デーモン小暮閣下

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デーモン小暮閣下が自称する概要
属性
悪魔 (悪魔教教祖
英名
His Excellency Demon Kogure (三人称)
Your Excellency Demon Kogure (二人称)
別称
小暮伝衛門(邦楽器コラボレート時)
通称
デーモン、閣下(かっか)
(世を忍ぶ仮の)本名
小暮(姓のみ公表、名は非公表)
発生日(誕生日)
魔暦:紀元前100,036年11月10日
西暦:紀元前98,038年11月10日
発生地(出身地)
地獄の都 Bitter Valley地区
(人間界における)世を忍ぶ仮の職業
(1) 表現家(歌唱演劇テレビラジオ
(2) 演出家舞台演出CDプロデュース
(3) 文筆家評論エッセイ作詞
(4) 相撲評論家
(5) 思想家
(6) ジャーナリスト
デーモン小暮閣下
基本情報
出生名 本名非公表
出生 BC98038年11月10日
学歴 早稲田大学社会科学部
出身地 地獄の都Bitter Valley地区(東京都渋谷区
ジャンル J-POPロックヘヴィメタル
職業 マルチタレントミュージシャンジャーナリスト相撲評論家
活動期間 1982年 -
レーベル avex trax
事務所 吉本興業
影響 KISS
公式サイト デーモン小暮閣下オフィシャルHP
  

デーモン小暮閣下(デーモンこぐれかっか、自称紀元前98038年11月10日 ‐ 、英語表記:His Excellency 、二人称は Your Excellency Demon Kogure 、世を忍ぶ仮の名(本名):小暮(姓のみ。名は非公表))は、ヘヴィメタル楽曲歌唱を中心に幅広く活動するマルチタレントミュージシャンジャーナリスト相撲評論家である。桐蔭学園高等学校、早稲田大学社会科学部卒業。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。通称は「デーモン」、「閣下(かっか)」。

目次

[編集] 人物

金色の髪を派手に逆立て、白色を基調とした(イメージとしては歌舞伎アメリカロックバンドKISSに近い)顔貌をしており、それが自身本来の悪魔の姿であり、神ゼウスによって約10万年もの間封印されていたが、ゼウスの封印力が弱まり再び蘇った、と称して下記のような主張を展開している。

  • 紀元前98038年11月10日に発生、地獄の都Bitter Valley地区(東京都渋谷区)出身。NHKの大相撲中継にゲスト出演した際に、実況アナウンサーにその出自等を公表されている{その他の節を参照}。11月10日はドラキュラ公の誕生日でもある。
  • 世を忍ぶ仮の小学時に広島市で布教活動歴があり閣下自身、人間界の故郷は広島である、としている(週刊文春、2007年3月22号、111頁)。
  • 地球上で閣下を一躍有名にしたのは、フジテレビ笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに出演したことである。そのときに自身の年齢を「10万24歳」と答えた。また、司会のタモリから「ダンプ松本は友達か?」と聞かれたところ、本来の悪魔の姿のまま電車に乗っていたらダンプ松本に間違えられたことがあると答えた。
  • 元地獄副大魔王にして悪魔教教祖であり、布教に努めた結果西暦1999年12月31日に地球征服すると宣言。その年を魔暦元年と定めた。そして同年、公約通り地球征服を完了し、解散。
  • 悪魔としての本名は地球上では可聴音域で発声できない(発声しても口パクにしかみえない)とのこと。
  • 顔色が白いのは、メイクではなく素顔である。メイクが一部落ちているとの指摘に対しては、鱗粉のように剥がれることもあると説明している。

自身が公私混同を非常に嫌がっている事から人間としての側面はあくまで「世を忍ぶ仮の姿」であり、「世を忍ぶ仮の」家族関係・生い立ち等については積極的には公表していないが、信者(ファン)間にとどまらず広く知れわたっている(こちらもその他の節を参照)。

  • 芸名の「デーモン小暮閣下」および「小暮伝衛門」において本名の姓を用いて明らかにしているが、はあくまで非公表である。また世を忍ぶ仮の名前を「小暮ヨシノブ」と称していた事もある(「オールナイトニッポン」での発言より)。ちなみに、著書『我は求め訴えたり』でもそう称している。
  • オールナイトニッポンで渡辺美里がゲスト出演した際に、渡辺美里が本名のファーストネームを発言するというアクシデントがあった。
  • 上記のような主張を行っているため、本章で示されるような人間としての側面は、全て「世を忍ぶ仮のもの」であるとしており、例えば自分の母親のことを「世を忍ぶ仮の母親」とし、自分の小学生時代について「世を忍ぶ仮の小学生時代」とするなど、必ず「世を忍ぶ仮の」という一節を付加して表現している。以降、本項では省略することとする。
  • TBSの記者・キャスターを務めた小暮裕美子は実姉。学生時代、裕美子が学園祭でロック・クイーンになっている勇姿を見て「コレだ!」とのヒントを得たと語っている(1988年頃、ゴールデン・タイムTV放映のデーモン閣下特集番組にて)。

