トムス

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株式会社トムス
TOM'S Co., Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 東京都世田谷区等々力6丁目13番10号
設立 1974年2月20日
業種 輸送用機器
代表者 代表取締役社長 大岩湛矣
資本金 5,000万円
外部リンク http://www.tomsracing.co.jp/
  

株式会社トムス(英文名称:TOM'S Co., Ltd.)は、主にトヨタ車向けのアフターパーツなどの開発・販売を手がける日本の企業。1974年設立。トヨタ車を用いたレース活動を盛んに行っている。TOM'Sの名の由来は、設立者の舘信秀、大岩湛矣とモータースポーツの頭文字を組み合わせたものである。

一時はイギリスに置いた現地法人のトムスGBにおいて、世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)にフル参戦した他、独自にF3マシンを開発・販売していたことでも知られる。トムスGBは後にアウディに売却されたが、その後名称を「アウディスポーツUK」と改めアウディ・R8アウディ・R10といったマシンを世に送り出している。

目次

[編集] レース活動

[編集] 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権

全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権には1983年のシリーズ開幕戦、鈴鹿500kmから参戦。以降1992年のシリーズ最終戦MINE500kmまで全戦参加する。83年開幕時は、82年WEC用に開発したトムス童夢・セリカCを改良したトムス82Cを使用し、シーズン途中からトムス83Cに変更した。以降84C、85C、86C87C、88C、88C-V、89C-V、90C-V、91C-V、92C-V、TS010を投入し、10年間で8勝をあげた。1992年にはCクラスでチャンピオンを獲得している。1987年からは「TOYOTA TEAM TOM'S」(TTT)としてトヨタのワークス活動も担う。これに伴い87C以降はマシン名も「トムス」から「トヨタ」になった。

[編集] ル・マン24時間レース

ル・マン24時間レースへの初参戦は1980年で、マシンはIMSA-GTX仕様A40セリカ・ターボ。この時は予選落ちに終わる。1985年からはグループCで参戦を続ける。85年はトムス・85C/トヨタで12位完走。1987年からは「TOYOTA TEAM TOM'S」(TTT)としてトヨタのワークスとして参戦。1990年にはトヨタ90C-Vで6位入賞。1991年には参戦を休止したが、1992年にはTS010で復帰、2位に入賞し関谷正徳が日本人として初めてル・マンの表彰台に立った。翌1993年もTS010で挑むがまたしてもプジョーに敗れ4位。以降トムスはル・マンに参戦していない。

[編集] 世界スポーツプロトタイプカー選手権

世界スポーツプロトタイプカー選手権には1989年から「TOYOTA TEAM TOM'S」(TTT)としてトヨタ88C、89C-Vでフル参戦。第2戦ディジョンでは88Cが4位に入賞している。翌1990年には全戦2カーで挑むが、開幕戦の鈴鹿の4位が最高位。スポーツカー世界選手権(SWC)と改称した翌91年は参戦を休止したが最終戦オートポリスに翌年の参戦を条件に特例で開発したばかりのTS010でスポット参戦し6位となった。1992年にTS010でシリーズ復帰。開幕戦モンツァでは小河等が優勝を飾るも、その後はプジョーに勝てずチャンピオンの座は獲得できなかった。SWCはこのシーズンをもって終了した。

[編集] 全日本F3000選手権・フォーミュラ・ニッポン

全日本F3000選手権には1993年の1年だけ参戦。ドライバー関谷正徳を起用し、第10戦は野田英樹が関谷に代わってスポット参戦。第11戦(最終戦)は関谷と野田の2台体制となる。

  • 1993年
TOM'S REYNARD 93D(#36 関谷正徳/野田英樹) - Reynard 93D・Ford-Cosworth DFV
TENORAS TOM'S 93D(#30 野田英樹) - Reynard 93D・Ford-Cosworth DFV

