適切であったとして謝罪した。また、以前から慕っていた元チェルシー監督のジョゼ・モウリーニョを追ってインテルに移籍するという噂がメディアの間で度々出ていたが本人がこれを否定、更にはチェルシーでの契約延長が決まった。

2009/2010シーズンのアンチェロッティ監督のもとではでは昨シーズン得点王のアネルカと2トップを組み、ゴールを量産している。自身は「相手にとって最も怖いFWコンビになる」とコメントしている。2009年10月10日のマラウイ戦ではコートジボワールの2大会連続W杯出場を決める同点ゴールを挙げた。

[編集] プレースタイル

テクニックそのものは並外れたレベルにある訳ではないが、アフリカ大陸をルーツとする選手特有の高い身体能力を誇る。ジャンプ力を生かしたヘディングも得意だが、彼の真骨頂はその優れた身体能力を生かした突破力にある。しなやかさと屈強さを兼ね備えたボディバランスの良さとスピードでDFを振り切りシュートまで持っていく形を最も得意としている。また、相手DFを背負っている状態から、相手を抑えながらの振り向きざまのシュートは脅威である。

元々シュート力は破壊力抜群だったが精度に問題を抱え、とんでもなく難易度の高いシュートを決めたかと思えば、蹴り込むだけでゴールになるようなチャンスをフイにしてしまうことが度々あった。しかし近年は改善が見られ、2006-2007シーズンではプレミアリーグ得点王に輝いた。中でも2006年9月17日のリヴァプール戦、同年12月18日のエヴァートン戦など数々の試合でアクロバティックなスーパーゴールを決めており、その多くが決勝点となっていることからメディアやファンからの評価も非常に高い。

基本的にセンターフォワードの位置でプレーする事が多いが、得点を奪うプレーだけではなく相手DFの執拗なマークと戦いながらのポストワークや前線からの精力的な守備も惜しみなくこなし、相手のセットプレー時には最終ラインまで戻っての守備もする。ポジションの関係上被ファウルも多いが、自らがファウルを犯す事も多い辺りに彼の献身的な一面が窺える。

またフリーキックを蹴るなど器用な一面もあり、そのキックはボールに対して真っ直ぐ蹴るのにも関わらず、ボールは曲がりながら落ちるというキーパーにとっては手ごわい軌道を描きゴールを奪っている。

[編集] その他

  • 彼の名前に出てくる「gba」は、「b」でも「v」でもない音を発音する。この子音は、西アフリカの言語にある独特な子音である(有声両唇軟口蓋破裂音)。「gba」を「グバ」と表記するのは英語ベースで、「バ」と表記するほうが原語ベースである。したがって、「ディディエ・ドロバ」と表記したほうが原語に近い。
  • 2007年の1月に国際連合開発計画(UNDP)の親善大使に任命され、世界の貧困撲滅に向けた活動を行う。
  • バーミンガム・シティFCにいとこのオリヴィエ・テビリーが所属している。
  • 15歳年下のフレディ・ドログバという弟もサッカー選手で、フランスのル・マンのユースに所属している。
  • トッティとは違いウイニングイレブンでの自身の能力には満足しておらず、アンリより自身の能力が低いことに不満を口にしたことがある。
  • 2006年に続き、2007年度もアフリカ年間最優秀選手賞に選ばれたが、直後に控えるアフリカネイションズカップのために授賞式に参加出来なかった、そのため繰り上げでフレデリック・カヌーテが同賞を受賞した。
  • ドログバはチェルシーのオフィシャルショップで、自身のユニフォームの売り上げランキングを気にしてか、自ら週に10回以上オフィシャルショップに出向き一度に40枚ものユニフォームを購入していたことが発覚した
  • 2007-2008シーズンのマンチェスター・ユナイテッドFC戦では、試合中にフリーキッカーを決める際にチームメイトのミヒャエル・バラックともめ、他のチームメイトが止めに入る騒ぎまでになった。ちなみに、この試合では、ドログバのアシストによるヘディングシュートとPKで計2得点をバラック自身があげ、首位のマンチェスター・ユナイテッドに勝ち点で追い付き、優勝に望みをつなぐ勝利に貢献している。
  • 2007-2008シーズン・UEFAチャンピオンズリーグ決勝、対マンチェスター・ユナイテッド戦の延長戦で口論の末に相手DFネマニャ・ヴィディッチに対し平手打ちをし、一発退場になった。
  • 現在、週刊サッカーマガジンにおいて「俺のブルーズを聞け!」というタイトルのコラムを月一で連載中。

[編集] 獲得タイトル

クラブ
個人


[編集] 外部リンク



最終更新 2009年11月19日 (木) 19:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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