自称の際には「吾輩」と称することが多い。普段は「閣下」と呼ばれることを常とする。現在では「閣下」の敬称までが正式な名称の一部となっており、諸活動を行う際の正式な名称・芸名とも「デーモン小暮閣下」である。

  • 日本語としては破綻しているが、字幕スーパーで「デーモン小暮閣下さん」と表示される事も近年ではよくある。
  • 近年では、2007年11月7日NHKの『クローズアップ現代』にゲスト出演した際、国谷裕子キャスターに「デーモンさん」と呼ばれても許容していたように、「デーモンさん」と呼称されることに対しても拒否反応を示すことはない。これは親しい関係者から「デーさん」と呼ばれるのが常であるため特に抵抗はないようである。
  • 深夜番組で姓である「小暮君」と呼ばれた際は「閣下と呼べ!」「せめてデーモン小暮と呼んでほしいのだが……」と許容しながらも反発したことはある。許されるのは芸名に用いられた(あざな)に当たる「デーモン」ないし百歩譲って姓の「小暮」までであり、非公表である本名を呼称することは何人に対しても一切許容していない。
  • 愛車はかつて日産・スカイラインワゴンを所有していたが、現在ではBMW・M3に乗っているとされる。

派手な外見や所作から来る印象ばかりを取り沙汰される事が多いが、「信者」と称されるファンの多くは「作品の内容」「言動」「エンターテイナーとしての技量」を大いに支持している。単に「神と悪魔と人間」という視点だけでなく、幼少時にアメリカに在住していた帰国子女としての体験があったため、異文化交流に関してのコメントも多い。合わせて日本伝統芸能文化に造詣が深く、純邦楽等と共演することが年間25回を超える。また、有数の好角家でもあり、その知識は他の好角家や大相撲関係者すら舌を巻くほどであるので、本項では大見出「好角家としての閣下」を設けて詳述する。頭の回転が早く、TV番組での彼のやり取りを見た、閣下支持でも何でもなかった音楽評論家渋谷陽一を感心させている。また、裏方では芸能界での大先輩やスタッフに丁寧に接するなど几帳面な一面を見せている。

  • 2009年11月11日の自サイト啓示板内にて『「祝賀ビールかけ」「シャンパン・ファイト」は時代に逆行する卑しい行事』と行為を非難、『地球という生命体に失礼な行為』であるとし、これを行う競技は応援しないことを宣言した。

[編集] 経歴

西暦1999年までは悪魔教教祖として組織「聖飢魔II」によって悪魔教布教活動を行っていたが、その後「地球征服を完了した」として基本的にソロ活動を展開している。

幼少時アメリカに居住していたいわゆる帰国子女である経歴及び桐蔭学園高等学校を卒業したという学歴について『爆笑問題カーボーイ』での放送にあたり「織田裕二の先輩」とともに暴露された際に認めている。

また、桐蔭学園高等学校 - 早稲田大学を通じた先輩であるやくみつるとは、在学中には面識がなかったものの共通の趣味である相撲を通じて親交を深め、やくみつるのことを「やく先輩」と呼ぶほどの関係となっていることでも知られている。やくとは相撲以外にも漢字力に優れるという共通点があり、過去二回民放のバラエティ番組で対決しているがいずれも敗北している。

かつて、世を忍ぶ仮の名前、仮の姿で「たけしのお笑いサドンデス」に出演した事がある。司会のビートたけしから将来タレントになれると評価されている。たけしからは一目を置かれている。

[編集] 音楽活動

1982年魔暦紀元前17年)12月から本格的な悪魔教の布教活動を兼ねて聖飢魔IIのフロントマンとしてボーカルをつとめ、各地で「黒ミサ」(人間界で言うコンサートに相当)を主催してきた。また、所属していたレコード会社のCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)を市谷悪魔教会(当時市谷にあったため)と呼び、レコード(その後のCDなども含む)を教典と称していた。

1999年(魔暦元年)の地球征服完了(よって聖飢魔IIとしての活動を停止)以降は単独で活動しているが、2005年(魔暦7年)に期間限定で聖飢魔IIを復活させた。

デビュー当時から、話す時と歌う時の声が全くといってよい程違うと言われており(声の伸びが全く異なる)、声色変化のデビュー・アルバムの歌唱表現等をみる限り、彼本来の俳優志向を垣間見ることができると言えよう。

[編集] 好角家としての閣下

稀に見る好角家であり、閣下本人の公式サイト上にもプロフィールとして好角家と明記されている。閣下は「ファン歴300年にもおよぶ相撲ファンである」と自称し、寛政年間=西暦1790年頃(魔暦紀元前210年頃)の、実質的な初の横綱とされている谷風小野川の取組なども当然観て来たと話している。

