デサント
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| 種類 | 株式会社 | ||||||
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| 市場情報 |
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| 本社所在地 | 〒543-8921 大阪府大阪市天王寺区堂ケ芝一丁目11番3号 |
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| 電話番号 | 06-6774-0365 | ||||||
| 設立 | 1949年(昭和24年)3月18日(注) | ||||||
| 業種 | 繊維製品 | ||||||
| 事業内容 | スポーツウェア製造販売 | ||||||
| 代表者 | 中西 悦朗(代表取締役社長) | ||||||
| 資本金 | 38億4,620万円 | ||||||
| 売上高 | 連結:813億07百万円 単体:591億80百万円 (2008年3月期) |
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| 総資産 | 連結:633億99百万円 単体:540億13百万円 (2008年3月31日現在) |
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| 従業員数 | 連結:1,458人 単体:678人 (2008年3月31日現在) |
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| 決算期 | 3月31日 | ||||||
| 主要株主 | 伊藤忠商事(株) 18.70% 日本生命保険相互会社 5.26% JPモルガン・チェース・バンク380055 4.00% (2008年3月31日現在) |
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| 主要子会社 | デサントアパレル(株) 100% | ||||||
| 外部リンク | http://www.descente.co.jp/ | ||||||
| 特記事項:注 株式額面変更のため、1975年(昭和50年)8月1日に(旧)株式会社デサントを吸収合併し、旧会社は消滅した。旧会社の設立日は1958年(昭和33年)2月26日である。 | |||||||
株式会社デサント(DESCENTE, Ltd.)は、大阪府大阪市天王寺区に本社を置くスポーツウェアの専門メーカーである。
目次 |
[編集] 概要
1935年、創業者の石本他家男が「石本商店」を創業[1]。1953年には綿布に防縮加工を施した野球用ユニフォームやトレーニングパンツを開発する。
その後1961年にブランド名のデサントを正式な社名に採用。「デサント」とはフランス語で「滑降」を意味する単語である。1964年にはワンポイントロゴを入れるきっかけ作りとなったゴルフウェア「マンシングウェア」を皮切りに「アディダス」、全米体育協会公認ウェア「NCAA」、ドイツの「arena」、イタリアの「FILA」などの世界一流スポーツブランドの日本での総販売代理店として現地からの輸入・提携を実施[2]。現在は自社ブランドのほか、ルコック、ミラ・ショーン、アンブロ、ノーティカなどのブランドの日本販売元となっている。
スポーツウェアの大手メーカーの1社であり、ゴルフウェア、陸上競技用ウェア、サッカー用ウェア、競泳用水着などで有力なブランドを持つ。日本国内の他、中国・韓国に進出している。スポーツウェアの他、介護・医療分野の製品開発も進めている。
その他にもスポーツ関連のイベントとして1978年には日本で初めてのアマチュアスポーツの冠トーナメント「8カ国対抗・デサント陸上大会」を開催したことでも知られる。現在も陸上競技の「デサントTC」、サッカーのJFLへの協賛(アンブロブランドで)、ゴルフの男子ツアー「マンシングウェアオープン KSBカップ」、女子の「マンシングウェアレディース・東海クラシック」のスポンサーなどを行っている。
「アリーナ (arena)」は主に水泳用品のブランドとして知られている。元々はアディダスの傘下にあった会社だったが、アディダスが自社で(アディダスジャパン)日本国内の事業を展開するにあたり、その代償措置として、デサントが「アリーナ」のアジア・太平洋地域における事業権を獲得した。この分野で最大のライバルであるミズノが自社ブランド展開を強化するために「SPEEDO」ブランド事業から撤退したこともあり、今後、デサントの主力ブランドのひとつとしてさらに強化が図られることになっている。またこれに関連し、アテネ五輪水泳金メダリストの柴田亜衣が、デサントの社員となっており、世界のトップスイマーによって構成される「チーム・アリーナ」の一員に加わっている。2009年4月に行われた競泳日本選手権では、日本新記録が20個という驚異的な数が生み出された。そのうちなんと13個がデサント製の水着を着用されて樹立されたものである。
