トルファン市

トルファン市の最新ニュースをまとめて検索!

中華人民共和国 新疆ウイグル自治区 吐魯番市
街の風景と蘇公塔
街の風景と蘇公塔
トルファン地区中のトルファン市の位置
トルファン地区中のトルファン市の位置
簡体字 吐鲁番
繁体字 吐魯番
Tŭlŭfān
カタカナ転記 トゥールーファン
ウイグル語 تۇرپان ۋىلايىتى
ウイグル語ローマ字転写 Turpan Wilayiti
国家 中華人民共和国
自治区 新疆ウイグル
地区 トルファン地区
行政級別 県級市
面積
- 総面積 13,689.71 km²
- 市区 14.9 km²
人口
- 総人口(2003) 25.5 万人
経済
電話番号 0995
郵便番号 838000
ナンバープレート 新K
行政区画代碼 652101

トルファン市(-し)は中華人民共和国新疆ウイグル自治区トルファン地区に位置する県級市。トルファン盆地の中央に位置する。古くより交通の要所であり、シルクロードの要所として栄えた。現在は観光都市となっている。

目次

[編集] 地理

トルファン盆地の中央に位置し、北に天山山脈を臨む。

トゥルファンは海抜がマイナスの場所がほとんどであり、トゥルファン市街のそばにあるアイディン湖の水面は海抜-154mで、中国で最も低いところにある。

夏の暑さは非常に過酷で、最高気温は38 - 40、これまでの最高で49℃を記録したことがある。さらに雨も少なく、年降水量は20mm前後。また砂漠地帯であるために風が非常に強く、20m以上の風が普通に吹いている。

150キロ北西にウルムチ、350キロ東にハミが位置している。

[編集] 歴史

前漢代に車師国の一つ車師前国があり、その王城は交河城(ヤルホト)と言った。この城の下には河が流れているので、交河城と言う。その当時で人口が六千五百とある(当時の首都・長安の人口が二十四万ほど)。この交河は現在のトゥルファン市街から西に10Kmほど行った所にその遺跡がある。これに対して漢は現在のトゥルファン市街から東へ45Km行った所に高昌城(カラホジョ)を築いて屯田を行っていた。

その後、中国から戦乱を避けて高昌へと移り住むものが多くなり、北涼の王族・沮渠氏が車師国を滅ぼして、450年に高昌国を立てる。この高昌国は柔然に圧迫されて滅び、その後は北方民族(柔然・高車突厥)の影響下の元に闞・張・馬の四氏が王となり、498年に麹嘉(きくか)が高昌王になり、640年に滅ぼされるまで続く。

高昌を征服した唐はこの地に安西都護府を置いて西域経営の拠点とした。唐の国力がこの地方にまで及ばなくなる9世紀になると天山ウイグル王国の支配下に入り、夏都とされた。

モンゴル帝国の征服後にはチャガタイ・ハン国に領有され、分裂後は東チャガタイ・ハン国の領有となる。 チャガタイ・ハン国が弱体化しティムールに支配されるとその支配下となったが、1500年シャイバーン朝によりティムール朝が弱体化すると、再び東チャガタイ・ハン国(モグーリスタン・ハン国)の支配下となる。1514年にチャガタイの末裔がカシュガルヤルカンド・ハン国がを建てると、1679年までその支配下となった。

トルファンの名前は代より流布し始め、その意味はウイグル語で「くぼんだ地」を意味する。西域番国志によると、15世紀初頭、永楽帝の命を受けた陳誠が、陸路でこの地(「土爾番」と記録されている)を訪れている。

代にはジュンガルとの間で争奪戦が行われ、清が勝利する。

戦後、イギリススタイン探検隊日本大谷探検隊がこの地に入り、出土品を持ち帰った。その中でも文献群は敦煌文献と並んで貴重であり、西域と古代の研究に大量の史料をもたらした。

[編集] 民族

ウイグル族が70%を占め、残りは漢族が多い。

[編集] 経済

観光以外では農業が主であり、ブドウ綿花ハミウリが特産。

砂漠地帯に水を持ってくるための機構が特徴的である。その水源は天山山脈解け水で、山の麓から20 - 30mの間隔で井戸を掘って並べ、その底をつなげて水路としたものである。11世紀ごろにイスラム勢力より伝わったと言われ、カレーズ (坎尔井) と呼ばれる。

[編集] 観光地

交河故城
火焔山
ウィキメディア・コモンズ
  • 交河故城
  • 高昌故城
  • ヤールホト古墳群
  • アスターナ古墳群
  • 火焔山
  • ベゼクリク石窟寺院
  • 蘇公塔

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年12月5日 (土) 14:35 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【トルファン市】変更履歴

ご利用上の注意