[編集] 好角家となった経緯

閣下が好角家となったのは、祖父が旅順工科大学で相撲部に所属していたことも影響している。世を忍ぶ仮の小学生時代に祖父と話がしたくて相撲に関する文献を読みあさった。また小学時広島での布教活動中、砂場での相撲取りがのめり込む切っ掛けとなった。絵画教室で若浪がうっちゃりを見せる勇姿を秀逸に表現して周囲を驚かせ、高校生時代には、受験勉強もそこそこに当時の蔵前国技館近隣の古書店に足繁く通い、相撲に関する諸文献をむさぼるように読み漁り豊富な知識を培っていった(この古書店には後の逆鉾伸重らも頻繁に通っていたとされている)。

また、学園祭においては、相撲同好会の展示室の片隅で自ら相撲文字を書き続け、周囲を驚かせた。単に知識を蓄えるのみではなく、早稲田大学在学中には後述のフォーク同好会のみならず、相撲同好会にも所属して実践的かつ多角的な相撲競技の分析・稽古に取り組んでいた。大学の校舎の屋上で相撲をしたなどの逸話も残っている。体格に恵まれていれば力士になりたかったと語ったこともある(ベースボールマガジン社発行の大相撲情報誌VAN VAN相撲界にて連載コーナー『我輩は力士になりたかった』も持ち、タイトルページにはモノクロ写真が掲載されていた)。このため相撲に対する見識は高い。

閣下が特に熱狂的な相撲ファンとなったのは玉の海の活躍がきっかけであると言われており、以来国技館での本場所にとどまらず地方場所へも年に数回は必ず通っている。また、本人はあくまで悪魔の姿で観戦したいようだが、日本相撲協会それも協会理事長直々に「お客さんが相撲に集中できなくなる」という理由で悪魔の姿での入館を謝絶(実態は禁止)されてきたので、通常は人間の姿での観戦に留まっている。閣下贔屓の力士は輪島であり、悪魔ヒーローとして崇めている(「悪魔のヒーロー」とは、人間界における蔑称を指すものではなく、魔界においては最高の尊称である)。

[編集] “相撲の”布教活動

かつて布教活動中にも、1987年から1990年(魔暦紀元前12 - 9年)に放送されたニッポン放送の人気深夜番組『デーモン小暮のオールナイトニッポン』では「大相撲を666倍楽しむ方法」(666は悪魔の数跡を指す)という大相撲を応援するコーナーを設け、さらに当時現役力士であった大徹にスポットを当てるコーナーを独立して用意し、最終的にはそのコーナーに大徹本人を生出演ゲストとして迎えるまでに至るという、当時の相撲協会の広報派遣としては異例の、深夜に現役力士がゲスト参加するという画期的コーナーにまで成長させた。

コーナーでは、とある回のゲストの南野陽子に発言させた「大徹さん頑張ってね」の声を録音しリミックスした「ダダダダ大徹 ダダダダ大徹 大徹大徹 『頑張ってね』」という、番組前期の名フレーズとジングルまで登場した(その後、大徹がゲスト参加した際に自己紹介で挨拶した「大徹です」というフレーズをさらに付加し「ダダダダ大徹大徹 ダダダダ大徹 大徹大徹 『頑張ってね』『大徹です』」というものも作成されている)。この縁がきっかけで、閣下は大徹引退後の断髪式にまで招聘されて鋏を入れているほか、大徹改め湊川親方は今に至るまで閣下の黒ミサ(人間界でいう「公演」「コンサート」)に頻繁に顔出しや差入れを行うなどの信頼関係が築かれている。

同番組には、芸能人・著名人の変な言動を集め競わせて番付を付ける「夜霧の横綱審議会」なるコーナーも設定され、そのネタハガキコーナーにおいて若年層中心の『オールナイトニッポン』リスナー層世代のイメージからはかけ離れた玄人裸足の相撲ネタも多数寄せられ、また若年層以外のリスナー層も厚く増やすなど、閣下が多数のリスナーに及ぼした大相撲啓蒙の功績は多大であったとされている。

番組最終回には、次期パーソナリティーであるロック歌手大槻ケンヂと電話で引継ぎのあいさつを行った際に人気の相撲コーナーの継続を要望したが、大槻が大相撲には無知・無関心であったためこれを辞退し、閣下は悲嘆にくれたことも知られている。

加えて、琴富士が悪魔組(聖飢魔IIのファンクラブ)会員であったこともあり、所属する佐渡ヶ嶽部屋とは永く親交が深く、2005年(魔暦7年)11月場所後には悪魔の姿で正客として佐渡ヶ嶽部屋に招かれ、稽古場上座に親方らと列座して大関琴欧州(当時・現琴欧洲)・関脇(当時・現大関)琴光喜らの稽古を中心に熱心に見覧している。