2006年3月期の連結売上構成は、アスレチックウェア等45.4%、ゴルフウェア等35%、スポーツカジュアルウェア等11.4%、スキーウェア等8%である。
現在の企業スローガン「カラダ動く、ココロ動く」は、王貞治の筆によるものである。
[編集] 野球ユニフォームでの革命
- 1960年代から野球のユニフォーム製作において様々な技術革新と斬新なデザイン、カラーリングを成し遂げてきた。
- 1968年:デサント初のユニフォーム制作。日本初のニット製ユニフォームが誕生。これまでの綿、ウールと違い、伸縮性、耐久性があり、また様々な色を染色が出来るのが強み。中日ドラゴンズが赤色を基調にしたノースリーブユニフォームを日本球界で初めて採用。
- 1969年:ダブルニット製ユニフォームが誕生し、従来のニット製ユニフォームより伸縮性に富む、中日ドラゴンズが採用し、ビジターの地色に初めてスカイブルーを採用。
- 1973年:日拓ホームフライヤーズにて「七色のユニフォーム」と呼ばれた7種類の色々なカラーリング、デザインを後期期間のみ採用。またロッテオリオンズにて肩、脇腹、袖、パンツにラインを縫製ではなく、生地にはめ込んだユニフォームを製作。
- 1975年:読売ジャイアンツが2006年までの31年間に渡りサプライヤー契約を結ぶ。
- 1976年:ワインピンク地で、アメフトを意識した胸番号だけのユニフォームを太平洋クラブライオンズがて採用。
- 1977年:世界初のメッシュ地の上着を近鉄バファローズ、大洋ホエールズが採用。湿気の多い日本では通気性の良さが適し、さらにニットに比べ格段に軽い為、現在ではメッシュ地が主流となっている。またメジャーリーグでも採用され、ピッツバーグ・パイレーツのユニフォームを製作。
- 1978年:メッシュ地にストライプを施したユニフォームを阪神タイガースのホーム用、ヤクルトスワローズにて採用。
- 1979年:西武ライオンズが2002年までサプライヤー契約。当時としては斬新だった上下ブルーのビジター用ユニフォームを製作。
- 1980年:ボルチモア・オリオールズのユニフォームを製作。
- 1982年:レインボーカラーと呼ばれたヒューストン・アストロズのモデルに倣ったフロントパネルデザインを起用した日本ハムファイターズのユニフォームを製作。
- 1990年:二種類の異なる織柄を組み合わせ、光の当り具合で縦縞に見えるシャドウ・ストライブをヤクルトスワローズのビジター用にて採用。
- 2000年:従来のメッシュ地に代わり、リブメッシュと呼ばれる縞状のメッシュの上着を読売ジャイアンツ、阪神タイガース(ビジター用のみ)が他球団に先駆けて採用。
- 2003年:ストライプを編みこむことが困難であった為、縦縞のユニフォームではリブメッシュの上着を採用することが出来なかったが、ストライプをプリントにすることで、横浜ベイスターズ、阪神タイガースのホーム用がリブメッシュの採用実現。
- 2005年:肩、脇腹のカットラインが特殊なものを東北楽天ゴールデンイーグルスのビジター用で採用。
- 2008年:千葉ロッテマリーンズとサプライヤー契約。ビジター用で上から下に向けて色が薄くなっていくグラデーションデザインを採用、また阪神タイガースの交流戦モデルにて、軽量化の極限を目指し、ストライプ、胸ロゴ、背番号等全てのマーキングを従来の刺繍に代え、レプリカ用のようにプリントにしたものを製作。
[編集] 沿革
- 1935年(昭和10年)2月 石本他家男により、個人事業の石本商店として創業
- 1958年(昭和33年)2月 株式会社石本商店として会社設立
- 1961年(昭和36年)9月 株式会社デサントに改称
- 1974年(昭和49年)8月 デサント商事株式会社を合併
- 1977年(昭和52年)3月 大阪証券取引所第2部に株式上場
- 1980年(昭和55年)1月 大阪証券取引所第1部に指定替え、3月 東京証券取引所第1部に上場
[編集] 関係会社
- 連結子会社
- デサントアパレル(大阪府大阪市天王寺区)(スポーツウェア製造)
- ベンゼネラル(大阪府東大阪市)(スポーツ用品の販売)
- デサントノースアメリカInc.(カナダ・ブリティッシュコロンビア州)(スポーツウェア販売)
- 韓国デサント(大韓民国・ソウル市)(スポーツウェア販売)
- 北京迪桑特有限公司(中華人民共和国・北京市)(スポーツウェア製造)
- 上海迪桑特貿易有限公司(中華人民共和国・上海市)(スポーツウェア販売)
- 上海迪桑特商業有限公司(中華人民共和国・上海市)(スポーツウェア販売)
- 上海マンシングウェアゴルフクラブ有限公司(中華人民共和国・上海市)(ゴルフスクール)
- 香港迪桑特貿易有限公司(中華人民共和国・香港)(スポーツウェア販売)
- 関連会社
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月12日 (木) 21:29 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【デサント】変更履歴