フォーミュラ・ニッポンには2006年より参戦。2006年には2勝、2007年には1勝を挙げている。

  • 2006年
DHG TOM'S RACING(#36 アンドレ・ロッテラー/#37 土屋武士) - Lola FN06・TOYOTA RV8J
  • 2007年
DHG TOM'S RACING(#36 アンドレ・ロッテラー/#37 荒聖治) - Lola FN06・TOYOTA RV8J
  • 2008年
PETRONAS TEAM TOM'S(#36 アンドレ・ロッテラー/#37 荒聖治) - Lola FN06・TOYOTA RV8J

[編集] 全日本GT選手権・SUPER GT

全日本GT選手権には1995年より参戦。1997年にシリーズチャンピオンを獲得後、2005年SUPER GTとなってからも参戦を継続、2006年にもシリーズチャンピオンに輝いた。マシンのベースとなる車種は2005年まではトヨタ・スープラを使用していたが、2006年からレクサス・SC430に変更された。エントラント名は2000年以前はスポンサー名を含むものだったが、2001年から「TOYOTA TEAM TOM'S」に統一した。同年に関谷正徳が監督に就任している。

カストロールトムススープラ(1997年 36号車)
  • 1995年
  • 1996年
  • 1997年
    • 36号車 カストロールトムススープラ ミハエル・クルム/ペドロ・デ・ラ・ロサ(BS)
    • 37号車 カストロールトムススープラ 関谷正徳/鈴木利男(BS)
  • 1998年
    • 36号車 カストロールトムススープラ 関谷正徳/ノルベルト・フォンタナ(DL)
    • 37号車 カストロールトムススープラ 鈴木利男/ケルビン・バート(DL)
  • 1999年
    • 35号車 マツモトキヨシトムススープラ 山路慎一/ピエール・アンリ・ラファネル(MI)
    • 36号車 カストロールトムススープラ 関谷正徳/黒澤琢弥(MI)
    • 37号車 カストロールトムススープラ 鈴木利男/片山右京(MI)
  • 2000年
    • 35号車 マツモトキヨシトムススープラ 山路慎一/ピエール・アンリ・ラファネル(MI)
    • 36号車 カストロールトムススープラ 関谷正徳/土屋武士(MI)
    • 37号車 カストロールトムススープラ 荒聖治/鈴木利男(MI)
  • 2001年
    • 36号車 カストロールトムススープラ 黒澤琢弥/土屋武士(MI)
    • 37号車 マツキヨZENTトムススープラ 山路慎一/ワイン・ガードナー(MI)
  • 2002年
  • 2003年
  • 2004年
  • 2005年
    • 36号車 DYNACITY(OPEN INTERFACE)トムススープラ 土屋武士/ジェームス・コートニー(BS)
    • 37号車 DYNACITY(OPEN INTERFACE)トムススープラ 片岡龍也/山本左近(BS)
    ※メインスポンサーは第4戦までダイナシティだったが、同社の社長の不祥事などが理由で、第5戦からオープンインタフェースに交代している。
OPEN INTERFACE TOM'S SC430(2006年)

※括弧内は使用タイヤメーカー。BS=ブリヂストン、DL=ダンロップ、MI=ミシュラン

[編集] チューニングパーツメーカーとしての活動

事業内容にもあるように基本的にトヨタ車専門のパーツメーカーである(かつてDoエンジニアリングとの共同で、マツダ・RX-7(FD3S)用アドヴォクスを発売した例外はある)。

ディーラー販売もされるため、過激なチューニングメニューは取り揃えてはいない。しかし、高級車高調「コイルダンパーユニット アドヴォクス」の高級車並の快適性をスポイルせずに、運動性能を引き上げるというコンセプトは、多くのチューニングカー雑誌から賞賛されている。また、このアドヴォクスが上手く働かないからと言う理由で、フロアプレースバーを製作する。アドヴォクスと組み合わせるとドライバーにとって違和感のある動きをするという理由でARSキャンセラーを製作するなど、足回りにはこだわりが見られる。

またトヨタ・アリスト(JZS161 アリストV300)の難攻不落と言われていたECUをほぼ完全掌握した「T.E.C.II」はアリストチューンに更なる選択肢を与える事となった。

2007年10月にはレクサス・GSをベースとする1台限定のチューニングカー「LEXUS GS50」をYahoo! オークションに出品[1]し、話題を集めた。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年7月20日 (月) 14:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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