[編集] 好角家としてのメディア出演

当初はその派手な言動も災いして、NHKには出入り禁止であった。どうしてもNHKに出たかった閣下は、向正面に悪魔姿で観客として陣取り、見事NHKの画面に登場することに成功した。その後閣下の好角家ぶりは広く認知されるに至り、メディア出演要請も現在では民放各社にとどまらずNHKからも一目置かれるまでになった。例えば2005年(魔暦7年)11月9日放送のNHKの『クローズアップ現代』ではスタジオ・ゲストとして悪魔の姿で琴欧州の話題を中心に大相撲の現状と展望を述べたほか、2006年(魔暦8年)1月15日の大相撲初場所8日目にはNHKの大相撲テレビ中継のゲスト解説者として午後1時のBS2の中継開始から午後6時の総合中継終了までの長時間にわたる出演に招かれ、2007年11月7日放送のクローズアップ現代でも時津風部屋力士暴行死事件と角界の抱える問題について「膿を出し切るいい機会ではないかと」と持論を展開している。

大相撲中継のゲスト出演者は従来、まれに幕下中継に参加することもあるものの通常はあくまで中入り後の中継に参加するのみであり、しかも相撲に関して精通したゲストが招かれることはほとんどなかったが、中継開始から終了に至るまでの全てに出演しゲストが全編にわたって解説を展開するというのはNHK相撲中継史上初の特別な扱いであった(通常は場所入りする力士や場所界隈の風景の映像から始まる大相撲中継のオープニングも、ゲストである閣下が会場入りする模様からスタートしたほどである)。

閣下は、午後2時30分頃から約30分間のみ休憩したが、これはあくまで出演上の放送席を向正面から正面に移動するための時間である。

閣下は中継終了間際に感想を問われ、「(大相撲中継へのゲスト出演は)紅白歌合戦に初めて出たときよりも感激した」(謙虚な発言に実況アナウンサーから「らしくない」と指摘されると「また来るぞ、ウワハハハハ」と本来の語りで締めた)と述べていたが、これは前述の通り布教活動中には、観客の観戦集中を図るためとの名目で日本相撲協会理事長から直々に悪魔の姿での国技館入館を謝絶されてきた抑制の時代があり、悪魔の姿で入館できるようになったことへの感激の念に他ならない。

ただ、従前からの理事長見解にも確かに理があり、事実、同日中継放送中にもかかわらず閣下を撮影するための観戦者のカメラフラッシュが間断なく焚かれていたほか、相撲観戦そっちのけで「デーモンだ!」「閣下!」等と叫び寄る観客も散見された。

解説の内容そのものについては、角界関係者・メディア・視聴者ともに概ね好評で、重ねての解説出演を望む声が上がったため、2007年(魔暦9年)1月14日の大相撲初場所8日目の放映に再度出演(15:55 - 放送終了まで)し横綱土俵入りの選択に関する知識を披露するなどした。

また世を忍ぶ仮の幼少時代にアメリカに在住した経験を買われ、2008年(魔暦10年)5月24日の大相撲夏場所14日目におけるデジタル総合衛星第2の英語副音声で解説をもつとめた(16:00 - 放送終了まで)。

また、2006年(魔暦8年)12月30日放送のNHK『大相撲この一年』では、北の富士勝昭舞の海秀平やくみつるらと共に座談会形式で角界の一年を振り返った(2007・2008年は12月29日に『大相撲とことん言います2007』『同2008』が同じ面子で放送)。

2008年12月7日ボクらの時代(フジテレビ系)では、内館牧子、やくみつると大相撲談義を行った。

2009年(魔暦11年)1月18日、大相撲1月場所中日のNHK大相撲中継の正面解説を元横綱:輪島大士と共に務めた。当日の実況アナウンサーを務めた岩佐英治のアシストもあって中継では輪島に関する閣下自らの知識や記憶を披瀝し、またこの日の取組に対しても閣下独特の視点から厳しい解説をしていた。

[編集] 本業とのジレンマ

なお、好角家であることが広く世に知られるようになってからは、本業のミュージシャンとしての仕事よりも大相撲に関わる仕事の方が増えてしまい、(それが相撲に関するものであっても)一部の仕事を断らなければならない状況であるとのことである。そのことに関し閣下自身は喜んでいるとのことだが、テレビ出演中に「我輩が歌手だということを忘れられてしまいそうだ」という危機感を吐露することもあった。

[編集] 主な音楽作品

[編集] アルバム

[編集] ビデオ

  • 宴会大王 〜デーモン小暮閣下ディナーショー〜(VHS 1993年、DVD 2003年
  • DEMON'S ROCK SHOW!(「デーモン小暮」名義のライブビデオ、2007年)
  • √Hakurai -CULTURE ROCK SHOW!- (「デーモン小暮」名義のライブDVD 2008年)

