トスカーナ州

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トスカーナ州
Regione Toscana
トスカーナ州の州旗 トスカーナ州の紋章
トスカーナ州の州旗 トスカーナ州の紋章
イタリア
地域 中央イタリア
州都 フィレンツェ
面積 22,990 km²
人口 3,516,296 人
人口密度 153 人/km2
アレッツォグロッセートフィレンツェリヴォルノルッカマッサ=カッラーラピサピストイアプラートシエーナ
コムーネ 287 (一覧
州知事 Claudio Martini (2005/4/4から)
公式サイト [1]

トスカーナ州Toscana)は、イタリア共和国中部に位置するである。

州都はフィレンツェ

目次

[編集] 地理

イタリア半島の北部に位置し、シエナピサフィレンツェなど魅力的な古都が数多く存在する。ユネスコ世界遺産の数も多い。農業が大変に盛んで、ワインオリーブ小麦などを生産している。特にワインはキャンティやスーペル・トスカーナといった名品を生産する、世界屈指の名醸地である。

ティレニア海に面し、エルバ島などを擁する。

[編集] 歴史

古代ローマの進出以前はローマの基礎を築いたとされるエトルリア人が多く住む土地で、トスカーナという名前も「エトルリア人の土地」を意味する(古代ローマ人はエトルリア人を "Tusci" と呼び、また "Etrusci" とも呼んだ)。ローマはエトルリア人を吸収し、トスカーナは本国の一部となった。

オドアケル西ローマ帝国を滅亡させた時代の後は東ゴート王国東ローマ帝国ロンゴバルド王国の支配を経た。ロンゴバルド王国がカール大帝に征服されると、後に神聖ローマ帝国となる彼の帝国の一部となり、トスカーナ辺境伯により統治された。

都市コムーネの時代になると、ピサ(1509年まで)や、シエナ(1555年まで)、フィレンツェが台頭し、最終的にはルッカを除くトスカーナの大部分はフィレンツェ共和国(後にトスカーナ大公国)に統治された。

ルネサンス時代はダヴィンチミケランジェロラファエロといったトスカーナ人が注目を浴びた。ローマを中心とするローマ教皇領と並び中心地の一つとなった。長くメディチ家の支配下にあったが、1737年にジャン・ガストーネ・デ・メディチが世継ぎを残さずに死ぬとオーストリア帝国の属国となった。ナポレオンの時代には、1801年から1807年までエトルリア王国が成立するが、ナポレオンが敗退するとオーストリアの影響下に戻った。1860年イタリア王国に合併されたが、その後もオーストリアは20世紀初頭までトスカーナの領有権を主張した。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年10月3日 (土) 06:15 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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