トヨタ・TS010

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トヨタ・TS010
1992年仕様フロント
 
 
1992年仕様リア
 
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メーカー {{{メーカー}}}
 
親会社 {{{親会社}}}
 
製造国 {{{製造国}}}
 
製造期間 1990年-1993年
 
設計統括 {{{設計統括}}}
 
デザイナー {{{デザイナー}}}
 
乗車定員 1名
 
ボディタイプ グループC クローズド
 
ハイブリッド {{{ハイブリッドシステム}}}
 
エンジン V10 72度 3,500cc
 
モーター {{{モーター}}}
 
最高出力/トルク {{{最高出力/トルク}}}
 
最高出力 {{{最高出力}}}
 
最大トルク {{{最大トルク}}}
 
変速機 6速Hパターン
 
駆動方式 MR
 
サスペンション ダブルウィッシュボーン
 
全長x全幅x全高 {{{全長x全幅x全高}}}
 
全長 4,800mm
 
全幅 2,000mm
 
全高 1,030mm
 
最低地上高 {{{最低地上高}}}
 
ホイールベース 2,785mm
 
車両重量 750kg
 
乾燥重量 {{{乾燥重量}}}
 
総重量 {{{総重量}}}
 
最大積載量 {{{最大積載量}}}
 
燃料タンク容量 {{{燃料タンク容量}}}
 
燃費 {{{燃費}}}
 
ステアリング位置 {{{ステアリング位置}}}
 
トレッド前 1,630mm
 
トレッド後 1,560mm
 
本体価格 {{{本体価格}}}
 
別名 {{{別名}}}
 
先代
 
後継
 
姉妹車/OEM
 
車台共有車
 
同クラスの車 {{{同クラス}}}
 

TS010は、トヨタ自動車スポーツカー世界選手権(SWC)やル・マン24時間レースでの総合優勝を狙い、新たなグループC規定にあわせて開発したプロトタイプレーシングカーである。

目次

[編集] マシン概要

シャシ設計に関しては、トヨタが設計したものをトニー・サウスゲートが監修。

エンジンは、当時のSWCのレギュレーションに沿って、当時のF1と同じ3,500ccNA。エンジン形式はバンク角72度のV型10気筒で、グラウンドエフェクト効果を向上させるために傾斜をつけて搭載されていた。出力は、1990年の初期型で約480馬力、1990年スポット参戦時で約600馬力、最終的には約750馬力を発生させていた。

ボディアンダーフロアは、エンジンの左右部分を跳ね上げたトンネルディフューザーを備えるウイングカー構造で、リアウイングは、1991年に活躍したTWRジャガー・XJR-14に倣って複葉型とし、コンセプトの低ドラッグ・高ダウンフォースに即した開発によりダウンフォースは200mph(≒320km/h)時に4トンを超えた。SWCJSPC等のスプリント仕様のマシンの中にはヘッドライトを装着していない車両も存在する。

[編集] 開発概要

TS010開発プロジェクトは1990年にスタートした。

初期開発段階においてエンジン開発チームは、重心高を徹底的に下げるために、アンダーフロアがフラットボトムであることを前提に開発を行っていた。それに対しシャシ開発チームは、高ダウンフォースを発生させるために従来のグループCマシン同様のウイングカー構造を持ったマシンを開発したかった。しかし、開発チーム間の異なるマシン構想によって、開発初期のマシンは先行開発されていたエンジンが搭載できるシャシを開発しただけとなり、結果的にアンダーフロアの整流などは考慮されず、重心も高いマシンが完成してしまった。この時のデザインは最終的にレースに登場したマシンの姿とは似つかない、旧来のグループCマシンのデザインを引きずったようなものであった。

その後、この開発状況を収拾するためにトニー・サウスゲートにマシン開発の監修を依頼し、エンジン、シャシ共に徹底的に開発の見直しを行い、マシンデザインをやり直した。最終的にはそれまでのターボエンジン搭載のマシンよりも多くダウンフォースを獲得できるマシンを開発し、1991年のSWC最終戦オートポリスにスポット参戦する。

同時期のジャガー・XJR-14やプジョー・905と比べて空力パッケージは少々古いものであり、空力性能も若干劣るものの、車両としての完成度はそれなりに高く、トヨタ製グループCマシンの集大成とも言われている。 スプリントレースを主眼においたジャガー・XJR-14とは違い、耐久レースも考慮した事から、ドアはグループCマシンでは乗降性に優れたコンベンショナルなガルウィングドアとし、耐久レース時には後輪部分にジャガー・XJR-12等と同様のスパッツを採用している。

[編集] 成績

1991年、SWC最終戦のオートポリスに特例として参戦し、予選5位・決勝6位という結果を残した。

1992年よりSWCに正式に全戦参戦し、第1戦モンツァ小河等らのドライブにより初優勝を飾る。第2戦シルバーストンではプジョー・905が優勝を飾る。

そして、1勝1敗で迎えたル・マン24時間では、レース前半がウェットコンディションによる戦いとなり、グッドイヤーレインタイヤがまったくグリップしない状態に対し、グリップ力の強力なミシュランタイヤを履くプジョー・905やマツダ・MX-R01とのタイム差がついてしまった。雨がやんだ時点では、上位のマシンと相当な差がついてしまい、最上位で4位であった。そこで、雨が上がった後に予選用ガソリンの投入を行い、数十馬力ほど出力を上げることでタイムアップを図りプジョーを猛追した。終盤には2位までつけることができたが、シリンダーヘッドにクラックが入ってしまい、エンジンの一気筒が冷却水漏れのトラブルに見舞われたためオーバーヒートを起こしてしまった。 トップを追撃することなくペースを落として順位をキープし、33号車が総合2位となった。

このときオーバーヒートを起こしたエンジンはモンツァ戦で既に使われたシリンダーヘッドであったためにトラブルが発生したと言われている。その後のSWCでは、プジョーの後塵を拝す結果ばかりとなり結局モンツァ戦の勝利のみで1992年シーズンを終えた上に、SWCはその年を持って終焉を迎えてしまった。

1993年はTS010にとって唯一参戦できるル・マン24時間に参戦する。しかし、駆動系トラブルが発生したためプジョー・905に総合1位から3位を独占されてしまう。

[編集] その他

1993年、フジテレビ系列の番組にて池谷幸雄ゆうゆに時速300km/h以上での同乗体験をさせると言う主旨の元、片山右京駆るTS010を使用をしての撮影が行われた。

レポーターとして同行していたフジテレビアナウンサー三宅正治は、レーシングスーツ着用状態でヘルメットを渡され、特設の助手席に着席し、座った感想と室内のレポートを行い、後にタレント2人に同乗体験をさせるはずであった。 しかし、実際には三宅アナに同乗をさせるというドッキリ企画であった為、無言でドアは閉められ、当時の鈴鹿サーキットはピットレーンの制限速度も無かった事から片山右京は猛然とアクセル全開。

三宅アナは車内ではまともに実況も行えずに絶叫し、バックストレッチでは326km/hに到達。周回を終えて戻ってきた際には放心状態であった。 ちなみにその際に使用されたのは1993年ル・マン仕様の37号車であった。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月27日 (火) 15:36 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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