[編集] ショートフィルム

  • ジブンナリ 〜自分「成り」〜(2003年

[編集] 映画

[編集] 客演

12.UNDER MY MARTIAL LAW feat.デーモン小暮閣下
  • ストラヴィンスキー作曲「兵士の物語」(1992年録音・発売) 斎藤ネコ指揮、語り=巻上公一(兵士)・デーモン小暮閣下(悪魔)・戸川純(語り手・王女)、アンサンブル=梅津和時(クラリネット)・小山清(ファゴット)・大倉滋夫(コルネット)・村田陽一(トロンボーン)・高田みどり(パーカッション)・桑野聖(ヴァイオリン)・吉野弘志(コントラバス)・石井AQ(シンセサイザー)・斎藤ネコ(効果音ヴァイオリン)、台本=加藤直(ラミュ原作)

[編集] 著作等

  • 『我は求め訴えたり』(ネスコ/文藝春秋、1987年ISBN 4890367071
  • 『デーモン・オーケンのハッスル巌流島』(扶桑社、1988年ISBN 4594002285
  • 『デーモン小暮の試験に出るぬらりひょん 大学入試シリーズ』(ニッポン放送デーモン小暮のオールナイトニッポン・編、ニッポン放送出版、1988年ISBN 4594003621
  • 『夜中の学校12「悪魔の人間学」』(マドラ出版、1993年)ISBN
  • 『デーモン・オーケンのハッスル巌流島』(ニッポン放送出版、1994年ISBN 4594013872

[編集] 出演番組

[編集] 現在

[編集] 過去

NHKワールドTVの夏の特集番組のひとつとして放送され、大相撲決まり手82種を紹介するというものである。「WHAT'S ON JAPAN」のスポーツコーナーや大相撲中継の英語実況などを担当している森田博士(ヒロ・モリタ)とともに出演。

[編集] キャスト

[編集] その他

  • 聖飢魔IIの再解散の翌年2006年(魔暦8年)に公式ファンクラブ「縁魔堂」が開設された。

[編集] 歌番組

  • 1980年代末期の歌番組では「白い奇蹟」、「BAD AGAIN 〜美しき反逆〜」などのバラード曲でオーケストラと共演することが多かった。白い奇蹟のシングルジャケットではアラビアンナイト風の衣装を着用し、キャラクターの幅の広がりを見せた。
  • 1988年ザ・ベストテン出演したとき、当時の通例として諸星和己に会話に割り込まれたが、全く動じず笑って返し、即興でパラダイス銀河の冒頭の弾き語りを演じた。
  • 1990年8月24日、31日には当時新曲だった「有害ロック」で『ミュージックステーション』に出演。
    • 一回目・スタジオを破壊(出演者の頭を鷲掴みにする、スタジオの装飾を引き剥がすなど。デーモンが奪い取ったカメラで破壊を撮影する出演者、デーモンが破壊したセットの上で踊る者がいた。)
    • 二回目・消火器とおぼしきものをまき散らす(番組開始直後のトップバッター)も出演者は同グループのメンバーとともに気勢を上げていた。
      • デーモン小暮も片手におもちゃのM-16を持って司会と出演者の座る席に上り、出演者にバナナを無理矢理食わせる(季節が夏でありスタジオにはセットの装飾として果物が用意されていたが、これを丁寧に剥いた上で口に押し付けた。丁寧に押し付けられたためバナナは形が崩れず、出演者は曲が終わりCMに突入するときもそのまま食べていた。)という一幕もあった。
      • 消火器の噴射は主に司会者を標的として行われ、逃げる司会者はカメラで追跡された。後半は逃げる力を失った司会者にとどめの消火器噴射を行った。飛び散る消火剤は周囲も巻き込み、演奏中のルーク参謀がよけようとして軽くのけぞる、エース長官、ゼノン博士が呆然となるシーンもあった。また、歌い終わり、CMに入る際には「もっとぶち壊してやる、もっとぶち壊してやる、ぐわははははは」と破壊的なセリフを口にし、消火器攻撃の標的にした生島ヒロシにパイナップルを押し付けた。
    • 当時の新聞テレビ欄には「デーモン閣下大暴れ」と記されている。しかし、この演出についてはデーモンの暴走ではなく局側から依頼があってのことであると後に明かされている。(詳細はデーモンの裁量に任されていたようで「一回目は物を壊すことを目的にした」と語っている。)

[編集] デビュー前

  • 小学校在学中に坂上二郎司会のラジオ番組に出演し、坂上のものまねで『学校の先生』を歌った。また早くも当時から広島市内で布教活動を手がけており、地球統一による平和への願いは「どの悪魔よりも強い」と自負している。
  • 桐蔭学園高等学校在学中に予備校早稲田ゼミナールの全課程を修了したほどの努力家であるが、後に同予備校の恩師に「悪魔の姿のままでテレビに出ている」と驚かれた。
  • 怪獣やヒーロー等、特撮フィルムのキャラクターについての造詣も深く、ゴジラの鳴き真似コンテストに出場して優勝した実績を持つ。(後に映画『ゴジラvsビオランテ』にスポット出演者(本人役)として登用された。)
    • 早稲田大学在学中に展開していたバンドでは、演目に「ウルトラマンの歌」(円谷プロウルトラマン』主題歌)を取り上げることも多かったという。
    • 右半身をウルトラマン・左半身をレッドキングに仮装して独りで格闘シーンを演ずるパフォーマンスなど、その特撮キャラクターのモノマネの巧みさから、同学の先輩で特撮映画出演実績もあるコメディアンラサール石井から真剣に入門勧誘を受けたとされている。
    • 同学在学中早慶戦の試合前にマイクパフォーマンスとしてゴジラの鳴き真似を披露し、スタジアム観衆全員からの喝采を浴びたことでも知られる。
  • 早稲田大学在学中にはフォークソングクラブに所属していた。「走り幅跳び」や「顔面大陸棚」「生老婆(ナマローバ)」「紫馬肥(ムラサキウマゴヤシ)」「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関するバンド」というバンドを組んでいたこともあり、演目には先に挙げたように『ウルトラマンの歌』を取り上げたことも多かった。
  • 芸能界デビュー前に、素人参加番組である『たけしのお笑いサドンデス』への出演実績をもつ。
  • 閣下曰く、生まれて初めて歌で稼いだ楽曲は北島三郎の「与作」で現在においてもカラオケの十八番であるらしい。これは世を忍ぶ仮の大学時代に当時の居酒屋で歌ったものが最初であるとのこと。
  • 24時間テレビ・愛は地球を救う」が日本青年館で放映されていた頃、自転車で会館に行ったことがあるという。その際、たまたまステージでタモリアルフィーが「ソバヤ」を歌っていた所、ステージから降りて来た坂崎幸之助にマイクを向けられ、歌った事があったと後にテレビ出演で一緒になった際に坂崎本人に告白している。

[編集] ライブでの負傷

  • 1986年岡山県蒜山高原で行われた「蒜山ロックフェスティバル」での聖飢魔IIの黒ミサ(人間界で言うライブないしコンサート)中、野外ステージの屋根から機材セットに転落し脚を骨折した。しかし、負傷直後に信者(ファン)に対して「吾輩はたった今元気でなくなってしまった」との一言のみを発し、激痛に耐えながら公演を全うした。
  • その後、負傷した脚部を「改造手術」(人間界で言う「治療中」)し入院。その病室で、「ママぁ、剥いてー」と実母に甘えてせがんでいたとの都市伝説が「笑っていいとも!」の対談コーナー「テレフォンショッキング」出演の際に取り上げられたことがあった。しかし、実際には見舞いに来た者を労うために、付き添っていた実母に対して「まぁまぁ梨でも剥いてあげたら?」と依頼したことが伝聞を経て過大に変化したものである。この説を広めたのは当時宝島社の編集者であった映画評論家、町山智浩であった。デーモン自身がのちに著した書籍では、梨は皮ごと食べるので「梨剥いて」などと言うわけがないとも語っている。
  • また、この出演で次回の対談出演者を依頼するために電話した際、受話器を顔に密着して会話したために受話器にメイクとされている悪魔の皮膚の模様が付き、司会者タモリに「やっぱりメイクじゃないのか」と突っ込まれた。しかし、閣下はこれを一切認めず「これは蝶で言うところの鱗粉のようなものだ」と強硬に抗弁したことも知られている。(その際には「鱗粉」を「花粉」と言い間違えている。)
  • ちなみにその後洗顔ソープのCMに出演して顔を洗うシーンがあったが模様は全く落ちていなかった。
  • タモリに「ギャラは(なんと呼ぶ)?」と尋ねられ、「お布施だ」と返答し、「なんでそこは仏教なんだ?」とつっこまれるも、「宗教用語なら何でもいいのだ」と返していた。
  • 前述の骨折の直前に「オールナイトフジ」で霊が憑いているとされる人形を悪魔の立場から馬鹿にした為、その呪いが骨折の原因という説も有る。(なお骨折の際には車椅子に乗って『吾輩の足は改造手術中だ』とコメントしていた。)
  • 負傷後の黒ミサ(「ライブ」ないし「コンサート」)の際に使用された車椅子は「スーパーデーモンカーターボGTロイヤルサルーン」と呼ばれ、『JOJOの奇妙な冒険』第一部でディオが使用した車椅子のモデルとなっているとも言われている。

[編集] オールナイトニッポン

  • パーソナリティ在任時、ゲスト出演者の渡辺美里に「世を忍ぶ仮の氏名」を暴露されたのをはじめとして、近年では2006年1月15日大相撲初場所NHKの大相撲テレビ中継出演時、実況の吉田賢アナウンサーに2度にわたって「世を忍ぶ仮の生年」を暴露されるなど、その人となりはコアな信者(ファン)にとどまることなく広く知れわたっている。
  • リスナーからの投書の「○○という本に書いてあったので本当の事です」との文章に対して、「書物や教科書に書いてある事が必ずしも事実とは限らない」と諫めた事がある。

[編集] 知人など

  • 実母は閣下の「悪魔ぶり」を否定するどころか、普段楽屋を訪れた際に関係者に「デーモンの世を忍ぶ仮の母でございます」と挨拶したことがある。
  • 高速道路で上祐史浩の護送車に遭遇した経験を持つ。
  • TBSの敏腕記者・キャスター小暮裕美子を「「世を忍ぶ仮の姉」であり幼少時から現在に至るまで、地上で唯一口喧嘩でかなわない相手である」と畏怖している。
  • 尾崎亜美の結婚式に参列した際、牧師が欠席したため代役を務めた。
  • 今上天皇があるミュージシャンと会話した際、相手がデーモン小暮閣下の話題を出したことがあり、この人物は言った後天皇との会話に出す話題ではないと戦々恐々となったが、天皇は「ああ、あの白い顔の」と軽く返したというエピソードが、「デーモン小暮のオールナイトニッポン」において語られた。
  • 谷村新司は、初めてデーモン小暮閣下に会った際「以前よくお会いしていました。」と挨拶され、どこで会っていたのか記憶になかったので尋ねてみたところ「谷村さんがよくこられていた歌舞伎町のお店でアルバイトをしていました。」と答えている。以後、この縁により折にふれて谷村新司のコンサートにゲスト出演する閣下の姿が見られることとなった。
  • その外見や所作が特徴的であるため、大平シロー山口智充をはじめ広く物真似の対象になっている。シローのモノマネにより暫くの間、閣下が「肥満」だというイメージが広まることとなった。また、シローはあくまで語り口だけの物真似であったが、「悪党 デイモン小出武」[1]という、その歌唱法までも忠実に真似るタレントも存在している。ちなみに山口が閣下の物真似で「蝋人形の館」を歌った時は、間奏後の出だしを間違えて閣下に軽く突っ込まれるというハプニングがあった。原因としてエース清水が演奏するギターソロパートが無かったことが考えられるが山口がなぜ間違えたのかは不明である。ちなみにその後のトークで本人が本物のデーモン小暮もよく歌詞を間違えると語ったところ、山口が「本物が歌詞を間違えるところもマネしたんだ!」と発言して突っ込まれゲストの笑いを誘った。但し、実際に山口が間違えたのは歌詞ではなく、歌い出しのタイミングであり、本物のデーモン小暮はあまり歌い出しのタイミングは間違えない。

[編集] TV出演など

  • 対談番組『徹子の部屋』にゲストとして招かれた際、自身の早稲田大学卒業式の折にありのままの悪魔の姿で卒業式に出席したため、当然ながら大学職員が制止したが「これは悪魔の正装だ!」「みな明日から社会に旅立つ姿で卒業式に来ている。吾輩が明日から社会に旅立つ姿がこれなのだ!」との発言を繰り返し強硬に押し切ったところ、通りがかった知らない教授に「最近は君のような気骨のある学生が少なくなった」と激励を受け、共に記念写真を撮った、というエピソードを披露している。ちなみに、これについては著書『我は求め訴えたり』でも触れられている。
  • クイズ!ヘキサゴンIIにおいて、「世を忍ぶ仮の姿でTV出演するとしたらギャラは何円か」との出題がなされた際、これらには一切「出ない」と回答し、「その(ような番組への出演を強要された)ときには芸能界を引退する。」と明言している。
    • だが、このコメントの直後「もう(この顔で)21年やっているからね」と、まるで自身が悪魔ではないような意味にとれる発言をしてしまった。その直後、他のゲストからこの発言について突っ込まれた際、デーモンは「言ってない」「芸能界に入って21年と言う意味だ」と頑なに反論し、決して悪魔としての姿勢を崩さなかった。
    • なお、この番組の予選ペーパーテストでは2009年4月22日放送分で麻木久仁子に破られるまでは番組史上最高得点(50点中49点)だった。
  • クイズプレゼンバラエティー Qさま!!の「プレッシャーSTUDY」に出演した際、司会者に、クイズ作家陣から最もクイズができるタレントと思われているのはデーモンだと言われた。
  • 1993〜94年には子供番組ポンキッキーズ』に講師役としてゲスト出演。子供番組でもそのキャラクターが変化することは無く、終始悪魔として信者たちが海外に出たときに困らないようにという名目で「デーモンかっかの英語教室」なる単独コーナーを担当。また番組に出演していた小学生を前に、日本と海外との文化の違いについて教える文化人類学の講義も行なった。
  • 映画「バットマン」ではジョーカー役の吹き替え声優として参加している。ラストでジョーカーが絶叫しながら落下するシーンは、ワンテイクでOKが出ただけでなく音響監督に絶賛されていたとオールナイトニッポンで語った。また、「バットマン」のプロモーション時では「JOKER 非力河童人間」という曲を提供している。この曲は「BAD AGAIN〜美しき反逆〜」のc/w曲として収録されている。またこの好評との関連は不明ながらBASTARD!! -暗黒の破壊神-コミックスにおいては、ダイ・アモン伯爵役の声優候補として名前が挙げられていた。
  • GIRLS' ROCK √Hakuraiのプロモーション時に大阪のローカル番組「ちちんぷいぷい」に出演した際には好角家となった経緯のほか、「自分よりうまく与作が歌えるのは北島三郎だけ」とライブさながらの立ち回りでパネラーを楽しませていた。
  • 究極の解散黒ミサラストにおいてはEL-DORADO演奏前に「我々には新しい年はやってこない。だが、諸君たちには必ず、新しい年がやってくる」「ここにいる全員が聖飢魔IIに追いつき、追い越すことを達成したとき、必ずや、真の黄金の都は築かれるであろう。さあ、早く行け、見失わないうちに!」とメンバーと信者にエールを送った。

帰国子女

  • 帰国子女として日本に帰国する以前の幼少時は、日本語よりも英語のほうが上手かったと自称している。
    • だが現在は逆転しているのか、ダウンタウン松本人志に「英語堪能でしょ?」と問われた際は「日常会話程度ね。向こうの小学生とかが話すくらいのレベルね」と謙遜していた。
    • 2007年12月22日にNHKワールドTV(BS1は12月23日)で放送された「WHAT’S ON JAPAN」で大相撲の1年を振り返るインタビューで出演し、英語でコメントしていたが、副音声日本語の吹き替え部分も本人自らコメントしていた(回答部分のみ)。
  • 取材でアメリカ在住時に通っていた小学校に悪魔の姿で訪問した際、その姿を訝しく思った校長に「君、college単科大学ないし専門学校にあたる)くらいは行っているよね?」と聞かれ、「University(総合大学にあたる、勿論自身が通った早稲田大学の事)を卒業してますよ」と答えた途端、その校長は生徒に向って「彼はこんな格好をしているが、ちゃんと勉強して大学に行っているんだ」と言い始めた事があった。
  • 2006年にフジテレビの「ごきげんよう」にゲスト出演した際、「吾輩はこの夏、クーラーを一度も使っておらぬ。」 「環境問題という敵と、小さく小さく闘っているのだ。」 「自分で出来ることからやるべきなのだ。」 などと、悪魔にもかかわらず律儀に地球環境について考えていることを公表している。
  • 2007年8月20日放送の「笑っていいとも」に出演したとき、「この夏クーラーを使ってない人」と言うアンケートをとり、4人該当した。(アンケート後、除湿は欲しいとコメントした)
  • 悪魔ちゃん命名騒動が世間を騒がせていた時期に、インタビューで「悪魔は子供が生まれたら『悪魔』と名づけるのか」と訊ねられ、「じゃあ、お前は自分の子供に『人間』と名前をつけるのか」と切り返した。

[編集] 関連項目

  • スーパースランプ (インディーズバンド)
  • 大槻ケンヂ
  • 平田オリザ - 小学校・中学校時代のクラスメイト
  • 中山千彰 - デーモン小暮のオールナイトニッポンディレクター。
  • 旗照夫 - デーモン小暮のオールナイトニッポンにゲスト出演。
  • 殿さまキングス - デーモン小暮のオールナイトニッポンにゲスト出演。
  • ルーク篁 - 聖飢魔IIの最終構成員。
  • 大橋隆志 - 聖飢魔IIの元構成員。ギタリスト。中途で脱退。脱退理由は公式には「人間の女性を愛してしまったため、サタン44世陛下より人間になることを許される代わりに魔界追放となり聖飢魔II脱退」とされる。のちに「サタン44世陛下の特赦執行により悪魔として復活」したとされる。
  • ACE - 聖飢魔IIの最終構成員。
  • 石川俊介 - 聖飢魔IIの最終構成員。
  • 雷電湯澤 - 聖飢魔IIの最終構成員。
  • 小暮裕美子 - 世を忍ぶ仮の姉。
  • やくみつる - 高校・大学の先輩で好角家。但し横浜ベイスターズファンのやくとは逆にデーモン小暮は巨人ファン。
  • デイモン・ヒル - 彼の所属チーム「ブラバム」に「聖飢魔II」がスポンサーとして付いていた。
  • タモリ
  • 谷村新司
  • 大川豊(大川興業) - 素人芸人時代から交友がある。
  • 写ルンです:本来の姿のまま、サラリーマン「小暮課長」役でCMに出演した。同CMは視聴者に非常に好評であり当初の小暮課長の出勤風景を描いたもののほか、家族サービス、温泉旅行、海外出張、万歳三唱など多数のバージョンが製作された。
  • 和角仁 - 早稲田ゼミナールで古文を教わる。
  • カイゲン:2007年に同社の風邪薬「改源」のCMに出演、アニメの風神と共演している。市販薬CMのお約束である注意事項のチャイム音の代わりに閣下の「デーモン」の一言で終わる。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月12日 (木) 09:06 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【デーモン小暮閣下】変更履歴

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